第4話 妬み
提案しておいてなんだけれど、風香を家に呼ぶのは得策では無かったかもしれない。いや、家が散らかっているとか、家族に会わせたくないとかそういうのではなく、風香がどことなく怯えてしまっているのだ。私の家に来ることに対してなのか、美坂と私に囲まれているからなのか判然としないが、ちょっとすると泣きだしそうな表情である。
まあ、怯えているで言ったらいつもそんな印象だけれど。
「いやあ、ここが加奈の部屋かー。初めて来るなあ」間延びした調子で美坂が言った。
あ。
風香が来るなら、美坂を帰せば良かった。
「…おい、今なんか最低なこと考えなかったか?」
「いやいや」私は手で否定してから風香を見遣る。「大丈夫?」
「…うん」風香は首肯するが、どうも大丈夫そうじゃ無かった。「…頑張る」
私としては頑張ってほしくない。頑張らずにこの場にいてほしいのだけれど、それはやっぱり我がままだろうか。
風香にとってこの状況がストレスとなることは解る。しかし、悲しいものは悲しかった。
「ごめ…じゃなくて、えっと…」
「大丈夫」私は言って、風香を撫でた。
「おい、なんだこれ」私の部屋を勝手に物色していた美坂が声を出す。美坂の手元には、A4のノートがあった。「ん…?風香こうりゃ…」
「今すぐそれを返せ、殺すぞ」私は美坂の背後まで行って、低い声で言う。
「え、ちょ」
「早く」
「いや、なんか疚しいことでもあんのか」
「疚しいことはある」
「正直か!」
「だから、早く返せ」
「えーうん、分かった」
私は奪うように受け取って、風香に隠しながら別の場所へ隠した。
「…私の名前が聞こえた気がするけど」
「気のせいだよ」
気のせいではなかった。
美坂が見つけたのは風香とより距離を近づけるために色々な策をまとめたノートだ。思い浮かんだことを漫然と書き留めたものなので策というには妄想色の強いものだが、これを風香に見られるわけにはいかなった。たぶん風香は露骨な距離の取り方はしないだろうが、確実に引いて、それがまたつらい。
キスまでの流れとか、書いてあるし。
「なんだよ…どうしたってんだよ…」
「どうもしない」
「大丈夫…?」
「うん、じょーぶ。そうだ、お茶淹れてくる。待ってて」私は言って、そのノートを小脇に抱えて部屋を出た。
あ、とその後で、美坂と風香を二人きりにしたのは不味かっただろうか、と思い至った。しかしまあ、風香が美坂と仲良くなるには、もっとコミュニケーションが必要なのだと思う。結果オーライとしておこうか。
三人分の緑茶を持って部屋へ戻ると、やはり美坂と風香は話していた。まあ、美坂は二人きりの状況で黙り込んでしまうような性格はしていないので、話しているとは思っていたが、風香があまり辛そうに無いのが意外だった。
顔いろはいつも通り青白いが、どうも私といるときよりもリラックスしているように感じる。
鎮まれ。鎮まれ私の感情。
何嫉妬しているのだろう。この状況を作ったのは他でもない私だろうに、美坂に嫉妬するのは少しおかしい。美坂だって風香だって、この空間に好んでとどまっているわけでは無く、私が呼びかけたためになし崩し的に今にいたるわけで、だから張本人である私が嫉妬するのはお門違い。なのだけれど。
「なんだよー、敬語抜けないなー」
「…ごめんね。つい癖で」
そんな癖知らない。
私は風香のことをあまり知らない。にもかかわらず、美坂はこの短時間で私の知らない風香のことを一つ知ってしまった。この違いはなんなのだ。
…私は風香にとってみれば嫌なことばっかりしてくるやつだし、恋人とはいえやはり脅した感じになったので、嫌なやつなのだろう。だから心を開けないのも納得できる。
それに対して、美坂は確実に良いやつだ。気さくに喋るし、嫌なことはほとんどいわない。
これがきっと、風香にも伝わってしまっている。良いことだ。風香にとって話しやすい相手が出来るというのは、絶対に喜ばしいことだ。
でもたぶん、風香が美坂と仲良くなってしまうと、私との関係はあっさりと希薄になっていってしまうだろう。私に依存する意味がなくなって、私が風香にこだわっていることがばれると、風香はきっと冷静になる。そうして、嫌いなやつと恋人なんてふざけたことをやる意味がないということに気付くだろう。
だから、美坂に対して私が嫉妬してしまうのは仕方のないことだ。
「どーした、加奈。どーしたかな」さっきから黙っていたからか、美坂が言う。
「つなげるな」返しながら私は、風香に心配してもらいたかった、と思う。
「…大丈夫?」件の風香はいつもの調子で言った。
少し、苛立つ。「大丈夫」それを気取られないように気を付けて返した。
「うっそでー、なんか変だろ」
「大丈夫だって。まあ、話は全然聞いてなかったけど」
「きけよー」
「具合、悪い?」
「大丈夫」
「加奈、さっきから大丈夫しか言ってないな」美坂は言ってから、あ、と声を出す。
「どうした」
「いや。塾の時間が十五分後だなと思って」
「…急いだら?」風香は案じるように言った。
「そうだな。急ぐわ。母さんに殺される。じゃあ、また」美坂はばたばたと部屋を後にした。玄関まで送ろうかとも思ったが、その暇もないくらい急いでいたので、そのまま部屋に残った。
「…行っちゃったね。間に合うかな」風香は少し笑って言った。
なおも美坂のことを話題にすることに、引っ掛かりを覚える。「間に合わないでしょ、普通」
「だよね」風香は頷いた。
そこで、沈黙が流れる。外の車の音と、風香がたまにすするお茶の音が部屋に響く。何か話題を探そうとしたが、悪感情が邪魔して上手くいかない。
「ねえ、風香」堪らず私は口を開く。
「ん?」
「私と二人きりは嫌?」
「え…」風香は驚いたような声を出す。「え、何で。嫌じゃないよ?」
「嘘でしょ。さっきまでちゃんと喋ってたし。美坂とはそんなに表情硬くなかったじゃない」
これ以上は言うな、と自分に言い聞かせるが、どうも止まる様子がなかった。そもそも止める気が無いのかもしれない。風香は困った表情のままだった。
それがまた、私の苛立ちを助長させる。こんなことばかりやっているから風香にいつまで経っても好かれないのだとは思うが、言わずにはいられなかった。
美坂の方が良いのか、と。
「それは…だって…」
「だって?」
「だって…」風香はそこで切ってから、「加奈ちゃんじゃないから」
「それはつまり、私だと話しづらいってことでしょ。私と二人は嫌だ、っていう」
「そうじゃない…」
「嘘だ」
「嘘じゃないってば」
「…っ」私は風香に迫った。「じゃあ、証明してよ。風香からキスして」
「…良いけど」風香は言って、目を瞑る。私は目を開けたままだった。風香の唇の柔らかい感触がして、心臓が跳ねる。風香が離れて、こちらを窺う様に見た。「どうかな…」
私は何も言わずに、風香を押し倒した。
「…きゃ」
「どうしたの」
「いや…だっていきなりだったから」
「エッチしよう」言って私は、風香の腕を抑えた。
「え…」風香は目を見開く。「ど、どうしていきなり」
「いや、風香が私の事嫌いって言うから、もっと仲良くなろうと思ってさ」
「で、でも、まだ、そんなに」
「そんなに、好きじゃない?」
「違うって」
「じゃあ、なに」
「だから…まだ、付き合ってからそんなに経って無いから」
「時間なんて関係あるの?」私は言ってから、「ああ、そっか。風香は私とエッチしたくないのか」
「違う、けど…」風香は尻すぼみで言ってから、余裕のない表情でこちらを見つめる。「じゃあ、いいよ」
じゃあ、か。まあ、無理やり押し倒しているのだから当たり前か。「じゃあ、好きって言ってよ」
「…加奈ちゃんのこと、好きだよ」
こんなことをして何になるのだろう。そんなことが頭をかすめた。かすめるのが遅いから、もうどうしようもない。
私はそのまま、風香にキスをする。さっきみたいなやつじゃなく、フレンチキスだ。思った以上に息がしづらいが、風香の息遣いが自制心を取り去った。
くちゃくちゃ、と生々しい音が響いた。
「ふあぁ…」それをやめると風香の惚けたような表情が目に入った。「…ほんとにするの?」
「……」私だって、こんな状態で無理やりしたいわけじゃない。「…ごめんね」
「…加奈ちゃん、昨日もそうだったよね」
「え?」
「なんか、キスする時、悲しそうにしてる」風香は言ってから、「いや違う。申し訳なく感じてるって、そんな雰囲気」
「そんなわけ、無いでしょ」
「あるよ。…こんなに近いのに、私の目を見てくれない」
「そんなん、たまたまだよ」
「いつもは、私のことをちゃんと見てくれてるもん…」
「風香と目が合った記憶が無いんだけど?」
「それは…」
「もういいよ」言葉が出なくなった風香を見かねて、遮るように私は言った。「嫌ならそう言って」
「…嫌だよ」
風香のきっぱりとした言葉に私は我に返って、泣きそうになる。やってしまった。これでたぶん、風香とは別れてしまう。
風香がこんなにはっきり拒絶したのは初めてのことだった。いつだって、曖昧な笑みでお茶を濁していた。私が友達になるべく風香に近付いた時も、無理やり一緒に昼食をとった時も、手を繋いだときも、キスを迫った時も。しかし、流石に今回ばかりは見逃せないようだ。
それは当たり前のことだった。けれど、どこかで風香は私のことを受け入れてくれると思っていた。風香の体に私の痕跡を刻みつけて、私のことをいっそう意識してくれるようになると、勝手に思っていた。
「こんな加奈ちゃん、見たくない」
実際はこうだった。なにも好転しない。嫌われる一方だった。これできっと、美坂とは仲良くなって、私とは疎遠になる。本末転倒もいいところだ。
そこで、携帯が鳴る。バイブ音だった。私は着メロを設定しているので、風香のだと分かった。
「…出て良い?」風香が尋ねる。
私は黙って風香の上から退いた。
「はい…ああ、うん。わかってるよ。…うまくできたよ。なにもない。…わかってるって、大丈夫。じゃあね」風香は携帯を切った。「ごめんね」
何に対しての謝罪だったのだろう。電話に出たことか、それとも拒絶したことか。後者なら、謝るのはどう考えても私だ。じゃあ、電話に出たことへの謝罪か。
風香にとっては、取るに足らないことだったのかもしれない。私に謝罪を求めるまでもなく、次の日には何事も無かったかのように一人の生活に戻ってしまうのだろうか。
「…もう帰るね」
「うん…」
「うん」言って、風香は部屋を出た。
一人残った私は、ひそやかに涙を流す。まだ扉の向こうに残っているかもしれない風香を気にして、少し声を抑えていた。
「うっ…うう…」
しかし、しばらくすると耐えかね、嗚咽となっていく。私には風香が必要だった。必要、いや、精神的に、だ。それでいくと、愛玩動物と同じように扱っていたのかもしれない。それを風香には解っていたのだろうか。
風香には、私が必要なかったのだろうか。
「あ、あの、加奈ちゃん…?」
風香の声がする。うん、多分幻聴では無い。
不味いところを見られた…。
「なん、でいるの…?」
「…戻ってきたから」風香は言ってから、「あの、加奈ちゃんが好きだ、っていうのは、その、嘘じゃないから。それだけ言いに来た」
風香は言って、私にキスをした。
「じゃあ、また、学校で」
今度こそ風香は帰ったようだ。私は夢見心地でしばらくぼーっとしていた。
「私は…結局どうなったんだろうな」
呟いた声は部屋に響く。と、急に恥ずかしくなった。
「何やってんだ…!?私は…!」思わず口元おさえた。不味い、死にたい。何やってんだほんと。普通のキスならいざ知らず、いや迫ったら普通に駄目だけど、あろうことかフレンチキスか。
嫉妬したからって、何やってんだ…!?
っていうか、嫉妬するなよって話だ。風香を支えると、今日決めたばかりだったはずだろう。それが…なんだこれ。自分でも何やってるか分からん。自己矛盾というか、我がままって感じだ。
風香には悪いことをしてしまった。恐らく苦手なタイプであろう美坂と引き合わせただけにとどまらず、強引に迫って、私に振り回されっぱなしじゃないか。
すんでのところで風香が頑張ってくれたが。
何で頑張ってくれたのだろう。
やっぱ、私とセックスしたくなかったんだろうか。
流行りの曲が流れた。私の携帯だ。
『じゃあ、また、学校で!』
風香からのメールに嬉し恥かし、恥ずかしさが勝った。
嫌われては、ないか。ないけど、とりあえず明日は謝って、自分を律しよう。
「んー…むむー…!」
ぼふぼふ、と枕に顔を打ち付けた。
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