第3話
夕食を終え、縁側に座って缶ビールを飲んでいた日向の横に豹は静かに腰を下ろした。
「あいつ、友達んちに置いた荷物まとめて、明日の朝また来るってさ」
横目で日向を見ながらそう言った豹に、日向は返事をしなかった。
「怒った?」
「別に」
日向の手から缶をひったくって、豹はそのままビールを飲んだ。うすっ、と一口飲んで小さく呟く。
「何で、弟子なんか取る気になったんだ?」
日向はやや不満げにビールを飲み干す豹を見ながら腰を上げた。
「あ、ビール、俺のも」
「わかってるって。ていうか、自分で持ってこいよ」
キッチンに向かいながら日向は縁側の方を振りむいた。今日の豹は機嫌がいい。それも尚矢がやってきてからずっと上機嫌だ。弟子ができたことが嬉しい、というわけではさすがにないだろう。何もかも口にするようで、豹は本音を語らない。日向は2種類の銘柄のビールを手に縁側に戻った。
「サンキュ」
単価が高い方の缶を受け取って、豹は勢いよくプルタブを開けた。そして今度は満足げに飲み下していく。
「あいつさ」
楽しげに豹が日向を見る。これほど嬉しそうな豹を見るのは久しぶりだと日向は微かに目を見張った。
「あいつ、尚矢、お前と全く同じこと言ってたな。複雑なのに余計な線が一本もない、って。お前に初めてトライバル俺アレンジ見せた時も同じこと言ってさ。俺の図案に余計な線なんかあるもんかって、そう思ったんだ」
やば、なつい、言いながら豹は笑う。
そうか、と声にはせず、日向も縁側を向いて缶ビールに口をつけた。
広くはない庭を吹きわたる夜風が心地いい。今年は空梅雨になりそうだと、夕方の天気予報では言っていた。
すっかり暗くなった庭に、豹は目を細めて伸びをする。まるで猫だと、その様子を視界の端で日向は眺めた。
「お前は本当に言い出したらきかないな」
「今さら?尚矢はいい奴だと思うぞ?
いいじゃんいいじゃん、と無責任にも聞こえる声で豹は言う。
まったく、と呆れながらも既に豹に対する抗議をことごとく諦めてしまった自分にも日向は気付いていた。初日だと言うのに、豹と自分の力関係を尚矢はしっかりと理解してしまったようだった。豹が自分に無理を言う度、いささか気の毒そうな眼差しを向けてくる。勿論尚矢が動けることは率先してやろうとはしてくれるのだが、気遣われると逆に居心地が悪い。
いつも通り夕飯にやってきた叔父に尚矢を紹介すると、弟子入りという言葉を理解してもらえなかった。
「え?弟子?お前が舎弟ってことか?その筋の客にスカウトでもされたか?」
「舎弟じゃねぇよ……弟子だ。俺じゃなくて、豹の図案を習いたいんだと」
「ああ、そういうことか。そうか。よかったな」
何に対してそう言ったのか、豹と同じくらいいい加減な態度の叔父に日向は微かな怒りを感じた。年長者らしく、まっとうな生き方をしろと、尚矢に説教の一つでもするかと思ったが、自分の考えが甘かったと日向は反省した。
「へー。美大行ってたのか。豹は完全に我流だからな。お前から教えてやれることもあるんじゃないか?」
そんなことないですと恐縮する尚矢に、そうだよなと豹は頷く。
「俺、ガキの頃から絵ばっか描いてたから。絵の勉強しようとかっていう発想が逆になかったんだ」
「そっちの方がすごいですよ」
「そうか?まぁ、そうかもな」
あはは、と豹は機嫌よく笑った。初対面だというのに、尚矢は豹とも誠一とも打ち解けた様子だった。もう何年も三人で食事をしてきたが、こんなに賑やかになったのは久しぶりだと日向は思った。尚矢のことは全面的に豹が面倒を見るだろうし、店の仕事を手伝ううちに無理だとわかれば自分の進むべき道へ戻っていくだろう。それまではいつもより賑やかな食卓が続くのも悪くはないかも知れない。
眠いとあくびをし始めた豹に、まあいいさと日向は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます