第3話 暖かみ

 ちょっとした出来心だったのだ。加奈ちゃんが少しばかり油断した様子だったから、点数を稼いでおこうと思った。そうしたら、何だか気が大きくなったのか、気を許したのか、あんなことを言ってしまった。

 本当の悩みだった。友達が欲しい。何か私が思っていることを話せる人が欲しい。加奈ちゃんでも確かに良いのだけれど、恋人ってなっちゃうと滅多なことを言えない気がする。

 いや、間違えた。加奈ちゃんには滅多なことを言えない。

 だから、友達が欲しかった。何でも話せる友達が。

 「どーもー、友田友子です」

 しかしながら友達を紹介してくれという意味ではなかった。

 授業が全部終わってから、掃除もホームルームも終わった時間だった。いやでも昨日のことを思いだした。加奈ちゃんの唇柔らかかったな、とか。加奈ちゃん良い匂いしたな、とか。加奈ちゃん怖かったな、とか。まだ怒ってるのかな、とか。良い思いも悪い思いも同時に沸き上がってきて、緊張感と高揚感、それらが混ざって亜種の焦燥感のような感情になった。その感情に胸を圧迫されて、息苦しさを覚える。これは、ドラマとかで見る『ときめき』ってやつだろうか。色恋沙汰は初めての経験だし、これが不安なのか『ときめき』なのか、判然としないな。とにもかくにも息苦しいのは良くない。まあ、家に帰ったら治るだろうか。

 面倒だな、と思いながら、加奈ちゃんの方へ行くと、軽薄そうな女の子が自己紹介をしてきたのだった。

 「いや…そんな適当なのじゃなく、ちゃんとした名前があるでしょ…」加奈ちゃんが呆れたように言った。

 「適当とはなんだー。私のお父さんお母さんが一生懸命考えてくれた名前だよ」

 「いや、その名前を考えたのはあんたでしょ。ちゃんと自己紹介してよ」

 「真面目だなー加奈は」

 なにこの茶番。二人は仲が良いからこんなやり取りも面白いのかもしれないけれど、私は特に仲が良いわけじゃないからただただ困惑するばかりなのだけれど。早く家に帰りたいのだけれど。用件だけ手短に言って欲しいのだけれど。

 と、こんなことは口が裂けても言えない。ので、愛想の無い愛想笑い。

 「じゃあ、どうも。加奈の友達の、美坂杏里です」今日の晩御飯は何にしようかと考えていたら、女の子はそう言った。名前を言ったのだと遅れて気付いて、少し慌てる。

 「あ、え、っと。…加奈ちゃん、の、え、と」

 自己紹介をしようにも、何て言ったらいいだろう。恋人、じゃ、アレだし。加奈ちゃんの友達っていうなら尚更、その辺の関係は考えないとな。

 私が言いあぐねていると、体面の女の子は声を張って言った。

 「どぅわいじょーぶ」

 大丈夫、と言ったのだと遅れて気付いた。

 「加奈からちゃんと聞いているよ。引っ込み思案なんだって?」

 「ん、あ、はい」

 「はい、って。同級生に、はい、って。んなにかしこまってんのー? 怒るよー?」

 「…ごめ…ぜん…いや、えっと」

 「うん…変な子紹介してごめんね、風香…」加奈ちゃんが肩をさすってくる。その顔は少しにやけている。

 苛立った。のは、隠せただろうか。

 「変な子とは何だよー。私は変じゃない子だー」

 「変じゃない子は自分のことを変じゃない子とは言わない」

 「なんでだー」

 「なんでと言われても…」加奈ちゃんは困ったように言ってから、私の方を見る。「この子と仲良くできたりする?」

 と、形式的に訊かれた。本人にその気がないとしても、私からすれば白々しいとしか言いようがない。これに無理だとはっきり言える人間の神経は、どうかしているだろう。まあ、私の浅い、とてつもなく、沢よりももっと浅い経験からの考えだから、もしかすると私が鉄の精神だと思っている人はそうでも無いのかもしれない。普通の人なら嫌だと言えるのかもしれない。

 自分が普通じゃ無いとは思わないけれど。

 普通に私のことを知っている加奈ちゃんが、一々確認することがあざといを通り越して白々しい。

 だから、私は白々しくこう答える。

 「うん。加奈ちゃんのお友達だもん。仲良くしたい」


 どうもこうもこんな雑踏に自分が交じっていることを心底他人事に思う。現実味が無い、ということなのか、それとも願ってもないことだから夢心地なのか、まあどちらでも同じか。

 商店街、というには少しだけお洒落な店が多かった。見るだけで気後れしそうな、制服なんかじゃとても入れない場所だ。こんな空間、自分にはまったくもって無縁だと思っていた。けれど、まさか知らない女の子と加奈ちゃんと、三人で来ることになろうとは、思い付きもしなかった。

 …吐きそうだ。

 「大丈夫、風香?」加奈ちゃんがこちらを気遣ってくれる。

 「うん…大丈、ぶい」言って私は、指を二本立てる。

 「…可愛いな」

 「何いちゃついてんのさー」加奈ちゃんの友達の、えっと、と、とも、友田、じゃなかった、えっと、いや何でもいいか。友田友子が言った。

 「いちゃつくって…やめてよ」

 まんざらでもない風に加奈ちゃんが言った。いや、冗談で言ったはずの言葉にその反応はどうだろう。言った方が困る気がするのだけれど。

 まあ、悪い気はしない。

 「はぐれたら困るから、手、繋いどこ?」加奈ちゃんは言って手を差し出した。私は大人しく、それに応じる。「ありがと」

 何に対してのお礼だろうか。

 「あーずるい。私も私も」友田友子は加奈ちゃんの手を取った。

 ある程度人がいるので、横並びでは無く縦に並んでいる。だから、加奈ちゃんを引っ張りあっている感じになってしまった。

 それなら、離すわけにはいかない。遊びで友達をやっている友田友子とは違って私は必死なのだ。加奈ちゃんを逃がしてしまったら、私はまた一人になって、支障はないにしても、寂しさが先行する。一度知ってしまった温かみが、慣れてしまった甘い匂いが、突然なくなったらたぶん私は壊れていく。いやまあ、今が完全な状態とは言えないけれど、今のままじゃいられなくなってしまう。

 何も考えずに友達をやれたら、どれだけ楽だろうか。

 「ちょ、美坂。引っ張んな」加奈ちゃんが苦し気に言った。

 「引っ張ってないよー、手を繋いでいるだけじゃないの」

 「…ごめんね加奈ちゃん」

 「なんで風香が謝るの?」

 他に謝る人がいないからだ。自分でもなんでか分からないけれど、自分のせいじゃないって確実にわかっていることにも、誰も謝罪するものがいなければ、謝ってしまう。これはたぶん、謝られる側からすれば煩わしいことなのだろうけれど、こればかりは癖なので目を瞑ってほしい。

 「って、これどこ向かってんの?」加奈ちゃんが訊いた。

 「いんや、どこも。強いて言うなら、ウィンドウショッピングかなー。いやまあ、こんな中じゃ何にも見れたもんじゃないけど」

 つまり、目的が無いわけだ。まあ、加奈ちゃん的には、厳密に言えば加奈ちゃんが考えている私的には、私が友田友子と仲良くなることが目的なので、必ずしも目的の場所がなければならないということは無いけれど、どこにも行く予定が無いのならこんな人混み早く抜け出したい。というか、これじゃあ落ち着いて話もできないわけで、仲良くなれるものもなれない。本末転倒というやつだ。

 あわよくば、抜け出した拍子にお開きとなればいいのだけれど。

 「ふうむ…」加奈ちゃんは思案顔になってから、「じゃあ、うちくる?」と切り出した。

 「行くに決まってんだろうがよー」友田友子は張り切るが、私は消極的だった。

 帰りたい。加奈ちゃんとか、他人とか、と一緒に居ると、精神的に疲れる。肉体的な疲労には強い方だと自負しているけれど、私はいわゆる、芯の強い人間ではなくて、常々少しのことに怯えてしまう。例えば、滅多なことを言って加奈ちゃんを不機嫌にさせないか、とか。例えば、友田友子に加奈ちゃんを奪われてしまわないか、とか。そんな極端なことが起こりえるかは蔑ろにして、心配だけしている。そして、解決策もないまま心配しっぱなしなのだ。

 それでいくと、やはり一人の方が気楽ではある。一人だと気を遣う必要はないし、自由だ。行動や言動が制限されない分、ストレスは圧倒的に少ない。

 しかし、だ。

 「風香、も来るよね?」

 加奈ちゃんの多少強引な言葉に、私は暖かみを感じる。

 「うん…!」と、私は頷いた。

 一人はやはり、そこはかとなく寒々しいのだ。加奈ちゃんがもたらす暖かい感情は、絶対に得ることができない。

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