第4話

 弟子入りを果たしたその日から、尚矢は店の手伝いの傍ら、図案の描き方について豹から学ぶことになった。学ぶと言っても、豹が手取り足取り指導してくれるわけではない。手伝いの合間に、豹が描きためたデッサンを見せてもらい、真似をして描いてみる。それを豹に見せ、俺ならこうする、というようなコメントをききながら少しずつ修正を重ね、デザインを仕上げていく。豹のコメントは、ほぼ感覚的なものなので、初めはどうすればいいのかが尚矢にはわからなかった。

 もっとふわっと、とか、もっと突き抜ける鋭さが欲しい、とか、何かださい、そもそも俺ならこんなの描かない、という酷評まで、豹の指導は尚矢が美大の教授から教わってきたものとは全く異なっていた。それでも、実際の施術の時には、客の身体に豹が下絵を描くところにも立ち合わせてもらった。豹はデッサンと寸分たがわない図柄を、人体という起伏もあり、紙とは質感も全く異なる素材に描き出していく。いつもの豹とは別人のような厳しい眼差しとその仕事ぶりに、尚矢は圧倒された。豹が下絵を描き終わると、日向が作品にあわせ、マシーンと手彫りを併用して彫を進めていく。彫り始める前には、ここを細かくやってくれというような指示を豹が出す。しかし、豹は日向の作業を見届けることなく、さっさと店の奥に引っ込んでしまう。お互いの仕事には干渉しない、というのが二人のスタンスのようだった。

 豹に対して、日向の仕事は本業の彫と店の運営全般までと幅広く、尚矢も雑用から少しずつ仕事を教わった。ここはしっかりやらないと後で面倒なことになる、と日向が教えてくれたのが、カウンセリングと契約、当日の説明という一連の工程だった。

 同意書を客に示しながら、日向は淡々と契約や注意事項を読み上げた。客の若い女性はそれほど深く考えているという様子もなく、笑顔で頷いていた。

 「説明は以上ですが、質問はありますか?」

 「大丈夫です」

 「施術の予約は、2週間後の日曜から取れます」

 「そんな先なんですか?」

 女はがっかりしたような声で日向の手元にある卓上のカレンダーを覗き込んだ。

 「一日、3、4件しか受けられないので」

 「そうですか……じゃぁ、一番早く、2週間後の日曜にして下さい」

 わかりました、と日向は予約表に日付と患者の名前を記入した。それから時間を決め、当日の注意事項を確認した後、日向は尚矢の方を振り向いた。

 「シールのバインダー持ってこい。赤いの」

 「あ、はい」

 尚矢は急いで店先に向った。分厚いバインダーの中には商品のタトゥーシールが100枚以上入っているが、中身はどこでも買えるような量産品ばかりで、豹のデザインしたものは1枚もなかった。並べて置かれた青いバインダーには、豹がデザインした物だけが入っている。しかし、どれもかなりの高額で、実際はほぼ非売品という扱いになっている。これは、いらないのか、と尚矢は青いバインダーを棚に戻した。

 どうぞ、と尚矢がバインダーを手渡すと、日向は黙ってページをめくり始めた。

 「あの……」

 客の女性は戸惑ったように日向を見つめる。

 「2週間、シールを貼って生活してみて下さい。デザインは違いますが、服からの露出とか、見え方とか、イメージがわくと思います。施術日まで、少しお待たせしてしまうのでシールのお代は結構です。実際に入れるのは、このくらいのサイズなので……これでいかがですか?」

 「嬉しいです!ぜひお願いします」

 わかりました、と日向はバインダーからトライバルデザインのシールを取りだし、左肩に貼り終えると、また2週間後に、と客を帰した。

 「シール、ただでよかったんですか?」

 会計を終えて戻った尚矢は、手を洗っている日向にそう声をかけた。

 「ああ」

 手を拭いて、日向は先程の客の予約表を手に取った。

 「あの客、キャンセルするからな」

 「え?」

 「あんなバカでかいデザイン入れたらそれこそどこにも行けないだろう。プールも風呂も、スポーツジムも。そもそも似合ってないんだ。一生背負ってく覚悟もない。後悔するのが目に見えてる」

 「じゃぁ、それわからせる為に予約遅くしたんですか?」

 まあな、と頷く日向。最短で2週間後の予約と日向が告げた時、尚矢はもっと早く予約が取れるはずだと口を挟みそうになった。しかし、何か理由があるのだろうと黙っていたのは正しかったようだ。

 「日本じゃまだまだ難しい。偏見も根強いし、アイデンティティだって言い張ってもなかなか受け入れてもらえないのが現実だ。なのに、入れるのは簡単だ。飛び込みの客でも彫ってやるような店もあるくらいだ。後悔しそうだと思った客には少し時間をおいてやれ。意外とシールで満足する奴も、それでもやっぱりだめだったって諦める奴も必ず出てくる」

 「わかりました」

 日向が自分の職業についてそんな風に考えていたということを、尚矢は初めて知った。

 日向の読み通り、その女性客からはやはりキャンセルしたいという連絡が10日後に入った。電話に対応した尚矢が預かり金を返すと言うと、客は笑っていらないと言った。

 「シール代として先生に渡して下さい。もし本当に入れたくなったら、絶対先生にお願いします。ほんと、シールで試せてよかったです。シールだって説明しても周りの反応とかいろんなこと、すごい面倒で……わたしには無理っぽいって、なんかわかちゃって」

 電話のことを尚矢は感動的な心地で報告したが、日向の反応は思いの外薄かった。

 そんなもんだ、と言われてしまえば、そんなもんかと思うしかない。あるいはそれが職人気質というものなのかも知れない。どこまでも芸術家な雰囲気を漂わせる豹と日向はいかにも対照的だった。そういえば、いつも一緒に仕事をしているが、二人はどこでどうやって出会ったのだろう。そんな疑問は、その日の夕方、尚矢の中でさらに深まった。

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