第6話 私のものになりそうなところが好き

 風香の考えていることが全く解らない。今までだって解っていたかと言うと、決してそうでは無いのでこの言い方が正しいかどうかは解らないけれど、殊に気になってしまうのはきっと、昨日の失敗の後だからだろう。

 風香の心が多少なりとも読めたことなんて一度もないと思うが、これまではそれでよかった。風香の心が分からなくったって話は出来るし、問題は無かったのだが、今は恐怖が先行する。人は正体不明のものに恐怖するとは言うけれど、確かにそうだと身をもって実感していた。

 「はい、あーん、加奈ちゃん」風香が箸で白飯をつまみ、私に向ける。

 「…ん」私はそれにぱくりと応じた。

 「おいし?」風香は可愛らしく小首を傾げた。

 「…味はないけれど。おいしいよ」

 さて、今は昼休みで屋上にいるわけだけれど、朝からずっとこんな具合だ。ほんとう、マジで風香の意図が汲めない。

 風香の機嫌が良くなるようなことを私がやって、その結果がこれだというのなら、私は大いに喜んだことだろうが、実際やったことといえば真逆で、それにも関わらず結果が同じなのだ。これは一体どういうことなのか。

 普通の反応なら、ここで距離を取るはずだ。

 しかし、風香は距離を詰めてくる印象。

 …あげて落とす、とかだったら怖いな。今手放しで浮かれて、数日してから手痛く振られると、ツケが回ってきたみたいに後悔が凄いだろう。浮かれていた分いっそう自分が愚かに感じて、風香の心中にまったく気付けなかった私を情けなく思うことだろう。

 だから私は、風香の方をじっと見る。何か考えが透けないかと、とりあえず見てみた。

 「…どうしたの?」

 「いんや、なんでも」

 「…変なの」

 いや、正直に言わせてもらえるならば、風香の方がよっぽど変だ。かつて無いほど積極的だし、饒舌だ。まるで何かに酔っているみたいに。

 ウイスキーボンボンとか食べたのだろうか。それで酔うのは常套だけれど、しかしながら風香は製菓類を好まない。甘いのが苦手、というわけでは無いけれど、わざわざ好んで食べるほどではないそうだ。

 それに、朝、き、きs、キスした時にアルコールの香りは特に感じなかったし、酔ってる可能性は薄いかな。

 …いやまあ、積極性で言うならあまり変わっていないのだ。変わったのはそのベクトルだ。

 私に甘えてくるようなことは、風香はこれまでしなかった。どちらかと言えば、私に迷惑をかけないことを優先して当たり障りのないことをしていたように思う。私としては、お互いが頼りあって関係が強固になると思っているので少し鬱陶しい感じがしたけれど、いきなりこんなふうになられるとそれはそれで困惑する。

 風香に何か心境の変化があったのには間違いない。そうして、それが、私の昨日の『やらかし』に起因していることも、断定できる。

 しかしながら、ここまで浮かれているのは…

 あ。

 そこで思い至る。美坂のことかもしれない。

 美坂と仲良くなって、友達になれそうだったから、こんなふうに上機嫌で、私に対してさらけ出したような態度になっているのかもしれない。

 じゃあ、美坂を呼んできた方が良いのか。

 …しばらくの間嫉妬はお預けだ。

 「美坂、呼んでくるよ」私は言って立ち上がろうとするが、風香が服の裾を引っ張った。

 「やだ」風香は端的に言った。

 「え、でも、美坂いた方が良いでしょう」

 「やだ。…私は二人きりでいたい」風香は尻すぼみで言った。「…だめ?」

 なに、この可愛い生き物。というか、なにこのスーパーご褒美タイムは。私今日死ぬの?

 「いや…まあ風香がそれでいいならいいんだけれど」顔がにやけないよう注意しつつ、またその場に座った。

 「ありがとー。ちゅ」言って風香は私の頬にキスをする。

 キスには、いただきました! ってな感じだけれど、やっぱりちょっと怖かった。

 昨日、美坂と話している風香は結構楽しそうだった。私と話しているより、何倍も人間らしい表情で、より魅力的に見えた。

 …嫉妬とかでは無く単に欲情しただけという可能性が微レ存。深く考えないようにしよう。

 だから、多分美坂とは気が合うのだろうと思う。いやまあ、美坂はかなり人当たりの良い方だから、美坂と気が合わなかったらいよいよもって誰とも友達になれない感じだけれど。

 風香的には、この場に一緒にいた方が良いに決まっている。私と二人はやっぱり緊張するだろうし、そうでなくても誰かと二人で話すのはきついだろう。だから間に衝撃吸収材のような人間が必要なはずなのだ。

 にも関わらず、私と二人きりでいることを取るってことは。

 …いや。深く考えないようにしないと。顔が緩みきってしまう。

 なんか、考えているときりがない。いっその事訊いてしまうか。

 「ねえ、風香」私は意を決して言った。「なんか今日、機嫌良い?」

 「そうでもないよ」

 「うそだー…いつもよりなんか、私にべったりと言うか、気が緩んでいるというか」

 「…加奈ちゃんと二人きりがうれしいんだ」えへへ、と風香は照れたように笑った。

 またにやけそうになって、過去のイラついたことを思いだしてなんとか表情を保った。小学生の時の担任に感謝する。「でも、なんか…いつもと違うような」

 「…いつもの私の方が好き?」風香はじっと、こちらを見る。

 少し茶色がかった瞳は、瞳孔が見えやすく、どこまでも深い穴のようなものはしっかりと私を捉えている。風香の瞳の中に閉じ込められた私は、やっぱり少しだけにやけていた。

 「そんなことは、ないけれど」風香なら何でもいい、という言葉を飲み込んで、「いや、いいことがあったなら、私にも教えてほしいなって思っただけ」

 「加奈ちゃんと一緒にいるって、それだけでうれしいよ」風香は柔らかい笑みを浮かべて、こちらを覗き込む。「それじゃ、だめ?」

 「…いや、いいんだけどね」

 その言葉は素直に嬉しかった。しかし、風香の表情はどこか確認を取るようにびくびくしている印象を受ける。言外に、こんな言葉で喜んでくれますか、と聞いているようだ。

 まあ、それを言っていちゃ、きりがないのだけれど。風香の表情に限って言うなら、今日一日なにか喋るたびにこんな感じで確認を取る。私が頷くと、嬉しさというよりは安堵の表情になるのだ。

 更に言うなら、私と接する時はいつもそうで、今日に限ったことでは無いけれど。

 今日は少し顕著だな。

 「…だめ?」念を押すように風香は首を傾げた。

 「ダメじゃないよ」私は言って、風香の頭を撫でた。

 「そう…ふふっ」やはりそれは、安堵の表情だった。

 悲しくなるのをぐっとこらえ、苛立つのを我慢した。

 元を正せば私が悪いのだ。私が変に風香に意地悪をしたり、キスを迫ったり、挙句の果てには押し倒したりして、すっかり風香にとって私は恐怖する対象になってしまった。それゆえにやはり言動に気を付けるし、喜びより安堵であることは自然だ。風香のせいでは無く、私のせいなのだ。

 昨日のが、やはり堪えてるんだろうなあ。

 風香がどれほど怖かったか、そしてどれほど勇気を振り絞ったか、想像に難くはない。私の自分勝手に付き合う、風香の苦労も解る。

 でも。でも。

 「べたー」悶々としていると、風香がそう言ってくっついてきた。

 「どうしたの?」

 「いや。なんか伝わってないなと思って…」

 「何が?」

 「…えっと…私が、どれだけ加奈ちゃんを好きかって…いう…」風香は顔を真っ赤にして言う。

 本当、どうしたのだろう。確かにそんなことを言われたら嬉しいのだけれど…いつもの風香から、突然こんな大胆なことをしだして、異常だと思った。言葉を額面通りに受け取るのなら、私の望みが成就したことになるけれど、悲しいことに演技しているようにしか見えなかった。

 そうして私は悲しくなる。私には、風香にとって演技しなければいけない対象であることに、心底落胆する。

 どれが本当の風香なのか、私には解らないはずなのにこれが演技だと断定してしまう自分の悲観的な態度にも、少し腹が立つ。

 「あの、迷惑、だった…?」風香が恐る恐る訊いてくる。

 それすらも愛おしいと思ってしまうけれど。

 こんな顔をさせてしまうなら、風香の思惑がなんであれ、乗ってあげた方が良いかもしれない。風香は今頑張っているのだ。私の為に、他の誰でもなく、私だけのために頑張ってくれている。これに応えないなんて嘘だろう。

 「何でもないよ、ごめんね。考え事してた」私は言って、風香を抱き寄せる。

 「…うん」満足そうな顔をして風香は身を任せた。「でも、あの、なんでもあったらさ、言ってね…」

 「うん」何でもあるってなんだ。まあ、テンパってよくわからないことを口走ったんだろう。

 「あの、ほんとに加奈ちゃんのこと好きだから…」

 「何も言ってないよ」言って、風香の頭を撫でる。「大丈夫。分かってるから」

 「…ごめんね」

 「何で謝るの?」

 「……」風香は少し黙ってから、「信じられなくて、ごめん」

 「…いいよ。今はまだ」

 かく言う私も、風香のことを信じていない。だって、現状に至った経緯を鑑みて、どう考えても風香は私のことを好きなわけはないから、風香がいくら好きだと言ってくれてもそれを信じるのは難しいのだ。それを風香が見抜いているかは別として、私は風香を許せる立場にいない。言うなら私も、風香に謝らなくてはいけないのだ。

 けれどそれをやってしまうと、私までこの関係が仮初めのものだと認めてしまうことになる。折角破たんした関係からやり直そうとしている中で、それは無いだろうという話だ。だから私は、どこまでも横暴にふるまう。前みたいに上下関係が出来ないよう、あくまで対等に。

 「…加奈ちゃんはさ」風香は前を向いたままで口を開いた。何だか迷っているような口調だ。「あの…何で私を好きになってくれたの?」

 「…難しいな」そうはいっても、自分には解っていた。初めは容姿だった。その次はない。次が出来たときに、私は風香ともっと進んだ関係になれるのかもしれない。

 「…私は」風香は私の解答を聞かずに言った。私が答えられないことを解っていたようだった。「私は、加奈ちゃんの優しいところが好き。頼りになるところが好き。綺麗なところが好き。私のことを見てくれるところが好き。それから……私のものになりそうなところが好き」

 「そっか」

 風香らしい物言いだと思った。

 「私もそうかもしれない。風香の、私のものになりそうなところが好き」

 そんな風香を異常なやつだと思ったけれど、しかし私も異常だった。

 だからまあ。

 「べたー」風香がまた抱き付いてくる。「離れたくないな…」

 「……」私は風香のを撫でながら言う。「…もう授業始まるよ。いかないと」

 この台詞が演技だとしても、処置なしってことで今はまだ良い。

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