花びら、空に舞う日 (2)

 布、木、金属、ゴム、砂、貝。さまざまな材料がそこかしこに積み上がり、機械油の臭いがたちこめ、加工機械と職人たちの大声が響き渡る。素材の加工を請け負う工房に花を飾ろうと言い出したのは、創業者でもある先代だったらしい。

 ひとり娘のシアがごく自然に工房を家代わりに、職人たちを親代わりに育ったため、このままでは男勝りになるばかりだと、少女らが好みそうなリボンやレースをあしらった花束を飾ったのがはじまりだったそうだ。

 先代の心配りの賜物か、それともシアが持って生まれた気質なのか、工房に花を飾る習慣は彼女が長じてからも続いた。花なんて、と遠巻きにしていた職人たちも次第に受け入れ、定期的な購買契約が風車村との間で結ばれた。

 天馬の一件の後も、社長となったシアが契約の見直しを口にしたことはない。仄めかしたことすらない。

 技術者でもあるシアは「魔法道具も道具であるからして、いつかはその役目を全うする日が来るであろう」と考える一派に属しているからであり、一方で、魔法使い批判を繰り広げる独創性のない多数派に噛みつかずにはいられない、というひねくれた性格ゆえでもあった。おまけに、魔法使いや風車村に対しての偏見がない。

 そんな二代目社長が取り仕切る工房の事務所と、職人らの憩いの場である大食堂に花を飾るのがミルッヒの仕事だ。枯れた花は肥料にするために持ち帰る。

 萎れかけた切り花を換え、植木鉢を指示された場所に並べ終えて外に出ると、手押し車は見違えるほどぴかぴかになっていた。


「わあ……!」


 ベルが折れた車軸と車輪を取り換え、やすりをかけ、剥げたペンキを塗り直してくれたのだ。塗り直された手押し車はこっくりと深い栗色、よく見れば木目を模して塗り分けられていて、木切れを集めて車輪を取りつけただけの代物が、とんでもなく上品で立派な、貴族のお屋敷の庭師が使っていそうなものに生まれ変わっていた。

 ヒュウ、とシアが口笛を吹く。ミルッヒはただただ驚いて、滑り止めにと持ち手に巻かれた布や、歪んでいない物入れを見つめた。

 手押し車の隣に座り込んだベルが、小刀と錐を手に何やら作業している。木くずがうららかな陽射しにきらめき、心地よさげに揺れていた。彼は作業の手を休めずに、視線だけを上げて再び伏せた。


「ごめん、お嬢さ……ボスは修理しろって言っただけなんだけど、途中でいろいろ気になってきてさ。勝手に塗り直しちゃったけど、どうかな」

「とってもすてきよ、ベル。ありがとう!」


 シアは黙ったまま、手押し車を押したり引いたりしていたが、やがてうっすらと微笑んだ。花の美貌がいっそう輝きを増す。

 波打つ金の髪は無造作に束ねられているが、丁寧に鏝を当てれば貴族の令嬢も裸足で逃げ出すに違いない。大柄で、華奢な身体つきとはとても言えないが、めりはりのある、健康的で溌剌とした色気を愛想のない作業着に押し込めている。シア本人はあまり自覚も興味もないようだったが、グレニッツ商会の女社長といえば、とびきりの美人とあちこちで噂になるほどなのだ。

 布巾をぺろりと垂らしたような貧相な肉付きのミルッヒは、そんなシアを憧れと羨望と希望の入り混じった視線で見つめるばかりだったが、先代が昔語りの折に漏らした「シアは昔から牛乳が好きで」というくだりを耳にしてからは、毎日欠かさず牛乳を飲んでいる。目に見える変化がなくてが切ないが、牛乳を止めればもっと切ないことになるかもしれない、と藁にすがる心もちで牛乳を飲み干すのだった。

 そんなミルッヒの心境を知ってか知らずか、シアは乱暴な手つきで髪をかき回した。首を左右に倒していることからして、肩が凝っているのかもしれない。


「こいつの器用さは若手の中じゃ一番だからね」


 ずいぶんと気安くベルに接しているようだ。気取ったところのないさばけた性格でずいぶん慕われているシアだが、けじめをつけるべきところはきちんと線を引いて礼儀を重んじる。

 ミルッヒは屈んで、ベルの作業を見守った。視線が注がれていても、ペンキで汚れた手先は少しもぶれない。彼が削っているものは、組み合わせて使うらしい木の小さな部品がふたつと、それを取りつけるための支柱のようだった。

 シアはそれが何なのかすぐわかったらしく、にやにや笑っている。ミルッヒは人の悪いその笑みと真剣なベルの表情を見比べながら考えていたが、傘を貸してとベルに言われてようやく、答えを思いついた。


「ベル。木材とペンキ代、給料から引くよ」

「わかってます」

「そんな、わたしがお支払いします!」

「これは、注文でも命令でもないからね。ベルの独走、つまり材料費はベルの給料から支払われなきゃならない」


 うんうん、とふたり揃ってからりと笑っている。こんなふうに笑われては、何も言えない。厚意に甘えるばかりになってしまう。


「いいんだよ。俺がしたくてしたことなんだから」


 言いながらベルは手押し車の持ち手に支柱を組み、部品を乗せた。日傘の柄を通して、具合を確かめる。ミルッヒが手押し車を押しながら苦労なく日傘をさせるよう、クリップを作ってくれたのだった。

 クリップは小鳥の形で、ニスを塗られてつやつやと光っている。太陽の位置によって角度を変えられるようになっていて、木ねじを通して傘の柄とクリップを固定する仕組みだ。それぞれの部品の形は単純だが、短時間で完成させた力量と、手押し車にクリップをつける独自の発想は、彼の工員としての優秀さを端的に語っていた。

 ミルッヒはベルの存在さえ知らなかったのに、彼はこちらのことを、魔法使いで、日傘をささねばならないということまで知っていた。もしかすると、迎えに来てくれたのもシアの言いつけではなくて、と自惚れにも似た熱が頬に集まって、慌てて首を振る。


「ありがとう、ベル。なんてお礼を言えばいいのか……」

「礼なんていいよ」


 ベルは早口で言って、くしゃりと笑った。白い歯がこぼれ、つられて笑う。


「俺はさ、人の役にたつものを作りたいんだ。だから、少しでも配達が楽になってミルッヒが喜んでくれれば、それで十分なんだよ」


 彼の朗らかさを象徴する、まっすぐな一言だった。その想いを嬉しく受け止めながらも、善意だけで食べていくことはできないのに、と黒々とした思いが胸の奥で渦巻く。

 風車村の魔法使いたちはそのことをよく知っている。衰えゆく魔法の力、ミルッヒらが虚弱さや身体的・精神的障害や疾患と引き換えに授かった魔法の力は、村の掟によって厳しく制限され、自由に行使することは禁じられている。

 魔法使いとてただの人、他者と関わらねば生きてゆかれぬ存在であるから、厚意には礼をもって尽くしたいと思う。けれども魔法を禁じられては、魔法使いにできることはほんのわずかしかない。魔法を使ってこその魔法使いなのに。

 魔法使いらが住む風車村は特区とも呼ばれていて、特区管理吏たる役人が村長を務めている。とはいえ、魔法使いを毛嫌いしている彼はほとんど村には来ない。魔法使いたちのまとめ役である長老ドゥマが、実質の村長といえた。国からもたらされるものは法であれ補助金であれ言伝であれ、必ず特区管理吏とドゥマの間でやりとりされる。

 古代には魔法大国として名を馳せたと記される崖の国であるが、近年は魔法使いの数が急速に減っている。魔法使いの減少は崖の国に限った話ではなく、いずれ魔法使いはいなくなるのではと危惧されていた。

 さらに、魔法使いの素質を見せる者はそれぞれ、身体や精神に障害を抱えて生まれてくる。呼吸するように魔法を行使し、紡ぐ言葉にはことごとく呪いが込められる、と逸話が誇らしげに謳う魔法使いはもう、崖の国にはひとりもいない。

 日常生活が困難な魔法使いも多いことから、国は魔法使いを一所に集めて生活を保障している。それが風車村だ。魔法使いたちは各々に可能な範囲で農業に従事し、市街地に暮らす人々の生活を支える。風車村には国からの補助金が給付される。

 ベルの言うように、「人の役にたつ」ようでは魔法使いは務まらない。魔法使いは国のもの、王家のものなのだ。だから風車村などと体よく名付けられた集落に隔離され、監視され、管理されている。わずかながら市街地で暮らす魔法使いもいるが、彼らへの保障は薄く、税金は高い。好き勝手に魔法を行使されては、法も律も成り立たぬ、というわけだ。それが理解できるほど、ミルッヒは成長した。

 何の衒いもなく、人のためにと言い切れるベルが羨ましく、眩しかった。皮肉と歪んだ正論、自虐で築いた砦にぽっかりと穴が開き、萎れかけていたかつての純粋な想いがいっとき顔を覗かせる。


「……ありがとう、ベル」


 ベルの善意が彼自身の首を絞めるなら、わたしの好意で少しでも彼を守ろう。魔法の力は、そのためにあるのだ。たとえそれが掟に背くことであっても、国に反旗を翻す行為であっても。

 魔法を使わずとも、他者のために生きることはできる。けれど魔法が、誰かを助けることにつながるなら、魔法を使うことに躊躇はすまい。

 傲慢だと承知していたが、魔法という天賦の才に縋らねばまたも茨が心を覆いつくしてしまう。守らねばならない、踏み込まれてはならない、魔法使いたちよ、孤高であれ。風車村で教え聞かされた文言はいとも容易く純粋さを蹂躙する。

 そうはなるものか、とミルッヒは枯れかけの切り花と交換した植木鉢をぴかぴかの手押し車に積んだ。



 帰り道、風車村までの一刻ほどの道のりを、ベルが送ってくれることになった。遠慮したのだが、シアが許さなかった。今日の一件をベルから聞いたのか、用心に越したことはない、もし何かあればドゥマさんに申し訳が立たないから、と言って。

 自転車を押すベルの隣で、ミルッヒは真新しい手押し車とともに歩く。日傘を支える小鳥のクリップはつぶらな目で前方を見ていた。


「シアさんが魔法使いを大切にするのは、科学の何年もの歩みを軽々と飛び越えていくからなんですって」

「よく言ってるよ。魔法使いを見習え、どれだけ苦労しても涼しい顔をしてろって」

「言いそうね」


 シアは創業者のひとり娘とあって、蝶よ花よと育てられたのだが、何事にも体当たりでぶつかっていく工房の職人や技術者たちを目の当たりにしていたせいか、二代目社長という重役に就いたいまも率先して困難な道のりを突き進んでいこうとする。週に一度、工房を訪ねて傍から見ているばかりのミルッヒでさえひやひやするのだから、ベルたち工員にすればたまったものではないだろう。


「気合いとか根性とか、大好きだからさ、お嬢さんは。そのくせ理詰めでやり込めて来るし」


 自転車を押しながら肩をすくめてみせる彼の言葉からは、女社長に対する敬愛が感じられて嬉しくなる。

 グレニッツ商会の先代が魔法使いから花を買うようになったのはミルッヒが生まれる前のことで、昔はドゥマとともに工房まで配達に出かけたものだ。

 体格のいい男性の職人ばかりが集まる工房で、颯爽と歩くシアは太陽のように眩しかったが、その美貌と武骨な作業服はいかにも不釣り合いだった。眦を吊り上げ、厳しく指示を出す姿は理不尽な要求を押し付けているふうにも見えたが、職人たちは時に反論し、対案を挙げながらも、彼女をひとりの職人として認めていることはすぐにわかった。

 熟練の職人たちの中にあって、一歩も引かないその姿にいつも励まされた。崖の国と魔法使いの立場を、知らぬ間に投影させていたのかもしれない。シアはミルッヒのことを実の妹のように可愛がってくれたし、ミルッヒもシアのことが大好きだった。

 ミルッヒにとって当たり前に存在する魔法の力は、この国にとっては当たり前のものではなかった。不公平感や不平等感に耐え、管理された生活に慣れ、忖度を覚え、雰囲気を読んで不満を顔に出さずにいられるようになったのも、シアや工房の職人たちなど、魔法使いのことをきちんと理解している人々がいてくれるお陰だった。


「お嬢さんはたまに、ミルッヒのことを話してくれたよ。魔法使いの子で、とっても花の世話がうまいんだって。俺はずっと下働きだから、工房の表に出てくることなんかほとんどなくてさ、でも時々、窓からきみのこと、見てたんだよ」

「そ、そうなの……?」


 知らないうちに姿を見られていたなんて、恥ずかしい。変にステップを踏んだり、鼻歌を歌っていたりしなければいいのだけれど。


「俺はさ、父さんが亡くなってから工房に住み込みで働かせてもらってるんだ。父さんとお嬢さんが古い友人でね。母さんのほうの爺ちゃん婆ちゃんは、父さんと母さんが結婚することに反対だったみたいで、母さんは父さんが亡くなってすぐに家に連れ戻されちゃったから」


 それはひどい、と思ったが、ミルッヒも親の顔を知らない。目ばかりが爛々と紅く輝き、肌も髪も血の気のない病的な白。異形の色彩を持って生まれたミルッヒは、風車村の外れに捨てられていたという。物心つくまで風車村の魔法使いたちが親きょうだいだと思っていたし、いまもその思いは変わらない。家族と言われて思い浮かべるものがベルとは違うだろうことだけが、少し寂しかった。


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