花びら、空に舞う日 (5)

 エーテン・セヴンス社が開発中の自動車の展示会を行うらしい、とベルが知らせてくれたのは、魔法使い殺しの犯人も見つからぬまま、軍による厳戒態勢が緩んで数日、ミルッヒがグレニッツ商会へ花を配達したときのことだった。


「気障眼鏡がわざわざ招待状を送りつけてきたんだよ!」


 シアは地団駄を踏んで怒っている。人形師が丹精込めて作り上げたかのごとき繊細な美貌はくしゃくしゃに歪み、茹でたように真っ赤になっていた。

 馬鹿にしやがって、と封筒ごと破り捨てようとするシアをベルが体当たりして止め、皺くちゃの封筒を取り上げる。


「何してるんですかお嬢さん! そりゃ、俺だって腹は立ちますけど、でも、敵を知ることだって重要じゃないですか。連中の自動車を見て、いいところは盗んで、ウチの飛行機械をもっともっといいものにしなきゃなんないでしょう」


 シアは体格差を武器にベルを押しのけ、馬乗りになる。胸ぐらを掴んで目が合ったか、ようやく拳を緩め、立ち上がった。腕を引っ張って立たせ、悪かったと頭を下げる。


「そうだね、あんたの言う通りだ。エーテンは競争相手だけど、だからこそよく見ておかなくちゃならない……そうしないと勝てる喧嘩にも勝てない。となればベル、行ってきな。これも勉強だ。あとお嬢さんって呼ぶな」

「俺みたいな下っ端が行っていいんですか。他にも見に行きたいって人がいるでしょう」


 ベルが胸元を整えるのを待って、シアは頷いた。ミルッヒを振り返り、一緒に行ったらいいじゃないかと招待状を差し出す。


「だって、招待券は三枚しかないし。立ち見席は一般公開されるらしいけど、たぶんすごく混むし。あたしとベルとミルッヒでいいじゃん。ここにいるし」

「軽いなあ。おじょ、いや、ボスがそう言うなら、俺は構わないですけど。むしろ有り難いですよ。ミルッヒはどう? こういうの、興味ある?」


 あるかないかと言われれば、ある。けれどそれは好奇心に近いものであって、ベルやシアがエーテン社の自動車に抱く思いとは大きくおもむきが異なる。

 野次馬根性むき出しの自分が行くよりも熟練の職人が参加した方が、グレニッツ商会に実りをもたらすのではないか。招待券が必要なのは自動車に近い席だけで、会場を遠巻きにするだけならば誰にでもできるのだから。

 そう言おうとしたけれど、期待と照れと失望への恐怖とが入り混じった緑の眼を見ていると、ミルッヒまでどぎまぎしてしまって、何も言えなくなる。ベルと並んで歩くことや、一緒に展示会に行くと思うだけで耳が熱くなるが、そんなことを望んではいけないと囁く冷静さからも顔を背けることができず、長い葛藤ののちにようやく、顎を引いて頷いた。


「じゃあ、約束だよ、ミルッヒ!」


 嬉しいなあ楽しみだなあとはしゃぐベルの素直な朗らかさに、ほのかに温まった胸がきゅうきゅうと疼く。わたしもこんなふうに、まっすぐに笑えたらいいのに。

 それは、遠い憧れだ。欲しいものを欲しいと言い、嬉しいときに嬉しいと言い、好きなものを好きだと言って笑顔を浮かべるのに何の困難があろうか。理屈では、頭ではわかっていても、物心ついてからずっと抑圧を強いられ、我慢こそ美徳と教えられてきたミルッヒには、心情をありのままに打ち明けることはできなかった。

 常に一歩引いて、目立たぬように。身を守ることが、仲間たちを守ることにもつながる。一時の感情の解放が、以降の差別につながるのだ。

 繰り返し言われ、諭され、教えられてきた言葉の数々をすべて覆してしまうほどの明るさが、ベルやシアにはあった。けれど、彼らが特別なのであって、魔法使いに対する差別と偏見は未だ根強い。魔法使いだからと蔑まれぬ喜びに慣れてしまえば、今まで耐え忍んできたあらゆることが不当に思えてくる。生きることが、苦しくなる。

 案の定、ドゥマはミルッヒが展示会に出かけることにいい顔はしなかった。どうやらベルのことをあまり好いていないらしい。お得意様のところの工員だというのに。

 長老に逆らう罪悪感と、ベルと出かける期待感の板挟みになり、ミルッヒはひりつく良心を持て余す。そのくせ、何を着て行こうかと引き出しをひっくり返しては、ああでもないこうでもないと鏡の前で大騒ぎするのだから、始末が悪い。

 シアの援護射撃を得てようやく外出の許しを取りつけたものの、行ってきますと声をかけたミルッヒに、ドゥマは返事もしなかった。

 彼女を除く風車村の誰もが、気をつけて行っておいでと快く送り出してくれた。外出を止められたわけではなし、やっぱり行かないと翻るのもベルたちに失礼だ。しかし、こんな気分では楽しめそうもない。

 足は重く、一歩一歩を引きずって歩いていたのが、工房が近づくにつれて軽く弾む足取りになる現金さには我がことながら呆れる。ベルが工房の角まで迎えに来てくれたのを見て、憂鬱は跡形もなく消えた。


「おはよう、ミルッヒ! 大丈夫だった?」

「ええ」


 ベルはいつもの作業着ではなく、襟と袖口、前立てに柄布を使った生成り色のシャツにすっきりした細身のズボンといういでたちだった。もしかすると、とっておきの服かもしれない。そんなふうに思うことが自惚れだとわかっていても、どぎまぎする。


「無理に連れ出しちゃって、ごめん。村長さん、怒ってただろ」

「平気。気にしないで」


 行こうか、と先に立つベルに手を引かれ、南に向かう。

 つながったままの手を意識すると心臓が爆発しそうで、けれどいまさら振りほどくのも不自然で、できればベルのごつごつした手を触っていたくて、ミルッヒはフードの奥に顔を引っ込め、手のひらの感覚に集中する。日光に負ける厄介な体質を、初めて有り難いと思った。


「お嬢さんは先に出たよ。すごい人出だろうから無理に合流しなくてもいいってさ。なんだかなあ、暴走しそうで嫌なんだよなあ。まさか乱入したり、妨害したりはしないだろうけど」


 そんなことをすれば、グレニッツ商会の評判は地に落ちる。熱されやすい性格のシアだが、愚かではない。先を越されたことを悔しがるにせよ、その悔しさをばねに自社の発展に努めるはずだ。ベルも承知しているはずで、彼女の話はこれきりに、エーテン社の自動車について教えてくれた。


「自動車ってさ、馬車に代わるものとして開発が進んでるんだけど、エーテンは馬具も扱ってるだろ。自分たちの首を絞めるものをどうして作ろうとするのかって、ずっと疑問だったんだ。でもさ、機械は馬車よりも無理が利くから、道が悪くても走れるし、馬車よりも重いものをたくさん運べる。きっと速度だって出る。利用用途が違うんだろうな。それに、自動車が実用段階になっても、馬車がすぐ消えてなくなるはずがないし」


 ベルは会場までの道すがら、エーテン社の自動車とはどんなものか、いかに優れているか、逆に改善してゆくべき点はどこか、まるで彼自身が開発しているかのように誇らしげに語ってくれた。競争相手のことを公平に、冷静に評価するのは、心がけていても易しいことではない。改めて彼の人の好さを感じた。

 同時に、魔法文明の終焉を強く意識した。誰にでも乗りこなせる自動車や飛行機械に比べ、魔法は限られた者にしか使えない。魔法使いの命は削られ、魔法の総量も減っている。

 それに比べ、機械文明のなんと豊かで、発展性に満ちていることか。


「混んできたなぁ」


 会場は街の南に広がる広場だった。海から吹き込む強い風のせいでこの一帯だけ土地が極端に痩せていて、防風林を植えることもできず、宅地として開発されることもなく手つかずで放り出されているため、荒地と表するのが正確だろう。

 見物に集まった人々は強風に顔をしかめ、髪を押さえながらも、広場の中央に置かれたぴかぴかの自動車に視線を奪われていた。

 天蓋なしの箱車を一回り大きくしたものに、四つの車輪がついている。箱車の前方、馭者台だった場所には、小さな椅子と、自動車本体から突き出た円盤が備えられていた。何本かのレバーも見える。


「あの円盤が舵。レバーはシフトギアだな。ってことはあの中で……」


 途中までは解説する口調だったベルも、自動車の機構を推測することに夢中になり、ぶつぶつとひとりで呟いては、唸ったり首を捻ったり頷いたり、ミルッヒのことをすっかり忘れてしまったようだった。

 いっこうに動かない自動車よりもベルの百面相を見ている方がずっと面白く、フードの下で頬が緩んだ。


「あっ」


 突然、ベルが背伸びして、周囲を見回す。もはやどうすればいいのか考えることさえ放棄していた、つながったままの右手が引っ張られてよろめく。


「村長さんが見えたような気がしたんだけど……まさか、来てるはずないよなあ」

「反対していたもの。足腰が痛いってずっと言ってらっしゃるから、ここまでは来ないんじゃないかな。きっとよく似た別の人よ」


 爪先立ちになるが、ドゥマの銀髪とねじくれた杖はどこにも見えなかった。体の節々が腫れて痛む病を抱える長老が風車村を出るなんて、ここ数年なかったことだ。よりにもよって今日、この場にいるはずがない。

 しかしドゥマに似た老人が果たして会場にいるだろうかと、心の奥に刺さった小骨を取り除けないでいるうちに、沸き上がった歓声に視線が押し流された。


「あ!」

「あんにゃろう……!」


 エーテンの社名と社章が描かれたテントから颯爽と現れ、自動車の元までやって来たのは、風車村まで花を買いに来る銀縁眼鏡の青年だった。息を呑むミルッヒとは違って、ベルは顔を真っ赤にして歯ぎしりしている。

 青年がステッキを持っていない右手を挙げると、会場はたちまち波が引くように静まった。貴族たちの特等席なのだろうか、一段高いところに屋根がついた桟敷がしつらえられ、色鮮やかなドレスに身を包んでくつろいでいる奥方たちの姿が見える。広場の外、市街へ続く坂道にも、自動車を一目見ようとたくさんの人が集まっていた。


「本日は、お集まりいただき有り難うございます」


 青年は落ち着いた声で話し始めた。離れていても声は明瞭に届く。魔法かしらんと、ミルッヒは首を傾げた。


「鋭意開発中の自動車につきまして、少しでも多くの方にお知らせしたく、公開実験を兼ねた展示会を開催する運びとなりました。新しい時代を拓く自動車をとくとご覧くださいませ!」


 細い体躯に不釣り合いな、堂々とした声が響き渡る。再び巻き起こる歓声の中、青年はテントに去り、代わりに進み出てきた男が御者台に、三人の美女が箱車に上がった。男がレバーを上げたり下げたりすると、ばるんと大きな音がして車体が震える。


「うおおお! すげえ!」


 ベルが飛び跳ねている。ミルッヒは獣の咆哮を想像して縮こまっていたが、強く手を握られてひええ、と変な声が出た。大歓声に紛れて、本当によかった。

 美女たちは実際に人が乗り込む箱車の広さや、座席の座り心地について、品と色気たっぷりに解説していた。立ち見席から続けざまに口笛が飛ぶ。

 銀縁眼鏡の青年が再度現れ、美女からシャンパングラスを受け取った。なんだなんだと前のめりになる立ち見席と、招待席とで生まれた期待に満ちたざわめきが海風や波音をも上回り、会場は騒然となった。シャンパンが注がれ、青年が座席に乗り込む。

 自動車はどうどうと大きな音をたてて震え、箱車から伸びる筒から黒い煙を吐きながら前進し、一度止まって、今度は後退した。前進して右折、後退して左折。自動車が何かの動きを見せるたびに人々はため息をつき、感嘆の声を漏らし、時には悲鳴を上げた。顔は自動車を追って右へ左へと動き、目と口をめいっぱい開いたまま、自動車に釘付けになっている。

 自動車が動きを止め、青年が中身の減っていないグラスを高く掲げると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

 もちろん、ミルッヒもベルも我を忘れて手を叩いていた。あんなに激しく動いていたのにグラスのシャンパンがこぼれていない、つまり乗り心地も良いのだろう。自動車が売れれば悪路の整備も進むに違いない。自動車に揺られながら、酒肴を楽しむ。移動時間までもがくつろぎの時間になりえると、彼は高らかに示して見せたのだ。

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