第2話
彫師になりたいと弟子入り志願しに行った店の目の前で、尚矢は
「あの……」
驚くほど整った顔立ちの中でも一番目立つのは特徴的な大きな瞳だった。小柄で華奢とも言える体型だったが、白いシャツにジーンズというラフな格好からは、男なのか女なのか、すぐには判断がつかなかった。こんな美人もタトゥーを入れるのかと一種感動にも似た感情が尚矢の胸に込み上げたが、よく見ると、目前の人物は片手に買い物袋をさげていた。
「客?今日はもう予約は入ってなかったと思うけど」
その声を聞けば間違いない。目前の人物はまぎれもなく男性だった。しかも店の関係者のようではあるが、およそ接客業に従事する人間らしい言葉づかいでも態度でもない。
尚矢は戸惑った。不躾なほど真っ直ぐに見詰めてくる子どものような目。見つめられていると、吸いこまれそうになる。それでもずっと見つめていたいと思わせる、人を魅了してやまない宝石のような瞳。初めて見た豹に、珍しいくらいの美形、以上の強烈な印象を尚矢は受けた。
「あ、俺……客じゃなくて。ここで、修行させてもらいたくて」
「修行?」
「もしかして、
雑誌で見た圧倒的な芸術性と存在感を誇るあのタトゥーを生み出したのは、まさか目の前の人物なのか。そうであれば夢のようだと尚矢は目前に佇む美しい男を凝視した。
「ヒナに憧れてここまで来たのか?俺はヒナじゃない。でも、中にいるから」
入れよ、と空いている左手で尚矢のを手首を掴んだ豹。
「ヒナ!お前に客だぞ。弟子入りしたいってさ」
店の中は既に照明も落ち、うす暗くなっていた。店の後方は作業場なのか、パーティションの間から蛍光灯の光がもれている。
「ヒナ!」
再び豹がそう呼ぶと、パーティションの陰から大きな身体がぬっと現れた。
「聞こえてる」
「ここで修行したいって」
豹は楽しげに日向と尚矢を見比べた。
ヒナと呼ばれる大男が、丹下なのだろうか。およそ似合わない愛称で呼ばれているようだが、この二人はどういう関係なのか。
「あの、俺、
尚矢が頭を下げながら二人に差し出したのは、数ヶ月前に発売された美術雑誌だった。
タトゥー専門誌ではなく、主に現代美術にフィーチャーした一般的な雑誌に、現代アートの一形態としてタトゥーの特集が組まれた。日向の作品はその中で何点か取り上げられただけで、店には専門誌に紹介される程の反響もなかった。
日向と豹は顔を見合わせた。こんなものを見て弟子入り志願をする人間も珍しい。
「お前、本当に彫師になりたいの?」
「はい。でも、その、新しいデザインとかも自分で考案したいんです」
豹の問いに尚矢は勢いよく顔を上げた。
ふーん、と首を傾げる豹の横で、日向はむっつりと黙りこんでいる。
「あの、丹下さん、ですよね?」
「ああ」
「俺、美大に通ってて、これまでもいろんな物に絵描いてきたんです。紙とかキャンバスだけじゃなくて、壁とか、ドアとか、椅子とか、道路とか、タンスとか、棺桶とか、とにかくいろいろ。でも、絵とマテリアルの一体感て言うか、絵が素材の表情を引き出すのには、どうしたらいいんだろうってずっと迷ってて。絵が、素材と一緒に年を重ねて、成長して、生き物みたいに変わっていく、そういう作品を作りたいって思ってたんです。でも、結局それがどういうことなのか自分でもわかってなくて。だけど、この雑誌見たら、丹下さんの作品がたまたま載ってて、これだ!ってすぐ思いました。今まで俺が本当にやりたかったことはこれだったんだって、腹落ちしたっていうか、丹下さんの作品見た瞬間、ずしっと来たっていうか……。あの、本当に何でもします。雑用でも、アシスタントでも何でもいいので、弟子にして下さい!お願いします!」
思いの丈を伝えたいと尚矢は一気にそこまでを捲し立てた。
「弟子は取ってない」
「お前、もうちょっと言い方ないのかよ」
無愛想な丹下の胸を豹が手の甲で軽く叩いた。
「弟子を取るほど、俺はまだ仕事をしてない。いい彫師なら他にいくらでもいる。そっちをあたってくれ。ここまで訪ねってもらって悪いとは思うが」
「でも俺は、彫師なら誰でもいいってわけじゃなくて、丹下さんだから弟子入りしたいと思ったんです。もう、大学も辞めてきました。あの図案、色彩、勿論彫の技術も、他の人とは全然違います。俺、この雑誌見てからいろいろ彫師についても調べたんです。だけど他には見つからなかった。丹下さんの作品に出会わなかったら、俺はタトゥーに興味なんか持たなかったと思います」
「大学、辞めてきたのか?」
呆れたように問う豹に、はい、と尚矢は断言した。
「お前、年は?」
「今年ハタチです」
「健全な若者の将来を、狂わしたぞお前?」
豹はにやにやしながら日向を見上げる。二人が並ぶとその身長差は30センチ以上はあるように見えた。
「お願いします。弟子にして下さい」
前屈するように頭を下げる尚矢にさすがの丹下も困惑を隠せない。
「いいじゃん。客も増えてきてるし、アシスタントいた方がお前だって助かるだろ?」
「豹」
勝手なことを言うなと丹下は顔を顰める。
「なんだよケチー」
「そういう問題じゃない。俺は誰かに物を教えられるような人間じゃない。俺自身もまだ学ぶべきことがたくさんある」
「お前、知らないの?技術は学ぶもんじゃなくて盗むもんだって、昔の職人さんは言ってたぞ?」
「昔の職人って誰だよ?」
もっともらしい丹下の突っ込みに、尚矢は思わず顔を上げた。
「そりゃお前、あれだろ?左官屋の源さんとか、鳶職の竜さんとかさ、あとたぶん飛脚の……」
「わかった。もう、その話はいい。つーか、飛脚の技術って何だよ?」
それは、と言いかけた豹を片手を上げてたしなめ、丹下は尚矢を見下ろした。
「悪いが、そういうわけだ。誰かの人生を預かるのは、俺には荷が重い」
「そんな」
これ以上どんな言葉で自らの思いを訴えようかと尚矢が思案した時だった。
「お前、さぁ」
豹が雑誌を取り上げながら首を傾げた。
「もしかして、彫より、図案とかの方に興味あんの?」
「あ……それは、はい。どっちかっていうと、図案ありきっていうか」
「ふーん」
豹は雑誌をめくりながら何度も小さく頷いた。そして、日向の作品が載っているページを開き
「どれが一番気に入った?」
尚矢に向ける。
「これ……これです。この、複雑なトライバルみたいなやつ。これまでみた中で一番複雑に組み合わせてあるのに余計な線が一本もなくて、かっこいいし、すごい綺麗だと思いました」
へぇ、と楽しげな豹に、おい、と日向が声をかける。
「お前、見る目あるなぁ。俺もこれが一番気に入ってる」
「そうなんですか?」
「ああ。よし、決めた。お前、俺の弟子になれ」
「え?」
「おい、豹」
半ば予想していた展開だったのか、日向は眉を顰めて頭二つ分くらい下にある豹の顔を見つめる。
「図案は、俺が描いてるんだ。こいつは純粋な彫師」
「そう、なんですか?」
「ああ」
しぶしぶ頷いた日向。上機嫌な豹を前に既に諦めているようにも見える。
「お前、俺の弟子になれよ。店の手伝いはもれなくさせてやるし、雑用もけっこうあるぜ?住むとこないなら、納屋片づければ何とか寝られるだろうし」
「いいんですか?住み込みでって、ことですよね?」
「もちろん。弟子って基本住み込みだろ?」
「お前は何でもイメージだな」
「いいじゃん、それっぽい方が」
「あの……丹下さんも、いいんでしょうか?」
不機嫌そうな日向に尚矢は恐る恐るそうきいた。
「……」
「いいだろ?俺の弟子なんだから」
得意げに日向を見上げる豹。尚矢には何となく二人の力関係が理解できた気がした。
「お前は本当に言い出したら聞かないな」
勝手にしろ、と日向は首筋を掻きながらため息をついた。
「よし。じゃぁ、お前、尚矢、今から俺の弟子だからな。何でもいうこときけよ」
「はい、師匠!」
「お前ら……わかってるのか?ごっこじゃないんだぞ?」
二人の妙なやり取りに一度は諦めたものの、丹下は不安を隠せないようだった。
「わかってるって」
「わかってます。大丈夫です」
やれやれと肩を落とした丹下。大丈夫だって、とその肩を豹が笑いながら叩く。
「器具の消毒と掃除、こいつに教えながら俺やっとく」
「わかった」
「その代わり、お前納屋の片づけな」
「そんな、俺、自分で片付けとか掃除とかしますよ」
「いいって。どうせ力有り余ってるんだ。最近お前、針より重いもの持ってないだろ?たまには鍛えとけ?な」
口を開きかけた日向の手にスーパーの袋を押しつけた豹は、さらにその背中を叩きながら行った行った、と急き立てた。日向はその巨体を丸めるようにパーティションの奥に消えていった。
「あの……師匠、ありがとうございます。俺、何でもします。何でも覚えて、一生懸命頑張りますから……よろしくお願いします」
そう尚矢が改めて頭を下げると、おう、と豹が応じた。
「まぁ、頑張れよ。俺も人に絵の描き方なんて教えたことないからな。どうするのかわからないけど。まぁ、なんとかなんだろ」
その容姿からは想像もつかない程、豹は底抜けに明るい男だった。一見して年齢も性別も不肖な彼が、どうしてこれほど頼もしく感じられるのか。
「あと、俺のことは
「豹、さん……お二人とも本名なんですか?」
「ああ。なかなかいないよな」
「かっこいいですね」
「まぁな。それから、もう一人、ここに一緒に住んではないけど、近所にヒナの叔父貴がいて、夕飯はだいたい一緒に食ってる。今日も後で来るから紹介してやるよ」
「ありがとうございます」
「じゃ、器具片付けて掃除か。器具とか実際に見るの初めてだろ?」
「はい」
目を輝かせて自分についてきた尚矢に、ちゃんと覚えろよと、豹は嬉しそうに笑った。
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