第3話 姉弟の盃

 黄金色の髪の少女。

 もとい、ゴールデンドラゴンの少女は、名前をブランシュと言った。

 ただし、彼女の言葉を理解することができるのは、僕以外には居ない。


「あっ!? 金髪暴れ馬ゴールデンポニー!?」


「狂騒する金髪暴れ馬ゴールデン・ポニー!!」


 道すがら聞くにつけて、どうやら彼女はこの首都において『狂騒する金髪暴れ馬ゴールデン・ポニー』として呼ばれていることを知った。


 そんな彼女のねぐら。

 第八商業区は黄金通りの奥の奥。

 首都の外縁部にほど近い裏路地で、僕は正座をしていた。


 どうしてそんな風にしているのかといえば、答えは簡単。

 このねぐらこと路地裏の最奥にたどり着くまでに、何度も何度も死にかけたからに他ならない。


「いやぁー、すまんすまん。人をねぐらに招くなんて初めてのことだからよ。商業区の奴らが入って来れないように施したトラップのこと、すっかりと忘れてたぜ」


 ははは、と、悪気のない笑顔でそう言うブランシュ。

 彼女はなんでもないように言ったけれども、何度もデストラップにひっかかりかけた僕はもう心ここにあらずというものである。


 せっかく転生して拾った命を、わずかい一日で散らしてしまわなくってよかったと、生の喜びに感謝しても感謝しきれない。そんな心地だった。


 運命の神様、ありがとう。

 僕、なんとか生き延びることができましたよ。


『いやいや、そんな。あらたまってお礼を言われることでも』


「アネモネさんじゃないです!! っていうか、笑って見てたでしょ!! 僕がデストラップにひっかかる所!!」


『いやー、人間って、面白いね』


「もうやだこの女神さま!!」


 なに言ってるんだお前、と、ブランシュがきょとんとした顔をこちらに向ける。


 そうだ、女神であるアネモネさんと会話できるのは僕だけだ。

 ブランシュからしたら、僕が変な独り言をしているようにしか見えないはずだ。


 いやこれはね、と、説明しようとしたが――この僕の身の上をどうやって説明したものか、分からなくなって言葉が喉に詰まった。

 異世界転生しました、なんて言って、彼女は理解してくれるのだろうか。


 黙っておくのが吉と見た。


「ごめん、なんでもないんだ。病気みたいなものだと思ってくれていいよ」


「病気!? 大変じゃないか、すぐに医者に診てもらえよ!!」


「あ、お医者さんとか、そういう知識はあるんだ」


「あん。まぁな。昔、見世物小屋で働かされてたからさ。病気でどうにもならなくて、処分されちまった仲間なんて何人も見て」


「わぁわぁわぁ、予想以上にヘビィな過去!! ちょっと待って、そういう話をするなら心の準備をさせて!!」


 ははは、と、屈託なくブランシュが笑う。

 暗い話をしているというのに、どうして彼女はこうも楽しい顔をするのだろうか。


 おそらくだけれど、僕というが、何を置いても嬉しいから、だと思う。それくらい彼女は今うかれているんだ。


 先ほど黒服の男たちをぶちのめしていた暴れ馬の凶暴さはどこにもない。

 そして、ゴールデンドラゴンという、物騒な種族名から感じられる恐怖も。


 僕の目の前に居るのは黄金色の髪をしたボーイッシュな美少女。彼女は今、ただただ、自分の言葉を理解してくれるはじめての相手との邂逅を喜んでいるようだった。


「んで、お前は何だっけか。名前は――」


安納良人あのうよしひと


「あのよひ……? なんだって? 悪い、もう一回言ってくれるか?」


「あのうよしひと」


「あひ……?」


 なんでスローで言ったのに、聞き取れた単語が少なくなっているんだろう。

 あれかな、意思疎通の方法が完全じゃないんだろうか。

 だとすると、このチート能力、実はたいしたことないのかな。


『違いますよ良人くん。単に、その娘が脳筋アホの娘だからですよ』


「ですよね」


「だーっ!! わっかんねー!! 人間の言葉は難しいから嫌なんだよ!! もっとわかりやすい名前を俺が着けてやる!!」


 まさしく、女神の言葉が正鵠を射るという感じに、耐えかねてブランシュが叫ぶ。


 そうだなと顎に手を当てて、なにやら考えるブランシュ。

 まぁ、異世界で生きていく上で、そちらに合った名前に改名するなんてのは、なろう小説でもよくある展開だ。


 ドラゴン少女に、手ずからそれをつけてもらえるなんて、考え方によっては幸せなことではないだろうか。


「……アルノー、か、ヒッポポだな」


「アとヒしか合ってない!!」


 まったく別人ではないか。

 最後に聞き取れた言葉から作ってくれたのだろうが、後者は絶対にNGだ。

 げろしゃぶ、くらいにつけられたくないあだ名である。


 名残惜しいかな、親が着けてくれた僕の名前。

 けれども、異世界で生きていくには仕方ない。


「じゃぁ、アルノーでいいよ」


「よし。じゃぁ、アルノー!! 今日からお前はアルノーだ!! よろしくな!!」


 眩しい笑顔で全部ごまかされる。あぁもう、どうしてこのドラゴン娘は、いちいちこんな目がどうにかなりそうな笑顔で僕に言うのだろう。


「いやー、嬉しいぜ。産まれて初めて、俺の言葉を理解してくれる奴に会えて」


 なんとなく、その理由がその言葉から察することができた。

 と、同時に、もう一度。

 心を落ち着かせて、僕は彼女に向かって、女神から貰ったスキル【モンスターアナライズ】をかけてみせた。


 ゴールデンドラゴン。

 この世界におけるドラゴン種族の最上位にして、生態系の頂点に君臨するもの。

 強靭な肉体、逞しい生命力、底のしれない魔力。


 そして、生まれついて持ち合わせている魔王が如き強力なスキル。


 特級のダンジョン・トラップを構築する――チートスキル【魔王のねぐら】。

 魔物に対して命令を強要する――チートスキル【魔王の勅令】。

 多くのモンスターが自らその王威に服従する――チートスキル【王道の竜】。


 ただし、その絶対数は少なく、世界に五匹と存在しないとされる。


 二つ名は黄金窟の守り手。

 これは、彼らの生態に由来するものだ。


 というのも、ゴールデンドラゴンは、出産に際して広大な巣を造る。

 それは産み落とす卵を守るためのモノで、ダンジョンと呼ぶに相応しいものだ。


 数々のトラップを彼らはそのチートスキルにより自作し、立ち入る者を排斥する。また、運よく最奥へと辿り着いた者がいたとしても、そのあまりに強大な力でもって力ずくで排除するのだ。


 ここまでたどり着くまでに僕がひっかかりまくったトラップも、ようするに、彼女のその習性とチートスキルによるものだろう。


 しかしそれだけでは、という二つ名は成立しない。

 ではその二つ名の前半分、その由来はどこから来たのかと言えば、彼らが作り上げるダンジョンの特性にあった。


 黄金竜が作り出した巣は、どうして、その権能によって大きな金鉱へと変貌する。

 どうしてそうなるのか、また目的はなんなのか、まったくそこいらについては不明――というかそうなってしまう仕方のないものなのだという。


 そしてそれが、世界最強であるにも関わらず、この世界に五匹と居ない、希少なドラゴンとなってしまった理由でもあった。


 要は、彼らが生み出す金を目当てに、多くの人々が彼らの巣を荒らし、生態系を破壊し、絶滅に近い状況へと追い込んだという訳である。


 いつの世も、数の暴力の前に、個人の力というのは無力なのである。


 そんな悲劇を知らないのか、それとも既に受け入れているのか。

 目の前のゴールデンドラゴンの少女は、真っ直ぐに明るい性格をしていた。


ナリはこんなん風に人間なんだけどよ、どうしてか昔っから喋れる相手がいないんだよなぁ。向こうの言ってることもよく分かんねえし。まぁ、悪意は伝わるけど」


「そうなんだ。辛かっただろうね」


「いや、これはこれで気ままで楽しいぜ。全世界が敵ってのはよ」


「はははっ、はははは……」


 元居た世界の各国首脳だって、こんな強気なことを言える人は居ないだろう。

 屈託のない反面、その純粋さがちょっと怖くもあった。


 けれども腑に落ちないことが一つある。


 どうして、、なのに、姿をしているのか、だ。

 これについては、どれだけ【モンスターアナライズ】を使っても分からない。

 不明な項目だった。


 やはり、使えない能力ではないのか。


『ちがいますぅー。そのチートスキルで分かるのは、だけなんですぅー。個人的な、呪いだとか、事情だとか、そういうのはプライバシーに関わるので、開示できないんですぅー』


「でたな駄女神」


『駄女神言うな、誰が駄女神。ウルトラスーパービューティパーフェクトウルトラシャイニーゴッデスとお呼び』


「いま、ウルトラって二回言いましたよね」


 こまけえことはいいんだよ、と、また、唐突にツッコミを入れて女神さまは僕へ語り掛けるのを止めた。

 また、そのやり取りを見て、きょとんとブランシュが目を丸める。


 ダメだな。

 ちょっとこれからは、アネモネさんと話すときは気を付けないと。


「突然独り言を言いだしたり、面白いな、アルノーは」


「そうかな」


「へへっ。よしっ、気に入ったぜ。そしたら、今日からお前は俺の舎弟だ」


「舎弟ですか!?」


 うわぁい。


 中学・高校と、真面目に勉強を頑張って来た僕。

 そういう不良グループとは縁がなかったから、舎弟とかそういうのなったことなかったんだよね。これはまたとない経験だよ。


 って、違う違う。

 何を普通に流されそうになっているんだ、僕。


「舎弟ってのはちょっと」


「なんだ、嫌なのか?」


「いや、嫌っていうか、なんというか。僕たちまだ、会ったばかりだし」


「けどお前、よわっちそうな体してるじゃねえか。誰かに守って貰わないと、まともに生きていけないんじゃねえの?」


 アネモネさんは、ブランシュのことをアホの娘と言った。

 けれど、案外に正論なことを彼女は言ってきた。


 確かにその通りだ。

 チートスキルに【モンスターアナライズ】なんてものを選んだ時点で、僕のこの世界での役割は、冒険者の花形『前衛アタッカータイプ』ではない。

 『後衛サポート』しかも、戦闘ではまるっきり役に立たない、『賢者セージ』ポジションだ。


 そんな人間が異世界で生きていけますか。

 どう考えてもそれはNOだろう。


 いやしかしだ。

 この【モンスターアナライズ】のチートスキルがあれば、きっと、冒険者ギルドに行けば引く手数多。女戦士や女エルフ、姫騎士なんかにひっぱりだこな、王道ハーレム展開が……。


「というか、住むところかとかあんのか? 金は? 衣服もそれだけだろう?」


「……えっと」


 どうなんでしょうか、女神さま。

 僕は天を仰いで、異世界後見人に、そこんところのサポートの有無を尋ねてみた。


 答えはない。

 ただの駄女神のようだ。


「……ありません」


「だろ。だったら舎弟になれよ。そしたらここに住まわしてやるからよ」


「えっ!? いや、女の子と一つ屋根の下ってのは、幾らなんでも」


『ラッキースケベフラグキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』


 どうしてこういう時だけ茶々入れてくるのだろう。

 アネモネさんマジ駄女神。

 ほんと、ちゃんとサポートして、お願いだから。


 なぁ、そうしろよ、と、手を取って僕に迫るブランシュ。

 きらきらと輝く金色の髪に、桃色のような柔らかい肌の色。

 そしてエメラルドの瞳。


 黄金比ゴールデン美少女にそんな風に迫られたら、誰だって言葉は出なくなる。


 ちらり、と、僕はあらためて、今居る部屋を確認する。


 ぎりぎり、なんとか、二つ布団を敷く程度のスペースはある。

 衝立になるようなものを置いておけば、なんというか、商業ベースでひっかかりそうな、ちょっぴりエッチな展開は防げるんじゃないかな。


 いや、なにを僕を心配しているんだろうか。


「なぁ、そうしろよ!! 俺がお前のこと養ってやるから!!」


「うわぁ、なんかすごく、異世界で聞いちゃいけない台詞が聞こえた気がする」


『最近は異世界ヒモ主人公も多いですから、いいんじゃないですかね(小並感)』


 よくないです。

 けど、選り好みをしていられる状況でもないです。


 仕方ない、と、僕はこの状況を前に冷静に判断を下した。


 まっこと情けないけれど、背に腹は代えられないのだから仕方ない。

 しばらく彼女のお世話になることにしよう。


「……ブランシュさんの舎弟になります」


「いよっしゃ!! おっけおっけ!! そしたら、お前と俺は今日から姉弟きょうだいだ!!」


姉弟きょうだいって……」


「よろしくな姉弟きょうだい!!」


「よ、よろしく……」


『盃かわしておきます? 未成年ですけど?』


 アウトローモノじゃないんだから、そんなことをする必要なんてないでしょう。

 というか、ブランシュって、見かけ通りに姉御肌なんだな。

 と、改めて思ってしまう僕が居る。


 ゴールデンドラゴンの姉か。

 うぅん、限りなく頼りになりそうだなぁ。

 けど、姉というにはその、女性の成分がちょっと物足りないような。


『あ、やーらしんだ、やーらしんだ。なんだかんだいいつつ、良人くんてば、おっぱい星人でやんの』


「いやだって、ちょっとくらいは気になるでしょ」


「何が気になるんだ?」


「お……」


「お?」


 思わずブランシュの問いかけに答えてしまった僕。

 しまった、と、この時ばかりは全身に冷汗が噴出した。


 頭の中では、げたげたと、僕をハメた駄女神様の笑い声が響き渡っている。

 ちくしょうアネモネさん、いつか見てろよ、この野郎。


「お? なにが気になるんだ?」


「いや、その、お、お……」


 おっぱいが小さいですね。

 なんて、姉に向かって言えるかそんなこと。


 もしも彼女がそのことを気にでもしていてみろ。

 先ほど、黒服たちに叩き込まれた鉄拳が、僕の体に打ち込まれる。


 考えろ良人。ここはちゃんと考えて、誤魔化す場面だぞ。

 転生モノの主人公のように、ベストな選択をしてみせるんだ。


「お、お……お仕事は、なにをしているのかなって、思ってさ」


「あぁ、なんだ、そんな事か。真剣な顔して言うから、どうしたのかと思ったぜ」


「あは、あははは。やっぱりほら、一緒に生活する以上、お互いの職業についてはちゃんと把握しておきたいよね、ってさ。思うのは当たり前だよね」


「その通りだな姉弟きょうだい。いや、俺も配慮が足りなかったぜ――そうだな俺の職業は」


 そう言って、ブランシュがふっと上を向く。

 茶色い耐水性の布が張り巡らされているそこに手を伸ばし、ひょいとその端に人ひとり分くらい通れる隙間をあけた。


 眩しい日の光が入り込んでくる中、ちょっと待ってろよ、と、ブランシュ。

 言うや、彼女はその隙間から壁を這い上がってどこかへ行ってしまった。


 いったいどこへ行ったのだろうか。


 ふと、また、何かよくない悪寒めいたものが僕の背筋を走った。


 その不安の正体について考えている内に、どすり、どすり、と、頭の上の天蓋に何かが落下する音がした。

 それは、緩やかにつけられた布の勾配に従って、するりするりと滑り落ちると、先ほどブランシュが消えた、天井の穴から落ちて来た。


 リンゴ。

 干し肉。

 牛乳が詰まった瓶が二本。

 高級そうな懐中時計一つ。


 そして、言い逃れできない――財布が四つ。


 よっと、いう掛け声と共に、また天蓋の隙間から降りて来たブランシュ。

 先んじて彼女の部屋に落ちて来たそれらを、まとめて俺の前へと差し出すと、にっこりと、これまた気前の良い笑顔を僕に向けた。


「あの、ブランシュさん。もしかして、ブランシュさんの職業って」


「みずくせえぜ姉弟きょうだい。俺たちの仲じゃないか、姉弟きょうだいでいいぜ」


「……姉弟きょうだい、もしかして、姉弟きょうだいの仕事って」


 追剥おいはぎ


 まるで善悪のつかない子供のような笑顔で、彼女はそう僕に言い放った。

 そして、戦利品の一つである真っ赤なリンゴを差し出して、食うかいと尋ねて来たのだった。


 なんてこったい。


『良人くんの異世界アウトロー生活はじまるよー!!』

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