これでもかと描き込まれる喜怒哀楽──これぞ時代小説の真骨頂

大きな、でも九牛の一毛に過ぎない歴史の流れを扱う歴史小説に対し、
そこから零れ落ちる等身大の人間を描くのが時代小説と考えています。

歴史小説では人間を群体として扱い、時代小説では個体として扱う、
と言ってもいいかも知れません。


新撰組を扱った小説は浅田次郎『壬生義士伝』、『輪違屋糸里』、
『一刀斎夢録』の一連の作品でお腹いっぱいの感がありましたが、
本作は新たな要素として妖を取り入れることにより、一回り下の
年代にも読みやすく仕上げられています。

妖を取り入れた効果は顕著で、まずもって戦いがハデ。

脳裏に描きやすい言葉を巧みに選び、異能力者が犇めくマンガを
見慣れた人にも訴求するレベルです。

加えて、藤田和日郎『うしおととら』の獣の槍と同じく、絶大な力の
代償に人性を喪失する制約を加えることで覚悟を、変貌する造形での
戦いにより獣性を、強烈に印象づける効果を生んでいます。

覚悟はその人が戦う理由をも浮き彫りにしますから、
人物造形にも好影響を与えています。

そう捉えると、青い環のリスクをさらに顕在化させる方が凄惨な
覚悟を演出する上では効果的であったのかも知れません。

しかし、それを補って余りあるのが人物造形の緻密さと会話の上手さ、
これは他の方々が幾重にも強調されているので贅言しません。


ここまで濃密に人の喜怒哀楽を描いた小説を読むのは久々でした。
また、歴史小説と時代小説は別物と痛感させてくれる一作です。
いやあ、時代小説ってホントにいいものですね。

ここまで時代小説に徹されると、逆に作者の筆で勝麟太郎を描いた
「歴史小説」も読んでみたいと強く思わされますね。

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