北嶋勇の心霊事件簿7~獣の王~

しをおう

旅館の美女

「あ~…こんな遠くまで除霊依頼とはな~……」

 北嶋さんがBMWの助手席でブツブツぼやいていた。

「文句言わない。北嶋さんを頼って来ているんだから」

 北嶋さんを叱咤したが、心では躍っていた。

 今回の依頼は温泉旅館。

 それも紅葉シーズンも重なって、なかなか予約が取れない老舗の旅館からの依頼。

 温泉嫌いな女子なんているのだろうか?と、思う程、私は温泉が大好きだ。

 広い湯船に浸かりながら紅く染まっている木々を見る…

 この世にこれ程の贅沢があるのだろうか?顔が緩むのは仕方ない事じゃないだろうか?

「つっても、これご褒美扱いにしようとしたよな?まさか神崎の趣味で選んだ仕事じゃないだろうな?そして早く行きたいが為に、ヤクザモンの案件の直ぐ後に出発したんじゃねーだろうな?」

 心臓の鼓動が高鳴る。何で解るんだ?

「馬鹿言わないでよ。私が…」

 言い訳を考えながら話そうとしていたその時に、北嶋さんが口を挟んだ。

「いくら俺と一緒に風呂入りたいからって言ってもさぁ、遠過ぎるだろ。風呂なら家でもごおっ?」

 北嶋さんの鼻に裏拳を入れた。

「混浴はあっても入らないと言ったでしょ!!」

 北嶋さんは鼻を押さえて屈んだ。

 鼻血は出ていない。車内が鼻血で汚れなくて、胸を撫で下ろした。

「いてててて…じゃあ、部屋は同じぐあっ!?」

 再び裏拳を叩き込み、黙らせる。

「毎度毎度同じ事を…部屋は別々!!当然お布団も別々!!」

 屈んだ状態で鼻を押さえている北嶋さんだが、やはり鼻血は出ていない。

「裏拳は鼻血が出難いみたいね」

「実験すんなっ!!イテーから!!」

 苦情を言う余裕もある。

 裏拳は北嶋さんにダメージを与えられないのかと思い、手を握ったり緩めたりして、握力の確認をする。

「何故パンチの準備をする…」

 北嶋さんが怯えながら私を見た。

「そんなつもりじゃないよ。ただ確認しているだけ」

「俺を殴る確認か?」

 やはり怯える北嶋さん。

「だから、違うってば」

 散々殴られ、鼻血を流してトラウマになっている感がある北嶋さんが捲くし立てる。

「嘘だ!!神崎は俺を虐待する事が至上の喜びなんだ!!何もしていない俺を、自分の気分の儘殴り付け、鼻血を流して痛がる俺の様を見て喜んでいるサディストなんだ!!神崎の憂さ晴らしに俺を利用ぐはあっ!!」

「違うって言ってんでしょっ!! 」

 あまり煩いので、ついつい裏拳を放ってしまった。

 北嶋さんは遂にBMWを鼻血で汚した。やはり裏拳も効果があるようだ。

「お掃除しておきなさいよね!!」

「俺がかよ…純粋な被害者なのに…はぁぁぁ~あ…」

 濡れティッシュで車内に零した鼻血を拭き取る北嶋さん。そうこうしている内に目的の旅館に着いた。

「着いたわ」

 ブレーキを踏む。

「ぎゃっ!!」

 屈んでいた北嶋さんに慣性が働き、ダッシュボードに頭をぶつけた。

「何してんのよ……」

 疲れが顔に出た。そのくらい踏ん張りなさいよ。こんな所でダメージを負うとか。どんな敵と戦っても傷一つ負わないと言うのに。

「不可抗力でダメージを受けても俺のせいかよ……」

 ブツブツ言いながら車のドアを開けた。私もそれに続いて車から降りる。

「老舗って感じ出ているわね…」

 その旅館は山腹にあり、今は色付いた木々に囲まれている静閑な佇まい。

 遠くに見える湯気が露天風呂の存在を匂わせる。独特の硫黄の匂いもきつくはない。

「へぇ?なかなか立派だな?」

 北嶋さんも顔が綻んでいる。

「でも…居るわ…」

 旅館から微量ながら妖気を感じる。押さえているのか、それともその程度なのか…

 いずれにせよ、旅館に入らないと解らない。

「ごめんください」

 カラカラと玄関を開け、気を感じ取る。

 居る…動物の臭い…狐?

 キョロキョロと周りを見る。

「ようこそいらっしゃいました」

 奥から仲居さんと思しき女の人が、しずしずと私達に近寄って来て正座をし、頭を下げた。

「うおっ!?可愛いな!!ちゃんとお辞儀できるのか!!」

 北嶋さんが何の遠慮も無しに仲居さんを口説き始めた。

 そんな北嶋さんの足を思いっきり踏む。

「ぎゃあ!!」

 北嶋さんは足を持ってケンケンしながらクルクルと回った。

「申し訳ありません!!依頼を受けた北嶋心霊探偵事務所ですが…」

 相変わらず回っている北嶋さんの頭を押さえてお辞儀させ、私も一緒にお辞儀をする。

「あ、はい。承っています」

 顔を上げた女の人は、私と変わらないような歳。

 雪のように白い肌…多少きつめの目…だが大きい瞳…

 長い黒髪を三つ編み一本に束ねて、きちんと整えて清潔感もある。

 凄い可愛い女の人だった。

 仲居さんは再び奥に下がって行った。女将さんか旦那さんを呼びに行ったのだろう。

 その隙に北嶋さんを睨み付ける。

「所構わず口説くのはやめてよ!!」

 北嶋さんは本当にキョトンとして私を見ている。

「な、何よ…?」

 見られて何か恥ずかしくなった私は身体を硬くした。

「神崎は可愛いとは思わなかったのか?」

 これまた本当にキョトンとしながら聞いてくる。

「可愛いけど…それが何なの!?」

 声を荒げる私に怯んだ北嶋さん。なんだそのへっぴり腰?

「か、可愛いならいいんだ」

 北嶋さんが頭を掻きながら首を捻っていた。何が気に入らないんだ?

「そんなに気に入ったなら、連れて帰れば!?」

 あ~…嫌!!こんな自分凄く嫌!!言いたくないのに口から出てしまうこんな自分が本当に嫌!!

「くれるんなら貰って帰るけど…何か変だぞ神崎?」

 顔がカーッと赤くなり、奥歯を強く噛み締めた。

 パンチを叩き込もうとしたその時、女将さんが私達の前に現れて、静かにお辞儀をする。

「お待たせ致しました。遠路遙々申し訳ありません。女将の山田で御座います。」

 私達もお辞儀を返す。

 北嶋さんが凄い小声で…

「ものスゲー厚化粧だな。ぬりかべか」

 そう言えば、依頼は妖怪退治だなぁ、と失礼にもそう思った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 女将に案内されて、奥座敷に連れて来られた俺達。

 出された茶と菓子に手を付ける俺を、神崎がジーッと見ている。

 神崎が何かおかしい。

 あいつを可愛いと認めながら、何故か機嫌が悪い。

 取り敢えずご機嫌伺いの為に、神崎に菓子を進める。

「要らないわ。それよりお話を聞きましょう」

 プイッとそっぽを向き、女将に話をするように促す。

 まぁ、確かに俺達は依頼を請けて来た訳だし、話を聞くのが当たり前だ。神崎の機嫌が悪いのは置いておこう。

「実は…半年程前から、この旅館に化け物が現れまして…」

 女将が困ったような、怖がっているような顔をして語り出す。

 半年程前に、ハイキングに出掛けた客が慌てて旅館に逃げ戻り、化け物に荷物を取られた、と喚いた事から始まり、渓流釣りに来た客が川に引き摺り込まれそうになったり、露天風呂に浸かっていた女の客の頭を押さえて溺死させようとしたり等々。

「まだ死人は出ていませんが、いずれこのままでは…」

 女将は顔を押さえて泣く寸前だった。

 どれだけ厚化粧か解らんが、化粧にヒビ入っていて、ポロポロと零れそうになっている。

 少しオーバーだが、それだけ厚化粧だと言いたいだけだ。

「神崎、視えるか?」

 俺に促されるまでも無く、神崎は話を聞きながら既に視ていた。時折、鼻をヒクヒクさせながら。

 いい!!

 やっぱり集中している神崎はいいなぁ!!

 こう、なんつーか、凛とした表情がいい!!

 それだけじゃないぞ?

 神崎は飯を作っている時の後ろ姿がグッとくるのだ。

 思わず抱き締めたくなり、何度か背後に立った事があるが、悉くグーを喰らって未だ抱き締めた事は無いが。

 それだけじゃないぞ?

 風呂の曇りガラスの向こうに見えるシルエットがまたいい。

 シャワワワ~…とかシャワーの音が聞こえて来ると、視覚と聴覚でご飯が二杯食える。

 更に風呂上がりに漂う石鹸とシャンプーの匂いで、視覚と聴覚と嗅覚でご飯おわかり自由になるのだ。

 思春期な奴等なら、気持ちが解るだろう?

 フハハ!羨ましいだろう?

 だが神崎はやらん。

 俺の女だから誰にもやらん!!つかオカズにもしてはいかん!!


 スパーン!!!


「ぐあ!?」

 ニタニタしている俺にビンタして、あちら側から呼び戻す神崎。

「狐よ。それもかなり厄介な奴かも…」

 俺にビンタしながらも真剣な顔の神崎。

 この表情でご飯が食える俺はやはり神崎に惚れているのだ。

 つか…

「狐?え?それ本当か?」

 あちら側から戻ってくる、対価の頬の痛みを気にして聞いてみる。

「蘇ったばかり?いや、蘇ってから二十年は経過しているかも」

 二十年経過した狐とな?じゃあ、違うか。

「そいつは何故悪さをする?」

 やけに険しい顔の神崎。相当ヤバイ奴なのが窺える。

「あの狐は獣の王の1人…金毛白面の大妖、九尾の狐よ」

 獣の王とはご大層な奴だな。つか獣なのに1人って。

「そんなにヤベー奴なのか?」

 神崎はゆっくり頷く。頬から汗かツーっと流れていた。

殷周革命いんしゅうかくめいのひき金となった、殷の王の妃、妲己。南天竺耶竭陀国みなみてんじくまがだくにの王子、班足太子はんぞくたいしの妃の華陽夫人の時は仏教を迫害して僧侶千人を柵の中にいれ、獅子に食い殺させたわ…そして、いよいよ日本に来て、玉藻の前という官女になり、鳥羽法皇に近付いて宮廷を乱したの」

 あー、何か聞いた事あるな。

 中国で国一つ滅ぼして、インドで滅茶苦茶暴れて、日本に逃げて来たっつー話だったよーな。

 俺は取り敢えず相槌を打ちながら聞いていた。

 普通に折檻して終わりならいいけど、生き物をぶっ殺すのは多少気が引けるなぁ、とか思いながら。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 以前師匠がお話して下さった事を思い出す。

 師匠が若かりし頃、復活した金毛九尾狐を封じた事があると。

 元々九尾の狐は天下太平の時に出現して、瑞祥ずいしょう(おめでたい事が起こるという前兆)を表す神獣だった。

 その九尾の狐が何故悪役になったかは不明だが、師匠は『御言葉』に従い、復活したばかりの金毛九尾狐を封じ込めたのだが…

「当時のワシは本当に未熟でなぁ。封じた石が殺生石になってしまって、慌てて封印を組み直している最中に逃げられたんじゃわ」

 そう口惜しそうに言っていたのを覚えている。

 だが、深手を負わせたのは事実だから、当分姿は現さないとも言っていた。

 殺生石とは、金毛九尾狐の念が取り憑いた石で、人間は勿論の事、空を飛ぶ鳥、地を駈ける獣まで、近付き触れた者は命を失うという強烈な毒気を発する石だ。

 師匠が封じた石が殺生石化したのも事実だが、当時の師匠の力量が窺がえる話でもある。

 逃げられたとは言え、獣の王を一度封じたのだから。

「師匠の無念のリベンジよ。北嶋さん!!気合い入れましょう!!」

 若かりし頃の師匠を超えるチャンスが来た…

 私の握った拳の中は汗ばんでいた。

「ま、待って下さい!狐じゃありません!何か別の化け物な筈です!」

 女将が狐を否定する。

「何故そう思われますか?」

「お客様達が見たのは、骨だけの人間とか、河童みたいな化け物なんですよ!!」

 ゾクッとした。

「それは金毛九尾狐の手下達です!何て事…金毛九尾狐はある程度力が回復するまで、手下達を集めて表には出てなかったんだわ…」

 つまり、師匠に深手を負わされた金毛九尾狐は、そのまま傷を癒やして動かなかった。

 そして二十年程前に、多少動ける程の力を蓄えた金毛九尾狐は、かつての自分の部下達を集め始めた。この山奥の旅館を本拠地として。

「じ、じゃあ、化け物は…」

「多種多様な妖…そして数ですが、100は超えるかと…」

 真っ青になる女将…震えてくる私…

 その時、お菓子ばかり食べている北嶋さんが口を開く。

「百だろうが千だろうが、来たらぶっ潰すだけだ。気にすんな女将さん。そんな小さい事よりも旅の疲れを取りたいんだがな」

 温泉に入りたいアピールをする北嶋さんに、場の緊張感が一瞬で無くなったのは言うまでもない。

 女将さんはなにか納得してないような表情をしながらも、私達にお部屋を用意し、温泉に案内してくれた。

「大丈夫ですから。北嶋さんは誤解を受けやすいんですが、仕事はキッチリこなしますから」

 実際北嶋さんの依頼達成率は100パーセント。他の霊能者が匙を投げ出した案件すらも、容易に片付けている。

「え?ええ、勿論信頼はしておりますから…」

 恭しく頭を下げながらぎこちない笑顔を作る女将さんだが、そう言う類の笑顔は慣れている。

 やはりファーストコンタクトでの北嶋さんは評価が著しく低いのだ。

 一度でも北嶋さんの力を見たならば評価は格段に上がるから、特に心配はいらないけども。

「見ていて下さい。どんな大妖であろうとも、北嶋さんの敵には成り得ません」

 自信たっぷりの私に、やはりぎこちない笑顔を向ける女将さんだった。まあ、気持ちは解る。痛い程。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 全く、接客のプロなら、お客に作り笑顔を見破られないようにして貰いたいものだ。

 まあ、なにか女将が怪訝な表情をしていたのは、この際構わない。

 構わないが、神崎とやはり違う部屋ってのが黒い陰謀を感じる。

 俺の推理では、神崎がそのように手配したと見た。

 あれは俺の身体でもあるってのに!!

 と、いつものボヤキは置いといて、だ。

 せっかく温泉旅館に来たのだから、やはり温泉に浸からなければなるまい。

 老舗の有名店ゆえお客も多いが、まぁ紅葉シーズンだから仕方ない。

 寧ろ化け物騒ぎの中、これ程の集客数は天晴れと言った所か。

 それでも、例年よりも集客数は落ちているらしい。不況と化け物騒ぎが重なり、お客は減ったとの事だ。

 だから俺達に別々の部屋を充てがえたとも言える。

 つまり不況と化け物騒ぎがなければ、神崎と同室になっていた可能性がある訳だ。

 しかし同時に、化け物騒ぎが起きなければ、俺達はここには来ていない訳だ。

 何やら惜しかったような、関係無いような、複雑な心境だ。

 まぁ、考えても知恵熱が出そうになるだけだ。

 俺は取り敢えず温泉を満喫する事にした。

 そして俺は根っからの貧乏性だと確信した。

 老舗の有名店の温泉がタダで入れるならば、と、長時間無理やり入浴した俺は…

 見事にのぼせたのだ。

 神崎に殴られていないにも関わらず、鼻血をポタポタと流しながら、ぶっ倒れてしまったのだ。

 ちくしょう!!貧乏性が憎い!!これも全て神崎が給料上げてくれないからだ!!

 まぁ、ボヤキは置いといて、そんな訳で、俺はすっ裸になりながら脱衣場で扇風機に当たりながら身体を冷ましている状態だ。

 ぶっ倒れた俺にビビったオッサン達が、俺を外まで運んでくれたのだ。

 更には別のオッサンは俺にスポーツドリンクを差し入れてくれた。

 う~ん、嬉しきかな人々の情。

 このオッサン達の情に報いる為にも、俺はこの旅館に潜伏しているであろう狐をぶち倒さなければならない。

 万が一、オッサン達が狐とその手下に殺されるのを阻止する為に。

 久しぶりにやる気の動機が不純じゃない。

 どうだ?少しは見直したか?

「ふはははははははははははははははははは!!!」

 俺は全裸で扇風機に当たりながら高笑いした。

 オッサン達が再びビビったのは言うまでも無い。


 のぼせがある程度復活した俺は、散歩がてら山の遊歩道を歩く。

 紅葉シーズンだから客が多いのは仕方ないが、俺は特に紅葉を愛でる美しい心など無い。

 俺が見るのは、もっぱら可愛いネーチャンとか、美人のネーチャンとかだ。

 お?遊歩道にさっき俺達を出迎えたあいつが歩いているのを発見!!

 俺はすこぶるあいつが気に入ったので、ダッシュで近付く。

「散歩か?」

 いきなり声を掛けられでビックリしたのか、俺を見て『うわっ』ってな感じの表情をする。

 可愛いなぁ…

 抱きたいなぁ…

 怒られるかなぁ…

 そう思いながら、俺はこいつの頭をポムポムと叩いた。

 そいつは嬉しそうなのか、困っているのか、よく解らない表情をして固まっている。

 やっぱり少し脅かし過ぎたな?反省している俺の後頭部がスパ~ン!と良い音と共に痛み出す。

「なんだ神崎か。誰かと思ったぜ」

 知らない奴がスパ~ンとやったら仕返しするつもりだったが、神崎なら仕方ない。

「北嶋さんっ!!一体何やってんのよ!!」

 神崎が怒り心頭で俺の胸ぐらを掴む。

「えええっ!?な、何怒ってんだ!?」

 いきなりぶっ叩くのは良しとして、いや、良くない。良くないが棚上げにしておくとして、何でこんなに怒っているのか意味が解らん!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 鳩が豆鉄砲喰らったような顔でキョトンとしていた北嶋さんに本当に苛立った。

 確かに女の子にチョッカイ出すけど、こうも、あからさまに手を出すとは…!!

「何すっとぼけてんのよっ!!」

 胸座を掴んでいる両腕に力を入れ、激しく揺さぶる。

「なななななななぁぁぁ!!何すんだぁぁぁ!!脳が揺れるぅぅぅ!!パンチドランカーみたいになるぅぅぅ!!」

 北嶋さんがガクガクしながら止めようとして私の腕を掴む。

「触らないでよ変態!!」

 その手を力いっぱい叩く。

「いてて…どうしたんだ神崎?この旅館に着いてからおかしいぞ?」

「おかしいのは北嶋さんでしょう!!」

 周りなど気にせずに力いっぱい叫んだ。

「あ、あの、もうそれくらいで…」

 我に返って声の人をバツが悪そうに見る。

 北嶋さんに頭を撫でられて困っていた女の人…

 私達が旅館に着いて、私達を女将さんに繋いでくれた仲居さんが、心配そうに見ていた。

「本当にごめんなさいっ!!」

 北嶋さんの頭を手で下に押さえ付け、私も一緒に頭を下げた。

「い、いえ。いいんです。殿方に言い寄られるのは慣れていますから。もっとも、頭を撫でられたのは初めてですけど」

 恐る恐る顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、仲居さんの美しい笑顔。

 殿方に言い寄られるのは慣れていると言ったのは決して自惚れじゃない、見る男の人全てを魅了する笑顔…

 更に漂ってくる香水が、もっと嗅ぎたくなるような媚薬みたいだ。

「本当にごめんなさい。私、先程も申し上げました、北嶋心霊探偵事務所の神崎です」

 右手を差し出し、握手を求める。

「あの旅館でお世話になっている、玉諏佐たまずさ 美優みゆうです。どうぞよろしく」

 私と玉諏佐さんが握手をしているのを、遠巻きに見ている男の人達がボーッと見ている中、北嶋さんだけはおかしな、と言うか間抜けな顔で、ボーっと見ていた。

「そちらの方が所長さんの?」

 北嶋さんにニッコリ微笑みながら近付く玉諏佐さん。

 北嶋さんはじーっと玉諏佐さんを見つめている。

「北嶋さん!何とか言いなさいよ!!謝罪とか!!」

 肘でコツコツと北嶋さんを小突く。

「謝罪?意味解んねーよ?頭撫でる事がそんなに悪い事なのか?」

 北嶋さんが本当に悪びれもせずに言い放つ。

「し、失礼だとは思わない訳!?」

「可愛いから頭撫でた。失礼?コレ?」

 再びムカムカし始める私。

 節操が無いとは、いつも思ってはいたが、これ程自分勝手な自己中な人だったとは!!

「世界中の女の子が自分に気があるとか思わないでよね!!」

 拳を振りかざした瞬間、北嶋さんが拳の間合いまで届かない位置まで後退った。真顔で。

「神崎?やっぱり変だぞ?何をそうカリカリしている?」

 自分が変なのは認めず、私を変と言うなんて…

 拳を下ろして玉諏佐さんの背中に手を回し、北嶋さんを置いて二人で歩き出した。

「あ、あの、所長さんは…?」

 玉諏佐さんが北嶋さんに気を遣う。

「いいんです。それより、少しお話よろしいですか?」

 後ろを気にしながら玉諏佐さんから被害情報を聞き出す事にした。

 北嶋さんは首を捻り、捻り、捻り、捻り、捻り、捻り、捻り…もの凄く納得できないような素振りで後を付いて来ている。

「ええ。私が此方にお世話になったのは4月からなんですが、6月の始め頃にお客様がこの遊歩道で迷いまして…」

 この遊歩道で迷った…確かに山沿いにある獣道を利用したような遊歩道だが、それなりに手入れはしてある。

 更に手摺りもあり、危険は場所には立ち入り出来ないよう、柵も張ってある。

 観光地故に人通りも多いのだが、これで迷うなんて…

「当時は神隠しにあったと、やたら騒がれました」

 少しはにかみながら話す玉諏佐さん。その表情が愉快そうに見えるのは気のせいだろうか?

「結局は、そのお客様は山の反対側の廃屋で発見されました。衰弱していましたから、そのまま病院へ…」

「良く言う『化かされた』ってヤツですか?」

 私の質問に玉諏佐さんはゆっくりと頷いた。

「廃墟で発見された時、お客様は欠けたお茶碗と割れたお碗に草や土を盛り、愉快そうに笑っていたらしいです」

 典型的な化かされ方だ。

 昔から狐、あるいは狸に化かされた例の中でもよく聞く。

 しかし、金毛九尾狐ともあろう大妖が、その程度の愉快犯みたいな事で喜んでいるのだろうか?

 妲己の時は酒池肉林を作り淫蕩いんとうの限りを尽くし、諌言かんげんする臣下達を焼き殺し、楽しんだ。

 華陽夫人の時は近隣国の百人の首をねだったりした。

 アジア全域を股にかける大妖…

 子供だましの化かし方で満足する訳がない。

 私が唸りながら考えていると、玉諏佐さんが申し訳なさそうに言ってくる。

「そろそろ御暇おいとましてよろしいでしょうか?お使いの途中なので…」

 仕事中に引き留めたのはこっちなので、それは申し訳ありませんんと謝罪して、お礼を言って別れた。

 北嶋さんは未だに怪訝な表情をしながら私達を交互に見ていた。

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