ある同性愛者のクリスマス

浅原ナオト

Thank God It's Christmas

 小学生の頃は、クリスマスが好きだった。

 母さんは夜の仕事でいないけれど、幼馴染の亮平が友達を集めて開くクリスマスパーティーに参加出来るから寂しくなかった。僕の家に父さんはいないけれど、サンタさんもちゃんと来てくれた。サンタの正体が母さんだと分かった後もプレゼントは貰えたし、一年に一度のお祭りで世間が浮き足立っている雰囲気を感じるのは単純にワクワクした。クリスマスの一週間前、母さんと一緒に小さなクリスマスツリーにぴかぴか光る電飾を巻きつけて玄関に飾る日を、十二月に入ってからずっと今か今かと待ちわびていた。

 だけど中学生になって、一変した。

 まず、亮平がクリスマスパーティーを開かなくなった。母さんの仕事は変わらないから、僕は一人寂しく聖夜を過ごすようになった。それと変に知識がついて、僕は僕の家が母子家庭と呼ばれ、裕福ではない部類に入ることを認識した。素直に欲しいものをねだってはいけないと思い、中一のクリスマスプレゼントは千円ちょっとで買える小説の単行本が欲しいと言った。母さんは何度も「本当にそれでいいの?」と聞いて来たけれど、僕は「いい」と言い張った。クリスマスツリーは自然と飾らなくなった。「もう中学生なんだから」。僕がそう言ったのを聞いて、母さんは「そうね」と少し寂しそうに笑った。

 そして一番変わった点として、中学生になった僕は、男なのに男の人のことを好きになっていた。

 相手は定年近い現国の先生。優しくて穏やかで知的な人。話しかけられると胸がドキドキした。褒められるとその日は一日中嬉しかった。抱かれたい。抱いて欲しい。はっきりとそう思い、そういう妄想で自分を慰めたり、そういう夢を見たりもした。

 僕は同性愛者。その自覚は、僕の感じていたクリスマスの印象を根底から覆した。

 街が、テレビが、インターネットが、ありとあらゆるものが男女カップルか両親揃った家庭のために動いていた。クリスマス当日、どうせ暇だからと街を歩いてみたけれど、ただの一枚だって男同士が幸せそうに振る舞うポスターなんて貼ってなかった。歩いている間、たくさんの幸せそうな男女カップルや家族連れとすれ違った。僕は強烈な疎外感を覚え、コートのポケットに手を突っ込んで肩を竦めながら、そそくさと家に逃げ帰った。

 僕のためのお祭りじゃない。

 素直に、そう思った。


    ◆


 高校一年生のクリスマス。

 僕には予定があった。と言っても、初めて出来た彼氏とどこかのホテルでめくるめく一夜を過ごすわけではない。亮平が「クリスマスにロンリーな奴らでカラオケに行って歌でリア充どもを呪い殺す会」をクラスで企画し、それに誘われたのだ。いや、誘われたという言い方は正確ではない。亮平が僕にかけた言葉は「やるから、よろしく」。つまり、強制連行だ。

 昼過ぎに家を出て、電車で集合場所の新宿に向かう。僕が新宿に行く時はだいたい彼氏との待ち合わせだから、何となく意識して彼氏とのやりとりで使っているフリーメールのボックスを無駄に確認してしまう。もちろん、連絡はない。当たり前だ。今日、僕の年上の彼氏は「佐々木誠」という名前で奥さんと二人の子どもを満足させるため家族サービスに励んでいる。僕の恋人、「マコトさん」になっている余裕はない。

 寂しくはある。だけど嫉妬はあまり無い。マコトさんは奥さんを愛していないと分かっているから。心ではなく、頭で繋がっていると理解しているから。だから僕は「クリスマスは一緒に居られなくて悪いね」と謝るマコトさんを、余裕をもって「いいよ。家族を大事にしてあげて」と送り出すことが出来る。

 我ながら、とんでもなく嫌な奴だと思う。

 電車が新宿に着いた。駅に降り、東口を出てアルタ前の広場に向かう。広場には既に亮平を含む大勢のクラスメイトが集まっていた。女子も結構いる。ある意味、デートをしている奴らよりリア充っぽい。

「純くん、メリークリスマース!」

 亮平が僕に飛び付き、僕の股間を揉みしだいた。もういつから始まったかも思い出せないお決まりの挨拶。亮平曰く「ちんこを揉むことで相手の体調をチェックしている」そうだ。もちろん、僕は信じていない。

「やめろって」

 亮平の頭をペシッと叩く。亮平が僕から離れ、へへへと人懐こい笑みを浮かべる。こいつ、こっちの世界に来たら若専のおじさんたちにモテまくるだろうな。そんなどうでもいいことを僕は考える。

 そのうちにメンバーが集まり、僕たちは連れ立って歌舞伎町方面に歩き出した。クリスマスだけあってさすがにカップルが多く、数人の男子が幸せそうに歩く男女とすれ違うたびに「かの者に呪いあれ」と呪詛を送っていた。彼氏持ちの僕にカップルを妬む権利はないから、黒魔術師の集団には交わらず傍観を貫く。

 手を繋いで歩く若い男二人が、僕たちの前方に現れた。

 心臓がドクンと跳ねた。ここは新宿二丁目のすぐ近くだ。こういう人たちがいても全くおかしくはない。僕はそれを理解している。

 クラスメイトたちの視線がゲイカップルに注がれる。やがて二人とすれ違った後、一人の男子が声を潜め、隣の男子に声をかけた。

「今の見た?」

「見た。新宿こえー」

 怖い。胃が、キュウと収縮する。

「あいつら、今日ヤルのかな」

「そりゃヤルだろ。主よ、快楽に溺れる我らをお許し下さい……アーッメン……」

「ギャハハハ!」

 僕は男子たちから顔を背けた。見たくない、聞きたくない。そういう想いと共に後ろを向き、そして気付く。

 ポニーテールの女子が立ち止まり、ゲイカップルをガン見している。

 ――いやいや。

 いくらなんでも見すぎだろう。失礼を通り越して不審だ。誰だっけ、あの子。あまり目立つ子じゃないし、ほとんど話したこともないから名前が出てこない。確か――

「サエー、なにしてんの?」

 僕が「三浦紗枝」という名前を思い出すのとほぼ同時に、一人の女子がポニーテールの子に声をかけた。ポニーテールの子――三浦さんが慌てて振り返り、呼びかけた女子のところへ小走りに駆け寄る。僕はゲイカップルの背中を見つめながら軽く頭を下げ、心の中で「すいません」と謝罪を告げた。


    ◆


 カラオケ屋で僕たちは、大部屋を二つ借りた。

 最初はグーパーで別れたけれど、時間が経つうちに色々と移動が起き、いつの間にか部屋は男子しかいなくなっていた。主に亮平のせいだ。性格は明るくあけすけで、バスケ部のレギュラーもやっている亮平は女にモテるけれど、男にはもっとモテる。

「なんかさ、むさ苦しくね?」

 僕が部屋の隅でデンモクを手に曲を選んでいると、亮平と同じバスケ部の仲間である小野が、部屋をぐるりと見渡してそう言い放った。そして部屋の真ん中で話をしている中山と飯田に声をかける。

「ナカやん、イイちゃん。まだ歌入れてないだろ。向こうの女子と入れ替わろうぜ」

「オッケー。誰がいい? 今宮?」

「なんで今宮なんだよ」

「そりゃ、バスケ部二人でマネージャーの取り合いをしてもらうためだよ」

 中山と飯田が含み笑いを浮かべる。小野が「あのなあ」と呆れたように呟く。するとすさかず、立って歌っていた亮平が歌を止め、マイクを持ったまま覆いかぶさるように小野に抱きついた。

「オレの本命は今宮じゃなくて小野っちでーす! 残念でしたー!」

 小野以外の男子連中がケラケラと笑う。小野は「きめえんだよ!」と亮平を振り払おうとするけれど、なかなか離れない。そのうちに中山と飯田が外に出て、代わりにバスケ部マネージャーの今宮さんと――三浦さんが部屋に入って来た。歌そっちのけで小野にしがみつく亮平に、今宮さんが尋ねる。

「高岡、なにしてんの?」

「告白。イエーイ! メリーホモリマース!」

 亮平が小野をソファに押し倒した。男子たちが「キース! キース!」と手を叩いて口づけをせがみ、亮平はそれに応えて唇を尖らせて小野に近づく。僕はみんなに合わせてへらへら笑いながら、自分自身に言い聞かせる。

 これは楽しいこと。面白いこと。

 だから笑え。

 笑い飛ばせ。

「小野っち、チュー」

「近い! 近い! マジでやめろ!」

 小野が必死に身を捩る。だけど亮平は止まらない。やがて亮平の唇と小野の唇が重なり、あちこちから悲鳴交じりの歓声が上がった。

「キメェー!」

 小野の隣の男子が自分で自分を抱きしめ、ぶるりと震えるジャスチャーをした。別の男子が大きく口を開けて俯き、吐しゃ物を吐き出すジェスチャーをした。みんな楽しそうだった。本当に、掛け値なく、心の底からこの時間を楽しんでいるいい笑顔をしていた。

 ダメだ。

 これ以上、ここに居たくない。

 僕は素早く曲を入れ、デンモクをテーブルに置いて部屋を抜け出した。ふらふらとすぐ近くのトイレに向かい、個室に入る。スマホを取り出してフリーメールのメールボックスを確認。新着メール、なし。

 ふうと息を吐き、ぼんやりと中空を見上げる。そのまましばらくぼうっとした後、意味もなく水を流して個室を後にする。洗面台で手を洗い、濡れた手で頬を叩き、トイレから外に出る。

 隣の女子トイレから出て来た三浦さんと、バッタリ遭遇した。

「あ、安藤くん」

 声をかけられる。彼女が僕の苗字を覚えていることに、ひどく違和感を覚えた。

「トイレだったんだ。いきなりいなくなったから、隣の部屋に行ったのかと思った」

「ごめん。我慢できなくて」

 僕はわざとらしく腹をさすった。三浦さんは特に気にすることなく、僕たちが借りた部屋を眺めて呟く。

「それにしてもすごいね、あの部屋。女子禁制って感じ」

「……まだやってるの?」

「歌う小野くんに高岡くんがパンツ一枚で絡みまくってる。女子はこんなところに居ちゃダメだって、追い出されちゃった」

 三浦さんがはーと溜息をついた。何だか残念そうだ。よく分からない子。

「ごめんね。変なもの見せて」

 自然と、皮肉っぽく唇の端が釣り上がった。

「ああいうのってネタにしているうちはいいけど、生で見るとキツイよね。来る時すれ違ったゲイカップルもそうだけど、場所を弁えて欲しいよ」

 固い床に言葉を吐き捨てる。自分は彼らとは違う。そう主張するため、自分を護るために仲間を売る。すっかり身体に染み付いた汚い生き方。

 三浦さんはきょとんと目を丸くしていた。首を傾げ、口を開く。

「そうかな。わたしは、あのカップル――」

 三浦さんが目を細め、どこか恥ずかしそうにはにかんだ。


「素敵だなー、って思ったけど」


 バン!

 三浦さんの言葉が、僕のいたカラオケ部屋のドアが勢いよく開く音に遮られた。中から出て来たのは、小野。着ているシャツをよれよれにした小野が、部屋の中に向かって大声で悪態をつく。

「つきあってられっか!」

 小野が隣の部屋に逃げ込んだ。三浦さんがやれやれと肩を竦め、小野が逃げ込んだ部屋に入る。僕は小野が出て来た部屋に入る。聞き覚えのある曲のAメロが流れる中、ついにパンツも脱ぎ捨てて全裸になった亮平が僕に抱きついて来た。

「純くーん、小野っちにフラれたー。なぐさめてー」

「うん、分かったから離して。これ、僕の歌だから」

「え、マジで? これ、洋楽だぜ」

「マジで」

 亮平を振り払い、マイクを手に取る。部屋が、世界が、僕を拒絶して盛り上がっている中、救いを求めるように入れた歌。僕と同じように同性を愛していた彼が、僕と同じように年に一度のお祭り騒ぎからつま弾きにされていたはずの彼が、それでも力強く歌い上げたクリスマスの歌。

 すうと深く息を吸う。敬愛する彼の歌をきちんと歌いあげるために。お腹の底から声を出して、ほんの少しでも、僕の存在を神様に認めさせるために。


 僕はここにいる。

 ここにいる。

 ここにいるんだ。


 口をめいっぱい開く。魂から絞り出した声が、まるで爆弾を爆発させたみたいに、世界をビリビリと揺らした。


    ◆


 夕方前、僕たちは解散した。

 それぞれがそれぞれの帰路につき、一人、また一人と別れを告げて離れていく。すぐ近くに住んでいる僕と亮平は、最後の最後まで別れない。二人で地元の駅を降り、肩を並べてすっかり暗くなった住宅街を歩く。

「いやー、にしても今日は盛り上がったなー」

「そうだね」

「そういや純くん、洋楽とか歌うのな。ビビったわ。誰のなんて曲だったっけ」

「QUEENの『サンク・ゴッド・イッツ・クリスマス』」

「ふーん。聞いたことねえや」

 亮平が夜空を見上げ、白い息と共に言葉を吐き出した。

「でもあれ歌ってる時の純くん、すげーカッコ良かったよ。なんか分からないけど、感動した」

 僕は驚きに目を見開いた。亮平は知らない。QUEENのボーカル、フレディ・マーキュリーが同性を愛していたことを知らない。僕が同性愛者であることを知らない。歌詞の意味だって分からなかっただろう。それでも、僕の叫びに心動かされた。

 亮平がゆっくり僕の方を向いた。そしてニッと口角を上げて白い歯を見せる。

「少しは元気出た?」

「え?」

「純くん、今日、ヘコんでただろ」

「……どうしてそう思う?」

「ちんこがそう言ってた」

 マジかよ。僕は反射的に股間を抑えた。亮平がカラカラと愉快そうに笑う。そうこうしているうちに、亮平と道が分かれる分岐路にさしかかった。

「じゃあ、またな! 良いお年を!」

 明るく別れを告げ、亮平が僕から離れる。僕はひらひらと亮平に手を振り、踵を返して歩く。もしかしてアイツ、クリスマスはいつも一人な僕のことを気にかけて、こんなイベントを企画したのかな。そんな自惚れたことを考えて、少し気恥ずかしくなる。

 コートのポケットが、小さく震えた。

 震えの元のスマホを取り出す。フリーメールに新着。僕はピタリと立ち止まり、心臓を高鳴らせながらメールボックスを開いた。見覚えのある送信者名と、今日、街の至るところで見かけたフレーズを記した件名が目に入る。送信時刻が十八時ぴったりだから、おそらく予約送信だろう。


 『Merry Christmas!』


 メールを開く。どこかのギフトメール送信サービスを使った、アニメーションで動くサンタクロースやモミの木が散りばめられたデコレーションメール。メール本文は「これからもよろしく」。なんて手のかかっていないメッセージ。

 こんなもので「クリスマスも悪くない」なんて思っているんだから、僕は本当にどうかしている。

 スマホをポケットにしまい歩き出す。鼻歌なんかを歌いながら上機嫌に足を進める。ありがとう、神様。そう思いながら見上げる夜空の星は、心なしか、いつもよりもまばゆく輝いているように見えた。

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