すべてが白に還るとしても
テーブルにティーカップが並べられる。添えられた焼菓子はまずまず美味しそうだった。かすかに皿の触れ合う音が現実を呼び戻す。
「懐かしいね。私が学生だった頃はもっと頻繁に会えたのに」
「当時の君は鋭かったね。今もきっとどこかではそうなんだけど、取り繕うことを覚えたのかな」
「社会に出ればいやでも他人の目は気にするようになると思う」
「うーん、それだけじゃなくて、もっと死とかに対してストレートな興味を示していたというか」
「あぁ、あの頃はまだ死ぬってことが現実に差し迫ってなかったからかな。実感がなかった。さすがにこの歳になれば曽祖父の代は終活みたいなこともしてるし、そういうとこ、変わったかもね」
彼女は私の言葉に少し笑いをこぼす。
「私もその終わりってやつが差し迫ってきたわけですが。こうなるとやっぱり色々考えるのよ。ちょっと目をつぶって」
「何」
「いいから」
言われるがままに瞼を閉じる。
「もういいよ」
次の瞬間現れた光景に、ひどい既視感と共に目眩を覚えた。ひたすらに白。何もない
「ご覧の通り、ここでは患者の見たいものを見せてくれる。心穏やかに終わりを迎えるために。視覚効果を切ってしまえば全てはただのスクリーンにすぎない。でも嫌なものは見えないって、不自然だよね。不快がなくて快を感じられるのかな」
「そう、ね。ぬるま湯みたいな。何も感じられなくなってもおかしくはない」
「だけどこれって、現実にも既に入り込んだシステムなんだよ。人工知能が計算してデザインをするでしょ。誰にでも快いように。かつて人間がデザインをしていたときは、他人の心を丸ごと計算することができないから、作者の感覚が入ったんだ。そこに好みが分かれることになるわけ。だから既に外界にも好き嫌いが発生するほどの差異なんてないのかもね」
彼女は自嘲気味に言う。自棄にでもなったのだろうか。
「だから諦めるってことなの」
「まさか。はいこれ、新作」
ぽいと渡されたメモリをそっと懐に入れる。触れた指先が熱いのはいつもの錯覚。年々鮮烈さを増す色彩が脳裏をよぎる。
「ただね、気付いちゃったんだよ。人の手による創作はもう居場所がないけど、毎日人の手で作られているものが一つあること。何だと思う」
「んー、ヒントないの」
「誰でも、毎日、君もやってる。むしろ君の方が私より得意かも」
「もしかして、言葉じゃない」
「正解。そしてそれはあくまで無意識に、人の作ったものと自覚せずに使われている」
「意識されないから、意図をもって使えば効果があるってことか」
「その通り。仮説を立ててみたんだ、人はまだ物語に飢えている。ならば物語は商品としての価値があるんじゃないかって」
「待って。物語って情操教育で使うような小説とか絵本とか、そういうのでしょ。あるいは軽い趣味とか。それに価値があるの」
「そうだね、作られた物語は大人の社会では重みがなくなった。だけどさ、そのぶん現実を物語で理由付けしているんじゃない。計算され尽くした世界って息がつまるもの」
彼女が頰に手をやる。その肌が先ほどよりも蒼ざめて見えることに気づいて、焦ってしまう。視覚効果はたぶん、患者のためだけでなく家族や友人のためでもあったのだ。安らかに別れを告げられるよう。あの日見た水族館に似せていたのも、きっと私と彼女の共通の記憶から構成されたものだ。
「私って、物語性に溢れてると思うの。早死にで、勉強もできたけど大学には行ってなくて、絵画という喪われた文化に取り憑かれた若い女。日本人はこういうの好きでしょ」
「ざっくり括らないでよ。私は嫌い」
「知ってる。だからお願いしたいんだ」
「私に何かできるの」
「できるよ。私と作品の物語を言葉にして。そうすればきっと私は、作品は死んだって残る。人の命は短いけど、生み出したものは永遠に残るんだよ。文明が続くかぎり。君の言葉だってそう。賭けてみない、言葉が絵画の力になるか」
「無意識のうちにモノをそれらしく見せるのって、ホワイトキューブみたいだね」
やるよ、と微笑みかければ彼女は表情を崩した。緩んだ頰に色味が戻り、背景は青く沈んでいく。半透明のくらげがどこからか漂ってくる。思わず安心しかけてしまうけれど、これからすることを思えばそんな場合ではない。今は存在しない職業に彼女を押し上げるには、もっと強くあらねばならないだろう。
二人で目指すには無謀な目標かもしれない。だけど、彼女が死んだあとに何も残されなかったとしても、足掻くくらいの自由は自分の手で掴みたい。
ぬるくなりはじめたお茶をすする。さて、何から書きはじめようか。
White Cube 夏野けい/笹原千波 @ginkgoBiloba
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