第2話 心を盗む 予告編

【予告状】

 モルバニア王国第二王女ジョージナ・オーガスタ・ヘンリエッタ・キース様


 突然のお手紙を差し上げる無礼をお許し下さい。


 私は“異能怪盗ショータイム”のショータイム二号と申します。日本という国を拠点に活動している二人組の怪盗です。

 今回お手紙を差し上げた理由は封筒に大書した通り、犯行予告を行う為です。聞く所によればオーガスタ様は幼い頃から王宮の中で育ち、外の世界を見たことが無いとか。そんな深窓の佳人を連れ出すというのは怪盗の醍醐味。私は怪盗として是非とも一度そんな愚かな試みに挑戦したいと考えたのです。

 なお、当日のお小遣いは30ユーロまで。

 以下のような日程で誘拐いたしますので、当日はお着替え他身の回りの支度を済ませた上でごゆるりとお待ち下さい。


9:00  王宮出発・車を用いた市街の散策

10:00 マダム・タッソー館ローテンブラグ分館の見学

11:30 ローテンブラグ市街の和風創作料理店クロサワで昼食

14:00 ローテンブラグ近郊のヴャーザ湖にある港の見学

16:30 ローテンブラグスタジアムでのサッカー観戦

20:00 王宮へ帰宅


 このお手紙は読まれましたら、お父様お母様の目につかぬようこっそりとお捨て下さい。

 それでは、いずれまたお会いしましょう。


 異能怪盗ショータイム二号


 *****


「そろそろ怪盗らしく宝石泥棒とかいっとくなあ? ふふふ……」


 会社を定時に上がったショーは何時も通りに怪盗事務所ジャンクガレージへ直行。今日もまた紅茶を片手に新しい悪巧みを考えていた。

 だがそんな彼の下に珍しく青い顔をしたクーが現れる。

 休んでいる時のローブ姿ではなく、ワイシャツとスキニーパンツの仕事姿だ。


「不味いわショー」

「何が?」


 ショーは首を傾げる。普段あれだけ呑気で人を食った態度をしているこの美女がここまで慌てるなんて一体何が起きたのだろうか、と。


「あの予告状、多分読まれてないの! 捨てろって言ったけど! 本当に捨てることないじゃない!」


 ああ、とショーは頷く。確かに予告状を無視されるのは怪盗としては恥ずべき事態だ。馬鹿にされていると思っても無理は無い。

 だがショーは思うのだ。相手だって知らなかったのだから、怒ることも慌てることもないと。

 そもそも現代異能社会において、日本的な悪の組織は海外でも広く名前を知られているが、細々と個人活動を続ける日本産の悪党ヴィランは海外だと無視されがちだ。

 しかしそれは逆を言えば活躍と営業の余地がある新天地ということなのだ。ショーは前向きに考えていた。


「一応聞いておくが、何故読まれていないとわかったんだ。もしかして日本語で書いたのか?」

「英語よ! ちゃんと英語で書きました!」

「じゃあなんでそんな事を言うんだ?」

「見たのよ! ハッキングした監視カメラで! テキトーに流し読みした後に興味無さそうに捨てられているところ!」

「ほう! 監視カメラ!」

「ちなみにこのことをお付きの者に話した後に鼻で笑われる所も見たわ!」

「そんなことよりその監視カメラの画像見せてくれないかな!」

「残念だけど私室はチェックが厳重で貴方の望むようなものは見られないわよ?」

「そいつは残念」


 ショーは紅茶を一息に飲み干すとため息を吐き、それからにやりと笑う。


「でも良いじゃないか」

「は?」

「予告状を読んだ上で捨てられたなんて、またとないチャンスだよ」

「どういうことよ?」

「だって今回の盗みは依頼じゃないんだぜ? 言わば営業だ」

「営、業……」

「あのジャンクガレージの予告状が捨てられた! なんて海外でも有名になった後ならオチャメな笑い話さ。それに面白いぞ……イタズラだと思っていた怪盗からの誘拐予告が本当になるだなんて。青ざめる王宮の人々の顔が目に浮かぶよ」


 クーはショーの話を聞いて表情を輝かせる。


「……成る程、確かに! それは素敵ね! その上で王女様を丁重にもてなして返却したら、きっと最高に笑えるわ!」

「分かってくれたか?」

「ええ!」

「ならば良い。心を乱した時には面白いことを考えるに限るよ」


 相棒の単純な思考回路に思わず微笑むショー。

 だが彼は彼女のこういう所が好きだった。なにせこういう馬鹿げたロマンを一緒に笑って追いかけてくれる仲間は貴重だ。


「じゃあ早速予定通りに準備を始めましょう!」

「ああ、勿論だとも」

「ねえ、二人で乾杯しない?」

「乾杯?」

「マルヤマさんと買ってきたの。大沼インディアペールエール!」

「ビールか?」

「ただのビールじゃないのよ! まずは飲んでみて?」


 シュポンという景気の良い音を立てて瓶の王冠が抜ける。

 クーは掌ほども有る大口のグラスを取り出してその中に明るい銅色の液体を注ぐ。

 液体は雪よりも白く砂糖粒より細かい泡を立てながら大きなグラスの中でキラキラと輝いていた。


「良いけど……んぐ、苦っ! なんだいこれは?」

「あははは!」


 渋い顔をするショーを見てクーはケラケラ笑う。


「保存用に濃ゆ~~~~く作ってあるんですって! 長い船旅に耐えられるように」

「長い船旅?」

「これから海外に出る私達にはぴったりでしょう?」


 普段は引きこもっている彼女だったが、海外での初仕事となれば話は別だ。

 ショーが仕事の間に、マルヤマに手伝ってもらってそれを祝う為の買い物をこっそりとしていたのだ。


「なる程な」

「さあ、これからの私達に」


 クーは自らのグラスにも同じようにペールエールを注ぎ、ショーに差し出す。


「ああ、乾杯」


 二人はグラスを合わせ、その後それを同時に飲み干した。


 *****


 モルバニア王国。

 現地時間にして午前八時四十五分。

 ジョージナ・オーガスタ・ヘンリエッタ・キースは自らの部屋で侍女と共にくつろいでいた。

 薔薇をイメージしたシニョンに纏めた金の髪、透き通るような青い瞳、白磁のような肌、寝間着を兼ねた薄桃色のドレス。

 さりげない日常の一つ一つの動作さえ美しい。

 侍女はこんな無防備な王女の姿を楽しめるのを内心役得だと感じている程だった。


「あーあ……タイクツ。あの予告状の怪盗が本当に来たら良いのに」


 ヘンリエッタの朝は早い。

 まず朝六時にこっそり起きて身だしなみを整え、朝七時には起床の儀。

 医師に健康状態をチェックさせてから朝食に移る。

 七時半からの朝食はゆったり一時間。

 八時半から九時までは着替え時間も兼ねた休憩だ。

 九時以降は家庭教師が来て勉強を教えたり、公務ということで外国の大使と挨拶をしたり、国が抱える楽団の音楽会に参加したりするのがヘンリエッタの日常だ。

 兄達は狩りに出かけることもあるが、大切な姫君として扱われるヘンリエッタはそれについていくことも出来ない。


「まあまあヘンリエッタ様、あれは貴方様のイタズラではないのですか?」

「だから違うってばー!」 

「あら、失礼いたしました」

「ボク、このお城の外に出てみたいんだ。攫われても良いから」

「あら、滅多なことを言うものではありませんわ。それにサッカーの試合の観覧や楽団の演奏会を鑑賞なさる時に何時も外に出ているではありませんか」

「だってボクの乗る車は沢山の警護車に囲まれながらスタジアムやコンサートホールに行くじゃない? そんなのこの城の中に居るのと変わらないよ。あーあ、本当に怪盗ショータイムが居れば良いのに」

「駄目ですわヘンリエッタ様。そんなこと誰かに聞かれたら何と言われるか! さあ急いでお着替えを済ませてしまってくださいまし!」

「はーい」


 ヘンリエッタはベッドから起き上がり、当たり前のように両手を広げる。

 侍女にドレスを脱がせてもらう為だ。

 部屋に入ってきた女の方も当たり前のようにヘンリエッタのドレスを脱がせ、その下の柔らかな肢体を包む肌着にも手をかける。

 ピンクのフリルがついたシルクの紐付きショーツの紐を解いた時、その事件は起きた。


「ぎゃおおおおおおおおおん!?!?!?!?」


 竜が逆鱗を貫かれたかのような悲鳴。

 その甲高くも深く轟く叫びを上げたのは姫ではない。


「なんでぉっ!!」


 そう、侍女の方だ。

 もっと正確に表現するならば“侍女に扮したクー”だ。


「ちょっと待って? 貴方もしかしてマーサじゃないの?」

「はっ、しまった!?」

「もしかして怪盗!? 貴方、“異能怪盗ショータイム二号”よね! ボクを迎えに来てくれたんだ!」


 ヘンリエッタの声は弾んでいる。

 クーとしては嬉しいのだが、何せこんなマヌケな見破られ方をしてしまったので素直に頷き難い。


「ああ、ええと……まあ、そうね」


 クーは怪盗としての作法にのっとり、マスクを剥がして素顔を晒す。

 長い黒髪、耳の後ろに左右二本ずつ生えた角、どこか竜を思わせる鋭い瞳の美女だ。

 東洋人を見たことのないヘンリエッタは更に声を弾ませる。


「わぁ! 日本人! ちゃんとグーグルで調べたよ、ジャンクガレージは日本では有名な悪党ヴィランだって!」

「予習してくれたの?」

「でも、実物は案外うっかり屋さんなんだね」

「わ、悪かったわねえ……」


 ヘンリエッタはクーの角をまじまじと見つめる。


「ショータイム二号って新人類ニュータントだよね?」

「そうね、ドラゴンに変身する異能を持っているの。角とか、触ってみる?」

「良いの!?」

「さっき驚いちゃったお詫びよ」

「気にしないでいいよ。でも秘密だよ?」

「じゃあ私の素顔も秘密で頼むわね?」

「えへへ、良いよ!」


 ヘンリエッタはクーの白い角を触って「わぁ……」と感嘆の吐息を漏らす。


「嬉しいな……ボク、新人類ニュータントと話すの初めてなんだ」

「あらそうなの?」


 落ち着いたクーは気を取り直してヘンリエッタに下着とドレスを着せていく。

 角を触らせておけば大人しいので侍女の仕事に慣れないクーでも楽なものだ。


「野蛮で怖いって聞いてたけどそんなこと無いんだね?」

「当たり前よ。同じ人間ですもの。貴方の侍女だってお城の中に縛って転がしているだけだから安心なさい。傷一つ付けてないわ」

「そうなの!? ははは、マーサが! それはいいや!」

「貴方結構薄情ね……」

「だってボクが何をしようとしても反対するんだもの……」

「あらそう。貴方って王子……いえ王女様なんだから我儘くらい言えば良いのに」

「分かってないなーお姉さんは。王族も楽じゃないんだよ?」

「分かってないのは貴方も同じよ?」

「それを言うのは反則だよ~!」

「安心して頂戴。今日はお姉ちゃんが色々教えてあげるから」


 クーは着替えの終わったヘンリエッタにウインクを飛ばす。

 あんな間抜けな正体バレをしてしまったが、これでどうにか主導権を握ることができた……とクーは思い込むことにした。

 自身の精神衛生の為に。


「姫様! 何か有ったのですか?」


 悲鳴を聞きつけたのか、部屋の外から衛兵が呼びかける。


「あら、まずいわね」

「大丈夫だよお姉ちゃん」


 咄嗟に身構えるクーだったが、ヘンリエッタは彼女を制して衛兵に答える。


「なんにもないよ! ねえマーサ?」


 多少醜態は晒したものの、クーも怪盗の端くれである。

 咄嗟にヘンリエッタの意図を察して彼女、もとい彼の話に合わせる。


「はい、少し転びそうになってしまいまして……」

「そうでしたか。これは失礼。何か有ったらすぐにお呼びくださいませ」

「はーい!」

 

 衛兵は扉の前から去っていく。

 顔を真赤にするクーとイタズラっぽく笑うヘンリエッタ。


「あ、ありがとうね……」

「ボクを今日一日盗んでくれるんでしょう? お礼代わりだよ」

「一つ貸しを作っちゃったわね」

「ボクの貸しは大きいよ?」

「あら怖いわ」

「ショータイム二号ってことは一号も居るんだよね? 何処なの?」

「外で待ってるわ」

「じゃあ早く行こうよ、じゃないと流石に怪しまれちゃうよ?」

「ええ、そうよね」


 今日は一日退屈しないで済みそうだ。

 クーも、ヘンリエッタも、全く同じことを考えていた。


「でも大丈夫よ。迎えは来ているから」

「え?」


 クーはヘンリエッタの寝室から中庭を望む窓を指差す。

 その窓辺に、一台の車が停まっていた。

 何の変哲もないトヨタの乗用車だ。この国では誰もが乗るようなありきたりな車である。だがこんな場所に有るのはおかしい。

 車がクラクションを軽く鳴らすと、城中の人々が慌てて窓から顔を出す。

 皆、あまりに非日常的な光景に息を呑み、とっさの判断ができなくなっていた。

 ただ二人、怪盗ショータイム一号とショータイム二号であるクーを除いて。


「ちょっと捕まっててね?」


 クー、もといショータイム二号は仮面を付け、その後は躊躇うこと無くヘンリエッタをお姫様抱っこする。


「えっ? きゃっ!」

「そー……れっ!」


 ショータイム二号は窓ガラスを蹴破ると、中庭へと勢い良く飛び出した。

 流れるような動作で車の客席へと乗り込み、ドアを閉める。


「はじめまして姫殿下。僕の名前はショータイム一号。君を攫いに来た者です」


 運転席に座る仮面の男――ショータイム一号は流暢な英語クイーンズイングリッシュで彼女に挨拶する。


「わぁ! 本物の怪盗だ!」

「ご期待に添えたなら何より。早速で悪いのですが、何か適当な物に掴まって頂けますか?」

「え? わかったけど……」

「ヘンリエッタちゃん。お姉さんの手、握ってて頂戴?」

「こうかな?」


 ヘンリエッタはシートベルトをきつく締め、ショータイム二号の手を強く握る。

 ライフルを構えた衛兵が次々と現れてショータイム達の乗る車を取り囲む。

 いかつい顔の衛兵隊長はサーベルを抜き放ち、今にも斬りかからんばかりの勢いだ。


「撃てっ! 撃てぇっ! あの賊徒を撃ち殺し、ヘンリエッタ様をお救いするのだ!」


 放たれる大口径のライフル弾が車のフロントガラスに当たって甲高い音を立てる。

 だがそれはフロントガラスに一筋たりとも傷をつけることができない。


「おやおや、本当に撃ってくるとは。念のために完全防弾仕様にしておいて良かったよ」

「あいつらボクが死ねば良いと思ってるんじゃないかな?」

「おや、何かワケアリで?」

「それはレディーの秘密だよ、お兄さん」

「それは失礼いたしました」


 運転席のレバーを引っ張ると、乗用車のタイヤが突如として横を向き、ジェットエンジンへと変形する。


「なにこれ!?」

「怪盗の嗜みでございます」

「一号、貴方本当に使うつもり?」

「ああ、揺れるからヘンリエッタお嬢様の手を離すなよ」

「まさかこれ、飛ぶの? 飛ぶの?」

「カモン、ジェット・ショッカー!」

「飛んだーっ!?」


 ジェット・ショッカーは爆音とともに衛兵達を置き去りにして、空高くへと舞い上がる。


「ジェット・ショッカー! ウイングルーフ!」

「翼が生えた!?」


 ルーフが一瞬で変形して巨大な翼へと変わり、ジェット・ショッカーは滑空を開始する。

 生まれ育った街の空からの風景にヘンリエッタは歓声を上げる。


「凄いや凄いや! 本当に怪盗なんだね! こんなに凄い怪盗だったなんて知らなかったよ! なんで今までヨーロッパだと無名だったの?」

「人は自分の身近に迫らない危機には無頓着なものです。なにせ貴方様がヨーロッパでは初めてジャンクガレージに攫われたお宝なのですから」

「ボクが?」

「そうです。僕達怪盗は美しいものしか盗めない儚い生き物なのですよ」

「ボク、そんなに綺麗かな?」


 ヘンリエッタはニヤリと笑う。

 女として花盛りを今迎えようとする少女の美貌。そこに一瞬だけ垣間見える甘やかな闇。そのあまりの美しさにショータイム一号は心が揺れているのを感じていた。


「ええ、勿論」

「ありがとう素敵な騎士ナイト様。このままボクに仕えてくれたら良いのに」

「誰かを物にすることはあれど、誰かの物にはならないのが怪盗の美徳でございますれば」


 ショータイム一号はヘンリエッタの手の甲にそっと口付ける。


「ですが我ら怪盗ショータイム。今日一日だけは貴方様の騎士となりましょう」


 隣で成り行きを見ていたショータイム二号は「一号、その子は男よ?」などと無粋は言えないまま、成り行きを見守ることしかできなかった。

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