番外編 Into the Blue
光は上からだけでなく、下からも、左右からも、あらゆる方向から冷たく輝きを放ち、遮光ゴーグルを射る。
厚い雲に反射しては複雑な陰影をつくり、あるいはたなびく薄雲を透かして虹色にきらめく。思わず手を伸ばして拾い集めたくなるほどに、雲の上の世界は美しい。
かつて魔法使いたちは空を翔け、水面を駆けた。炎の中、吹雪を切り裂いて、嵐を貫いて世界中を巡ったという。魔法の力は魔法使いの繁栄を寿ぐがごとく無尽蔵に在り、栄華の、あるいは戦乱の源となった。
魔法の力を自在に操り、歩くのと変わりなく空を舞ったとされるいにしえの魔法使いたちは、雲を抜け、空の高みから地上を見下ろしただろうか。雲を透かして見る地上の光景に、野山に落ちる自らの影に、心震わせただろうか。
氷のつぶてを振り払いながら雲の上に飛行機を誘い、地上からは想像もできなかったはるかな高みの世界を目の当たりにしたとき、ミルッヒとベルトゥリは言葉を失った。
綺麗。雄大。絶景。
持てる語彙では感動のほんのひとかけらさえも言い表すことはできなかった。否、言葉など必要なく、ただただその存在に圧倒された。唸りをあげるエンジンとプロペラさえも、静寂に包まれてしまったかのように感じたものだ。
「ほんとうに……きれいで。まるで、雲の海だった」
ベルトゥリはのちにそう語った。心の奥から言葉を少しずつ拾い上げ、考えては放り出し、何度も何度も吟味して、雲の海と喩えたのだろう。
かつて存在した魔法の力は、魔法使いたちの手からもうすっかりこぼれ落ちてしまった。けれどミルッヒは旧き魔法使いたちと同じ景色を見ている。広がる大地を、穏やかな海を、沈黙のままたたずむ山々を、清らかな流れを、風にそよぐ緑の草原を。
それは科学技術の、飛行機のお陰だ。
――かつて世界には魔法があった。魔法という言葉だけがなかった。
いま、世界には夢がある。魔法に代わる技術がある。
世界に果てはなく、どこまでも続く空は静寂と光をもって挑戦者を迎える。前席で操縦桿を握るベルトゥリの背は凛と伸び、いつもミルッヒを守り、勇気づける。
ベルトゥリと、同じ青の世界を見ている。
そのことが、ミルッヒはうれしい。
ありがとう、ベル。ことばは軽やかに風に乗って、彼のもとへ届くだろう。
魔法使いは飛行機械の夢を見るか? 凪野基 @bgkaisei
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