三国志のあらすじを大雑把に紹介される場合、大抵、最後はこうなる。
「最後は司馬懿の孫・司馬炎が魏を乗っ取って、晋を建国して呉は滅ぼし、ついに天下は統一されました。しかし、これで平和な時代が来たわけではありません。司馬炎は政治を忘れて遊びほうけて、暗愚な恵帝に後を継がせ、司馬一族が権力を巡って殺し合いをはじめたのです。そこに、北のいた(厳密にいうと少しおかしいのだが)騎馬民族が攻め込んできて、天下はまた乱れてしまいました。天下はまた統一されるのは、それから約400年後、隋まで待たねばなりません。隋はすぐに滅びますが、唐が再度、統一しそこで本当の平和が訪れました」
読者はここで、日本史で習った「遣隋使」、「遣唐使」のことを思い出すという構図である。
これは、大雑把にいうと間違っていない。さて、その詳細はなんだろうと思って調べようとしてもほとんど分からない。陳舜臣の「小説十八史略」、「中国の歴史」、宮崎市定の「大唐帝国」にたどり着いたら幸運である。もっとも、それ以上は分からない。
ここからいきなりハードルが上がる。今でこそ、邦訳があるが、「續三國志演義」や「資治通鑑」の漢文書き下しに挑戦するか、「世界帝国の形成」、「西晋の武帝 司馬炎」、「五胡十六国」、「魏晋南北朝」、「中華の崩壊と拡大」と半分専門書といえる概説書、あるいは「世説新語」や「捜神記」の邦訳にいくか、晋書の翻訳サイトにいくしかないのである。
なお、ネットのサイトはほとんど上記全てぐらいは簡単に読める層を対象にしたものである。あるいは断片的な情報のサイトがあるだけであろうか。
だが、読者の多くは叫ぶだろう。「自分が知りたいのは、人物のエピソードや英雄談、起伏に富んだ面白い群雄戦乱物語であって、漢文や歴史学をやりたいわけではない!」と。
確かにその通りである。大体、史学にいく学生でもキングダムや三国志演義の延長での研究をするものが多いのに、一般人にそんなものを要求できようか。
だが、ここで五胡十六国に救世主があらわれた。陳舜臣の「小説十八史略」は前提知識として欲しいところであるが、佐藤さんの『崔浩先生の「五胡十六国」講座』は、五胡十六国を初めて知りたい人に安心しておすすめできる内容である。
その上で、上記の書籍やネットのサイトを見たら、「あら不思議」というぐらい頭に入ってくること請け合いである。
特に第二席の第六部は本当にここまでよくまとめた、というほど、素晴らしい内容であり、上記がクリアできた人でも一読の価値はあろう。
日本のネットで五胡関係で活動される中で、もっとも初心者の方の知的好奇心を満たすという需要に一番答えてくているのが佐藤さんでないだろうか。
おそらく、見識も学問も日々、磨かれていかれるであろう。『崔浩先生の「五胡十六国」講座』はまだ完結しているわけではない。これからがさらに楽しみである。
※ ただし、佐藤さんによると、これはあくまで小説とのことであり、史実の基本解説と考えると間違いとのことである。史実を本気で知りたい方は、上記の概説書等を当たった上でお読みいただくことをお薦めする。
五胡十六国時代。確かに歴史の教科書を読んでも理解できなかったほろ苦い記憶がある。それを非常に分かり易く解説してくれるのが本作品である。
でも、非常に分かり易いのだが、理解できた最大のポイントは「やっぱり理解できねえや」と言う事。これは良い意味である。正直、ここまで五胡十六国時代が人間味に溢れた面白味の有る時代だなんて思いもしなかった。大変感謝してます。
この作品は、崔浩なる歴史上の人物の口を借りて紡がれている。彼の決め台詞が良い。正確には枕詞だか、「御機嫌よう」「では参る」。私は非常に気に入った。作風の雰囲気を感じて頂けただろうか?
構成は、五胡十六国時代の大きな流れを敷衍した上で、数多の歴史上の人物の紹介を連ねている。この人物評が秀逸。パロディっぽい説明が分かり易い。
それだけではない。第二席第6部の時代分析なんぞ、読者を唸らせるだろう。
それ以外にも、五胡十六国時代に通じた人的ネットワークの紹介も公正に紹介し、独善に陥っていないスタイルは賞賛に値すると思う。第一部余談で、私も尊敬する田中芳樹先生が出て来るが、確かにそんな発言をしていたな、と改めて思い出した。
作者の歴史小説をこれから読んでみます。また、五胡十六国時代を舞台とした新作にも期待しています。
「おお、見事な“東洋史話法”だ! 楽しい!」と思った。
崔浩先生の語り口、いかにも東洋史、この上なく東洋史。
絶妙に軽快な皮肉交じりの毒舌風味、断言して容赦なし。
それでいて実に骨太な歴史観・政治観を滔々と語るのだ。
語られる内容もまた、いかにも東洋史、この上なく東洋史。
作中の言葉を借りれば「バカ kills バカ」「内ゲバ」の連発、
バカ殿スパイラルによってぶっ壊れゆく短命国家の様相が、
後世的なツッコミを交えつつ非常に「香ばしく」描かれる。
三國志でお馴染みの時代の後に訪れた五胡十六国時代は、
安定やら安寧といった言葉が「何それ?」なくらいに、
漢族も異民族もごちゃごちゃの大乱闘が繰り広げられた。
無論、キャラが立ちまくった人物が大量に輩出された。
私は今まで結構いい加減な勉強しかしてこなかったので、
今になってカクヨムで五胡十六国&南北朝時代を勉強中。
本作に示された「胡漢融合」は大好きなテーマの1つで、
宋代元代の異民族の漢化と対比するとまた興味深かった。
とにかくすごく楽しい。崔浩先生の毒舌がお茶目で素敵。
やっぱり中国史はよい。同姓だらけで紛らわしいけどよい。
英雄(かもしれない人々)が立派じゃないところがよい。
「バカな子ほどカワイイ」から、無関心ではいられない。
崔浩先生の言葉を借りての、容赦なく実情をぶったぎった人物評に大笑いしました。
身も蓋もなくぶっちゃけてしまえば、そんなもんか。
さすが、宇宙大将軍なんて人が出てくるような時代です。
他の方の複数のレビューでも言及されていますが、「良質でかつ簡単な歴史物語は必要だと思うんです。それがあってはじめてその時代への興味の門戸は開かれると思う。」というのが、まさにど真ん中。
なのでカクヨムには、歴史時代伝奇ジャンルを冷遇するのではなく、そのジャンルの書き手、読者、ジャンルそのものを育てるような方策を講じて、なろうとの差別化をはかってほしいなあとか個人的に思ったりします。
五胡十六国時代。それはあまりにも有名な「三国志」時代の後、三国を滅ぼして中華統一した晋を起点に語られるごりごりの暗黒時代のこと。
で、三国志の陰に隠れてなかなかにマイナーなわりに、出てくる人がもれなく殺し殺されを繰り返しちゃう凄絶すぎるこの暗黒史を“崔浩”というキャラクターが紹介してくれるのがこの作品。
物語は崔浩さんの口述体で語られていきますが。彼の古語調でありながら軽妙な語り口と、歴史をざっくりとりまとめつつ要点を押さえた説明に、読んでいる側は思わず「え、これってどうなっていくの?」とページをスクロールし、次のエピソードをクリックせずにいられません。
なんでしょう、事実は小説よりも奇なりそのものって言いますか。
言ってしまえば超大規模なヤクザの抗争劇を見ているような気分を味わわせてもらえます。
確かな筆で語られる、狭間の歴史絵巻。
中国史のおもしろさを再確認させてくれる解説書なのです。
(必読!カクヨムで見つけたおすすめ5作品/文=髙橋 剛)
あの中国史でいちばん有名な『三国志』の時代から、『隋』がふたたび中華を統一するまでには実に400年近い開きがあります。
じゃあその間はなんだったのか、といわれれば、当講座で取り上げられている『五胡十六国時代』、加えて『南北朝時代』と呼ばれる、史上まれに見る混乱期だったということができます。
私は中国史が好きでこのあたりも調べたことがあるのですが、いやあほんとこの時代はカオスといいますかなんといいますか。
そんな時代についての講座で語り部をつとめる崔浩先生の軽妙かつ辛口な評価は、歴史の流れを知ってる人ならばうんうんと頷き、笑うことうけあい。
そしてこれまでこの時代のことについてよく知らなかった、という人への取っ掛かりともなってくれるでしょう。
特に第五席はよくぞここまでまとめなさったと感嘆せずにはいられません。
中国には秦王政の時代や三国志以外にも刮目すべき戦乱の時代があった――ということをなんとなくでもいいので味わってみてください。
個人的には当講座で「基本的に忘れてよい」とバッサリ切って捨てられている南朝側の解説、とくに侯景宇宙大将軍にツボってしまいました。
い、一時は己に従わない者はいないと豪語するほど圧倒的でしたから
それはともかく、私はそんな南朝側の、内輪もめで蝕まれていくどうしようもなさがとても人間臭くて、たまらなく好きです。
「五胡十六国時代」。
確かに他のキラキラした王朝、例えば漢や唐といった派手な統一王朝からすると、地味でスルーされがちな時代である。
「大漢帝国」「大唐帝国」と麗々しく称される漢や唐にひきかえ、大方の人にとっては「あったっけそんな時代?」「何だかごちゃごちゃしているって感じ?」、挙句の果てに「知っているよ、五代十国でしょう☆」とよく間違えられている不憫な子、それが「五胡十六国」といえる。
まあ、ワラワラ侵入してきた異民族の名は覚えにくいし、国はコロコロ変わるし、ねえ…。
だがしかし、この不憫ちゃんは、南北朝と合わせのちの隋・唐の揺籃ともなる重要な時代でもある。
この作品はそんな「五胡十六国」を崔浩先生がわっかりやすく、楽しく解説してくれる。先生の漢文調と現代語朝が絶妙にブレンドされた語り口と上手い譬えに乗っかって、ぜひこの時代を探検していただきたい。私は読んでいてその当を得た比喩に、何度かパソコンの前でフイた。
読了すれば、「漢から隋に華麗にスルー☆」なんて二度とできなくなることウケアイである。
また、末尾に付された「良質な歴史もので入り口を広げる必要性」について、私はヘッドバンギングよろしく頷いた。
「歴史ものってこんなに楽しくて醍醐味溢れているよ!」と人々に伝えたい気持ちは私も同じである。それは、私自身もかつて歴史への入口を指し示してくれた人々や良作に出会ったからこそ、いま歴史ものを読み書きしているわけで、何とか少しでも良い入り口を用意したいと試行錯誤中だからである。
ともかくも、
「五胡十六国はたべられるし美味しいよ♪」
そして
「五胡十六国、恐ろしい子…!」なのです、諸兄諸姉。