最終話・おわりに

 さて、いかがだったでしょうか?

 あくまでここで書かれたことは、史実を元にした私感であり、一人の作家が創作者側から見た真実の一面でしかありません。そして、まさしく「敗軍の将が兵を語る」というものだということをお忘れなく。

 ここに記したのは、敗走録であり、負け続けた人間の足跡です。

 こうしたつらく過酷な現実をお伝えした上で、お願いがあります。

 どんな形であれ、創作したいという気持ちがある時、その表現を躊躇ためらわないでください。そして、編集者や出版社が値段をつけない限り、本質的に創作物には良し悪しや上下、貴賎きせんなどありません。

 ここまで読んで尚、商業作家になりたいと思うなら、その気持ちに素直になるべきです。

 長物守ナガモノマモルの失敗を知り、その危険なミスチョイスを避ければ、大丈夫です。


 最後に二つのことを、お伝えしなければなりません。

 まず一つ……それは家族とごく一部の友人たちしか知らず、知った友人の多くと距離を置く原因となりました。勿論、編集部には伝えてないし、伝えられませんでした。

 もうお気付きの方もいらっしゃると思いますが、自分には精神疾患があります。

 十年以上前からわずらっており、悪化の一途を辿る毎日を暮らしています。

 病名は、双極性障害そうきょくせいしょうがい、そしてアスペルガー症候群ですね。

 自立支援法の恩恵を受けて、長い間通院しています。

 毎日大量の薬を飲まなければ、眠ることも起き上がることもできません。

 障害者認定を受け、等級は三級……二ヶ月で8万円の障害者年金をもらっています。


 かつて自分は、上京しプログラマーとして就職、サラリーマン生活をしていました。平成不況のド真ん中の世代で、仕事には辛い思いでしかありません。パワハラだらけのブラック企業、安請け合いする営業に働かないSE、そして納期直前の徹夜と終電帰りの連続。

 五年で心身を壊し、帰郷することになりました。

 しかし、不況下の田舎に仕事はなく、完治の見込みがない病気を抱えたまま、再度プログラマーの仕事をしたり、事務職や電気工事士なんかもやってみたんですが……自分の再チャレンジは、再挫折の連鎖を生むばかりでした。

 病気を告知しておおやけにし、その上で働かせてもらった会社もありました。

 待っていたのは、差別と迫害、そして腫れ物扱いの日々でした。

 一方で、元から友人の少なかった自分は、SNSを通じて地元のコミュニティに参加し、頑張って友達を作るようにも努めてみました。しかし、飲み会で「あのメンヘラがさ」「うちの会社のアスペ野郎が」とこぼす友人たちの、健常者特有の無条件な正当性が恐ろしかったのを覚えています。この人たちは多分、自分の病気を知れば、酔ってくさして陰口や愚痴を零す対象に、自分を加えるのかもしれないと本気で思いました。


 そんなこんなで、非常に陰鬱いんうつとした日々を暮らしていましたが、転機が訪れます。

 一種の悟りというか……詰んだな、と思いました。

 行き詰った、投了とうりょうの時期がきたんだな、と。

 早速ネットで方法を調べ、薬局で大量のバファリンを買ってきました。その数、百錠以上……しかし、人間の身体というものはよくできているもので。全部飲んだら、盛大に吐いてしまいました。肉体は時として、過剰な毒物、刺激物を察知して排出する機能があるんですね。

 因みに、最も効率よく確実に死ねる方法は、首吊りです。

 必ず遺書を作成すること、首を吊る下には大きなタライを置くこと、くらいですかね? 締め方もコツがあって、苦しまず確実に死ねます。

 試しませんけど(笑)


 目が冷めたのは三日後で、その後休養期間を経て、また会社を辞めました。

 もはやハローワークに行く気力もなく、ただただ申し訳ない気持ちで一杯だったのを覚えています。当時、そして今も多少ですが、自分は「生産性の呪縛」にとらわれています。成人した社会人の多くが、何らかの形で労働をこなし、対価を得ている。専業主婦だって、家族の中で家事を一手に引き受け、素晴らしい仕事をこなしている。この世では、極めて普通で正常な人間は全て、何らかの形で生産性を発揮し、周囲の人間たちと繋がりを持っている。

 では、自分はどうか。

 金が稼げない。

 逆に、金のかかる病気を抱えてしまった。

 そして、盲目の両親のスネをかじって生きるしかない。

 死ぬことさえ失敗し、再挑戦する勇気も持てない。


 そんな時、毎月買ってる月刊ニュータイプで、ある記事を見つけました。

 ファイブスター物語のファンなので、昔から欠かさず月刊ニュータイプを買っています。……ファイブスター物語のファンなので、昔から欠かさず月刊ニュータイプを買っています。

 大事なことなので二回言いました、角川さんのサイトですし。いいですか、ここに月刊ニュータイプを、ファイブスター物語が休載してても買ってる人間が……あ、いえ、すみません。少し脱線してしまいました。

 月刊ニュータイプに、デビューしたての作家さんのインタビュー記事がありました。

 そこでは「引きこもりだったけどデビューして作家になれたぞい!」という青年の姿がありました。なんと、三十路に入るまでずっと引きこもっていたそうです。そういう方が今、一念発起いちねんほっきして努力し、それを実らせた。

 これだ! ……とは、思いませんでした。

 ただ、最後にやってみたいことが、これならまあいいかと感じましたね。

 もともと書くのが好きで、学生時代は演劇部で脚本を書いてみたりしてました。若い頃はネトゲの黎明期れいめいきで、PSOやモンハンにハマる傍ら、仲間たちとのリプレイを二次創作として発表、同人誌にも参加したりしてました。


 最後に好きなことをやって、それで駄目になったら、死のう。


 そう思ったのですが、デビューまでに三年近くを要しました。その間、「書くための読書」に没頭し、ありとあらゆるラノベの一巻だけを読みました。面白いものも沢山ありましたし、妙な話ですがつまらない作品は自分に勇気をくれました。友人知人のオススメ本を漁るようにして読み、感想を求められても分析と考察しか話せない、そんな人間になっていきました。

 ありとあらゆる新人賞応募のノウハウを、貪欲に貪りました。

 自分自身が、新人賞というカードゲームのメタデッキになる感覚。

 作品は勿論、あらすじや略歴の書き方、そして応募原稿の綴じ方まで勉強しました。あっという間に対新人賞用の一点突破型原稿の出来上がりです。でも、そういう時間は結構楽しくて、あっという間に過ぎ去りました。

 書いてる時の高揚感、社会への怨嗟えんさと憎悪だけが、糧でした。

 そして、あの未曾有の大震災が起こった年……自分は賞を頂き、デビューした訳です。


 当然、編集部の担当さんとの、二人三脚の作家生活が始まりました。

 しかし、自分は決して人を信用しませんでした。

 被害妄想と人間不信、そして卑屈な劣等感……そんな状態での5年間、電話での打ち合わせが一番恐ろしかったですね。勿論、自分の病気を編集部に明かすことはできませんでした。ただ、会社や企業といった集団作業での同調、協調が少ない仕事ならと思った節もありますし……やはり、精神障害者を健常者がどう扱うかは、熟知していたつもりでした。

 基本的に、編集部というのは「作品の価値を高め、商品へ昇華し、製品として市場に流通させること」が仕事です。当然、厳しいダメ出しが待っています。ダメ出ししかされたことがないです。そして、病んだ自分には、作品の否定が人格否定にも思えたものです。よく「長物さん、ダメ出しされると声が小さくなって、テンション下がるのすぐわかるんですよ! やめてもらえますか!」って言われました。しかし、自分で自分をコントロールできないのがこの病気です。

 まあでも、それももう一区切りです。

 そして、この5年間で作家として社会に参加して、少し前向きになった気がします。労働で金を稼ぐという生産性が、自分には全くないとわかっただけでも、収穫でした。

 だから、探さなければいけません。

 探してなければ、作らなければいけないですね。

 そのために、やはり趣味にしろ仕事にしろ、つくらなければいけない。

 そう思ったら、以前の何倍も死ぬのが怖くなりましたね。


 最後に……自分が志半こころざしなかばで舞台を降りる中、皆様にたくします。

 決して背負わず、心に留めることなく、読み捨てて進んでください。

 俺の屍を越えてゆけ、け……創作家はどんなジャンルであれ、己の表現を他者に見せずにはいられないイキモノです。ネットワークが普及し狭くなったこの地球で、数十億人の読者が待っています。

 方法論も充実していて、以前とは比べ物にならない多様性があります。

 電子書籍での自費出版や、同人活動での地道な創作、そして新人賞への応募……

 その先に待っている、小さな小さな希望を最後に紹介します。

 日本には、国会図書館こっかいとしょかんという組織があります。ここには、古今東西のあらゆる出版物が必ず保管されます。そしてそれは、日本という国家、日本人という民族が永続する限り、永遠に管理運営されてゆくでしょう。

 この国会図書館に今、自分の本があります。

 何億分の一かはわかりませんが、確かに収められています。

 あるべき結末を失い、いびつな形で閉ざされてしまった、商業価値のない物語です。

 しかし、自分がいつか老いて死に、その名を誰もが忘れたとしても……自分の作品は残り続けます。これが出版のいいところで、遥かな未来……何百年先になるかわかりませんが、その時は確実に訪れます。誰かが、まだ見ぬ読者が、その本を手に取るでしょう。

 そういう可能性の光が、誰にも等しく与えられている気がします。

 それだけが僅かな望み、祈りのようなものです。

 まだ見ぬ未来の読者という可能性は、それだけで救い足り得るものかもしれません。

 そのことを最後に伝えて、締めくくりとしたいと思います。

 引き続き、自分の趣味の作品、自分の仲間たちの作品をお楽しみ頂ければ、これに勝る喜びはありません。同時に、敗者の歴史から学び、勝者の背を追いかけることが進歩へ繋がります。善悪の彼岸を超えた、弱肉強食の実力社会……そこでは、誰もがよかれと思ってベストを尽くしている、そういう認識を共有できない者は淘汰とうたされます。

 そうした中で自分を試すことはとうとく、得難い経験となるでしょう。

 その際、失敗して行き詰まらないよう、自分の話を参考にしてもらえれば嬉しく思います。一定の収入を確保し、趣味と生活を充実させ、人間関係は良好に。世の中に「売れる作品」はなく、ただ「売れた作品」があるだけ……時流と運にも左右され、実力がなければ流行にも幸運にもあやかることができません。

 ま、そういう感じです。

 自分からは以上になります。

 ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。

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