Bonus Track:Don't Stop Me Now

9-1

 新学期前日、三浦さんから電話がかかって来た。

 僕はその時、ノートパソコンの文書作成ソフトを開き、明日の自己紹介で語りたいことを書いていた。引っ越してから初めての電話。それなりに緊張して出たのに、三浦さんは「ひさびさー」と大変ゆるい感じで話しかけて来て、一気に馬鹿馬鹿しくなった。

 三浦さんはまずは僕の近況を聞き、それから自分の近況を話した。僕に隠れゲイが接触したように、三浦さんにも隠れ腐女子が接触して来ているらしい。イベントにも一緒に出かけたそうだ。

「良かったじゃん。友達いっぱい出来て」

「それが手放しで喜べないんだよねー。みんな宗教が違うから」

「宗教?」

「そう。例えば高岡くんと小野くんだと、わたしは高岡無邪気攻めの小野俺様受け以外にありえないのね。でも世の中には小野不器用攻めの高岡無邪気受けがいい人もいるし、高岡腹黒攻めの小野俺様受けがいい人もいるわけ。そういう宗派が違う人たちが集まると大変なの。まとまらなくて」

「……出来れば、例え話には縁遠い人を使ってくれないかな」

「なんで? イメージしやすいのに」

 だから複雑なんだよ。そう言おうとした僕を、三浦さんが遮る。

「そうだ。高岡くんと言えば、相談があるんだった」

「亮平のことで相談?」

「うん。告白されちゃった」

 会話が、ピタリと止まった。

「どうすればいいと思う?」

 三浦さんが声を弾ませる。ほら、元彼女が親友に告白されちゃってるよ。どうするの。どうしてくれるの。悪戯っぽく笑う三浦さんの顔が目に浮かぶ。

「好きにすれば?」

 突き放す。それから、はっきりと言い切る。

「でも、亮平はすごくいい奴だよ。僕が保証する」

 三浦さんが「うーん」と悩み出した。わざとらしい。どうせ結論なんて、とっくに出ているくせに。

「まあ、しばらくは保留かな。今は姐さんとBL星巡りする方が大事だし」

「亮平もBL星に連れていけば? 多分、ホイホイついてくるよ」

「乗り換え早すぎて、姐さんが困惑するでしょ」

「佐倉さんには僕のことを言っていいよ」

「あ、ごめん。それはもう言ってる」

 さすがに、聞き捨てならなかった。

「どういうこと?」

「怒らないでよ。彼氏が男の人とキスしてるところを目撃して、しかもその彼氏は用事出来たとか言って勝手に帰っちゃったら、パニクって全部ぶちまけるし、ぶちまけたら最後まで報告義務あるでしょ」

 僕は口を噤んだ。反論できない。そういう流れならば確かに僕も悪い。というか、後処理を全て放り投げて逃げた僕が一番悪い。

「姐さん、全然気にしてなかったよ。『今度良かったらリアルBL話聞かせて』だって」

 ブレない人だ。まあ、佐倉さんはそうだろう。気になるのは――

「……近藤さんは、何か言ってた?」

 悪意なく、他意なく、それでいて的確に僕を傷つける、僕の天敵。あの人は僕の正体を知ってどう思っただろう。知りたい。

「んー、姐さんからの又聞きなんだけど――」

 来た。僕はごくりと唾を飲む。

「同性愛について酷いこと、安藤くんに色々言っちゃったんでしょ? 謝りたいって後悔してたらしいよ」

 ――いい人だ。全然、全く、粉微塵もタイプじゃないけれど。

「同性愛、分かって貰えて良かったね」

 それは違う。近藤さんは同性愛に理解を示したわけではない。根っこではやっぱり理解不能だと思っているし、どちらかと言えば気持ち悪いと感じていることも変わらない。偏見だって、まだそれなりには持ち続けているはずだ。

 でも今はそれでいい。同性愛は理解出来なくても、僕を理解してくれた。僕はそれで十分に満足だ。

「――あのさ」

 無性に、言いたくなった。

「ブログを始めようと思うんだ」

「ブログ?」

「うん。どこにでもいるホモの男子高校生が、つらつら日常のことを書き散らかすだけのつまらないブログ」

 僕のような人間はどこにでもいる。どこにでもいて、だけどここにいるんだと言えなくて、一人きりで苦しんでいる。たった一つの特徴を自分の全てだと思い込んで、本当の自分自身を見失っている。

「食べた食事とか、聞いた音楽とか、ホモなんだからホモらしいブログ書けよって言われそうな下らない日記を、出来るだけ楽しそうに書きたい。それで、悩んでいる同性愛者が僕のブログを見に来て、『なんだ、ホモなんて大したことないじゃん』とか少しでも思ってくれたら、それはすごく意味があると思うんだ」

 ミスター・ファーレンハイトは言った。もう少し僕と出会うのが早ければ、結末は違ったかもしれないと。それはつまり、僕には彼を救える可能性があったということ。この世界のどこかに仲間がいる。その事実だけで命を救われる人間すらいるということ。

 ならば僕は、声を上げる。

「――うん。とても、いいと思う」

 小川のせせらぎのように穏やかな声が、僕の鼓膜を撫でた。

「書きはじめたら教えてね。第一読者になるから」

「え、イヤだよ」

 即答。小川のせせらぎが、大雨後の激流に変わる。

「ちょっと、それはなくない?」

「だって身内にプライベート覗かれたくないし」

「何それ。分かった、いいよ。検索して探すから」

「見つかるわけないでしょ。どうやって検索するの」

「ハンドルネーム」

 僕の返事が止まる。三浦さんが勝ち誇ったように言った。

「それはもう、決まってるんでしょ?」

 僕はノートパソコンに視線を送った。モニターの右下で輝く、無意味に起動させているメッセンジャーのアイコンを見つめながら、芯の通った声で答える。

「もちろん」

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