古の大妖
「あー寒いー!!あー眠いー!!」
温泉で温まった身体を秋の夜風が容赦なく襲う。
湯冷めして風邪引いたら労災扱いにしてやるからな。
「私も寒いんだから文句言わない」
とか言いながら神崎はデニムにスニーカー、更にはダウンジャケットという、昼に見せたミニスカートにカーディガンを遥かに凌駕する厚着をしていた。
「俺は寒いんだよ!神崎、ピトッとかくっ付けよ。ピトッとか!」
「心配しなくて、動けば温かくなるって」
そろそろと神崎に寄っていく俺だが、神崎は見事なフットワークを見せて俺を寄せ付けない。
秋の夜の寒空、付かず離れずで歩く俺達は恋人同士には絶対見えないだろう。
ピトッとかあれば、俺もテンション上がるんだがなぁ。
とかブツブツ言っていると、遊歩道入り口まで来た神崎の足が止まる。
「ビンゴね」
薄く笑って印を組む神崎。
「さっき言った通りだったか…」
俺は部屋での神崎の話を思い出す。
遊歩道の止まりの山側の方に何らかの地場を感じた神崎。
今日の調査でそれがはっきりと確証できたと言う。
何でも、俺がぶった斬る刹那、一匹の妖がヒントを通り越して答えを言ったらしい。
──巣にはまだまだ沢山の仲間がいる!行って殺されて来い!行き止まりにそれはある!!
これは罠か、それとも仲間に仇を討って貰おうとかの魂胆なのか暫く悩んだと。
だが、神崎が動いたのは、他からの情報も照らし合わせたからだ。
元々、新しい都市伝説から産まれた妖は、以前から居た妖とは折り合いが悪いらしい。
新しい妖の中でも、もう凄い有名になった妖は、古いが、忘れ去られた妖よりも強いからだ。
年功序列の感がある巣の中では、こう言ったいざこざが多々あるんだろう。
多分こいつは他の妖怪もぶっ殺せと言ったのだと。自分だけ殺されたんじゃ堪らんから道連れに、って浅ましい考えで。
なのでその情報を信用して動いたのだが、それが見事に当たったって事だ。
「北嶋さん。こいつ等は任せて。後ろに居る真打ちを頼むわ」
神崎が術を発動させる。
「誘いの手!!」
俺にはさっぱり見えないから解らないが、何でも地獄の入り口から腕が伸びて、亡者や魍魎を地獄に引っ張り込む技らしい。
桐生っていう神崎の同門が得意としている技だ。
ちなみに桐生は神崎より小さくて細身で、アイドル顔負けのプリティーな顔をしている。
あの顔で『北嶋さん…』とか瞳を潤ませて言われた日にゃ、もう!!
俺がデレデレしている最中、神崎が印を解く。どうやら、あらかた地獄行きにしたようだ。
神崎がサラサラと絵を描き、俺に渡す。
「誘いの手で、一匹を残して全て地獄送りにしたわ。残りはそいつ。私がヤバいと思ったら、乱入してもいいからね」
神崎はニコッと笑いながら俺の胸に頭を埋めて来た…
埋めて来たではないか!!
おおおぃ!これこれ!恋人同士のシチュエーション!
紙を持っている手まで、そっと握ってくれているぜ!
ヤッホー俺!!やったぜ俺!!
万歳!!万歳!!万歳!!万歳!!ばんざぁいいいぃぃぃ!!!
ん?
「私がヤバいと思ったら?」
神崎がスッと離れる。
「後ろの大将は北嶋さんに任せるわ。だけど、残りは全て私が倒す」
てっきり俺がやるもんだと思った。だから絵を描いて渡したんだと。
つまり、結構ヤバいヤツな筈だが…
俺が口を開く前に神崎の方から先に発した。
「まぁ、何とか頑張るわ。ちょっとそこで見ていてね」
神崎は軽く手を振りながら、遊歩道の入り口を険しい目で睨んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
──てっきりあの男が向かってくるかと思ったが、女…貴様が先に死にたい訳だな?
その圧倒的な妖気に、私の身体は下がりそうになる。
だけど、私は踏み留まる。
「大百足…平安の時代に居た、山を七巻き半する巨大な百足ね」
平安時代、俵 藤太が近江国の勢田の唐橋を渡ろうとした。
この橋の真ん中に大蛇が横たわり、人々は皆恐れ渡れずにいたところ、藤太は蛇の背中を踏み付けて渡った。
実は大蛇は琵琶湖に住む龍神であり、三上山に棲む宿敵の大百足を倒す者を捜していた。この地を脅かす恐ろしい敵がいるので退治して欲しい、と。
藤太がそれを引き受けて山に向かうと、大松を二列に2~3千本も灯した何者かがやってきた。
藤太は二度矢を放ったが通じず、三度目の矢に唾を塗り、八幡大菩薩に祈ってから放つと、それでようやく倒した。
倒れた大百足を調べてみると、2~3千本の大松の灯りに見えたのは大百足の足だった。
そこから山を七巻き半巻く程の巨大さと言われたのだ。
大百足は毘沙門天の使いとみなされる事もある。
狐も稲荷信仰で神格化されている存在。
つまり、この大百足は白面金毛九尾狐と同等の実力を持っていると見做していい。
──細い女を叩き潰すのは俺の流儀では無いが、向かって来るのなら仕方ない
大百足は巨大な顎をギチギチと鳴らしながら私に近付いてくる。
龍にも恐れられた古の大妖…!!
私は今日…師匠を、少なくとも、九尾を封じた時の師匠を越える!!
私の願いはただ一つ…
史上最強、前代未聞の霊能者、北嶋 勇に並ぶ事だから!!
その為には、こんな百足に手間取ってはいられない。
懐から海神様から戴いた、お清めの塩を取り、自らの身体に振り掛ける。
──む?その塩、そこいらの清めの塩とは訳が違うな?
「直々に戴いたお清めよ。少なくとも、あなたの術は通さないわ」
──ならば直接食いちぎるだけよ!!
まあそうなるだろうな。術が通じないと言うのなら。
大百足はもの凄いスピードで向かってきた。こんなのと真っ向から勝負はできない。
「浄化の炎!!」
大百足の前に、悪しき存在を灼く炎を喚ぶ。
──む?
一瞬立ち止まるも、さほど脅威がないと見切ったか、大百足は構わずに火を跨いでやって来た。
「予測済み!!」
印を組み替え、両腕を広げる。
浄化の炎が大百足の巨躯を取り囲むように広がった。さながら炎の壁のように!!
──ほう?なかなかの術だが…その程度では俺は止まらんぞ?
確かに捕らえるにしては火力が足りない。一点に集めた炎を広げているだけだから。
だが…!!
「それはほんの足止めよ!!」
氷獄の檻と同様に集中力を必要とする術の発動の為に、一度動きを封じただけ。
集中する私だが、それに比例して炎の壁の高さが徐々に低くなってくる。炎に割く霊力が少なくなった証拠だ。
──つまらんな…まぁ、低く成らずとも、この程度の炎…
大百足は力任せに、炎の壁を突破しょうと前に進む。タンパク質が焦げた嫌な臭いが広まるも、大百足は全く意にも介していない。
脅威と言えば脅威だが、大雑把な力技と思えば…いや、充分脅威か。いつも規格外の人を見ているから感覚が麻痺しちゃったのかも。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
む?この炎は我等闇の化生を焼き尽くす程の熱を持っておるな。
だが、それは並も妖に対して。俺のような巨躯を焼き尽くす程の火力は無い。
何やら女は、次に繋げる為に炎の壁を作ったようだ。
女が集中し出した途端、炎の壁の高さが徐々に下がって来ておるのが証拠。
この儘待っても難なく脱出は可能だが、それではあまり面白くないな。
どれ、少しばかり、俺の恐ろしさを見せつけてから食い千切ってやろうか。
無理やり炎の壁の突破する選択を取る。
俺の外皮が多少焦げ付く程度の炎だ。
せめて最初の炎ならば、俺の足一本は消滅出来ていただろうが。
炎の壁を容易に突破した。
だが、俺の前には再び炎の壁が現れる。
先程印を組み直したのは、追走型に作り直した為か?
まぁ良い。俺と女の距離は然程ではない。
もう一度、構わず突破する。この程度の炎は俺の肉には届かない。
そら、段々壁が低くなって来ているぞ!!ただ、跨げばいいような高さにな!!
外皮を多少焦がしながら、女の直ぐ前に到着する。
──女、まぁまぁの術だが、二術同時に扱う技量はまだ持ち合わせていないようだな
顎をギチギチと噛み合わせながら女に近付く。
しかし、女は未だに詠唱中…
──この後に及んで、大層な胆よな
構わず食い千切る為に女に顎を近付ける。
──むっ!?
俺の顎が錆付いたように赤黒く変色し、それが激痛を伴っている…
別の術?いや…
──あの塩か!!
並の清めの塩ではないのは感じていたが、俺の顎を腐食させる程とは…
この力、毘沙門天に仕えていた頃の懐かしい力を感じる…
神から直接貰い受けた?この程度の小娘が!?
俺は女の背後に居る、いや、塩に込められている念を探った。
──なんと!!龍の海神とは!!
思わず下がった。以前、俺と雌雄を決して戦っていたのも龍神だが、これはあれを凌駕している力を持っている!!
──貴様……一体?
一瞬たじろいでいると、女が瞑っていた目を見開いた。
右手を空に翳すと同時に雨雲が俺の上に集まってくる。
雨でも喚ぶつもりか?
ならば自らの身体に振った塩も洗い流される筈だが…海神から直接塩を貰い受ける程の者が、そんな短絡的な事をするのだろうか?
それに俺は雨が苦手な訳ではない。
「海神様は私じゃない、私の後ろに居る男を慕っているわ。尤も、掃除とかお供え物は私がやっているけどね」
──あの男が…?
俺は女の後ろにいる男を見る。
腕を組みながら俺を見ている?いや、視線が微妙に外れている。
何を見ているんだ?
「無駄よ。彼はあなた達が見えていない。ただ見ている振りをしているか、別の物を見ているか」
そう言えば白面金毛九尾狐が言っていた…
北嶋 勇を見たら逃げ出すがよい…だったか?
──見えぬ者に何故それ程の力が!!
女がクスリと笑う。
「流石北嶋さんね。居るだけで、かなりの時間を稼げたわ。新術が発動するまでの時間をね!!」
女が翳した手を下に下ろすと、俺の巨躯に雷が落ちて来た。
「堕落した者重罪の者!!滅びを呼ぶ者を焼き尽くせ!!天から来たれ炎の矢あ!!」
硫黄の臭いが鼻に付く…どこからだ?俺は周囲を見回すも、それらしき物は無いが…空から漂ってくるような?
見上げた俺は驚愕した。それは本当に天から迸って来た匂い!!
――まさか…これは!?
この女!都市を滅ぼした炎を喚べるのか!?
「天の雷柱!!!」
まさかそんなと思う前に俺の身体に炎が堕ちて来た!!俺はそれをただ目で追うだけだった…!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私の新術の雷が大百足の巨躯を撃つ!!
──グアアワアアアア!!!
巨躯を激しく揺さぶりながら悶える大百足。
「ソドムとゴモラを滅ぼしたメギドの火よ。少量しか喚べないけど、あなたの身体を貫く事くらいはできるわ」
ソドムとゴモラとは旧約聖書の『創世記』に登場する都市だ。
滅んだ理由は諸説あるが、滅ぼしたのは天から降ってきた硫黄と火…
それがメギドの火である。
二つの都市を滅ぼす程の威力を喚ぶのには多大な精神力を必要とする。
今の私は一部しか喚べないし、足止めに浄化の炎を駆使している訳だから、喚べる炎も削減されたのだが…
「それでもあなたを焼く事はできたようね」
大百足は貫かれた腹から血と体液と肉を流し、雷が生んだ炎によって焼かれている。
「それでも動けるのは凄い事だわ…流石と言った所か…」
腹を貫かれ、身を焼かれながらも私に怒気を含んだ殺意を放ちながら接近してくる大百足。
素直に驚嘆しよう。私は再び印を結んだ。
──女ぁ!!メギドの火まで扱えるとはぁ!!少々見くびっていたわあぁぁぁあ!!!
身体半分千切れた状態の中、大百足は文字通り、鎌首をもたげて威嚇してくる。
攻撃と毒霧を吐くも、海神様の塩により相殺される。
「無駄なのはご存知の筈よね?」
──あああああ!!女ぁ!!この俺を!!大妖、大百足を!!
持ち上がっている顔が丁度良い的となっている。
私の前に梵字で描かれた魔法陣が浮かび上がる。
「月の女神、狩猟の神よ!!我が敵を狩る弓を与え賜え!!肉を穿つ銀の矢と共に!!白銀の矢!!」
魔法陣から飛び出したのは、ギリシャの女神アルテミスが用いた矢だ。
月の女神にして狩猟の女神のアルテミスの矢はそれでも充分な殺傷能力があるが、ここでは、その矢が銀だという事が重要だ。
銀は西洋のモンスターが恐れる武器。
大百足にも通用すれば、この先の東洋の妖との戦いで重宝な存在となる。
更に女神アルテミスは女の私に好意的な為、契約を交わすのにさほど苦労は無く、一度の術で連射が可能。
「還りなさい!!地獄へ!!」
白銀の矢は大百足の眉間(?)を見事貫いた。
眉間に刺さった矢は大百足の顎をカチ上げる。
「やったか!?」
蟲ゆえに表情が全く解らない。暫く静止する大百足と私。
「神崎ー。終わったかー?」
緊張感がまっっったく無い北嶋さんがポケットに手を突っ込みながら、私の前に歩いてきた!!
「北嶋さん!!まだ……!!」
大百足の目が北嶋さんを捉えた!!
──男ぉ!!せめて貴様だけでも!!
大百足は最後の力を振り絞り、北嶋さんに向かって顎を落としてきた!!
「北嶋さん!!って…心配なかったわ…」
──な、なに……?これは……?
大百足の顎は北嶋さんを捉える事なく、地面に激突した。
──くはああああ…ば、馬鹿な…触れる事もできないとは…く、口惜しい……
大百足は今度こそ動かなくなった。
北嶋さんはボーっとして再び私に問い掛ける。
「もしかして邪魔したかな」
頭を掻き、少し申し訳なさそうな北嶋さん。
「ううん。丁度終わった所だから」
私は北嶋さんを見て笑った。
金毛九尾狐と対峙した師匠と並んだ事に手応えを感じ、北嶋さんに並ぶ目標に一歩近付いた事に安堵して。
絶命した大百足の背中を渡り、遊歩道を歩く。
「北嶋さんは大百足が視えないから、普通に遊歩道を歩いているけど…」
私は背中を歩いている格好となる為、足元注意状態だ。
尻尾が見えてくる。
「やっぱり大きかったなぁ…」
遊歩道のおよそ半分近くまで埋まっていた大百足の屍。七巻き半は大袈裟としても、やはり巨大だ。
尻尾を渡り終えると、ようやく普通の道となる。
しかし、妖の気配は濃くなっている。北嶋さんは呑気にテクテクと歩いているけど。
北嶋さんが普通に歩いている最中、北嶋さんに重なる何かが一瞬見えた。
「…何かが通らせないように道を塞いだみたいね。もっとも、北嶋さんには意味ないけど…」
道を塞いだのはぬりかべと言う妖だ。あの水木しげる先生が戦時中、どこかで遭った事があるらしい。
棒か何かで足を払うと塗壁はよろけて道を開けるけど…
私はポシェットから蒼い篭手を取り出す。
篭手と言ってもメリケンサックと言うか、手の甲まで覆っているプロテクターみたいな物だ。
北嶋さんに難なくすり抜けられたぬりかべは、私に狙いを定めた。
篭手を両手に着けて、ぬりかべを目指して直進する。
今度は通さないぞ、と決意の顔が見える。
そのぬりかべを拳で殴った。
ボコォォッ!!
──ぐはあっ!?
ぬりかべは身体に穴を開け、よろめいた。
すかさず昨日から北嶋さん相手に試していた裏拳を入れる。
バキバキバキ!!!
──!?に、人間如きに俺の身体が破壊されるとは!!?
崩れ落ちていくぬりかべを横目で見ながら呟くように言った。
「漆喰の化け物如きが、龍の鱗に及ぶ訳ないでしょう」
と言っても既に聞こえはしないか。もう一つ言いたかったのに。
いいや、他の妖が聞いているでしょうから。
「私のパンチはね、世界で唯一、北嶋さんに届くパンチなのよ。お生憎様」
恐らく見ているであろう妖に向かって言う。
尤も、北嶋さんの凄さは知る由もないから無駄かもしれないが、それは私にとっては、他の霊能者や女の子よりも凌駕している点だ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
──尚美…我の鱗を使ったか!
我はあの時の事を思い出していた。
我の神体の掃除をしている尚美と、池にて釣りを楽しんでいる勇を見た時の話だ。
──全く!!我を呼んだ者が呑気に釣りをし、片割れに世話を押し付けるとは!!
箒で落ち葉を掃きならが、クスリと笑う尚美。
「そんな事を仰っても、不快なお顔はしていませんよ」
──貴様が尽してくれておる故特に不満は無いからな…だが、たまには勇にも神体を拭くとかだな!!そう進言してくれれば有り難いのだがな!!
「はい。解りました。北嶋さんに拭いて貰いたいんですね」
悪戯な笑顔を我に向ける。
──何と意地の悪い女よな……
尚美は勇の元に行き、何やら言っておるが、勇はブツブツ文句を言っておる。
だんだん尚美の声が高くなってくる。
勇が怯んで重い腰を上げる。
それが気に入らぬのか、はたまた勇が腰を上げるのが一瞬遅かったのかは解らぬが、尚美の拳が勇の鼻を捉えた。
勇は鼻から血を噴射しておる。
我がここに来てから、何度も見た光景だ。
勇が鼻に栓をしながら、我の神体を拭いている。
──何故尚美の拳だけ当たるのだろうな?
我が見えぬから、我の身体に触れぬのは理解するとして、鬼の小僧の攻撃も、一発も当たっていなかった筈だ。
尚美の拳と言うか、尚美の攻撃全て当たっている。
「さぁ…何か理由があるみたいですが」
尚美は困ったような、嬉しそうな表情を作った。
──何にせよ、勇に拳を当てられるのは現時点で尚美だけよ。先程も申したが、お前は我に良く尽くしてくれておる。連れて来た本人よりもな。礼にこれをやろう
我は尚美の手のひらに、一番小さな我の鱗を二枚落とした。
「これは?」
──我の鱗よ。我は海神にして龍神。古より、龍の鱗はかなりの硬度として知れておる。更にそれは我が怒った時に剥がれ落ちた鱗…逆鱗よ
龍の逆鱗に触れた者は…
我の続く言葉良し先に尚美が発した。
「その身が打ち砕かれる。ですね!」
嬉しそうに笑う尚美に、我は尚美の望む形で逆鱗を加工して渡したのだ。
勇にはやらん。と言うかやる必要も無い。心情的にも、実力的にも。
そもそも奴には物欲があまりない。我の鱗も下手をすれば捨てられてしまう。
……何で我は勇の元で大人しく過ごしておるのか、この頃はよく解らなくなってきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「小癪な闇の化生は、海神様の逆鱗の前には紙の如きよ」
ぬりかべを粉砕し、手をパンパン叩いているのを見た北嶋さんは、何故か腰が引けていた。
「どうしたのよ?」
「お前…メリケンサック仕込んでまで…俺の鼻を…」
どうやら北嶋さんは自分が殴られると思ってビクビクしているようだ。
毎回殴られている身としては軽いトラウマになっているのかも。
「違うわよ。北嶋さんには見えないでしょうけど、今、妖が道を塞いでいて…」
「そうかー!!それならいいんだかよー。今大量出血する訳にいかないからよー。そうでなくても神崎は短気だからさー。何かにつけてぶん殴るしよー。俺のは全く非がないのにさー。大体お前、所長だよ俺は?所長の鼻を毎回ぶっ叩いていいと思ってんの?法廷で争えば100パー勝てるよこれ。あれだ、パワハラだな。所員が所長にパワハラってのが世界最高に訳解らんけど、兎に角グーはいかんよグーは?痛いんだからさー…」
北嶋さんがウダウダ言い出した。
面倒になり拳を握り締めて北嶋さんにチラつかせる。
「い、いやいや!!妖怪が居たのか!あー成程ね!!」
軽やかに私の傍から離れていく。
…彼は攻撃は喰らわない。葛西と戦った時にお腹に貰っていたけど、あれも向こうにダメージを与えるものだったし。何で私のパンチが簡単に当たるのか本当に解らない。
本人に聞いても上手くはぐらかされるし…まあ、少なくとも今は深く考えないようにしよう。
もう少しで敵の本陣…余計な思考は命取りになる…
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
やはり大百足の仕業と欺けなかったのは仕方無しとしても…
「むう…まさか女が大百足を倒すとは…」
未だ人型のままの妾が玉座で唸った。
──大百足程の大妖が…
──あの女、少量だが、メギドの火を使えるとは…
──それにあの篭手、龍の逆鱗で造られているとか
龍の逆鱗は、その硬度も然る事ながら、触れた者の気を狂わす作用もある。
しかし、あの女は気が狂うておらなかった。つまり、許しを得た、もしくは直々に龍から貰った事になる。
そして奴等の傍にいるのは海神…清めの塩も精製可能な神。それは当然妖の妾達にも通じる。
「これは…妾直々に相手をせねばならぬのかもなぁ…」
下僕共がざわめく。
──九尾様自ら出向かわずとも!
──作用。城には大百足に匹敵する猛者がまだ居ります故!
下僕共が一斉に一匹の妖に視線を向ける。
──フン、雑魚共が。大百足如きがくたばったから何だと言うのだ?
漆黒の身体に四つの目…鬼の面に八本の脚の妖が妾を睨み付ける。
それは土蜘蛛。こやつも古の大妖の一匹だ。
平安時代の武将、源頼光が熱病に悩まされていた時、身の丈七尺の奇怪な法師が現れた。
頼光の四天王、雷光四天王と呼ばれた渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武がこの法師を追うと、法師の正体は身の丈四尺もある巨大な蜘蛛であった。
頼光がこの蜘蛛を捕らえると病はたちまち治った。
この蜘蛛は鉄の串を刺された上、河原に晒された。
土蜘蛛は古代の大和朝廷と戦った辺境の民の怨念が生んだものだ。
人間全てを呪っておる妖でもある。雷光四天王の長を殺そうとする辺りがそれを物語っておるだろう。
「お主ならば奴等を殺せるとでも?」
──カッ!!安い挑発だな九尾?俺は人間を殺せれば何だって構わねぇさ。てめぇの指図なんざ受けねぇ!!殺したい時に殺す。それが大妖、土蜘蛛だ!!
大百足と並ぶ大妖なだけあって、扱いには骨が折れる。
「フン…特に貴様などには期待しておらぬわ。精々、妾の城で脅えながら隠れておればよい」
安い挑発には乗らぬと言った筈の土蜘蛛が、妾に殺気を放つ。
──そう言えばこの穴蔵はてめぇの城だったな九尾よぉ…家賃代わりだ、奴等をぶっ殺してやってもいいぜ!!
いくら客分の身とはいえ、妾の城を根城としている土蜘蛛。妾の下に見られるのは必然だ。
故に妾を疎ましく思っておるが、妾には及ばない事も承知。
虚勢を張る小さき存在なれど、奴等を倒せる可能性は充分にある。
「期待はせぬわ。万が一貴様が勝てたなら、妾の物を全てくれてやる」
土蜘蛛がピクリと反応する。
──貴様の物…全てだと?
頷いて続きを発する。
「この城は勿論、下僕共も貴様にくれてやろう。勝てたなら、だがなあ?」
想像もしなかった好機に踊る様子を見せる。隠しているようだがバレバレだ。
──その言葉!忘れるな!!
目の前にいる下僕共を力付くでどかしながら出て行く土蜘蛛。
──九尾様、左様な約束をされて宜しいので?
妾は耳まで裂けた口を広げて笑う。
「化かし合いは狐の領分よ。もっとも、化かす程張り合いのある者でもないが」
万が一、奴等が土蜘蛛に殺られたら、妾が土蜘蛛を殺ればいいだけの事。
「知恵も力も無き事は罪よな!!クワッハッハッハッ!!」
土蜘蛛を嗤う妾だが、心中は別の者を見ていた。
土蜘蛛を倒して妾の前に立つだろう、女と、妾の胸に留まる男、北嶋 勇を見据えておるのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
もう少しで行き止まりに到着する。前を歩く北嶋さんから約15メートル先だ。肉眼で行き止まりが確認できた。
「ん?」
行き止まりの右側…山側に地場の歪みを確認した。
そこから結構な大きさの獣がノソノソと現れた。
「北嶋さん、止まって」
「あいよ~」
散歩を楽しんでいる感が多々ある北嶋さんが立ち止まる。
「出たか狐が?」
キョロキョロと見回す北嶋さんだが、勿論見えない。
なのでスケッチブックに絵を描いて見せる。
「次はこいつね」
北嶋さんがどれどれと覗き込む。
「蜘蛛?鬼の面付けているようだな」
「土蜘蛛ね。アレも手強いわ。乱入歓迎だからね北嶋さん」
北嶋さんを押しのけ、前に立つ。
「また神崎がやるの?暇なんだけど」
「あら?いつもはコキ使い過ぎとか文句言うのに?」
北嶋さんがプイッとソッポを向く。
「いつでも代わるから言ってくれよ?」
北嶋さんらしい優しさに触れて私の口元が緩んだ。
八足の獣がゆっくりと、ゆっくりと近付いてくる。
「余裕ね。私がただ待っていると思っているのかしら」
土蜘蛛が近付いてくる前に、私の左右前に札を置く。
「いちいち待っていてやんないわよ?」
再び詠唱をした。
土蜘蛛がだんだんと、だんだんと…
遂には私の1メートル前に着いた。
──何やら小賢しい細工をしたようだが?この俺に通用するのか?
私の前で仁王立ちになり威嚇する土蜘蛛。
それに構わずに詠唱を続ける。
──大百足の時と同じ術か?あんな大技がそうそう決まる訳があるまい
その顎で私を捉えようと向かってくる。
同時に左右前に置いた札が形を成す。
土蜘蛛の身体をしっかりと受け止めて動きを封じた。
──女!!陰陽道も使うのか!?
土蜘蛛の身体を捕らえたのは式神だ。
ただし、私は未熟故に多くの命令は出せない。
私が出した命令は敵を捕らえて逃がさぬ事。
戦わないし、動きもしないが、捕らえる事に特化した式神にしたのだ。
私の術発動の時まで捕まえてくれればそれでいい。
──ただ捕らえるだけの式鬼か…だがな女、捕らえるのは蜘蛛の得意とする所だぞ!!
口から糸を吐き、式鬼に絡ませる。
式鬼は糸に縛られ、動きが止まると共に力を失っていく。
「くっ!!」
──詠唱を途中で止めたな!
しまったと思っても後の祭。術はキャンセルされ、辺りに立ち込めた冷気が飛散して、元の気温に戻った。
──何を喚ぼうとしたかは聞かんが、女…そろそろ精神力が限界に近くなっているな?
心臓が高鳴った。
氷獄の檻を喚ぶ前段取りとしての式鬼もそうだが、天の雷柱や白銀の矢、浄化の炎、誘いの手など…
術を多用し過ぎていたのだ。
「まだ空にはなってないけど?」
あと僅かしかない精神力を頼りに、使える術を探しながら虚勢を張る。
──隠さずとも息が上がっているぞ女!!
土蜘蛛は私に糸を吐き出してきた。
「くっ…」
フラフラになりながらもどうにか避ける。
「え?」
ガクンと膝が地に付く。
──効いてきたか?俺の術が!!
土蜘蛛が鬼の面で嫌らしく笑う。
海神様の御清めを振り掛けている私に土蜘蛛の術を通す訳が無い。
私は慌てて身体を探った。
「風で飛ばされたんだわ……」
私の身体に付いていた御清めの塩が風に流されて掃われた状態だった。
云わば火の中にそのまま飛び込んでいた状態だったのだ。
──俺の術は熱病を運ぶ!源頼光の時は失敗したが、今度は失敗せん!!辺りには貴様だけだからな!!
土蜘蛛はその巨躯で信じられないスピードで私に接近した。私の目の前に土蜘蛛の顔がある!!
「この!!」
私は拳を土蜘蛛の顔面目掛けて放った。
──おっと
機敏に反応し、軽やかに躱す。
──龍の逆鱗だったか?そんな物で殴られちゃあ堪らんな
土蜘蛛は糸を吐く。
糸が脚に絡みついた!!
「しまった!!」
両脚を縛られた形になり、つんのめる。
──勝負あったか?あとは喰うだけだな!!
土蜘蛛の糸が私の身体に纏わりついて、私の身体の自由を奪った!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神崎がすっ転んだが、さっぱり見えない俺には何が起こっているか理解できない。
飛び込んでもいいのだろうか?
おそらく土蜘蛛って奴は神崎の真正面に居る。
飛び込んで一発蹴りでも入れて神崎から離した方がいいのか?
神崎はどう思っているんだ?
俺は神崎をじーっと見る。
見る…
イイ!!
弱っている神崎の表情がたまらなくイイ!!
熱でも出ているのか、顔が微かに赤らんでいる!!息遣いも多少荒い!!
更になぜか身体が硬直している。
何かに縛られているよーな、そんな感じだ。
縛られているって!!
俺はあらゆる妄想によって前屈みとなってしまった。
モジモジとする俺。くう!!別の意味で健康な身体が憎い!!
俺は思春期の男の奥義、『頭の中で九九を暗唱』を出した。
それにより、思考が九九に流れて身体ってか、一部が鎮まるという技だ。
ある程度鎮まった俺は再び神崎を見る。
はうっ!!
神崎が…神崎が悶えているっ!!
俺は健全な男ゆえに、すぐ様前屈みになってしまった。
前屈みとなりながらも、神崎の様子を伺う。
決して妄想ネタのゲットの為ではない。
いや、多少あるかも…
って、そんな事より神崎がピンチなのか見極めなければならない。
まぁ、ピンチといえば俺もだが。
俺のピンチと神崎のピンチとは流石に天秤には掛けられないだろう。
神崎は首を振って俺を見ている。
さて、困った。
『この程度の雑魚に北嶋さんが戦っちゃ駄目!!』なのか『私はもうダメ!!だから助けて!!』なのか…
激しく考える。
知恵熱が出る前に冷えピタを懐から取り出す。
って、冷えピタなんかどうでもいいわ。
しっかり見極めろ!!冷たくて気持ちいいとか思っている場合じゃない!!
聞けばいいじゃんとか思うだろう?
ここはアイコンタクトで親密度がどんなもんか、教えてやりたくて、敢えて聞かんのだ。
ピンチなら神崎が普通に助けを呼ぶだろうしな。
ん?
ピンチなら呼ぶ…
つまり、現在はピンチでは無い、もしくは余力が有るって事か?
そうと決まれば…
俺は妄想ネタのゲットの為に神崎を凝視する事に専念する。
今が最大のチャンスなのには変わるまい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
糸に身体を縛られ、動けないながらも、術を詠唱する。
北嶋さんが前屈みになりながら私を見ているが、そんな状態で心配して欲しくない!!
詠唱しながらも『見ないで!!見るなら鎮めて!!』と、首を振る。
全く…北嶋さんはどこでも何時でも不謹慎なんだから…
余所の女の子じゃないだけでも良しとしないとなぁ…
「浄化の炎!!」
私に纏わり付いている糸を炎で焼き切る。
──む?まだ余力があったか?
辛くも脱出した私に感心した様子の土蜘蛛。
「まだとは失礼ね。まだまだよ」
強がりで虚勢を張るも、霊力は空に近い。
更に土蜘蛛の術により、熱が出て身体がフラフラする。
白面金毛九尾狐の巣で北嶋さんに『視せる』為に一発だけ残して、残りの霊力をこの術に掛ける!!
詠唱時間も短い上に高破壊力のある術。白銀の矢…
当たれば勝ち、外れたら負け。
私は最後の詠唱に入った。
「白銀の矢ぁ!!」
銀の光の線が天に向かって放たれる。
──どこを狙っている?熱で焦点すら合わなかったか?
土蜘蛛は私に飛びかかってきた。
二の矢、三の矢を放つが土蜘蛛の身体を掠めるのみに終わる。
──ふはははは!!終わったな!!
「あうっ!!」
土蜘蛛にのし掛かられて転倒した。
──人を喰うのは久方振りだ……!!
鬼の面が私の顔に接近してくる。
勝負あったとほくそ笑んだ私。
――…何を笑っている?恐怖で気が触れたか?
「白銀の矢はね…女の味方なのよ」
──何を訳の解らん事を!!いよいよ狂ったか?ゲハハハハハハハハハ!!ぐあっ!?
土蜘蛛の背中に白銀の矢が刺さった。
──な、何故だ…?ごふっ!!
二の矢、三の矢が振り返った土蜘蛛の面に突き刺さった。
「言ったでしょ?女の味方だって」
土蜘蛛を押しのけて脱出しながら言った。
──俺が女に…負けるとは………
動かなくなった土蜘蛛。
「白銀の矢は外れたら魔法陣に戻ってくるのよ。アルテミスも矢が戻って来たでしょ?」
御印は私の胸にあった。戻ってきた矢が土蜘蛛に突き刺さっただけ。
「狐のペテンには劣るでしょうけど、あなた程度なら騙せるわ」
土で汚れた服を払いながら、もう聞こえなくなった土蜘蛛に話してあげた。
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