僕が大ファンの「関節王」という漫画があって、これに触発されて女子プロレス格闘技小説を書いたのが、僕が小説を書きはじめたきっかけです。
連載雑誌の廃刊で「関節王」は打ち切り最終回になってしまい、その構想のすべては語られないまま、作者の三倉さんは漫画家を引退されました。
僕の作品のブログのあとがきで三倉さんに触れたのがきっかけでエゴサーチにひっかかり、ミクシィで友達になってもらったりして、「関節王」の続編的イラストがPIXIVに投稿されたので、無邪気に「続編書いてください!」などと言ったのですが返事は無言でした。
しばらくたってから「創作はそんなに生易しいものではない!」という返事が返ってきました。
確かにそうなのだが、絵は相変わらず上手いし、描きたいことがあれば描いて欲しいなと思います。
ファンとしては続きが読みたいのです。
ながやんさんも、また気軽に、物語を書いて欲しいですね。
この道を目指す者が憧れるであろう、新人賞デビューから書籍化という作家は、五年後にプロであることを辞めた……理由は本当に『本人の無能』に集約されるのだろうか? チームとなる編集全般の話、出版の流れ、絵師さんとの関係、読者との距離の取り方等、リアルで切実だった。創作をするすべての人びとに、どこかで何かしら響くものがあるだろう。筆を折ろうとする理由は様々だろうが、プロとして続けていくためには『本来の能力・努力』に『運』や『流れ』というものも取り込んでいかねばならないのだという難しさを切に感じる。特に感銘を受けたのは『卑屈』がいかに危険であるかという段。終始リアルでありながらも客観的に過去を振り返ろうと努める著者は、また立ち上がってくれるだろうか。今後を応援したくなった。
ライトノベル作家で成功している人なんてごく一握りにすぎない。
そんなことは当たり前のことだと思っていたのに。
わかっていたつもりでも、語られる現実の厳しさに、読みながら足がガタガタと震えました。
これは後進の作家志望の人へと贈る、飾るところのないエール。
創作の目に見えやすいテクニックの部分ではなく、普段わたしたち消費者なりプロ志望者が目にしている「本」という形だけではうかがい知れない部分に対する心構えを知ることができます。
今はわかっているつもりでも「作家」という自意識が肥大化するにつれて見えにくくなっていくのではないだろうかということばかり。
特に自分は周りに合わせてしまうタイプなので、第3話の後半部について特に心に刻み込まなければならないと思いました。
柔軟さも持ちつつも「ここだけは譲れない!」という芯を持つことの大切さを教わったような気がいたします。
完成品である「書かれたもの」そのものではなく、実は諸々の理由で書くうえで削ぎ落とされたものの「なぜ」のほうがえてして重要なのかもしれませんね。
月並みではありますが今後のご生活が健やかなるものでありますよう心からお祈り申し上げます。
プロの小説家という、多くの人が体験したことのない仕事、それを等身大の体験紹介という形でまとめています。
レビューにあたっては“等身大の”という部分を強調したい。
読んでいて「クリエイター業界の裏側が垣間見られる!興味深い!」という感想よりも、「そうだよなあ、そこが大事で大変なんだよなあ」という共感の頷きが出てきました。
「企業に雇用される」という現在大多数のスタイルではなく、「個人で出版という事業に関わる」小説家。
その体験記から浮き彫りになるのは「働いて利益を生む活動」の本質、『生業』とは何ぞやという万人共通の学びだと思います。