もうすぐ

 小僧が九尾狐を捕り込んだ…いや。飼ってから一週間が経った。

 本当はパズズを倒した時に直ぐ祝いの電話…労いの電話…いや、どうも違うのぅ…

 兎に角話をしたかったのじゃが…

「師匠、起きてはお体に障りますから、安静になさってくださいよ…」

 丁度薬を持ってきた梓に咎められる。いや…違うか。案じてくれておるのか。

 仇も満足に討てなかったワシを案じてくれるか。涙を見せようとするまでに。

「大袈裟じゃな。たかが風邪に」

 苦笑しながら薬を受け取る。内心は懺悔しかないのに、ワシも意外と出せるもんだのう。偽りの表情が。

「ですが、御高齢なのですから…」

「年寄扱いするでないわ」

 実際年寄りじゃが。明日にでも逝けそうな年寄りじゃが。

「まあ、退屈なんじゃよ。要するに。じゃから本でも読もうかと思ってのう」

「ですから安静に…」

 本を読む事すらもいかんと言うのか。ちょっとそれはのう……我が弟子ながら随分と心配性じゃな。

 これでワシが本当に死んだらどうなるんじゃろうか…多分それどころではなくなるから、そこは心配しとらんが。

「それなら何か面白い話をせい。退屈を紛らわす冒険譚のようなヤツじゃ」

「随分無茶振りしますね…」

 そう言いながら疼いている様子。小僧の事じゃろうな。

「それならすごい事がありまして。一週間程前の事ですが」

 やっぱり小僧の事かいな。まあ、此処は乗っておこうかの。

「ワシが倒れた頃じゃな。新型インフルエンザとやらが流行っているらしいから、それかと思ったが違ってよかったわい」

「本当に…安心しました」

「で、一週間前がどうした?」

「あ、はい。師匠、白面金毛九尾狐…って勿論ご存知ですよね?」

 真剣な顔を拵えての接近。何かの演出かいな。

「勿論知っとる。と言うか門下生は皆知っておろうが。ワシが若い頃に取り逃がした大妖じゃ」

 ワシの憂いの一つでもあった古の大妖、白面金毛九尾狐。これを取り逃がした話は既に門下生全員が知っておる。

「はい。師匠でも封じるのがやっと。それでも完全に封じる事が叶わなかった妖狐…その九尾狐が今どうなっていると思います?」

「小僧のペットになったわ」

 盛大にズッコケる梓。湯のみから水が零れんで良かったわい。

「な!!ななななな!!!なんで知っているんですか!!?」

 掴み掛からんばかりに接近して来る。ああそうか。ワシは安静にしている筈じゃったからのう。

「勿論視ていたからじゃ。と言っても霊夢に近いがの」

 無意識で視たのなら咎められん。梓も肩を落とすのみ。

「そ、そうですか…霊夢ならしょうがないですよね…」

「うむ。しょうがない。ワシは門下生全員を案じておるから、全員の変化は無意識で視てしまうからの」

 これは本当の事。と言ってもしょうも無いものは視ない故、所謂プライバシーは守られておる…筈。

 まあ、小僧に関しては全く心配していない故に、尚美の方の変化が視えたという事なんじゃが。

「そ、そうですよね…それにしてもやっぱり北嶋さんは凄いなぁ…」

「うむ。あの九尾狐をペットにしようと考える馬鹿者は小僧を置いて他におらんからの。そもそも奴には大妖の姿は見えん」

「そうなんですよねえ…初めからフェネック狐として見ていたようですからねえ…」

 故にペットにしたのじゃろうが。いや、縁があったからペットにした、のか。

 その後も凄い凄いと連呼する梓。パズズを倒した事は知らぬようじゃ。

 それ程白面金毛九尾狐をペットにした事がインパクトデカすぎって事なんじゃが。

 古代バビロニアの悪神を殺した事が霞む程に。


 凄いを聞き飽きた訳ではないが、少し休むからと梓を下がらせた。

 襖が閉まり、足音が遠くなったのを確認し、瞑想に入る。

 瞑想…と言うよりは亜空間に意識だけ向かわせるが正解じゃが………

 真っ暗な空間。あいも変わらず視ておるか…小僧を…

 その空間に映える銀の髪が揺れる。こっちを向いたのだろう。

「……やあ水谷先生…しばらくぶりだね」

 笑顔を向けるが憔悴している。ワシも人の事は言えないが。

「……お前さん、一体どうしたんじゃ?その顔色は?」

 まるで死人の様じゃぞ、と、おどおけるように言う。

「ははは…なに、ちょっと疲れただけだよ。先生と違ってね」

 逆におどけるように言われるとはな…尤もワシの方は混じりっ気なしの本当じゃが。

「先生とは直接決着を付けなければと思っていたが、その分だとそうじゃなくなるようだね」

「……まあそうじゃが。そもそもワシはお前さんとは戦えわんぞ?お前さんの前に出るのはワシじゃない」

 これも混じりっ気なしの本気の回答。なんでワシが息子の如く思っている小僧を魔女と取り合わなければならんのじゃ。もっと若い者に任せるわ。

「まだそんな戯言を言っているのかい?それはそうと…彼は本当に驚かされるね。かの大妖をペットにするとは…」

 それは本気の驚嘆の表情。海神様を据えた事と言い、自分と同じ事をやっているにも拘らず、なんの苦も無くやってのけた小僧への憧憬。

「龍の海神を据えた時に先を越された悔しさで頑張って頑張って…漸く実ったと思ったら、更に先に行かれるとはね…」

「ん?ならばお前さんのその顔色は、何らかの成果を上げた結果だと言う事かの?」

 魔女は笑う。美しく、怪しく。銀の瞳を輝かせながら。

「先生、下のアレ、本当に私に任せて貰っていいんだよ?」

 自信の表れか、その笑みは。つまりはこう言う事か。

「……『王』を据えたか…」

「…漸く一つ目だけどね。御実家のあれと龍の海神、九尾狐を相手取るんだ。まだ足りないのは承知だが、それでも一安心だよ」

「……お前さんの生業がそれじゃから文句は言わんが、『七王』全て揃えたとしても小僧には及ぶまいよ」

「流石にそれは無い…とは言い難いね。草薙が厄介過ぎる。それを完全に御しているんだから尚更だ」

 それは…草薙を振るった所を視た…のだろう。

「視れたのが、たかが悪霊退治なのが気に入らないが、それでも草薙の力を識れたのが大きい。例え力の全てを出していないとしても」

 ……その弁じゃとパズズを倒した事は知らぬようじゃが…

「お前さん、魔界に長い事潜っていたのか?」

「ずっと滞在した訳じゃ無いが、そうだね。先生が案じてくれた顔色の原因の一つに、瘴気に当てられていたのもある」

 魔女が瘴気にのう…それも生業故致し方ない事なのじゃろうが…

「そんな事は辞めにせんか?お主も身体あっての物種じゃろう?今は大丈夫でも後に手痛いしっぺ返しが来るぞ。それは精神的にもじゃ」

 魔女が反論する前に、ワシの前に別の魔力が現れた。

 と言っても悪魔の物じゃ無い。特殊な魔力には違いないが人間の物だ。

 いや、果たして人間と言っていいのか…姿は初老の男なのじゃが…

 こやつはあのサン・ジェルマン伯爵と同じなのじゃから。違う所は伯爵はずっと生きていて、こやつは転生した点だけ。

「……かのファウスト博士と会えるとは、長生きはするもんじゃのう」

 全く敬意を込めないで、ただの台詞で言った。

「これは驚いた。私を知りながらも平常心でいられるとは」

 愉快そうなファウストじゃが、とんでもない。

 ヨハン・ファウスト。16世紀に存在した魔術師、占星術師。数々の悪魔を呼び出したとされ、教会に恐れられた存在…

 それが目の前にいるのじゃ。とっとと逃げ出したいくらいじゃ。

「……何故来たファウスト?」

「それはお嬢様。お嬢様がこの老婆に不快になっておられるからです」

 恭しく辞儀をする。主の代わりにワシを殺しに来たか?見るも解り易いが、そんなことせんでもなぁ……

「成程、私の為に殺そうと言うのかい。それもいいな。お前がその後に起こるであろう仇討ちを全て退けられると言うのなら」

 ワシの仇を討とうと考える者など居るのかのう…そんなに人望があるとは思えんが。

「水谷の門下生は勿論、ヴァチカン、道教、上座部仏、チベット密教……その他諸々の猛者を相手に、たった一人で立ち向かえると言うのなら良い話だ」

 いやいや、大袈裟じゃあって。そのほんの一部が動くかどうかじゃって。

 だが、この脅しを本気にしたようで、魔力が落ち着いていく。やる気じゃったようだが儘ならぬようじゃ。

「……すまないな先生。この所忙しくてね、躾が行き届いていないんだ」

 躾って…こやつ、お前さんの教育係みたいなもんじゃろうが?お前さんじゃろ、躾けられる側は。

 とは言っても、才も魔力も実力も全て上回っておる故に…そしてファウストの性格に敬意は抱けんか。

「丁度いいから紹介しておくよ。あるいはもう存じ上げているだろうが、この男はヨハン・ファウスト。魔術師だ。私の教育係のようなポジションにいるが、敢えてポストを与えるのなら、せいぜい執事だね」

 魔女の紹介に苦い顔を拵える。自覚はある様じゃの。己のポジションに。

「ほう、そうか。ファウスト博士が執事なぁ…ならば本当の教育係がおるんじゃな?」

 ワシの問いに苦笑いで答える。口元を隠してくっくっと。これもまた絵になる。美女と言うのは得じゃな。

「流石の先生も彼の事は視えなかったようだね」

「そりゃワシはたかが人間じゃからな。人間には限界があるわい」

「そうだね。そしてその限界ももう直ぐだ」

「………」

「その沈黙は肯定の意味かい?」

「答えたら肯定になるじゃろ」

 どうにもやり難い。別にポーカーフェイスを気取っておる訳じゃないが。小僧じゃあるまいし。

「まあいいさ。その時は改めて…何らかのアクションでお知らせするよ。今日は話が出来て良かった」

「帰ってくれると言う事か?」

 また苦笑する。

「帰るしかないだろう。先生にやる気が見られない以上。やる気になられても困るけどね」

 そう言ったと同時に、いきなり男が魔女の前に現れた。これには肝を冷やした。遠見で視ている者の存在は知っていたが、本当にいきなり現れたのだから。

 それにこの男…東洋人?小僧と同じくらいの歳じゃが…

「松山?迎えに来たのかい?」

 松山?日本人?こやつも転生した魔人か……?

 ワシは松山なる者の正体を探るべく霊視するが…視えない…こやつが視せないようにしておる……訳じゃない…

 誰かが邪魔をして『逸らせて』おるのか…

「……思った以上に層が厚いようじゃの……」

 魔女は答える事も無く、消えた。それはまさに瞬間移動の如く。

 いや、あれこそが瞬間移動そのものかもしれない…あの日本人か?迎えと言っておったから、恐らくそうだろう。

「……病み上がりのワシに無茶をさせるでないわ」

 そうでなくとも……いや、言うまい。

 その時は本当にもう直ぐなのじゃから。その前に小僧には言っておかねばならんな。

 ワシは亜空間から思念を戻す。今度こそ本当に休まねばならん。それ程までに疲労してしまったのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 丁度いい葛西が報告(?)に来たので、持て成しの為に食材を取りに裏山に行く。

「何で俺も行かなきゃなんねえんだよ?客だぜ俺は」

 一人じゃ寂しいと言う理由から葛西を引っ張って来たのだが、この様にぼやいて、実にうるせえ。

「文句を言うな丁度いい葛西。お前達への持て成しの為だぞ」

「持て成される側の俺が手伝いとかよぉ…テメェ本当に頭が悪いよな」

 なんと。この俺の手伝いを光栄に思わないばかりか、悪態まで付くとは…

 嘆かわしい。実に嘆かわしい。パツキンが不憫だ。こんな常識知らずのムサい男の元に来てしまうとは…

 あまりにもパツキンが可哀想なので目頭を押さえてしまう。油断すると涙が出そうだ。欠伸で。

「大体テメェんところの裏山で食材を取るとかよ…今の季節じゃ確かにキノコが採れるかもしれねえが、素人が手を出していいもんじゃねえだろ?間違って毒キノコに手を出しちまったらどうすんだ?」

「何を言ってんだ?いや、俺は確かに食用キノコはある程度見切れるが、キノコを採りに行くんじゃねーよ。魚だよ」

「魚?あの山に沢でもあるのか?」

 沢?あったっけ?あるかもしれねーな。探せば。

 面倒臭いので探す気は全く無いが。

「沢じゃねーよ。イワナじゃねーよ。実は池作ったんだよ」

「池……ニジマスかヤマメでも育ててんのか?」

「ニジマスの養殖も面白そうだが、そうじゃねーよ。いいから付いて来い」

 言われて首を捻りながらも付いてくる葛西。

 そして池に着いた途端に、へたり込まんばかりに腰を引かせる。

「どうした丁度いい葛西?」

「どうしたも何も…そういやテメェが連れて帰ったんだったな…」

 震える指で差す先は、俺が超苦労して作った龍の海神の社。

「それがどうした?」

「……テメェは視えねえんだったな…あの社から海神がおっかねえツラを俺に向けているんだよ…敵意をバリバリ出してな…」

 ああ、そうか。こいつ海神をぶっ殺そうとしてたんだよな。敵認定の儘なのか。

 それに関してはどうでもいいが、ビビっているんじゃ、漁の妨げになるかもしれん。

「おい海神。こいつ取り敢えず敵じゃなさそうだからそんなに怒んなよ」

「ば!馬鹿テメェ!!神になんて口の利き方を!!」

 真っ青になって俺を咎める丁度いい葛西だが、俺は姿が見えんので何とも反応し難いのだが。

 こうなったら語り部を交代して、葛西の視点で語って貰うしかないようだ。そうすりゃ海神の言葉も解るだろう。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ば!馬鹿テメェ!!神になんて口の利き方を!!」

 北嶋の無礼な口の利き方を咎めた俺だが…

 逆にもっとスゲエ神気が俺を襲う。

 思わず羅刹を出しそうになった程の攻撃的神気だった。

「な、何をそんなに怒っていやがるんだ……?」

 北嶋の家に厄介になっていると言う事は北嶋の味方なのには違いないが、俺にそこまでの怒りを見せるとは…

 生唾を飲む。単純にこええからだ。

 古代神を殺した事があるとは言え、あれはギリギリだったし、向こうも油断してくれた。その結果が俺の勝利になっただけだ。勿論、羅刹の力や俺の鍛錬の賜物でもあるが。

 更に言えば龍の海神には一度負けている。向こうのホーム、海の中だとしても、それは揺るぎない事実。

 まあ…先述のように、北嶋の味方なのだから簡単に俺を殺すとは思えねえが、相手は神。人間よりも遙か上位の存在だ。此処は素直に頭を下げようじゃねえか。

「あのよ…まあ…依頼とは言え…」

――謝罪は要らぬ。それに関しては。我も人間を殺そうと思っていたのだからお相子と言えばそうだ。人間もむざむざ殺されようとは思うまい。抗う事は当然の事。力無き者が力を持っている者に縋るのも当然の事だ

 …些か拍子抜けしたが、俺の言い分も理解しているようだ。

「じゃあ何でテメェはそんなに怒っている?」

――貴様は勇を咎めたな?我が仕えし男を我の事で。何故貴様がでしゃばるのだ?我の事は我が決める。貴様が決めていいものではない!!

 最後の方は怒号だった。だけど理由は解かった。

「そ、そうかい…テメェがそれ程まで忠義を尽くすとはな…北嶋に『救われた』のが、そんなに嬉しかったかよ?」

 当の本人は生欠伸をしながら池を見ていやがるし。テメェの姿も見えねえ、声も聞こえねえ、存在すら感じねえ男をそこまで想うか…!!

――まあ、勇はアレだからな。そこは諦めた。だが、我が尽くそうとする意味は貴様も解るだろうに

 怒りの神気が引っ込んで、今度は緩やかな神気になる。

 まあ…解らなくもねえ…

 裏切られて孤独になった自分を文字通り救いやがったんだ。俺には逆立ちしたって無理な事を。俺には絶対に出来ねえ無茶な事を簡単にやりやがったんだ。祟り神が守護神になる理由も解らなくもねえ。

 つまりこう言う事か。北嶋に上等な口を叩いた俺が気に食わねえと。

「……いくらテメェが北嶋の味方をしようが、あいつは俺がぶっ倒す。それは譲る気はねえぞ…」

 負けっぱなしは性に合わねえんだよ。俺は最強を目指しているんだからよ。

――そこも理解している。まあ、先程の神気は我の意思表示みたいなものだ。勇が貴様に気を許しているのであれば、我の敵ではない

 威嚇でぶち殺す意志の神気を出すのかよ…だがまあ、それが強固な意志って事だ。

 北嶋の敵は迷わず殺すと言う絶対的意思。いや、俺はあの馬鹿の敵なんだが。

 それになんだって?この馬鹿が俺に気を許しているだって?

 微妙なツラを拵えたんだろう。神が俺の気持ちが解らねえ筈がねえ。なので続けて言った。

――貴様も気付いている筈だがな?まあ良い。それこそが貴様のプライド…否、貴様そのものなのだろう。故に勇も貴様に気を許しておると言う事だ 

 さっぱり意味が解らねえが、そのしたり顔の意味と同じくらいに解らねえが、俺を攻撃しねえって言うのなら有り難い。

「そうかよ。ところであの馬鹿が食料調達とか何とかで此処に連れて来たんだがよ。この池になんかの魚を養殖しているのか?」

 25メートルプールのように広い池に指差して訊ねる。ちゃんと見ちゃいねえが水深も結構あるようだし、養殖は言い過ぎにしても、何かしらの魚を育てているんだろう。

――養殖などしておらん。我の聖域を良く見てみるがいい

 言われたので見た。結構な魚影が確認できる。それが何の魚までかは解らねえが。

「……結構デカい魚がいるな…あのサイズは鯉とかイトウとかか?」

――見ても解らぬか。それも仕方ない事だ。此処は山の中故に想像が難しいのだろうな。勇に言ってタモ網を借りて掬ってみるといい

 タモ網って、やっぱなんかの魚を育てているのかよ。別に珍しい事じゃねえよな。

「おい北嶋、海神がタモ網を借りて魚を掬えって言っているんだけどよ、何処にあるんだよその網は?」

「ぬ?つまりは怠け者のお前を少しでも働かせようと言う事か。流石我が家の守護神。働かざる者食うべからずの原則を忠実に守ると言う事だな」

 納得したように頷いているが…

――怠け者は貴様だ!!我の聖域の清掃もサボっておるだろうが!!

 北嶋のは海神の声が聞こえねえ。叱られているのも知らねえ。

 なので俺が代弁してやると、驚いたように返してくる。

「心外だ!!非常に心外だ!!やっているだろが、神崎にぶん殴られた後で!!」

――サボっているから殴られるのだろうが!!

「テメェが一番怠け者じゃねえか!!」

 俺を怠け者とかディスる前に鏡を見ろってんだ!!そこに一番の怠け者がいるだろうよ!!

「まあいいや、ほら、タモ網だ。因みにこれは社の中に保管している、幸運のタモ網だ」

「幸運って…まあいいや。魚を掬えばいいんだな?」

 言われた通りに目に映った魚を掬う。

「なんだ?随分生きがいいな?」

 びちびちとうるせえくらいに暴れている。しかも結構なデカさ。逃がす前に地面に置いてその魚を見ると―

「こりゃカツオじゃねえか!?なんで山の中の池に!?」

「違う。カツオじゃない。良く見ろ、縞が無いだろが」

 そ、そうだよな…カツオなんかあり得ねえし…

「これはメジマグロだ。マグロの幼魚だな」

「あり得ねえにも程があるだろ!!なんでマグロの幼魚が山の中に、テメェん家の池に飼われてんだよ!?」

 とっ掴む勢いで詰め寄った俺に、北嶋は呆れ顔を拵えて肩を竦めて首を振る。

「飼う訳ねーだろ。自生してんだよ」

「もっとあり得ねえだろうが!!!」

 なんだ自生って!?生えてんのかよ!?

――それは我が勇に与えた加護だ。この池を海と繋げて生物を行き来させているのだ。場所も選ぶことが可能だ。例えば今は日本海に繋げているが、インド洋にもペルシャ湾にも繋げる事ができる。そうだ、面白いものを見せてやろうか。橋の脚を良く見るがいい

 加護…!?北嶋に此処までの加護を施すのかよ!!

 それは衝撃を超えて、やはりあり得ないと思わざるを得ねえが、自分の目でその奇跡を目の当たりにしているんだから否定は出来ねえ…

 そ、それよりも脚だったな…橋を歩いて脚の部分で止まり、下を凝視してみると……

「……まさか伊勢海老!?」

――否、ブルターニュの海に一回繋げた時に棲み付いたオマール海老だ。伊勢海老と違い、鋏もあるし、青みがかっているだろう?無論伊勢海老も当然いるが

 ブルターニュって、フランスだったよな…つうかそのしたり顔…自慢してんのかよ!?いや、まあ、自慢できるが…

――貴様、本日は客なのだろう?持て成しに貴様の好きな魚が獲れる海に繋げてやる

 いや、気持ちは有り難いし、その恩恵に与りたい所もあるが…

「い、いや、あのメジマグロで充分だ。小さいだけで中トロも大トロもあるんだろ?」

――無論。小さいだけだ。だがまあ、貴様の言う通りよ。あの魚は死ぬ。今更海に帰す事も出来ん程弱っている。ならば食って供養する方がいい

 供養云々は置いといても、普通にもったいねえだろ。

 それに『奇跡の池産』だぜ?まんま霊験あらたかだし。

「メジマグロ一匹じゃ寂しいな。ちょっと岸の方に行こうか」

 いや、メジマグロっつっても四人で食うには充分だろうが、まあ、此処は北嶋に乗っとくか…

 俺は一人で勝手に進んだ北嶋の後を追う。客の俺に少しは気を遣って欲しいもんだが、それも北嶋らしいっちゃあらしいか。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「そんな訳で岸の方に来たぞ。ここは一度池を作った後にデッカイ岩やら砂やらを入れて海岸風にアレンジした所だ」

 奇跡の池はひょうたんのような形をしている。真ん中のくびれに橋が掛かっていて、その中心の小島に社を建てている。

 その社から北と南を分ける事が出来る。南の方が北より広いし深い。俺達が今いる場所は北の方だ。

 俺は小さい方に岩やら砂を入れたのだ。なんか遊べそうだったし。広い南はいつかボートでも浮かべるか。船釣り気分が味わえていいかもしれん。

「海岸って、サザエやらアワビやらもいるのかよ?もう驚かねえけど…」

 丁度いい葛西の言う通り、此処には磯の貝類が生息している。深い所に行けば蟹も棲んでいる。

「まあそうだが、お前的にはどんな貝が好きなんだ?」

「どんな貝って言われてもな…俺は甘いもん以外は結構なんでも食うし…」

 好き嫌いが無いって事か。丁度いい分際で良い事だ。

「だが…そうだな…さっきオマール海老を見ちまったからな。海老が食いてえかな」

 海老か…それもいいな。しかしちょっと問題がある。

「海老を獲る為には潜らなきゃならんが」

 さっき丁度いい葛西が見た橋脚にいたオマール海老みたいに、見れたらどうにかなるんだが、あいつ等基本的に岩場の隙間に潜って隠れているからな。

「潜るって…もう寒いだろ?じゃあヤメだ。テメェが潜って獲ってくるっつうのなら止めねえけどな」

 こいつ、人が折角持て成してやろうと言うのに、俺に潜って獲って来いと言うのか!!

 何と言う傲慢な奴なんだ!!こんな恩知らずは見た事が無い!!

 ムカついたので蹴っ飛ばして池に叩き込んだ。

「ぐわっ!?な!何しやがるテメェ!!つーかさみい!!冷てぇ!!」

 バシャバシャやりながら文句を言うとか、実に器用な奴だな。

「丁度いい葛西。折角池に入ったんだ。まさに丁度いいから適当に食材獲って来い」

「丁度良くしやがったのはテメェだろうが!!」

 まあ、確かに俺だ。俺が丁度いい葛西を、より丁度良くしてやったのだ。感謝されて然るべきだな。

「砂場にはホタテとシャコもいた筈だ」

「結局俺に獲れっつう事かよ!!」

 ブチブチ文句を言いながらも獲物を探す葛西。その姿に感動して神崎にコールした。

『はい。遅いわね。なに遊んでいるのよ?』

「いや、葛西が池に落ちちゃってさ。風呂湧かしといてくれ。ついでに着替えも準備して」

『池に落ちた?落としたんじゃないでしょうね?』

 むう、鋭いな。別に隠す気は無いけども。

「いや、海老食いたいって言うから」

『やっぱり突き落としたんだ…解った。着替えとお風呂ね』

 そう言って電話を切った神崎。俺も大概だがお前も大概だと思うぞ?何も咎めないとか。葛西だから大丈夫ってのもあるんだろうけど。

 そうこうしている間に葛西が池から上がって来た。めっさびしょ濡れで実に寒そうだ。

「これで満足か北嶋!!!」

 怒りながら俺に伊勢海老4匹を放り渡す。

「ホタテは?」

「海老獲って来た事をまずは労えよ!!!」

 そうだな。仕事をした事には変わらない。なので俺は労いの言葉を掛ける。

「丁度いい葛西にしては上出来だ。お前は使えない奴の代名詞みたいなもんだからな。しかし敢えて苦言を呈させて貰うのなら、4匹は少ないだろ。タマとポメラニアンの分はどうでもいいと言うのか?お前は本当に気が利かないな?もう一度入って2匹獲って来い」

「ふっ!!ふざけんなよテメェ!!!」

 殴り掛かってきた葛西。注意したら怒るとは、こいつ本当に気が短いな。礼を言われて然るべきだと思うが。

 俺は葛西のパンチを超楽勝に避けて葛西を押した。葛西は再び池の中に落ちた。

「ぐわっ!! さみい!!冷てぇ!!」

「今度はホタテも忘れるなよ」

「テメェ!!マジにぶっ殺してやるからな!!!」

 バシャバシャと暴れた葛西だが、素直に海老ゲットの為に潜った。

 あいつも小動物にも食わせなきゃと思ったのだろう。ペットを飼う物の責任に目覚めたと言っても過言ではない。

 俺が池に落とした事によって目覚めたのだから、やはり俺に礼を言うのが筋だと思うが、俺は心が広いので、多少の無礼は許してやろう。

 腕を組みながら葛西の仕事を満足気に見るだけに留めておこうか。


 丁度いい葛西がゲットした伊勢海老6匹、ホタテ数枚、そしてメジマグロを持って悠々と家に戻る。

「おかえりなさい。葛西、お風呂湧いているから入って。着替えも用意しておいたから」

「………おう……」

 妙にしょぼくれながらも風呂に向かう。家主の俺よりも先に風呂に入れてやる温かい気遣いを見せた俺に礼が無いのが酷く気に掛かるが、まあいいや。

「神崎、これ食材。適当に料理してくれ。今日は宴会にしようぜ」

「そうね。お客様も来た事だしね。ソフィアさんから北欧料理、教えて貰おうっと」

 ルンルンと台所に食材を持っていく神崎。俺は居間でマッタリと寛ぐか。

 居間に向かうとタマとポメラニアンが何か話しているようだ。ポメラニアンが妙に項垂れている事から、偉大な俺と丁度いい葛西との飼い主の器を比べて嘆いているんだろう。

 ポメラニアンには気の毒だが、俺以上の飼い主は存在しないから、そんなに嘆く必要も無いと思うけどな。

 まあいい。小動物の交流の邪魔をするのも野暮な話。俺は二階に自室に向かう。

 部屋に入った途端に着信が入る。見ると婆さんからだった。

「なんだ婆さん。また依頼か?」

 依頼なら神崎に言って欲しいが、俺は所長故に直接依頼しても問題は無い。よって素直に応じる。

『お前さんの素直は自分に素直って事じゃろが。鬼の小僧をあんな目に遭わせよって…』

 視ていたのかよ。まあ、婆さんならなぁ…

『まあ良い。依頼と言えば依頼じゃ。ワシの願いと言うか頼みじゃが』

「なんだ?おかしな言い方だな?早く言え」

『それじゃ遠慮なく言わせて貰うかの……』


 話終えた婆さんに俺は掛ける言葉を探す。しかし考えても考えてもその言葉は浮かばない。

『まあ、そんな訳じゃが、請けるじゃろ?』

 こっちの心情もお構いなしで依頼…と言うか頼みを引き受けるかどうかの心配をするのかよ?

『お前さんの心情よりも優先すべきじゃからの』

 まあ、そうか…婆さんにしちゃそうだろう。憂いは残す訳にはいかんよな…

「解った。その頼み、引き受けよう」

 請けると言わずに受けると言った。口に出せば同じ言葉に聞こえるが、心情は全く違う。

『そうか…これでワシも安心じゃ…』

「いや、安心は当然だが、俺がやるんだから極めて当然なんだが、詳しい話を聞かせて貰えん事には動きようがないんだが…」

『自信満々じゃのぅ。まあ、お主ならやれる、と言うかお主にしか出来んからの。その自信は頼もしいと言っておこうか。詳しい話は何かに書いておこうかの。長い話になるのじゃから電話ではの』

 ケラケラ笑う婆さんだが…いや、それは良いんだ。仕方ない事だから。

 ならば俺はやはり俺らしく行こうか。

「俺は心配いらない。婆さんも知っているだろ。だから心配は他の弟子達の為にしろ」

『そうじゃな…尚美や梓もそうじゃしな…特にあ奴はの…』

 特に心配している弟子がいるようだな。言葉にその感が出ている。

「じゃあそいつを心配していろ。俺はその時になったら動くさ」

『そうじゃな。頼んだぞ小僧。では来年のその時にの』

「来年のその時にな。じゃあな婆さん」

 俺の台詞を聞いて笑いながら電話を切った婆さん。

 理解したんだろう。俺は他の連中よりも一足先に言ったようなもんだから。

 通話を終えたスマホを握りながら考える。

 神崎が飯が出来たと呼ぶまで考えていた。結構長い時間考えていたんだな。結論は既に出てはいたけど、やっぱりどうしてもな…

「北嶋さん、ご飯出来たってば」

 焦れたのか、神崎が再び下から声を掛ける。俺は此処で漸く腰を上げる事が出来た。




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