番外編 セピア

 私と彼らと、同じところに住んでいても、見えている光景はまったく違うのではないか。

 シア・グレニッツは時々、そんなふうに思う。

 隣区のしょぼくれた町工場の跡取り息子、シグルド・モニクは眠っているのか起きているのか判別しがたく細めた目で窓の外を茫と見つめており、アルター・リャンは同じく窓の外、けれどシグルドよりは下方、住宅地を見つめていた。

 シグルドが何を見ているのかわからないのはいつものことで、アルターがまったくどうでもいい、シアからすれば理由の窺い知れない対象を見ているのもいつものことだった。

 だからそんなとき、つまりこんなときだ、同い年の学友の目に映る世界は、自分が目にしているものより何倍もすてきで、色鮮やかに輝いているのではないか、私の目には見えていない何らかの答えが示されているのではないか、喜びとおかしみと好奇に満ちたものなのではないかと、首を傾げるのだった。

 放課後、ふたりは帰る素振りも見せず、シグルドは窓際の自分の席で、アルターはその隣の誰かの机に堂々と腰を下ろして、窓の外を眺めていた。

 線が細く、流れる銀髪と浮き世離れした雰囲気のせいか、シグルドを恋い慕う女子生徒は数多い。眼鏡が知的で素敵とか、あんなふうに見つめられたら変になりそうとか、どこかの国の王子様だったりしてとか、これまたシアにしてみればいやいやそんな、あいつは実は何も考えてないんで、と御注進に伺いたくなるほど夢見がちな空想があちこちで花咲いている。

 まだ話しやすいのはアルターだ。彼は目を向けたものを一応は見ているので。

 深森の視線を辿ると、市街地の一角、住宅が肩を寄せ合って建ち並ぶ地区にぶつかった。ぽかりと黒い部分がある。一昨日の火事で木造住宅のほとんどと、多くの住人の生命が失われた跡だ。黒くわだかまる住宅の残骸が惨劇を物語っている。

 住宅密集地だから、消火隊の動きも鈍ったことだろう。こんな時に頼りになるのは魔法による消火活動だが、魔法使いの減少により途切れがちになっているらしい。


「なあシア、おまえんちでさ、燃えない布とか燃えない家とか作れねえの?」


 シアの父は職人だ。友人たちとグレニッツ商会という会社を興し、木材や石材の加工、設計から塗装など、幅広く請け負う一方で、新素材の開発にも力を入れていた。


「そんな簡単にできるなら、もうできてるってば」


 火災は昔から、崖の国を悩ませてきた問題だった。会社に工房を設置したときも、火事を警戒して厳重な防火、消火体制を整えたそうだ。


「だよなあ」


 アルターはため息をついている。勿論のこと、彼は火事には何の関係もないのだが、こうして目につくすべての事柄について、あれこれと思い悩むのだった。普段は明るく溌剌としているが、頼まれると嫌と言えない性格が災いして厄介事を引き受け、シアとシグルドが手助けしてやることもしょっちゅうだった。


「アルター、そういうの興味あるの? 新素材とか」

「そりゃ、あるよ。布も家も燃えなければ、火事なんて起こらないだろ」


 父はいつも人が足りないと嘆いている。何度も失敗を繰り返して要求を達成させる新素材開発は資金と時間と根気が必要で、なかなか人が居つかないのだ。彼がもしその気なら、卒業後はうちに来てもらうのもいいかもしれない。

 工房を子ども部屋代わりに、強面の職人たちを親代わりに育ったシアは、どちらかと言えば理論や実験より加工のほうが得意だ。直感に頼る面が大きいとはいえ、発想の柔軟なアルターは父の良き片腕となってくれるだろう。


「ごもっともだけど、本当、あんたお貴族さま並みに無茶言うよね」


 そうかなあ。軽い調子で首を傾げる。真鍮の色の髪は寝癖がついて、あちこち飛び跳ねていた。もうすぐ十五になるのに、子どもみたいだと思う。


「道路を広くして、消火隊が素早く動けるようにすればいい。魔法使いに頼んで水栓の数を増やすとかさ。そうすれば起こった火事を早く消せる」

「そりゃ夢のまた夢だろ。それができたら苦労しねーよ」


 シグルドの提案をアルターが笑い飛ばす。どっちもどっちだ、と思いながらも、シアは空想の翼をはばたかせる。

 着眼点は違えど、両者が組み合わされば火災対策はより強固になるだろう。防火につとめ、しかし残念ながら起こってしまった火事も速やかに消し止めることができれば。


「言うだけならただなんだけどね……」


 ついにこぼれたため息に、アルターが肩をすくめた。


「やろうと思えばできるって。やろうと思わなきゃ、いつまでたってもできない」

「そうだよ、シア。僕とアルターが設計したものを、きみが作る。それで完璧じゃないか」


 珍しくシグルドもアルターの肩を持つ。こうなると分が悪い。シアは胸を張り、顎をつんと上向けた。


「いいわよ。やってやろうじゃないの」

「そうこなくちゃ」


 アルターが勢いをつけて机を降り、のんびり屋のシグルドの腕を掴んで立ち上がらせる。


「なー、シアんち家寄ってこうぜ。あそこ狭くてごちゃごちゃしてて楽しいから、いい案思いつくかもしんないしさ」

「地味に失礼ね、あんた」


 シアの苦言を聞いているのかいないのか、アルターは鞄を背負って先に行ってしまった。


「ほら、シグルドも! 窓の外、そんなに面白い? 何か見えるの?」


 まだ外を見ているシグルドを促しながら、窓辺に寄る。目を凝らしても、市街地とその先の海、見慣れた光景が広がるばかり。


「……もうすぐ、見られなくなるから」

「えっ、何?」

「なんでもない」


 シグルドは首を振った。行こう、とシアの手を引くなり椅子につまずいて、よろめく。


「どんくさいなあ」


 頭はいいくせに、こうして時々間の抜けたことをするシグルドは、女子生徒たちが言うような王子様とは程遠いけれど、アルターともども大切な友人だ。


「シア、シグルド、早く来いよ!」


 アルターの声にいま行く、と叫び返して、シグルドの袖を引いたままシアは夕暮れの校舎を歩く。


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