視えない北嶋

 あの男が尚美を抱きかかえて家に入って行った。

 突然だった故、咄嗟に避けた妾だが、あの男、ああも迫力があったのか……

 悪神と戦っている時にも感じなかった迫力だったが…それ程動揺したと言う事か……

──尚美が倒れたのか!!術の効力が無くなった訳だな!!

 海神は悪神に牙を剥き出しにし、威嚇をし始めた。

 尚美の術、確か代替えの目とか何とか…

 男は妖や霊の類は視えない筈。

 故に、妾達妖の攻撃も通じず、海神などの神にも恐れず。

 それは勿論、悪神にも通ずる事だ。

 しかし、それは転じて攻撃にも言える事。

 尚美の描く絵を頭で想像し、尚美の指示で動き、攻撃を当てるのが精一杯だったが、尚美の術で視えるようになった男は、それこそ望むままに攻撃ができた訳だ。

 尚美が倒れた今、男に悪神を倒す術はない。悪神の姿が視えぬから。悪神の声が聞こえぬから。悪神の気配を感じられぬから…!!

 妾も悪神に向かって牙を見せる。

 男に片腕を斬られ、半分折れかけていた心が、男が消えた瞬間に蘇ったのが解ったからだ。

──勇によってボロボロに追い込まれたが、未だに向かってくるか

 海神が問う。

──ガハハハハハハ!!何故かは知らぬが、奴は逃げ出した!!貴様等如きなどは恐るに足りぬ!!

 悪神が笑っている隙に、妾は悪神の喉笛に向かって牙を立てる。

──ぐあ!貴様!

 妾を払おうと、残りの左腕で妾の背を殴ろうと振り被る。


 ブチン


 逃げると同時に喉笛を咬み千切る妾。しかし浅い。皮一枚と言った所か…

──がああああああ!!獣の王、貴様!!

 悪神が妾に向けて熱風を吹き出す。

──させるか!!

 海神が水の壁を立ち上げ、熱風を防ぐ壁を作る。

 妾は高く飛び、水の壁を越えて悪神に向かって牙を震う。

──ぎゃあ!

 結果左目を潰す事に成功した。痛みに耐えかねて転がる悪神。好機!!

──貴様如きに妾の尾は勿体無いが………

 妾の九つの尾には、厄が詰まっている。

──風の悪神…病魔よな貴様は!!

 一尾を振るうと悪神がブルブル震え、膝を付く。

──何だ?身体が……?

 ガクガクと震え、心無しか青ざめた。

──それは病厄。病魔すらのも蝕むのが妾の厄!!

 妾は悪神に向かってニタリと笑った。

 さぞや屈辱だろう。病魔の己が病に掛かるとは想像も出来なかっただろう。

 愉快になり、笑い転げたかったが堪えた。奴はまだ生きている。死んでいない者に対しての油断は絶対にせん。慢心はしない。人間に敗れたその日からそう決めたのだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 この古代バビロニア最強の俺が病だと!?

 疫病を運び、数々の人間共を死に追いやり、神々でさえも適わなかった俺に病を!?

 未だかつて無い程、動揺し、戦慄する。

 この俺を忘れ去ろうとした人間共に、これまで様々な疫病を流行らせてきた。

 ペスト然り、コレラ然り。

 今回の新型インフルエンザもそうだ。

 残念ながら、人間共の医療は俺が想像している以上に発達し、思った程の死者は出せなかったが、まだ流行り途中だから致し方ないと思っていた。

 この極東の国にも流行らせようと、俺自ら乗り込んだ訳だが、たった一人の男によって追い込まれる事になってしまった。

 その男は龍の海神を従え、妖狐を愛玩動物とし、三種の神器を苦もなく扱い、最初から俺をまるで赤子の手を捻るが如く、圧倒的な力で寄せ付けず。

 あまつさえ、俺の片腕を斬り落とし、消滅させた。

 悪神と呼ばれ、全ての者に恐れられた俺が、殆ど何もできずに、ただ殺されるのを待つだけとなるとは、全く予想ができなかった。

 しかし、何を思ったか、あの男は俺にとどめを刺さずに家に走り去ったのだ。

 恐らくは女の容態が悪化したのだろう。

 好機と捉え、場にいる海神と妖弧に少しばかりの憂さ晴らしをしようと試みたが…

 海神の力は予想通りだったとして…

 この妖狐は何だ!?

 俺に病を植え付ける事ができるような輩は知らぬ!!

 膝を付いて蹲る俺を見て、笑いながらも緊張を解かぬ辺りが、かなりの場数を踏んでいる証拠だろう。

 しかし俺も古代バビロニアでは最強と謳われた風の魔神、パズズ!!

 どれ程巨大な妖狐だろうが、俺はそう簡単には倒れぬ!!

 とりあえず、目の前で笑っている妖狐だけでも八つ裂きにし、この場から逃れよう。

 流石に海神までも相手にするのは今の俺には難しい。

 残りの力を全て振り絞り、高速で妖狐に爪を伸ばす。

 緊張していた妖狐は、勿論それに反応する。

 しかし全身全霊を掛けた俺の高速攻撃は、いかに妖狐でも易々とは躱せまい!!

 傷口から直接、病を感染させてやる!!

 妖弧の鼻に爪が触れる刹那!!


「タマと海神は斬るなよ!!」


 そう言う声と共に、妖弧の身体から剣の切っ先が現れて、俺の伸ばした左腕を中指から肩まで真っ二つに斬り裂いた!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

  

 神崎を寝かせて庭に戻った俺が見たのは、何かを追って遊んでいる様にしか見えないフェネック狐、タマの姿。

 ジャンプしたり、ダッシュしたり、いきなり方向転換したりで、ぶっちゃけ何をやっているんだが解らん状態だ。

 当然ながらあのウドの大木も海神の姿も見えない。タマがじゃれて…いや、追って…いや、戦っている正面辺りにウドの大木がいると推測される。どうだ?名推理だろ?

 生業が探偵だから推理するのはお手のもんだ。

 何?推理も何も全部力押しじゃないかって?

 力押しこそがハードボイルドのわびさびってもんだ。ハードボイルド北嶋ならではの解決法さ。

 まあ兎も角だ。その名推理でウドの大木の動きを予測してぶっ殺さなきゃならん。

 なのでまずは『見』だ。情報を集めようと言う事だな。

 丁度タマが牙を剥いて飛び掛かった所だ。俺の目には何もない場所に。

 着地したと同時にドヤ顔になる。噛み千切ったようだ。何処を噛み千切ったのか全く解らんが。

 そして少ししてから高くジャンプする。俺の目には何もないが、なんか高い壁を超えるような跳躍だ。実際アホみたいに高く跳んでいるし。

 着地したと同時に再びドヤ顔。またどっか噛み千切ったのか?多分そうだろう。間違いない。根拠は俺が間違える筈が無いからだ。

 そして尻尾をぶんと振る。何をやっているのかさっぱり見当がつかんが、何らかの攻撃だろう。

 そしてしばらくその場でごちゃごちゃやっている。

 つー事は、その真正面にウドの大木がいると言う事だ。

 俺は草薙を抜刀する。

 タマは俺の目には小っちゃい小動物に映っているが、実際はあのデッカイ狐になってウドの大木と戦っている筈だ。

 大木だけを真っ二つにする為にはタマが邪魔だが、タマがいないと位置すら掴めん。海神の位置も解らんので巻き添えにする可能性もある。

 なので俺は草薙にこう言った。

「タマと海神は斬るなよ!!」

 タマの真正面に居るであろう大木を強烈に意識して、草薙を振り降ろした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 悪神が妾に狙いを定めたのが解った。

 虚を付く攻撃を企んでくるだろうが、妾には通じぬ。

 身構えて、右にも左にも後ろにも避けられるよう、四股に気を張る。

 しかし、悪神は意外にも、真っ直ぐに妾に爪を伸ばして来たではないか。しかも、かなりの速さ!!

 一瞬、反応が遅れた。言い訳するようだが、それ程意外だったのだ。超即効性の病を発動させると思っていたのだから。

 それでも妾は躱すよう動こうとした。だが、男が叫んでつい止まってしまう。

「タマと海神は斬るなよ!!」

 同時にあの神刀が妾の身体を斬り抜き、悪神の残りの腕を真っ二つにした!!

──ぐああああああああああああああ!!

 肩まで斬り裂かれた悪神は、痛みに耐えきれずに膝を付き、顔を天に向けて悲鳴を挙げた。

 そして驚くべき事に妾の身体は傷一つ無し…!!

 あの神刀は妾の身体を確かに通り過ぎたのに!!

 慌てて後ろを振り返る。

「……そこら辺に居るんだろ?殺ったか?」

 妾の直ぐ後ろに男が神刀を振り下ろした状態で止まっていた。

 妾の依代たる仔狐の頭の上で神刀がピタリと止まっている。

 依代も妾の動きに同調している。

 恐らくは、男はそれを頼りに悪神を斬ったのだ!!

 男は駆け足で依代の妾の頭を飛び越え、5、6歩程の位置で立ち止まる。

「タマ、ここら辺りか?」

 神刀の切っ先を悪神に向けているが、男には視えぬ筈。

 妾は首を縦に振る。

「そうか。おいウドの大木、悪いがお楽しみはここで終わりだ」

 男は神刀を斜に払った。

──貴様は一体…はがっっっっ!?

 憎悪の眼を男に向けながら、悪神の首は刎ねられた。

 身体から黒い霧が発生し、徐々に消滅していく。首も、憎悪の眼そのままに消滅していった。

「……終わったかタマ?」

 男が妾に顔を向ける。

 妾は首を縦に振る。

 男が妾に近付き、ポンと頭を軽く叩く。

「ご苦労だったなタマ。海神にも助かったと言っておいてくれ。さて、神崎を病院に連れて行かなきゃな。悪いがタマ、留守番してくれよ。これでも食いながらさ」

 そう言って油揚げを妾の前に置く。

「じゃ、ちょっと行ってくるよ。泥棒入ったら遠慮なく半殺し以上にしても構わないから」

 男は尚美を抱きかかえて車に乗り、颯爽と走り出した。

 妾はそれを茫然と見送っていた。

――……あの男…本当に何者だ?

 つい口に出した妾に海神が答える。

――何者だと言われれば…阿呆で怠け者で、強くて暖かい…ただの人間よ

 ただの人間…

 ただの人間にあのような力がある筈が無い。無いが…

――阿呆で怠け者なのは間違いない

 そこは激しく同感だ。あの人間を評するのに一番適した言葉だ。

 最早見えなくなった男の車に今だ視線を向けながら思った。

――………む?

――………お?

 男が尚を抱えて戻って来た。抱えたと言う事は、わざわざ車から降ろしたと言う事だが…

 汗だくになって妾の前で止まる。ゼーゼーと息も切れている。

――何故戻って来た?尚美を妙院に運ばなくてはいけないのだろうが?

 妾の声など聞こえぬ筈だが、男が凄くバツの悪そうな顔を拵えて言う。

「……途中でガス欠になった……」

 妾と海神がずっこけたのは言うまでもない。

 

 男が別の車に尚美を乗せている最中、思った事を口に出す。

――さっきの評にもう一つ加えさせて貰おうか。大たわけとな

 海神が同調する。

――勇はいつでもどこでもオチを付けなければならんのか…全く嘆かわしい 

 それは本当に嘆いている様に、こうべを垂れて首を振っていた。

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