シン・土方歳三

海野しぃる

願わくば花の下にて春死なん

 明治2年5月11日、箱館。

 朝から鳴り響いていた艦砲射撃の音色が止んだ。

 嵐の前の一瞬の静けさ。これからこの街に血風が吹く。


「此より後ろは地獄と思え、退く者は俺が切る! 生きたくば征け! 疾く進めっ!」


 これを友軍救援の最後の機会と見た俺はあらん限りの声を振り絞り叫んだ。

 勿論敵中に孤立した友軍を救ったところで、この戦に勝ち目が無いことなんて分かってる。

 だがそれはこの突撃に怯える理由にも、諦める理由にも、ましてや戦を辞める理由にもなりはしない。

 俺は侍だ。侍は戦う生き物だ。戦うことをやめたら俺は侍でなくなっちまう。侍のまま死んだ皆、侍として皆を死なせた俺。他の新撰組の奴らは生き残ったとしても、俺は、俺だけは侍として死なねばならぬ。

 

トシさん、トシさん」


 馬を駆る俺に後ろから話しかけてくる声が有った。聞き覚えが有る。大方、古参の隊士に違いない。斎藤の奴も永倉の馬鹿も皆居なくなったってのに、馬鹿な野郎だ死にになんぞ来やがって。

 死ぬのは俺だけで良いのに。


「なんだい」


 俺はぶっきらぼうに答えた。振り返りもしなかった。

 昔なら馴れ馴れしい奴だと腹切でも命じたかもしれないが、今はそれどころじゃなかった。


「ここ最近、トシさんは何時も笑っているな」

「楽しいからさ。何せこんな多摩の百姓の小倅だった男が、何時の間にやら亡国の忠臣を気取って大戦おおいくさ。胸が躍らない訳無いだろう?」

「京に居た時だって時代の趨勢は見えているって呟いていたじゃないか」


 やはり古株だ。そこまで腹を割って話をした相手なんて近藤さんの道場の頃からの仲間しかあり得ない。

 だがおかしい。その頃の仲間はもうみーんな死んじまったか消えちまったかしていた筈なんだが。


「そういや、そんなことも言っていたか」

「何が違うんだい?」

「そうさな。何も違わん。俺達はとっくの昔に詰んでいたんだ。だけどよ」

「だけど?」


 馬上の俺を狙う銃弾を躱しながら俺は話を続ける。

 もう総司ソウ程の身のこなしは無理だが、これくらいなら京で掻い潜った白刃に比べればまだ微温い。


「だけど、俺は覚悟ができたんだよ。にっちもさっちもいかないどん詰まりにハマって死ぬ覚悟が」

「死ぬ……覚悟?」

総司ソウが病で死んだ時は只恐ろしかった。近藤さんが死んだ時は不安で逃げ出したかった。でも今は違う。俺に近藤さんみたいな人としての魅力は無い。総司ソウみたいな剣の才能も無い。それでも……!」


 何時の間にか近くまで寄ってきてた新政府の連中を馬上からライフルで撃ち殺す。

 撃ち漏らしが刀を抜いて襲い掛かってきた為に俺達はそのまま白兵戦へともつれ込んだ。


「おい! 誰だか知らねえが後ろは――」


 そう言って俺が振り返ると、其処には誰も居なかった。


「くそっ! 何処行きやがった!」


 敵、味方、血みどろの殴り合いにはなっているが、先程まで俺と馬鹿言っていた昔なじみの顔は無い。

 聞き覚えは有ったから、顔さえ見れば一発で分かる筈なのに。


「土方歳三覚悟ッ!」


 持っていたライフルを目の前の男の顔面に投げつけ、怯んだ所を即座に下馬。そのまま愛刀で一突きに突き殺す。俺が考案し、斎藤が極めた片手平突き。殺傷力一点張りの邪剣だ。


「どらぁっ!」


 殺した男から奪った刀を振り回して近くの敵を切り倒す。

 しばらくすると片目に傷を負った男が槍を振り回しながら現れる。すでに全身生傷だらけ。そうか、俺を殺しに無茶して来たのか。


「土方ぁ! 京での恨みここで――」

「そうか死ね!」


 今度は奪った刀を投げつけて槍の持ち主の右目を貫いた。

 痛みに悶える男から槍を奪い取ってその間合いで俺を囲む連中を牽制していると、包囲の背後から部下達が敵を刺し殺す。


「そのまま走り続けろ! 正面から戦うな! 他の連中を殺そうとしている奴から狙え!」


 叫ぶ俺を追い越して多くの男達が死に向かう。

 逃げる者は一人も居ない。行先も征く先も逝く先も一つしか無いと皆分かっているから。


「ははっ、トシさんは人使いが荒いなあ」


 また声が聞こえた。

 しかも今回は声が何処から聞こえたかもはっきり分かった。


「……之定?」


 声は俺の愛刀“之定”から聞こえたものだった。


「そうそう、オレだよ大将」

「ついに俺もヤキが回ったか……幻聴が聞こえてくらぁ」

「かもしれないな。何せ大将、あんた腹ぶち抜かれてるでしょ? それじゃあもう長くないって……刀のオレにでも分かるよ」


 気づかれていたか。確かにもう大分前から血が止まらなくなっている。


「へへっ、喧嘩ってのはこうなってからが面白いのさ」


 俺が強がって笑っていると、一人の男が抜剣してこちらに向かってくる。


「おい大将! やれるのか!?」

「うるせえ、黙ってろ」


 時間がゆっくり流れているような気がした。

 俺は刀を横に寝かせるような平青眼の形に刀を構え、すり足で男の喉元へと刀を差し出す。

 男はとっさに身を引いて、刀を振り回して俺の突きを払った。

 だが問題は無い。

 親の顔よりよく見た構え、あの天然理心流の平青眼は俺の中に染み付いている。

 相手の反応を遥かに上回る速度で俺は払われた刀を構え直し、また一歩踏み出す。

 今度の突きは男の肩口を貫いた。

 まだ手ぬるい。そう判断した俺は即座に刀を抜き取り、再び平青眼に構え直す。

 もう一度足を一歩だけ踏み出す。その一歩分の距離だけ相手の身体を俺の愛刀が貫き、今度こそ男は動かなくなった。


「大将……今のはなんだ? 速すぎてオレでも何が起きたのか分からんかったぞ!」

「そんなに速かったか? へへっ、じゃあ俺にもできたんだなあ……三段、突……き」


 全身から力抜ける。

 俺はその場に膝を突いた。


「大将! 大将! 起きろ大将……トシさん! 今あんたが倒れたら俺達は!」


 俺は首だけを上に向けて天を見た。

 空には桜の花が舞い、青い空を鮮やかに染め上げている。

 そうか、蝦夷の桜は五月に咲くのか。

 俺はその美しい光景を瞼に焼き付けながら、静かに瞳を閉ざす。


 近藤さん、総司ソウ、俺……立派な侍になれたかな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シン・土方歳三 海野しぃる @hibiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ