第5話 キャッチャー・ハ・ダーク・エルフ

 一斉摘発の日は刻々と近づいて来ていた。

 それはもはや商人たちの噂話の域を離れて、公然と、街中の掲示板に張り出されるような事態に至っていた。


 第八商業区に棲みついている不法住居者たちを一斉摘発する。

 決行日は、水魚の月の十八日。


 この世界では、僕たちの世界でいう所の『黄道十二宮』が、それぞれの月に相当していた。また、僕の担当女神に確認したところ、転生元の世界と日月の周期は変わらないとのことらしい。


 つまり、水魚の月とは三月。

 僕が転生したのが一月で、それからかれこれ一カ月と弱が経過していることを考えると、この水魚の月の十八日とは、そう遠くない未来の出来事だ。


 あの後、ブランシュに街を出るという話を何度かしてみたけれど、彼女の固い決意は覆ることはなかった。

 具体的な日にちを教えて、この日だけは、街を離れようと言ってみたところで、彼女は横を向いて、聞こえないふりをするばかりだ。


 あんまりうるさく言った日には、また腹を蹴られたこともある。


『それでも懲りずに言っちゃうあたり、良人くんって、ほんとマゾよね』


「そんなんじゃないですから」


 人が決死の想いで、死のうとしている女の子を説得している。

 それを、マゾの一言で片づけようとしないで欲しい。


 ほんと、この女神さまは。

 もうちょっと担当の転生者に優しくしてくれたって罰は当たらないだろう。


『残念でした、罰を当てるのは私たちの役目ですぅ。当てる人が罰に当たる訳ないのに、おかしいこというね良人くんは』


「ほんとそういうとこどうにかした方がいいと思いますよアネモネさん」


『ひどい!! 私だって、私だってこれでもちゃんと女神やろうと!! 頑張って、頑張ってるのにそんな言い方って――うわぁあああん!! あん、ああああん!!』


「……うそ泣きですよね」


『てへり☆』


 何がてへりだろうか。

 このまったく役に立たない、導いてくれない女神アネモネに、僕はいつからか期待することをやめた。


 思った以上にこの女神、性質が悪いのだ。

 性格も悪いのだ。


『けど、顔と職業がよければすべてが許される。それがこの世の真理じゃない?』


「ほんとマジでムカついたんですけど」


『ごめんねごめんね。全知全能万能にして絶世の美女、この世全ての頂点に君臨する空前絶後の究極女神アネモネちゃんで、本当にごめんね』


 彼女が目の前に居たならば、きっと殴り掛かっていた自信がある。

 人をこんな困ったシチュエーションに配置して、この女神はなにが楽しいんだ。


 あぁ、くそ。

 こんなことしている合間にも、一斉摘発の日は近づいているっていうのに。


「当日は、商業区ギルドが雇った傭兵数十名に首都に駐留している第三騎士団、それと、女性就労者への配慮をかねて女騎士団から何名か女騎士を派遣する、か」


『あれだけ元の世界でクッコロさせた女騎士に、クッコロされる日が来るなんて。世の中って因果なものよねぇ』


 無視だ無視。

 アネモネさんは基本傍観者。見ているだけの人間だ。


 テレビでドラマを見ている人間が、直接、ドラマの内容を書き換えられないのと同じ。この女神には、僕たちの運命に介入する権限が備わっていないのだ。


 まったく、なにが若年死亡者救済センターだよ。

 ちっとも救われていやしないじゃないか。


『あら失敬ね。本当に私が野次馬根性だけで、貴方たちのやり取りに介入しないのだと思っていたの?』


「なにか他に理由があるんですか?」


 突然、意味ありげなことをアネモネさんが言うものだから、僕はちょっと驚いてしまった。まるで、助けてあげなくはないけれど、あえて助けなかったのよ、とでも言いたげな口ぶりだ。

 けど、どうせいつものからかいだろう。


 この後、手のひらを返した通り、ザッツ・ライト・その通りさ、とか、イクザクトリーなんて、言ってのけるに決まっているんだ。


『良人くん。いろいろと忘れてない。で、よ』


「――はい?」


?』


 ――言われて、はっとその言葉に納得してしまった。


 なろう系小説なんかでは、言われなくても女神の方から、いろいろとアドバイスをくれるものだ。けれど、この僕が相手にしている女神は、どうもそういうテンプレートな感じの奴じゃじゃない。


 いや、ある意味では、どんな小説に登場する女神よりも性質が悪そうだけれど。


 けれども現実の世界において、神というのは本来――そういう性質の悪い存在だ。

 人を哀れみ、わざわざと助ける者など、そうそういるものではない。

 彼らはいつだって相応のを、その助力に求める。


「何を……なにを捧げればいいんですか!?」


『心臓を捧げよ!!』


「それは進撃の魔人!!」


『人間性を捧げよ!!』


「それはブラック・ソウル!!」


『いいツッコミだねぇ。流石は私が選んだ転生者――ボケ甲斐があるわ!!』


「いいですからもうそういうの!! とっとと、本題に入ってください!!」


 ぶぅぶぅ、と、文句を垂れながらも、最終的にアネモネさんは、咳ばらいをして場の空気を改めた。

 凛とした、女神らしい声色で、よいですか、と、彼女は僕に問いかける。


『転生者よ。汝、我に知啓を望むのならば』


「望むのならば!?」


『物語に華を添えなさい』


「……はい?」


 つまり、どういうことでしょうか。

 まったくもって、脳内女神の言っていることが、分からなくて、僕は絶句した。


 華とはなんだ。

 というか、物語って。

 人を小説の登場人物のように言ったな。


 するとアンタが執筆者か。

 だったらそれは、執筆する側の役目じゃないのか。


『あら失礼、私、これでもちゃんとお膳立てはしたつもりよ』


「どこがですか。こんな一歩間違えばゲームオーバーな、サバイバル異世界転生させておいて、どの口がそんなこと言うんですか」


『ブランシュちゃんと、ひとつ屋根の下』


 うぐ。


 ちょっと、それは。

 改めて言われてみると、確かに、と、少し言葉に詰まってしまった。


『もうほんと全然ダメダメ。良人くんったらぁ、せっかく私がブランシュちゃんと、わくわくどきどきの同棲生活を提供してあげたっていうのに、胸の一つも揉んだり、裸の一つも見ないんだもの』


「いやぁ、それは、だって。僕もブランシュも、毎日生きるのに精いっぱいだったから、仕方ないじゃないですか」


『ぶっちゃけ面白くないわぁ』


 面白くない。

 面と向かって担当女神から、お前の異世界転生は面白くない。

 そう言われる僕ってどうなのさ。


 傷つくわ、どんな読者の言葉より、登場人物、しかも女神から面白くないなんて言われた日には、筆力ガタオチのそのまま筆べきりってもんだわ。


 僕がなろう作家だった場合にはきっとそうする。

 いや、そうなるだろう。


 書いてないからわかんないけど。


「――えぇ、なに。華って、そういうことですか」


『エンタメにとってぇ、女の子の裸とラッキースケベは、外しちゃいけない要素ファクターよ』


「けど、ブランシュは。女の子だけれど、その前に姉弟きょうだいっていうか」


『それなのよねぇ。なんでそこでガンダル・オルフェウスみたいなことになっちゃったのか。そこが疑問なのよねぇ。割と、いい感じの出会い方だったと思うんだけれど、ほんと不思議だわ』


 不思議なんだろうか。

 そして、ガンダル・オルフェウスというより、モゲラの唄の方が展開的には近いような気がしないでもないんだけれど。


 姉弟きょうだい、と、僕に向かって笑顔を向ける、ポニーテールの美少女の姿が脳裏に浮かぶ。


 うぅん、台詞さえ違っていれば、間違いなくヒロインポジションなのは認める。


 そして今更あらたまって言うまでもなく、ブランシュは絶世の美少女だ。

 あんなみすぼらしい格好をして、路地裏に住んでいてなお、その美しさはくすむことがない。それもまたゴールデンドラゴンとしての力なのだろうか。

 まるで、内側から強烈に輝くような、そんな魅力をもった少女なのである。


 そうだ、姉弟きょうだいのことは、姉弟きょうだいの僕が、一番よく分かるのだ。

 けど――。


「それでどうしろと」


『単純よ。男ムラサメに習えばいいだけのこと――ラブタッチよ!!』


「僕その作品知らないです」


『えぇ、嘘。有名じゃないのぉ』


 途端、ずんちゃずんちゃと、アネモネさんは器用にボイスパーカッションで音楽を奏で始めた。意外と器用な所があるのね、この女神さんてば。


 というか、そのボイスパーカッションを聞いても、分からないけど。

 本当に有名なのか、その作品。


『フリー○ックス・男!! フリー○ックス・女!!』


「いわんとせんことは分かりました。丁重にお断りします」


 まったく作品のことは分からなかったけれど、このど腐れ女神が、僕に華と称して何を求めているのかは、その歌詞でようやく分かった。


 誰がするかそんなこと。


 というか、相手は姉弟きょうだいだぞ。

 固い絆で結ばれたブランシュとそんなことできるわけ――。


『来て、アルノー。優しくしてね……』


「――ッ!! 変なイメージを直接頭の中に流しこまないでください!!」


『だったらお前がさっさと現実で○ックスせんかい、かいかい、かいやーい!!』


 流石は女神さま。

 丁寧に写真屋さんで加工した、ブランシュのセクシー画像を直接脳内に送り付けてきてくれた。更に、どうやって作ったのか、彼女の声までつけて。


 これで前かがみにならなかったら、男の子じゃないだろう。

 というか、なんてものを送り付けてくるんだ、こんな真昼間から。


 駄女神の癖にこういうとこだけ無駄にスキル高いのなんなの。


『とにかく、女神はそういうスケベ成分を求めているのです。それが果たされた時、私は貴方にこの困難を打開するための啓示を授けましょう』


「――そんなこと言われても。姉弟きょうだいにそんなこと、できる訳が」


『あぁ、別にブランシュちゃんだけじゃなくてもいいのよ。ヒロイン候補は多い方が商業展開が有利だからね』


 なんですか商業展開って。

 まるで人を小説の中の登場人物みたいに言うのやめてください女神さま。


 あぁけど、ブランシュじゃなくてもいい、っていうのは、ちょっと気が楽かも。

 もし僕が彼女にそういうことをしたとして――拒絶されたとしたら、ちょっと立ち直れないかもしれない。


 結構、その、姉弟きょうだいとか抜きにして、ブランシュのことは大切に。


『ええんじゃいそういう純愛は!!』


「うえぇえぇえぇっ!?」


『おっぱいが舞い、女の子の肌が露わになり、ストッキングが濡れ、ブラウスがスライムで透ける!! それが今の読者が求めるモダンラブなんじゃーい!!』


「勝手なこと言わないでくださいよ!! 恋愛くらい、僕の好きにさせてくれたっていいじゃないですか!!」


『なにおう!? 異世界転生して自由に恋愛できると思うなよ!! あの手この手で、お前に呪いをかけて、ハーレムにしてやろうか!!』


「やめて、ハーレムとか、そういうの僕あんまり好きじゃないんです!!」


 横暴だ、職権乱用だ、流行という名の暴力だ。

 僕はそんなものには断じて屈しないぞ。

 そう、屈しないのだ。


 この姉弟きょうだいへの純な想いは、絶対に貫いてみせる――そう思った時だ。


「はーい、ごめんねぇ。ちょっと通してくれるかな。掲示物の張替したいんだけど」


「あ、すみませ――ぶふっ」


 僕はかけられた声の方に振り返った。

 すると、ぼすりと、その顔に柔らかいものが当たった。

 視界が黒く染まって、まったく何も見えなくなる。


 うわぁ、なんだろう、この触れていると体全体に溢れてくる安心感。

 まるでマシュマロのように柔らかで、それでいて、人肌の温かさがあって。

 いつまでもそうしてうずくまっていたい気になって来る。


 うーん、これはあれかな、人をダメにするクッションかな。

 異世界にもあるんだなぁそんなもの。


「あら、積極的な坊やね」


「はへ? どこからともなく声が――上から?」


「ごめんね離れてくれるかな。一応、私もトウが立ったおばさんとはいえ、人前で男の子に胸に顔を埋められるのは恥ずかしいから」


 なるほど。

 これがおっぱいか。


 初めて触れるから分からなかった。


 ……って、おっぱい!?


 がばりと、僕はその場に後ずさる。

 ざっくりと開けた胸元に、ブランシュの大平原とは対極にある、二つのチョモランマがぷりんぷりんと、魅惑的に揺れているではないか。


 190cmはあるだろうか。

 長身のその女性は黒真珠のようなマッドな色合いのショートヘアーの髪を涼し気に揺らすと、にっこりと僕に優しく微笑んで来た。


 けれどもその微笑みはどこか冷たい。

 それは多分に、彼女がかけている縁なしの眼鏡と、緑色をした両耳のピアス。


 そして、なにより――その種族特有のイメージによるところが大きかった。


「ダークエルフ!!」


 叫ばずには居られなかった。

 その黒い肌に尖った長い耳。

 そして、人間離れした美貌。

 おっぱい。


 僕の前に立っている、その女性は、ファンタジー作品で出て来たら、妖艶なライバルポジションのすっぽり納まるキャラクター候補No1。


 ダークエルフのお姉さん、だったのだ。


「あら、そんなに珍しがらなくてもいいじゃないの。ダークエルフなんて、第八商業区のお店になら、幾らだっているわ」


「いや、けど」


「それよりも。お姉さんの胸はお楽しみいただけたかしら、エッチな坊や」


 がっしりと、その腕を握りしめられている。

 あ、これ、あれですわ。ラッキースケベで許されると思いきや、許されない感じの奴ですわ。


 って、そうだ、ラッキースケベ。


「アネモネさん!! これで、華のある展開になったんじゃ!!」


『窃盗、痴漢、白昼堂々と人目をはばからずの妄想、そして止まらない独り言――』


 まるで漫才を論評する審査員のように、他人事のような言葉を僕にかける駄女神。

 あなたが、ラッキースケベをしなさいと言ったのではなかったか。


 痴漢ってなんじゃい。

 そして、後の二つは、全て、アンタが原因のことじゃないか。


『これはもう、主人公として数え役満で死刑ですね博士!!』


『そうですね、助手!!』


「助手!? 助手って誰!? なにこの突然の登場人物!!」


「こら、なに訳の分かんないこと言って騒いでんの!! おとなしくしなさい!!」


「アネモネさーん!! 助けて、アネモネさーん!! ヘルプミー女神さま!!」


「人の胸をさんざ楽しんでおいて、あっさり帰れると思った? 世の中、そんなに甘くはないのよ、少年!!」


 意外と力強いダークエルフのお姉さん。

 ファンタジー世界の住人ではない僕は、彼女にされるがまま、引っ張られるまま、ずりずりと掲示板の前から引っ張られていく。


 あかん。これはあかん展開や。

 窃盗じゃなくて痴漢で捕まるなんて、これは想定外だ。


王大麺ワン・タンメン死亡確認!!』


「うわぁああああああん!!」


 虚しく空に僕の叫び声が木霊したのだった。

 ごめんよ姉弟きょうだい。ドジ、踏んじまったぜ。

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