9-2
翌日、僕は新しい制服を身に纏って学校に向かった。
見知らぬ通学路で出会う、見知らぬ同校生たちの会話に耳をそばだてる。TV番組で芸能人が話すようなコテコテの関西弁ではないけれど、イントネーションはやはり違う。そしてやたらとノリがいい。自己紹介、どうしようか。考えているうちに学校に着いた。
学校に着いたら真っ直ぐ職員室に向かう。担任の先生が「よお!」と爽やかな笑顔で僕を迎えてくれる。短髪と顎髭が男らしい頼りがいのありそうな先生。もっと知的でスマートな雰囲気があればタイプなのに。惜しい。
「どや、緊張するか?」
机の近くにパイプ椅子を用意して僕を座らせ、先生がきさくに話しかけてくる。僕は気取らず、強がらず、素直に答えた。
「します」
「せやろなあ。自己紹介、考えとるんか?」
「一応、二パターン考えてきました」
「ほお。しっかりしとるわ。好きなもんとか、なんて言うつもりや」
「QUEENで行こうかなと思ってます。洋楽の」
先生が、パンと自分の腿を叩いた。
「ええやん! 意外性バッチリやで!」
「でも、最近の子には通じない気がします」
「あー、そうかもしれへんな。俺らの世代やからなあ」
「先生も好きなんですか?」
「好きやで。特にあれが好きや。『ふん♪ ふんふん♪ ふーん♪』ちゅうやつ」
「……『ドント・ストップ・ミー・ナウ』ですか?」
「そう、それや。これでもう俺らはツーカーの仲やな」
先生が右手の親指をグッと立てて突き出した。明るい人だ。指導者として、僕がどういう人間でどういう経緯を経てここに来ているか全部知っているはずなのに、それを微塵も感じさせない。
「ほんで二パターンって、どんなんとどんなんや」
「無難なやつと無難じゃないやつです」
「つまらんやつとおもろいやつやな。そんなん一択やろ」
「――そうですね」
予鈴が鳴った。先生が立ち上がり、僕を先導して職員室を出る。そのまま先生は教室前まで僕を連れていき、「出番なったら呼ぶわ」と一人で教室に入ろうとした。
「先生」
背中に声をかける。先生が振り返った。
「自己紹介、何があっても止めないで下さいね」
自分に出来うる限りの真剣な眼差しを先生に向ける。冗談を言っているのではないと態度で告げる。廊下の窓が取り込む光を反射して、先生の顎鬚が薄ぼんやり輝く。
先生が、目尻に皺を浮かべてふっと笑った。
「好きにせえや」
とくん。
先生が教室に入った。やっぱり失恋の痛みを忘れさせるものは、次の恋だよな。僕は誰もいない廊下で胸を抑えながら、自分が思っていたよりも逞しかった自分を肯定するように、一人うんうんと頷いた。
◆
壁にもたれて腕を組みながら、僕はこの期に及んでまだ思案していた。
二パターンの自己紹介。無難なやつと無難じゃないやつ。どちらで行こうか。どちらで行くべきだろうか。どれだけ考えても答えは出てこない。
廊下の窓を開けて身を乗り出す。無人のグラウンドをぼんやり眺めながら、少し前の出来事を思い返す。隠して、暴かれて、拒まれて、だけど命を盾に認めさせた。あの時、もし僕が自分の命をカードとして切らなかったら、どうなっていたのだろう。それでも僕は認められていたのだろうか。
それとも――
ポケットが震えた。
震えの元のスマホを取り出す。SNSアプリに新着。送信元は三浦さん。送られてきたものは、チアガールがよくつけている黄色いボンボンをつけたうさぎが、軽快に踊りながら一つの言葉を告げるアニメーション。
『頑張れ!』
唇が綻ぶ。教室の扉が開き、先生がひょっこりと顔を出した。
「出番やで」
上ずった声で「はい」と答える。出来の悪いマリオネットみたいに、ギクシャクした動きで教室に入る。教室中の視線が僕に集中しているのが、痛いほどに分かった。
教卓の前に立ち、教室を見渡す。座席は六列。六人の列が四本。七人の列が二本。全部で三十八人。僕を含めて三十九人。先生を含めて四十人。
この中にも、いるかもしれない。
「ほんじゃ自己紹介、頼むわ」
先生が僕の肩を叩いた。僕はすうはあと息を整える。そして腰の後ろで手を組み、足を肩幅ぐらいに広げ、堂々と胸を張った。
「初めまして! 東京から来ました、安藤純と言います!」
決めた。
あっちにしよう。
「僕は――」
大きな声が教室を震わせる。開け放たれた後ろの窓から風が吹き込む。誰かが僕の門出を応援しに来たみたいに、白いカーテンがふわりとなびいた。
(了)
彼女が好きなものはホモであって僕ではない 浅原ナオト @Mark_UN
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