百鬼夜行

 城…いや、九尾狐が捕らえられてから城は巣に戻っていた。

 何の幻術も施されていない、ただの人工の洞穴に。

──くそっ!!あの人間め………!!

 その巣の中で頭を押さえながらヨロヨロと立つ妖達。

──九尾様を取り戻さねば!!

 大妖、大天狗がいち早く九尾奪回を口に出す。

──そうだな、どんな酷い目に合っているやもしれぬ

 鵺が賛同し、フラフラとなりながらも立ち上がる。

──九尾様の百鬼夜行を今こそ復活させようぞ…我々が力を合わせれば、あんな人間など!

 大天狗の叫びにギョッとする妖達。

 百鬼夜行とは、深夜の町を集団で徘徊する鬼や妖怪の群れ及びその行進の事だ。異形の集団で、「百鬼夜行に遭った」という表現をする。

 読経する事により難を逃れた話や、読経しているうちに朝日が昇ったところで鬼達が逃げたり、いなくなったりする話が一般的で、仏の功徳を説く話である。

 しかし、白面金毛九尾狐の百鬼夜行は、それとは異なっている。

 元々九尾狐は群れを作らず、孤高の存在だったが、水谷に封印寸前まで追い込まれ、難を逃れた時に初めて作ったのだ。

 己と同じく群れを作らず、もしくは群れの長を力付くで集めた九尾狐の百鬼夜行。その目的は、人間世界の転覆に他ならない。

 大百足や土蜘蛛など、古から在る大妖を力で従え、大天狗や鎌鼬などの古から在る大妖を恐怖で縛り付けて出来上がりつつあった九尾狐の百鬼夜行は、以前にあった百鬼夜行とは比べものにならない程強力なのだ。

──しかし、九尾様の百鬼夜行を動かす程の妖など…

 この巣に居る妖達は、九尾狐を除けば己が一番強く、恐ろしいと思っている猛者達だ。

 九尾狐の下ならば兎も角、対等かそれ以下の妖の話など聞く由もない。

──九尾様の百鬼夜行は九尾様でしか動かせぬ。ならば我等の長の元へ集うのも九尾様の百鬼夜行!

 皆、大天狗の言っている事を理解した。

 百鬼夜行は九尾狐のものだ。

 我々も九尾狐の物。

 主の元に集うのに、なんら異論は無かった。

──行くぞ!!我等の主の元に!!

 大天狗が羽ばたき、巣から出て行った。

 それに倣い、他の妖達も巣から出て九尾狐の元へ駆ける。

 主奪回の為に、百鬼夜行は個別ではあるが動いたのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 妾はクタッとしていた。

 散歩というものに無理矢理引っ張って行かれたのだ。

 昨晩、この男に連れられて来てから、妾は入りたくもない風呂に無理矢理入れられ、食いたくもない、薬のような大きさの犬の食い物を無理矢理食わされ、寝たくもない布団に無理矢理引き摺り込まれたのだ。

 男は終始御満悦の様子だったが、女は気が気でないと言った感じで見ていた。

 風呂に入れられた時、石鹸で身体を洗われたまではまだいい。

 この男は、妾の顔まで洗い、妾の目を痛め付けたのだ!!

「顔は拭くだけっ!!」

 女がそう言って慌てて泡を取り除いてくれなければ、妾の目は未だに激痛に悩まされておっただろう。

「ドッグフードじゃなく、油揚げの方が食べてくれるよ」

 そう言って妾に油揚げを差し出してくれたのは有り難たかった。あのままでは、妾は腹を壊していただろう。

「寝る時は別々の方がゆっくり眠れるみたいよ?」

 そう言って妾の専用布団を拵えてくれたのが助かった。あのままでは、妾はあの男の寝相により、圧死していたに違いない。

 妾を無理矢理連れて来た男より、敵と認識されている女に助けられているのが、少し引っ掛かるが……

 そして、起床と共に妾に事も有ろうか、首輪を付け、無理矢理引っ張って散歩に連れていくと言う暴挙に出た男。

 妾は必死に踏ん張った。しかし…

「なんだタマ?散歩は嫌か?仕方ない奴だな~!!」

 とか言いながら妾を抱いて歩き出したではないか!!途中犬を引っ張っている飼い主に挨拶などしながら!!

 犬は妾に気が付き、怯えて尻尾を丸めて失禁などしておったが。

 余りにも見世物扱いが酷かったので、妾は男の腕から脱出し、男を引っ張って家に向かったが…

 この男は調子に乗ってかなりの距離を歩いたのだから、戻るのにもかなりの時間が掛かったのだ!!

 おかげで妾は四股がガクガクでヘタっておるのだが…

「タマ、掃除だ。お前も来い」

 そう言って、妾を再び引っ張ったではないか…もうげんなりだった。

「き、北嶋さん?裏山に連れて行くつもり!?」

 女が慌てて聞いてきたが、男は妾を抱き上げて、そのまま外へと出てしまう。

「き、北嶋さん!!ちょっと!!」

 女も慌てて後を追ってくる。


 …成程、女が慌てる訳だ…

 裏山は、ちょっとした聖域になっている。

 湧き水を溜めている池に海の生物が住んでおるのは、こやつの力か?

 男が箒で履いている先に龍の神体が置かれておる。その神体から怒りを露わにした龍が妾を睨んでいる。

 あれは海神か…

 妾も睨む。互いに睨み合う。

──我の置かれておる聖域に魔物を連れてくるとは…!!

──妾が望んでここにおるとでも思うておるか?

 妾と海神は、まさに一触即発となっていた。それをハラハラしながら見ている女。

──どうせ勇が無理矢理連れて来たのだろうが…

 海神は男を見る。

──ふん、勇には見えぬか…狐、命拾いをしたな!!勇が連れて来た魔物でなくば、姿を見た瞬間に殺しておった所よ!!

──妾を殺せると本気で思うておるのか!!何とも目出度い奴よな!!

──強がるな狐!貴様には今、力は無い!!

──ならば今しか好機が無いのと同じぞ!!

 この海神も癪に触るが、聖域に妾を連れて来た男が一番癪に触る!!

 海神もそれは同じ思いのようで、妾より男に意識を向けておった。

「タマ、ちょっとどけ」

 妾が振り向いた矢先、大量の水が妾を襲う。

──クワーッ!!

 水は妾に大量に掛かり、龍の神体にも水が掛かった。

「だからどけって言ったろタマ~?」

 男は妾を手拭いでガシガシと拭いた。

──貴様は………どれだけ妾をコケにすれば…………!!

ワナワナと震える妾。びしょ濡れなのも手伝って震えが酷くなる。

──フハハハ!!勇の水拭きは強引なのだ!!桶に水を入れて何度も掛けるのが勇の拭き掃除なのだ!!

 海神が愉快そうに笑う。

「き、北嶋さん!!タマは私が拭いておくから御神体をお願い!!」

 女が見るに見かねて妾を男から離した。

「そうか?んじゃ頼むわ」

 男は神体を手拭いで拭き始めた。

──勇!!それは魔物を拭いた手拭い…貴様!!我と魔物を一緒に!!

 海神が男に喚いているも、男は鼻歌を歌いながら神体を拭いている。

「……胃が痛いわ……」

──女、貴様はあの男に、よく付き従っておるな。貴様を見直したわ…

 腹を押さえて蹲る女に、妾は心底同情した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋さんが九尾狐を無理矢理散歩に引っ張っている間、私は玉諏佐家に電話を入れた。

 旅館に律儀に履歴書持参で就職した九尾狐は、玉諏佐家の連絡先を記入していたのだ。

 経歴を見ると、短大を卒業し、旅館に就職している事になっている。

 どれ程の期間、人間界に人間として潜伏していたかが解る。

 ともあれ、確かめたい事があった私は電話を入れたのだ。


『はい、玉諏佐でございます』

「あ、あの、ちょっとお聞きしたいのですが、娘さんの美優さんの事で…」

『はあ?ウチには娘なんて居りませんが?』

 九尾狐の術が完全に解けたようで、娘の美優と過ごした20年間は、全く白紙になっていた。

「あ、失礼しました。あの、つかぬ事をお聞きしますが、そちらに珍しいペットが居られるとかで…」

『まあ!?もしかして取材?志村動物園かしら?イヤだわぁ~!!オッホッホ…』

 何かテンションが上がっているようだが、構わずに話を進める

「あの、フェネック狐なんて飼っていたりしますか?」

『フェネック狐……?ああ!!夫が20年くらい前に買ってきた事がありましたわ!!当時はフェネック狐なんて誰も知らなくてねぇ…狐だって言っても誰も信じなくてねぇ…そう言えば、あの狐はどうしたっけ……』

 玉諏佐家には、確かに20年前にフェネック狐が居たようだ。それが九尾狐の依代か…

『今はフクロモモンガとかスズメフクロウとか、リクガメとか沢山居ますわよ?どれを取材なさりたいの?オッホッホ…相場君に来て貰いたいわぁ…オッホッホホホ…』

 このオバサン…いや、玉諏佐さんに、小一時間程面倒くさいペット自慢の話を聞かされた。もういいってば…

『あらイヤだ。ドラマ小説が始まるわ。折角受信料支払っているんだもの、見ないと損よね?オッホッホ…取材はいつでも歓迎しますよ。それでは…』

 途中で何度も切りたい衝動に駆られたが、、自分から電話を切ってくれたので、本当に有り難かった。

 知りたい事が知れたからいいのだが、疲労がヤバい。そうじゃなくとも九尾狐と海神様と北嶋さんに挟まれて胃が痛いのに…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 日が出ているにも関わらず、九尾狐の百鬼夜行は九尾狐の匂いを辿って街を疾走していた。

 だが、皆姿を消し、人間に害を与えていない。

 九尾狐の支配力…それもあるだろう。

 しかし、真の理由は『恐い』からだ。

 自分達妖の攻撃が全く通用しないばかりか、とてつもない神刀を自在に操り、自分達を怯ませた男、北嶋 勇。

 そいつが『街に降りて来て悪さしたら容赦しない』と言ったのが、堪らなく恐ろしかったのだ。

 妖達は皆それを知っているが、口には出さない。出したら恐怖に捕らわれてしまうからだ。

 九尾狐さえ奪回出来れば…九尾狐さえ力を奮えば…自分達はその恐怖から解放される…

 それが妖達の心をギリギリ繋いでいる状態だった。

 九尾狐の力も通じない男だったが、まだ手はある。

 それは女の存在だ。

 大百足や土蜘蛛を倒したとは言え、あの女さえどうにか出来れば男は止まる。

 しかし、やはり女の術も遥かに脅威ではある。

 九尾狐なら、女を倒せるだろう。

 そこに望みがあると思い、妖達は九尾狐の後を追っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「神崎~。昼飯まだか~?」

 タマと遊び、海神の神体を掃除した俺の腹時計は昼飯の時間を告げていた。

 一仕事した後だから、腹が減っているのは当然だ。

 タマも遊び疲れたのか、クタッとしている。

 俺は再び抱いているタマの頭をグリグリと撫でる。

 タマは嬉しそうに俺の手を甘噛みしてくる。俺の手を自分の手で押さえながらガシガシと噛んでいるのだ。

 フハハ!!可愛い奴だ。

 甘噛みされて俺の手は傷だらけになっているが、気にしてはいけない。

 これは動物とのスキンシップなのだから。

 ムツゴロウさんも多分そう言うだろう。

 兎に角、タマにも昼飯を食わせなければならない。

「神崎~?」

 再び神崎を呼ぶ。

「まだ11時だけど……」

 神崎が疲れている顔を覗かせる。

「まだ11時か。神崎、疲れ気味か。顔が青いぞ?」

 微妙に顔を顰めて言う。

「お腹が…胃が痛くなって…」

 何?胃が痛いとな?

「じゃ、少し休んでいろよ。タマも疲れ気味だから一緒に頼むぞ」

 俺はタマを神崎に預けて買い物に出る事にした。

「ち、ちょっと!!北嶋さんどこ行くの!?」

 神崎が慌てて駆け寄ってくる。

「どこって、昼飯買いにだよ」

 この近くにはコンビニは車で15分。ちっとも、直ぐそこではないが。

「ご飯くらい私が時間になったら作るよ?」

 なんか慌てている様な?それよりもだ。

 神崎…どうしても自分の手料理を俺に食わせたい訳か…

 抱き締めたくなる衝動に駆られ、神崎にフラフラ近寄っていくも、右拳に力が入るのを確認。俺の危険察知能力が警鐘を鳴らし、踏み留まった。

「ま、まぁなんだ。神崎も疲れているだろうから、たまには楽したらいい。プリンも買ってきてやるから」

「プリンは魅力だけど…今出て行かれたら…」

 神崎はタマと顔を合わせた。神崎とタマが青い顔しているような…?

 まあいいや。と踵を返す。

「ちゃんとタマの油揚げも買ってくるから心配すんな。じゃな」

「ちょっと!!北嶋さ……」

 俺は無視して家を出る。

 神崎は働き過ぎだ。たまには手抜きしてもいいじゃないか。

 タマと遊んで少し癒やされるといい。

 俺って滅茶苦茶優しいなぁ…まさに男の鏡だな。

 とか思いながら、俺は愛車に火を入れた。


 バッテリーが上がっていたから、仕方ないから歩いて行く事にしたけど。

 つーかちょっとライトを消し忘れたくらいでバッテリー上がるなよな。仮にも俺の愛車なんだ。ちょっとは根性を見せて貰いたいものだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋さんが多分歩いてコンビニに行ってしまった。

 私と九尾狐を残して…

 そして九尾狐と顔を見合わせる。

 じっと見つめ合う…

 確かにフェネック狐だわ…中身はまるで違うけど…

「あなた…いきなり暴れ出したりしないでよね?」

──暴れたくとも、この成りでは暴れても大した事にはなるまいて

 九尾狐も心無しか不安な感じだ。何故?北嶋さんが居なくなったのに?

「どうしたのよ?随分大人しいじゃない?」

 九尾狐に聞いてみる。

──あの男が居なくなれば…龍の海神が妾の命を奪う事が容易くなるではないか…

 そう言ってしおらしく頭を下げている。

 そう言えば海神様と初めて会った九尾狐は、海神様と激しく罵り合っていた。

 海神様のお怒りに触れたと思って身の危険を感じているのか…

「大丈夫よ、海神様は北嶋さんの不利益になる事は絶対にしないから。あなたも北嶋さんに弄くり回されてクタクタでしょ?とりあえず休みなさいよ」

 そう言いながら九尾狐をソファーに乗せて、私も少しゆっくりする為にお茶を煎れた。

 九尾狐にミルクを少し温めて、お皿に入れて出した。

 お茶を持って九尾狐の隣に座る。

──何故貴様は妾にここまでする?貴様の術ならば、今の妾など一溜まりも無いのは知っていよう?

 そう言って私の顔を覗き込む九尾狐。不安気な表情が可愛い。まんま小動物だ。しかし、そうは言っても…

「私も解らないよ」

 基本は妖、しかも獣の王たる大妖、九尾狐は敵だ。弱っている今、絶好の好機でもある。

 だけど、私はなぜか、九尾狐にそんなに敵意が無い。

「そういうあなたはどうなのよ?私は基本あなたの敵でしょう?」

 逃げ出す素振りも見せずに、ミルクを飲もうか飲むまいか悩んでいる九尾狐に聞いてみる。

──無論、好機があれば逃げ出すに決まっておる。例えば妾の百鬼夜行が…

 そこまで言って言葉を止めた九尾狐。耳がピクピク動いている。

「…どうやら、その百鬼夜行が来たみたいね」

 スッと立ち上がる。

──ま、待て!!妾を素直に返してくれれば、危害は加えぬ!!約束しよう!!人間界に潜伏もせずに、ひっそりと山の中にでも籠もる!!

 九尾狐がパタパタと私の周りを走り廻った。まんま小動物だ。

「そうはいかないわ。その約束はとっても魅力的だけどね」

 私は九尾狐の首輪にリードを付けて、柱に括り付けた。

──馬鹿者が!!100を越える妖を貴様一人で迎え撃つだと!?貴様命がいらぬのか!!

 リードがピンと張っている状態の九尾狐は、立ち上がって前脚をバタバタとさせて暴れている。やっぱり可愛い。まんま小動物だし。

「妖怪退治は生業だからね。向かって来るのを恐れていては、北嶋心霊探偵事務所の名折れだわ」

──いくら大百足や土蜘蛛を倒した貴様とて、あの数では多勢に無勢ぞ!己の力を過信するでない!!

 九尾狐の言っている事はもっともだ。だけど私は戦う。

「ごめんね、仲間を倒す事になっちゃってね。終わるまで待っていてね」

 外に出る私に九尾狐が叫ぶ。

──終わるのは貴様の命ぞ!!妾の紐を外すのは貴様ではなく妖共になる!!妾を離せ!!

 何か心配しているような言い方だ。だけど私はドアを開け、外に出る。

「所長の留守を狙うのは、偶然か計算か…まぁ、どっちでも構わないわ」

 目の前に沢山群がっている妖共に、私は鋭い眼光を浴びせた。

──女!!九尾様を返せ!!

──さすれば命は助けよう!!

 一つ目が、大天狗が、鎌鼬が…

 九尾狐の百鬼夜行が私に触れる所まで接近して睨み付けている。

 私は指をパチンと鳴らした。すると、家の四方に置かれている15センチ程の石像が淡く光った。

──むっ!?

「今更何を脅しているの?とうに覚悟は決めているのよ?家の周りに結界を張ったわ。私を殺しても、あなた達は家に侵入できない」

 ざわめく妖達。殺気がだんだん強まった。

「さて、そこでボーっとしていたら、北嶋さんが帰って来る時間までに私を倒せないよ?」

 印を組んで術を発動する。

「立ち昇れ大気!!我を中心とし暴威を奮え!!風威の盾!!」

 私の周りに風の壁が現れる。言わば小型の竜巻が私を守っている状態だ。

──その風…風天の風か!!

「よく解ったわね?攻防一体の術よ。私の覚悟に、あなた達もそれなりに応えなさい」

 腕を広げて竜巻の面積を広げる。

──対話は無駄か!!致し方無し!!

 いや、本当はそっちが退いてくれるならそれでいいんだけど。対話云々じゃなく妥協点が無い状態でしょ?証拠に妖達は殺気を向けて、私に突っ込んでくるし。

 ともあれ風威の盾は…風天から戴いた御印。

 風天とは仏を守護する天部の一人。

 天部とは、天、地、日、月、東、西、南、北、東北、東南、西北、西南の十二の方位にそれぞれ居る仏教の天使みたいな存在だ。

 風天は西北を象徴し、独鈷杵のような穂先をした槍を手に持つ武人の姿で表されている。

 風の天部らしく、衣服がはためいている図像もある。

 風天は仏教説話では、その風威で煩悩を吹き飛ばすとされている。

「つまり妖には近付く事すら困難な風の壁って訳よ」

 突っ込んできた妖が身体中切り刻まれて血を吹き出した。

──ぎゃああああ!!

「先ずは…二面女か?一匹仕留めたわよ」

 風の壁で守られている間に、別の術を発動する。

「誘いの手ぇ!!」

 妖達の下から地獄の入り口が開き、腕が伸びてくる。

──うわああああ!!

──ぎゃああああ!!

 次々と捕らえられ、地獄に引きずり込まれて行く。

──女!!貴様!!

 大天狗が私を凄まじい形相で睨み付ける。

 あの大天狗…それに牛鬼、鎌鼬、一つ目…

 風威の盾と誘いの手で雑魚は減っていくが、やはり強者はそうは行かない。

──風の術など我が真空が粉砕してくれる!

 鎌鼬が自身の鎌を奮う。

 真空が風の壁を貫き、私を襲う。

「はっ!」

 間一髪で躱すも、左腕に斬り傷が走った。

「風の壁で軌道が読めたから助かったけど…」

 避けなかったら、私の首は胴体から離れていた。ゾッとするなぁ…

──風の術は貴様だけが扱える訳ではないぞ!!

 大天狗が団扇を扇ぐと、風天の竜巻と逆回転の竜巻を産み出した。

「風威の盾を相殺しようって言うの!?」

──其方に集中してばかりでは此方が疎かになるぜ!!

 一つ目がその馬鹿力で誘いの手を引っ張って千切っている。

「簡単には行かないとは思っていたけど…」

 流石に有名な妖は一級品の強さだ。一筋縄ではいかない。

 私の背中に冷たい汗が流れてくる……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


──あああ!!言わん事ではない、ボロボロではないか女!!

 外が見える訳ではないが、気配であらかた察知はできる。女は妾の百鬼夜行に押されておる。

──貴様が何故尚美を案じる?

 居間らしき場所の棚に置かれておる一尺にも満たない小さな石像の目が光り、妾話し掛けて来た。裏山の海神と繋がっておる様子だ。

──貴様はここの人間の守護なのだろう!!何故傍観を決めておるのじゃ!!

 海神は百鬼夜行を殲滅するのは容易いのだろうが、何故か動く気配がないのに苛立った。

──尚美が望んでおらぬからだ。望めば我が一瞬で殲滅してくれるわ

 女は何故望まぬのだ?百鬼夜行一匹一匹ならば可能性もあろうが…理解に苦しむ。

 海神に願い出れば簡単に事が進むのに何故?

──次は貴様の番だ。我の質問に答えよ!何故貴様が尚美を案じる?

 それは…妾にも解らぬ事…

 女とはたった一晩、共に過ごしたのみ。更に妾達は敵同士なのに、何故あの女の身を案じておるのか?

──……狐は気紛れなのだ!!

 そう返答するのが精一杯だった。

──ふん、貴様も勇に当てられたか

 海神は含みのある笑いをしながら妾を見ながら言った。

 妾があの男に当てられた?

 あの男は妾の術が全く効かないだけで、妾を小動物扱いしただけだが…?

──あの無礼千万な男に妾が!?ハッ!貴様はどうなのだ!?男に敗れてここに居るのか!?

 皮肉混じりで言う妾。しかしそれは皮肉ではなく―

──勇には我の力は全く通じなかった。貴様もそうだっただろう?

 神の力すら無にするのかあの男は!?

 背筋が寒くなる…!!

──ここに我を連れて来たのは勇、尚美は仕方無く…貴様もそうだっただろう?

 妾と全く同じだ。

──し、しかし貴様はあの男に力を貸し…

 待て…あの男は海神の加護は受けていない…寧ろ女の方が受けているような?あの籠手もそうだし、清めの塩もそうだ。

──勇には我の加護など必要とせぬ。我を連れて来たにも関わらず、世話をするのは尚美。貴様も連れて来た勇にボロボロにされて、尚美に庇われているだろう?

 確かに、妾は男を憎んでは居るが、女は寧ろ盟友な感じを受けておる。共に男の被害者としてだ。女も恐らくそんな所だろう。

──し、しかしそれでは女に世話になっている事になるのではないか?

 男には悪意、女には感謝。

 男に当てられたなどは断じて無い。

──だからよ!勇が居らなければ、貴様も我も、修羅の如くに来る者来る者全て殺していただろう!勇が教えてくれたのだ。神より強き者の存在を!!そして勇が教えてくれたのだ。神より強き存在は最強では無いと!!

 海神が熱弁を奮うも、妾にはとんと理解ができぬ。

 それがどうした?が正直な感想だ。魅力と言うものを感じる事も無い。強いて挙げるのなら、訳の解らぬ力に興味がある…否…

──フッ、まぁ、追々解るだろう。さて、少し様子でも見て来るか

 海神が女の元へ行こうとする。そこで妾の思考が切り替わった。

──望んで居らぬと言うたではないか?

──尚美が望んで居らぬでも、勇に怒られるのは勘弁だからな。ハッハッハ!!

 そう言いながら、海神は姿を消した。

 いや、移動した。外の女の元へと。

 それは妾の百鬼夜行が全滅する事を意味していた。

──妾を解放せぇ!!妾の百鬼夜行を全滅させるでないわ!!

 元より仲間の概念が無い妾だが、苦労して集めた百鬼夜行が壊滅するのは、やはり許し難かった。

 いや…違う…

 妾は百鬼に拘らぬ。力が戻れは奴等など必要とせん。 そして全盛期とまでは行かぬが力は戻っておる。

 なのに妾は何故奴等を案じておるのか?あの男に会うまではこのように思う事は無かった筈だ。死なすのは、殺すのは惜しいと思う事はあっても。

 自分の感情が解らぬ事など、永きに渡って無かったが……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 外では予想通りに尚美が苦戦しておる。

 狐が殺すなと喚いておったな。これから同じ家に住む『仲間』のよしみ…願いを聞き入れてやろうか。

 我は尚美の前に出て、妖共の前に立ち塞がった。

「か、海神様!!手助けはお願いしていません!!」

 こうも劣勢なのに、見上げた女よ。

──狐が殺すなと願ったものでな。尚美は殺してしまうであろう?

 ニヤリと尚美を見て笑う。

「き、九尾狐の願いを受け入れるのですか!?」

──尚美、お前も狐の仲間を全滅させるのは忍びないであろう?これから『仲間』になるのだからな

 そう言って妖共の前に踊り出し、海水の玉を創り、それに閉じ込めた。

──か、海神だと!?

──何故こんな所へ…ゴフッ!

 溺れる寸前で海水の量を減らし、首だけ出してやる。

──素直に退けば良し。退かずに向かって来るならば、死をくれてやるが、どうする?

 聞くまでも無く、我に怯えておる妖共は、退却と前進が揺れ動いておる様子。

 ただ一匹を除いて。その一匹は我に好戦的な気を向けている。

──牛鬼か?

 我の海水の玉の中でも溺れ、苦しむ事もなく、それを事もあろうに力で押し破る。

──海神殿と戦えるとは至極光栄…

 牛鬼はゆるりと我に歩み寄る。

 熊のように直立した姿の牛の化け物だ。

 牛だと言うのに、海などの水辺に出現し、船なども襲う。山中にも出現し、人を睨み付けるという事例もある。海でも山でも生息し、馬鹿力だけはある妖だ。

──妖が我に向かって来るとは久しい事よ。どれ、少し相手にしてやろうぞ?

 我の笑みを合図とし、牛鬼が凄まじい速さで突進してくる。

──死ねぇ海神!!!ぶ…!!?

 爪で薙いで牛鬼の胴体を真っ二つにした。

──か……!!

 血が止まる事など有り得ぬ程に噴き流れた。

──いかん!つい殺してしまった!すまぬ狐…

 謝罪をする我だが、申し訳無いと言う気持ちはあまり湧かなかった。

 この家に来たのだ。命がいらぬと受け取っても構わぬだろう。だが狐がなぁ…

 まあ良いわ。さて、残りをどうにかしようか。

──まだ向かってくる輩はおるか?

 我の神気が殺気を帯びると同時に、妖共が意気消沈していく。

 神たる我に向かって来る骨のある妖など一握りだと言う事だ。

――ならば去れ。まだ居ると言うのなら、今度こそは容赦せん

 妖共は簡単に去った。狐も不憫よ。主より命、か。まあ、それも致し方ない。我が仕えし馬鹿者が色々とおかしいのだ。去った妖の方が普通と言えよう。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 海神様のおかげで百鬼夜行を退ける事に成功したが、やはり疲労していた。

 ソファーでぐったりしている私に九尾狐が私達に怒りを向ける。

──女!!海神!!貴様等よくも妾の百鬼夜行を!!

「だから最初にゴメンねって言ったでしょう?」

──我も、つい一匹だけ……

──ふざけるな貴様等!!この紐を外せ!!妾を自由にせよ!!貴様等は妾が葬り去ってくれるわ!!

 前脚をバタつかせて、かなり怒ってクワークワー喚いているが、可愛いのは何故だろうか?

「だから向かってくるものは仕方ない……」

「ただいま~」

 言い終える前に袋をいっぱい持った北嶋さんが帰宅した。

「いっぱい買って来たわね~…」

 呆れながらも中身を見る。

 お弁当、お茶、プリン、油揚げは勿論、お饅頭、スナック菓子、ジュース、首輪?

「これ海神にお供えしといて」

 私にお饅頭を放る。お供え物にそんな乱暴で適当な扱いを…

──我の好物よ

 海神様が九尾狐にニヤリと笑う。供物の塩饅頭は北嶋さんが適当に買ってきた中から決めたんだっけ。

 塩羊羹と塩キャラメルとで最後まで悩んだんだっけ。

 それはそうと…何故首輪?これの意味が解らない。

「お供え物はやっておくけど…首輪はもう…」

 九尾狐には既に首輪が付いている。旅館から帰る途中、リードとドッグフードと一緒に購入したのだ。

 北嶋さんは私に嫌らしい笑みを向ける。

「これは神崎の為に買ったんだ」

 私の為に?

 まさか…私までペット扱い?

 そう言えば、性癖でこういうプレイを好む人がいると聞いた覚えが…

「神崎も喜ぶと思っがはああああああああああ!?」

 全て言い終える前に、私の右拳が北嶋さんの鼻を捉えた。

「ふざけないで!!私はいたってノーマルなのよ!!」

 と言うか北嶋さんにそんな性癖があるなんて、気持ち悪すぎなんだけど!!

「うわ……引く……」

 自分を抱きしめるように腕を回した。鳥肌が凄い事になっている。

――む?尚美、これは首輪ではないぞ?

 そうなの?とよーっく見る。

 ……確かに首輪にしては小さいような…

――妾に無理やり付けた物よりも小さいな。これは人間に化けた妾にも覚えがあるぞ…

 ……うん。私もその正体が解った。同時に超高速で頭を下げる。

「ゴメンね北嶋さん!!ゴメンね!!」

 私は北嶋さんの首をトントンと叩き、鼻血を止める助けをした。

「何と勘違いしたのか解らんが、早とちり過ぎだっ!!超痛ぇよっ!!」

 北嶋さんは鼻にティッシュを詰めて上を向きながら私を責めた。

 首輪と思っていたのは、安物だがブレスレットだったのだ。

 何でも九尾狐に付けている首輪に似ていたから、お揃いのつもりで買ったらしい。

 正直、あまり、いや、全く要らないけど、好意を鼻血に変えた事は素直に謝るしかない。

「まぁいいや。タマ、神崎とお揃いだぞ~?嬉しいか?」

 油揚げをムシャムシャ食べていた九尾狐を無理やり抱き上げる北嶋さん。

──まだ食べておる途中だろうが!!妾の食事の邪魔をするな!!

 九尾狐は後脚で北嶋さんを蹴り、手をガシガシと噛んだ。

「そうかそうか!!嬉しいか!!良かったな神崎、お揃いで嬉しいってさ!!」

「え、ええ……そ、そうね……」

 私は微妙な作り笑いをしながら、そう言うしかなかった。

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