第6話 このダークエルフいじわるができます

 不慮の事故だったんです。

 別に貴方のおっぱいに特別な興味があった訳ではないんです。

 たしかにある方がない方よりいいですが、女性の魅力はおっぱいだけでは決まらないと思うんです。


 だからだから、どうか許してください。


 なんて言い訳を考えながら、ずるりずるりと連れて来られたのは、商業区の掲示板からほど近い場所にある留置所――ではなかった。


「はい、それじゃ、入って入って」


「えっ? えぇっ?」


「痴漢行為はまず示談交渉でしょう。大丈夫よ、ここ、私の個人事務所だから。怖いお兄さんとか中で待ち構えてないから安心してね」


 そう言われて見上げたその建物。

 涙の中に滲んで映るその看板には、こちらの言葉で『ソラウ個人会計事務所』という看板がかかげられていた。


 よく見ると、ここは第二商業区。

 金細工商たちが軒を連ねている、その名のとおり「金細工通り」だ。


 そこにぽつりと建っている、こじんまりとした会計事務所。


 あきらかに外面からして儲かっているのが分かる門構えに、一瞬、いや、かなりの時間を、僕はあっけにとられて立ち尽くしていた。


 そんな僕を心配するように、ダークエルフのお姉さんが覗き込む。


 ぶるるん。

 なんというか、そんな表現しかできないくらいに、おっぱいが暴力的に揺れた。

 もう、すんごい。


「どしたー、さっきの元気はどこ行ったのかな、坊や」


「あー、えーっと。個人会計事務所ってことは?」


「そうそう、私がここの代表取締役にして唯一の従業員、公認会計士のソラウよ」


「公認会計士」


「そうそう。商業区ギルドに加盟しているお店の会計報告書なんかの整理を請け負ってるのよ。なんと、こんな小さいお店だけれど、商業区ギルド加盟店舗での顧客率ナンバーワン。この首都で、今、一番儲かってる個人会計士なのよ」


 難しい話すぎて、ちょっと見えてこない。

 僕が元居た世界にも、会計士という仕事はあったけれど、どういう仕事をしているのかは、とんと自分の人生に関係がなさすぎて知ろうともしなかった。


 そっか。そういう仕事も、この世界にはあるのか。

 なんだか転生してきて、生きるためにあわただしく追剥になった訳だけれども。

 よくよく考えると、こっちの世界にもそれなりの、社会システムがあるんだよな。


「なんでそんなに驚いてるのかしら」


「いや、会社ってあるんだなって、今更だけど思って」


「……うん? どういう生まれならそういう発想に至るのかしら? 見たとこ、別に無教養なストリートチルドレンって感じじゃなさそうだから、こうして連れて来たんだけれど」


 ごめんなさい、今、絶賛ストリートチルドレンしている僕です。

 示談するにもお金を持ち合わせていないんです。


 なんて言った日には、そのまま豚箱行きだろうな。


 仕方ない、ここは適当に話を合わせよう。


「ご、ごめんなさい。僕、ちょっと、あまり外に出たことがなくって」


「あら、箱入り息子さん? それにしては身なりが少し汚いような」


「こ、これは、人の眼を欺くためで」


「用意周到ねぇ。まぁいいや」


 とりあえず中でお話をしましょう。

 私たちにとって、両方ハッピーになる、素敵な解決案を探るために。


 そう言って、ソラウさんは僕の手を引いて、事務所の扉を開いた。


 入ってすぐ目に飛び込んで来たのは、顧客との交渉で使っているのだろう革張りの椅子とガラス造りのテーブル。

 通りの景色がよく見えるように、窓辺に配置されたそこは、せわしなく使われているのだろうか少しくたびれた感じが椅子の表面に現れていた。


 その横を通って奥に進めば、プランターが並べられたパーテーションに区切られて、ソラウさんの個人作業スペースと思われるデスクが置いてあった。


 できる仕事人とばかりに、L字型になっているそのデスクには、書類は一切散乱していない。おそらくこの世界の法知識を記したであろう書籍が数冊と、重ねられたさらの羊皮紙、捺印用の蝋と象牙で出来た印璽いんじが整然と置かれていた。


 その背後。

 壁に埋め込まれる形で造られた棚には、彼女が先ほど自慢した通り、多くのフォルダが幾つも並べられている。

 どれもこれも、この商業区でそこそこににぎわっているのを見かける店の名前が、フォルダの背表紙には書かれていた。


 一番儲かっている、というその言葉。

 どうやら嘘ではないらしい。


「すごい、ですね」


「あらぁ、あらあら。痴漢した割には、かわいい感想言ってくれるわね。好感触よ坊や。お姉さん、ちょっとだけ減額してあげたくなっちゃった」


「……えっと、僕はどうしたら?」


「とりあえず、そこのソファーに座ろっか」


 この場合、上座に座るのはどっちなんだろうかな。

 なんてことを考えながら、僕は一応下座――窓際の方へとすっと腰を下ろした。


 そんな僕の態度を見て、なにやら得心がいったのだろうか、うんうんと、ダークエルフのお姉さんは、頷いた。


「いいところのお坊ちゃんってのは間違いなさそうね。少なくとも、商工ギルドの御曹司くらいには間違いないわ」


「はっ、はぁ……。恐縮です……」


「けど、レディの胸に突然顔を埋めて、人前でハァハァしちゃうなんて、世間知らずが過ぎるわよ。そういうの、ちゃんと教育受けてこなかったの?」


 受けて来たつもりです。


 不慮の事故だったんです。


 って、言っても理解して貰えないよなぁ。

 そうだよなぁ。結構長いこと楽しん――埋めちゃってたし。

 というか、今でもあの柔らかさを思い出して、ちょっと元気が。


 いやいやいかんいかん。

 何を考えているんだ僕は。


『それでも主人公ですか、軟弱者!!』


 ここぞとばかりに担当女神さまからファーストガンダルの名台詞が飛ぶ。


 はい、軟弱なことで申し訳ございません。


 アネモネさん、ごめんなさい。

 そして姉弟きょうだいよ、ごめんなさい。


 もとはと言えば全部、アネモネさんが悪いと思いますけど、一応謝ります。


 さて。

 豚箱に連れて行かれるよりはマシと、ダークエルフのお姉さんに誘われるまま中に入ってみたけれど、これはこれからどうしたものだろう。


 僕を椅子に座らせた彼女は、なぜだか少しご機嫌に鼻歌を鳴らして、紅茶か何かを奥の給湯室で淹れているみたいだ。

 この隙を突いて逃げるというのはどうだろう。

 いや、けど、それもどうなんだろう。


 ここまではっきりと身柄を抑えられたら、逆にまずいのでは。


「ブランシュのアジトに帰れば、それなりに現金はあるはず。示談金で解決ということなら、それを渡して――って、それで足りるのかな」


「あらあら、何を考え事してるのかしら」


「うわっ!?」


 ついさっき、給湯室に居たと思ったのに、いつの間に移動したのだろうか。

 ダークエルフのお姉さんが、向かいの席に座っていた。


 さぁどうぞ、と、差し出されたのは湯気の立ち昇る紅茶だった。

 この世界にも紅茶なんてあったのか。


 ここ最近、牛乳と干し肉、リンゴ生活だった僕は、久方ぶりの文明的な食べ物に不覚にも感動してしまった。


「元、王室御用達の茶葉よ。味わって飲みなさい」


「あ、ありがとうございます」


 おそるおそると、一口、それを口に含んでみる。

 なるほど、確かに紅茶だ。飲んだことのある味が口の中に広がる。

 あまりのなつかしさに、ちょっと涙が出てきそうだった。


「そうそう、味わうで思い出したけれど」


「はい?」


「お姉さんの胸はどうだったかしら? 美味しかった? 坊や?」


 ブフゥーッ!!


 日本で最も有名な探偵物語の主人公のように、僕は口から紅茶を噴出していた。


 スプラッシュ。

 自分でもこんなことできたんだなと、ちょっと感心する、そんなくらいの勢いで。


 もちろん前にはダークエルフのお姉さんことソラウさんが座っている。

 いけない、彼女にそんなものを浴びせてしまったとなれば――。


「ふふふっ」


 と、心配したのだけれど、彼女はなんとまぁ、それを見越していたとばかりに、紅茶を運んできたお盆で、それを見事に防いでいた。


 胸元も、足元も、一粒だって水滴は落ちていない。

 鉄壁のガードに思わず女神が天上でOHと唸っていた。


 これでどうしてあんなラッキースケベが起こってしまったのか。


 僕、もしかして、何かハメられたりしたのかなと、勘ぐってしまう。


「悪い子。胸の次は、濡れた体を見たいっていうの?」


「いや、違います」


「……ぷっ、くすくす。やだ、もう。本当に面白い子ね。からかい甲斐があるわァ。連れて来て正解だったわね、これは」


 濡れた盆をテーブルへと置くと、くすくす、と笑うソラウさん。


『なんでしょう、そこはかとなく同族の匂いがします』


「アネモネさんもですか。僕も今、ちょうどそう思ったところです」


 この目の前のダークエルフさんは、どうやら、僕の担当駄女神と同じような思考回路を持っているらしい。

 今更言うまでもないだろう。


 つまるところ、仕事はできるが性格はろくでなし、という奴らしい。


 そんな人にほいほいとついて来てよかったのか、と、僕はにわかに後悔した。

 そうして人が後悔している間も、彼女はひっひっひ、あっはっは、と、その美しい顔を存分にゆがめて、僕のことを笑いの種にしたのだった。


「どう考えても不慮の事故よね。なのに、ここまでずるずると引っ張られてきて。人がいいというか、押しが弱いというか」


「最初から、からかってたんですね!!」


「そうですけど、何か?」


「……酷い人だ」


「いいじゃない。私のおっぱいを存分に楽しんだのは事実でしょ。言っとくけど、これ、普通に私がその気になれば勝てる事案だからね?」


「じゃぁ、見逃してくれるっていうんですか?」


 きらり、と、その縁なしの眼鏡が光る。

 えぇ、そうね、と、ソラウさんが怪しく笑う。


 これはやはり、何か条件を付けてくるのか。

 やっぱり金か。示談金をせびるつもりなのか。


 僕は思わず真剣にその表情に応えてしまった。

 途端、また、その切れ長の瞳が、にんまりと山なりに歪んで、端から涙が零れた。


「だから、からかってるだけって、言ってるじゃない。なにその真剣な表情、もう、やめてぇ、真面目過ぎてお姉さん、貴方の将来が心配でたまらないから」


「……ほんと、酷い人ッ!!」


 またハメられてしまったのね、良人くん。

 世の中にはこんな悪い大人がいっぱいるのよ。


 と、駄女神が珍しく諭すように言う。


 その筆頭であるような貴方が言ってみたところで、なんの説得力もないのだけれど、その辺りはどう考えているのだろうか。


 女神にからかわれ、ダークエルフにからかわれて、もううんざりだ。


 あぁ、姉弟きょうだい――ブランシュ。

 君だけが、僕にとってこの世界で唯一の癒しだよ。

 会いたい、今すぐ君に会いたいよ、姉弟きょうだい


 大人の女たちによって傷ついた僕の硝子のハートを癒しておくれ。


 そうだ、ブランシュ。

 このよく分からないパニックのせいで、すっかり、僕は彼女のことを忘れていた。


 一斉摘発の日までそう時間はない。

 それまでになんとかして、彼女を説得して生き延びる方法を探さなくては――。


「用がないんだったら、僕、もう帰らせてもらいますね」


「まぁまぁ、そんな慌てなくってもいいじゃないの」


「慌てないといけない事情があるんです」


「へぇ。なのに?」


 この人。

 僕が咄嗟についた嘘さえも、織り込み済みで楽しんでいるという感じだ。


 今更だけれども、この人に対して、僕が口で勝てる光景はほぼ見当たらない。

 賢い大人の女性って、こんなにも性質の悪いものなのかと、僕は改めて思い知ったくらいだ。もう嫌だというくらいに、アネモネさんにからかわれていたけれど、もっともっと、上には上が居るらしい。


「ねぇ、お姉さんと、ちょっとお話していきましょうよ。どうせ暇なんでしょ」


「そうやって、僕みたいな男の子をからかうのが貴方の趣味なんですか」


「うーん、年齢は別に。エルフからすると、人間の男って、別に年齢的な魅力を感じないのよね。なんていうか、寿命が短すぎて」


「そうですか。けど、僕も急いでいるので」


「もういいじゃないのよ。ケチねぇ。じゃぁ、貴方のせいで掲示し損ねた、この張り紙を張ってきてちょうだいよ」


 そう言って、彼女は脇に置いていた、紐で結ばれた羊皮紙を差し出した。


 あぁ、言われて思い出したけれど、そういえば、彼女は何かを掲示板に張ろうとしていたんだっけか。そこに僕がぶつかって――というか、ぶつからさせられてか。

 それをはからずとも邪魔する格好になってしまった。


 彼女の話を無視して帰るというのなら、それくらいのことをしても構わない――のかもしれない。


「面倒なのよね。一応、私も商業区ギルドに所属してて、個人会計士たちの顔役みたいなことやってるから、掲示物更新の仕事とかが回って来るのよ」


「有能すぎるのも考え物ですね。もっと適度に息を抜いて生きたらどうですか」


「そうねぇ、若い燕をからかって遊んで暮らすのもいいかもしれない。けど、仕事してる方が楽しいのよね、これが。ワーカーホリックって奴だわ」


 彼女から羊皮紙を受け取る。

 かくして取引は成立した。彼女は満足げに微笑むと、縁なしの眼鏡を折りたたんでテーブルの上に置いて、ふぅ、と、ため息を吐いた。


 そこまで疲れるようなこと、しただろうか、と、不安な気分になる。


「いやね、助かるわ。正直、それを張り出すの、してたから」


「躊躇?」


 貴方のようないい加減な女性が、そんなことをするんですか。

 思わず、いつもアネモネさんに言っている調子で、そんなことを言いそうになった僕は、我慢して口を塞いだ。


 その代わりに。

 彼女が躊躇したという、その掲示物の内容を確認することにした。


 なに、どうせそれは、僕が掲示板の前に立った時に見ることになるのだ。

 今ここで確認しても結果は変わらないだろう。


『いいえ、良人。貴方はいま、自らの手で人生を切り開きました』


「……アネモネさん?」


「ほんと、嫌な話よね。だなんて。相手がどんな極悪人だとしても、そんなもの、張り出す奴の神経が分からないわ」


 とくり、と、僕の胸が高鳴った。

 その高鳴りは、どんどんと、あの日、転生した時のように、どくどくと耳障りなくらいに大きく響いてくる。


 羊皮紙をまとめている麻紐をほどく手が震えた。

 それでも、なんとかそれを解いて、上下にそれを広げるとそこには――。


「賞金首――『狂騒する金髪暴れ馬ゴールデン・ポニー』。この者、生死を問わず捕らえた者に、金貨百枚を与える」


「ギルドもこんな小娘一人に随分と奮発したわね。よっぽど目障りなのかしら」


 なんでもない感じでソラウさんが言う。

 その前で――僕はその掲示物を地面に落としてしまった。


 まずい。


 まずい。まずい。


 まずい。まずい。まずいぞ。


 一斉摘発までなんて呑気なことも言っていられない。

 大変な事態になってしまった。

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