魔法使いは飛行機械の夢を見るか?

凪野基

花びら、空に舞う日 (1)

 夜空から光が降る。

 この崖の国ならではの光景だ。旧き魔法文明と戦乱の時代におこったこの国は、峻険な岩山を魔法で削ぎ落として拓いた、東西に細長い国土と山中に聳える王城で知られている。

 崖になかば埋まる格好の王城は堅牢を誇る一方で、石灰岩質の白っぽい岩肌に溶け込む優美さも備え、さながら船首の女神像のようである、と旅の詩人などは語る。

 魔法によって方々から招かれた水脈は滝となって城下に流れ、市井の人々の水源となり、再び地下に没してはるか東の草原地帯までをも潤す。この魔法水脈が有事の際は強固な盾となり、王城の防衛を果たした。高度で複雑な魔法が日常的に使われていた、古代魔法時代の遺産である。

 崖の国と魔法文明とは、切っても切れぬ仲であった。王城には未だ多くの魔法道具が眠っており、天翔ける馬車、速駆けの靴、注いでも尽きぬ酒壺、遠見の水晶、唄う竪琴、樹木の兵士などは国外にも広く知られていた。

 王城と市街とを行き来するために用いられた天翔ける馬車、天馬は比較的多くの台数が遺されていた。夜は互いの衝突を避けるために華やかな光と、鈴を振るがごとき清らかな音色を放つのが典雅で良いと王侯貴族に愛され、天馬は今日でも毎日のように行き交っている。

 夜、天馬が振りまく光を目にした者は遠ざかる光を見上げては、星屑のようだ、光の砂のようだ、月の滴のようだと一時の風情に浸るのだった。



 だからこそ、である。

 ――白の天馬が墜ちた。

 その報せは瞬く間に都じゅうに広まった。第一の姫を王城に送り届けた直後のこと、死傷者は出なかったとはいえ、凶事であると都は蜂の巣を突いた騒ぎになり、王族はじめ高位の貴族は血相を変えて、それぞれに有する魔法道具を点検しはじめた。

 天馬のうちでも、白の天馬は王族のみが所有する天翔ける馬車。王族の権威の現れであった。それが墜ちたとなれば、騒ぎになるのも仕方あるまい。

 いかな魔法が込められているとはいえ、道具は道具。いつかは役目を終える日も来ましょうと落ち着きを見せている者もいれば、王族を危険に晒すとはけしからん、魔法使いどもを根絶やしにせよと唾を飛ばす者もいた。

 しかし、少しでも魔法学に造詣のある者は騒ぐどころではなかった。彼らは憂い顔で息をつき、窓の外を眺めて、あるいは空を仰いで言った。

「そうか。ではやはり……魔法の時代は終わろうとしているのだな」

 次の日、魔法使いが殺された。



* * * * *



 やっぱり誰かに頼めばよかったかもしれない、とミルッヒは色の薄いくちびるを噛んだ。

 外出着のフードは重く頭にのしかかり、使い慣れているはずの日傘は鉄の塊よりも重く右手を痺れさせた。青あざの残る手足の悲鳴を聞かぬふりをすれば、花を積んだ手押し車の調子外れの歌声が耳について、不安と苛立ちは募るばかり。

 からりと晴れた春の日。崖の国を東西に貫く街道を行くミルッヒは、とかく目立った。

 色気の欠片もない、野暮ったさと地味とを縫い合わせた焦げ茶色のフード付きローブ。真っ黒の日傘。がたぴしと唄うおんぼろの手押し車と、それに載せられた鉢植えの花。奇妙ないでたちの少女が東から市街へと花を運んでくる。それは、ミルッヒが紛れもなく風車村の魔法使いであると示していた。

 街道が静まった。囁きが交わされることも、目配せが飛ぶこともない。ただ、時間の流れが緩やかになる。耳障りな音をたてる手押し車を押し、無数の視線を感じながら、ミルッヒは俯きがちに上り坂をのろのろと歩む。

 もしも視線に力があったなら、とうに穴だらけになっていただろう。目的地まではもう少し、あと少しの我慢だと言い聞かせ、逃げ出したい気持ちと指差して叫びたい衝動をこらえる。単調に、左右の足を交互に前に出した。

 奇異や蔑み、憐れみと疎外の目で見られることには慣れていた。ずっと我慢してきたんだもの、今回だって大丈夫。心の中で何度も繰り返し唱えつつ、風車村に戻ってからのことを考える。夕飯の準備、畑の見回り、それから。

 とりとめもない現実逃避は、左手に走った鋭い痛みによって中断させられた。足元に転がる石、赤く腫れる手の甲が空想を追い払う。

 石を投げられたり、足をかけられたりするのも初めてはない。声を出すことはなかったが、真下を向いていた顔が正面を向いた。はずみでフードが脱げて、白い髪が舞う。

 ミルッヒは、己の容姿をよく知っている。すっかり古びて歪んだ手鏡であっても、白い肌に白い髪、紅い眼という異形の色彩を告げるには十分だったから。

 紅い眼を燃え盛る炎と取るか、滴る血と取るか。印象は違えども、ミルッヒに注がれていた視線が一斉に変化したのは同じだった。温度を下げて逸らされる。あるいは、いっそう鋭さを増し、氷柱となって突き刺さる。

 誰が石を投げたのか、犯人捜しに興味はなかった。天馬の一件を思えば、石が飛んでくるだけで済んでよかったと思うべきだ。

 けれど、以前はこうではなかった。すれ違いざま、あからさまに服の袖や裾を払われたりすることはあれど、多くは花を配達するミルッヒに好意的だった。好意的というのはつまり、無関心に偽善の毛が生えた程度のものだが、それでも白昼堂々石を投げられたりすることなど、なかった。

 雑貨屋の老爺が目を伏せ、手芸屋の看板娘が顔をそむけた。いつもなら、それとわからないほどの会釈を寄越してくれるのに。

 事件以降、街で暮らす魔法使いたちに対する暴行や、度の過ぎた嫌がらせが後を絶たない。集団で暴行を受けて死亡したり、追い詰められ、自ら命を絶ったりする者もあった。国軍は魔法使いたちに注意を促したものの、魔法使いたちを保護する動きはない。

 手を差し伸べることは、魔法使いの仲間だと言いふらしているに等しい。一時の哀れみから情けをかけ、商店組合に睨まれることになっては割に合わない。そんなところだろう。

 みんな日々の暮らしがあるのだから仕方がないわ、と自らを慰めながら、フードを目深にかぶりなおして一歩を踏み出した。おんぼろの手押し車とともに、永遠に続くのではと思われる通りをゆく。強く噛みすぎた奥歯が軋んで、ゆるゆると頬の力を抜いた。

 赤、黄、橙、紫に薄桃、白。手押し車に積んだ花だけが無心に咲いている。大輪の花、玉のように小さな花をつけるもの、あるいは、瑞々しい緑の葉を茂らせるもの。人の思惑の外で、草花はのびのびと枝葉を伸ばし、花を太陽に向ける。一途な生の営みに、少しだけ慰められる思いだった。よりよく、易く生きようとするのは人も草花も同じだ。


「あっ」


 気が逸れた一瞬のこと、車輪が石畳に取られて、手押し車が大きく右に傾いだ。慌てて腕に力を込めると、みしりといやな音がした。

 車軸が折れたのだろうか、押しても引いても車輪が動かない。再び、人々の視線が集まって、ミルッヒを街道に釘付けにする。背中に汗が滲むのがわかった。

 どうしよう、どうしよう。熱い頭で考える。配達先まではもうすぐだから、手押し車をここに置いておき、植木鉢だけを順に運べばいい。しかし、目を離している間に他の花が無事である保証はどこにもなかった。この好奇と悪意の只中に、大切な商品を放り出していくことなど、できやしない。

 どうすればいいのか。目まぐるしく浮かぶ案は、数十もの鋭い視線にさらされて形を取れずに消えてゆく。助けを求めるか。誰に? それとも、魔法を使うか。魔法使いを断罪する視線の中で?

 腹をくくった。傘は捨て置き、手押し車ごと抱えて運ぶしかない。

 ミルッヒの白い肌は日光に弱く、日傘なしでは真っ赤に爛れて火ぶくれができる。けれども、それは十日もすれば治る。花を届けなかったことで失われる信頼は、十日で取り戻せるものではない。どちらを選ぶかなど、自明のことだ。

 呼吸を整え、傘を閉じようと留め具に手をかけた。決心してもなお、かすかに残る淀んだ思いが、ため息となってこぼれ落ちる。

 と、石畳を蹴る音が近づいてきた。ミルッヒの目の前で止まる。


「ねえ、あれさ」


 ミルッヒと同じ年頃の少年が、手押し車を指差して首を傾げる。油や塗料の汚れの残る作業着の手足を折り上げていた。袖口から伸びる腕は細いが引き締まっている。

「グレニッツ商会までだろ? 運ぶよ」

 麦畑を揺らす風や花をほころばせる日向を思わせる、あたたかく澄んだ声だ。少年はミルッヒの返答を待たずに両腕を広げて手押し車を抱え、振り返った。気まずさが戦場の矢のごとくに飛び交う雰囲気に頓着している様子はない。人が好いのか、鈍いのか、それとも新手の嫌がらせなのかと不安になる。

 何にせよ、いますぐに突っぱねるべきだった。けれど、結構ですという何でもない一言は、邪気のない少年のまなざしと見知った作業着を前に喉に引っかかって、顔を出そうとしない。


「で、でも、重いでしょ」


 やっとのことで姿を現したのはしかし、間抜けに過ぎる一言だった。恥ずかしさに頬が熱くなる。

 少年はくちびるを吊り上げて、悪戯っぽく笑った。年齢も背丈もミルッヒと同じくらいだろうか、笑うとさらに幼く見える。作業着の手足が余るのも不思議ではない。


「きみだって持ち上げようとしてたじゃないか。きみよりは力があると思うけどな、俺」


 深い森でそよぐ木の葉の色の眼は、声と同じく人柄を映し出したかのようにまろい。真鍮の輝きを放つ髪はすっきりと短く切られ、昼下がりの海風に揺れていた。

 ますます頬が熱くなる。でたらめに心臓が暴れ出して、何とかしなきゃと思うほどに言葉は絡まり、手のひらは汗ばんだ。


「そうだけど、でも」


 ミルッヒの戸惑いに眉を下げ、少年は深森の目を細めた。作業着の胸に緑の糸で刺繍された、グレニッツ商会の社名を指して、続ける。


「お嬢さん……あ、いや、ボスからきみを迎えに行くように言われたんだ。俺はベルトゥリ。ベルって呼んでくれていいよ」


 古参の技術者たちと同じく、二代目社長のシア・グレニッツを指して「お嬢さん」呼ばわりするということは、彼もほんの子どもの頃から工房にいるのだろう。工房の奥で幾度かベルの姿を見かけたことがあるような気もする。


「わ、わたしは、ミルッヒ……。あの、わたしのこと、ご存じなんですよね? 本当にいいんですか?」


 魔法使いの立場が悪くなろうと、悪評が叫ばれようとも、シア・グレニッツは魔法使いたちから花を買い続けていた。そのことがグレニッツ商会の売り上げに影響しているのかどうかまでは知らないが、こうして堂々と名乗り出た商会所属の勇敢な少年が、石や罵声を投げかけられることになりはしないかと気が気でならない。

 ミルッヒが魔法使いであることを理由に、何を言われようと、何をされようと、それは仕方のないことかもしれない。けれども、この人の好い少年にまでいわれのない悪意が及ぶことは避けたかった。


「いいも何も、手押し車を抱えたきみと手ぶらの俺をボスが見たら、すぐさま俺の首が飛ぶよ。それにさ、きみは傘をささなきゃなんないじゃないか」


 急成長を続ける工房を支えるシアは、細やかさと、烈火のごとき激しさと、梃子でも揺るがぬ頑固さを併せ持っている。そのことは当然、工房との付き合いの長いベルトゥリも知っているはず。怒ったシアがどれほど恐ろしいかも。

 甘えさせてもらっていいのかもしれない。たっぷり考えてから頷いた。


「うん、それじゃあ、お願いします」

「任せて」


 ベルは手押し車を抱えて歩き始める。ミルッヒは慌てて手押し車から植木鉢をひとつ取り上げた。日傘をさしていても、植木鉢ひとつなら持てるし、このくらいならシアも怒るまい。

 前を行くベルは振り返らなかったし、商店や道行く人々に注意を向けるでもなかった。しかしいつしか険悪な雰囲気は消え去っており、誰もが居心地悪そうに周囲を盗み見ながら、脇に避けて道を譲った。

 植木鉢を抱える手の強張りがほぐれてゆく。小さく鼻をすすった。

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