第2話 次の日
ああーやっちまったー、と家に帰って悶々と反省する。今更後悔したところでやってしまったことはもう取り消すことはできない。後悔とはなぜいつも後手後手に回ってしまうのだろう。後戻りできなくなる前に後悔できれば、誤った選択をしなくて済むものを。
ぼふぼふと、枕に顔を打ち付ける。
そんなトンデモ論法を編み出してしまうほど悔やんでいた。泣きそうだった。というか、泣いていた。軽く泣いていた。
だいたい、悪いのは風香の方だ。露骨に距離を取ってくるから、私だって意地になって意地悪しちゃうし、さっきみたいなことになってしまうのだ。もっと対等に話してくれれば、ちゃんとムードがあるキスが出来たはずなのに。
いやまあ、普通の友達になっていたら、もしかすると気持ちを伝えずに卒業してしまうことになっていたのかも。そう思うとラッキーちゃラッキーだけども、けれども、けれども、あんな威圧的にやってしまって、絶対嫌われちゃったよね。
どちらにせよ私には後悔しかないのか。もっとすっきり爽やかに、カルピスみたいな恋愛は出来ないものか。
…風香を好きになっちゃった時点で、それは無理かな。
風香は大分歪んでいるから、どうも、普通に接していても変に勘ぐって縮こまった反応しかしてくれない。だからまあ、こちらからグイグイ行くしかないのだけれど、それでまた風香は怖がるから、普通にやっていたら関係が続かなくなる。
だって、挨拶した時開口一番言われたのが「だれ?」だったから。
クラスメイトの顔くらい覚えておけってわけじゃなく、知ってる人じゃ無いと挨拶しちゃいけないみたいで、なんか違和感を覚えた。
挨拶って、まず初めに行うものだろう。
それに、おはようって言って答えが「だれ?」って言うのは文法的におかしくないか。挨拶し慣れてないというか、おはようをおはようで返すことを知らない、みたいな。
風香のことを詳しく知っているわけでは無いけれど、同じ中学の女の子でも性格とか好きなこととか、人間的な部分を知っている人はいなかったから、人付き合いとは無縁だったのかもしれない。目立たない存在で、自己紹介の時と、授業中当てられた時以外は声を発しなかったらしいし、学校行事に至ってはいたかどうかも解らないと、私が訊いた子は言っていたけれど。だから一人が好きなんじゃないかと言っていたけれど。
人付き合いとは無縁だからと言って、誰とも話さずに平気な人間もいないと思う。
あ、それとも家ではよく喋るほうなのかな。わかんないけど。
そう言えば家族の話も一回もしてくれないし、本当に風香のことはよくわからない。
そんなよくわからない相手を好きになって、勢い余ってキスまでしてしまった私は、一体風香の何を見てそうなったのだろう。
一生懸命なところ? いや、風香に一生懸命なイメージはない。むしろ、如何に力を出さずして生活するか、みたいなところはある。
…やっぱ顔かな。可愛いし。小さいし。妹みたいで、いや、妹はいないのだけれど、守ってあげたくなるような。
でも実際、風香は自分のことを自分でやってしまうから、守ってあげる隙が無い。一緒に居て分かったけれど、苦手があまりないのだ。だからと言ってすべてが得意で天才型というわけでは無く、すべてが平凡なのだ。いや、すべてが平凡、ではなく、ちょうど中間地点なのだ。特別なにが苦手でも無く、なにが得意でも無く、ものによっては私より上手くやるものもあるけれど、かと言って得意とまではいかない。少しできる人にはあっさり敗れるが、出来ない人よりは出来る。そういうことだった。
だから、何をやっても守ってあげる必要が無い。必要が起きない。
困ったものだ。
でもそのなかで、唯一苦手なのが人付き合いって言うなら、私は風香を支えることが出来る。
でも、ついっさっき間違えた。支えるというよりは、独占して、より隔絶する方向へと導いてしまった。私にしか話さなくなるか、もしくはこれがトラウマになって他の女の子と仲良くなれなくなるか。たぶん、どちらかだ。それは避けないと。
泣いている場合では無い。
「風香、屋上行こ?」昼休憩の時、風香に声をかける。
「え、でも…」驚き、よりは戸惑いの方が先行している感じだった。迷惑そうにしている感じ。
少しだけ、苛立った。迷惑ならそう言えばいいのに。まあ、言われたところで話しかけるのを辞めるわけはないので、無駄と言えば無駄だけれど。その無駄な努力をしてくれないのが、ちょっともどかしい。
というか、うざったい。
いやまあ、自分勝手だって思うけれど、何も感情を示してくれないと、こっちだってうんざりする。
「お、仲良いねー。付き合ってんのか」クラスメイトの美沙が茶化してくる。
ナイス美沙、と心の中で親指を立てた。「そうなの、分かってるじゃない。さ、行こう、風香」
「うん…分かった」風香は美沙の方へ視線をやって、それからいつものように俯いたまま答えた。
顔がよく見えないからこっちみて。
と、いつか言ったけれど、言う通りにしてくれなかった。だから今も言わない。無駄な努力をしていないのは自分じゃないか、と誰かが言った。誰だ。私だった。
風香は自分の鞄から弁当箱を取りだして、私の隣に付いた。
「じゃねー」私は笑顔のまま美沙に手を振る。教室を出ると、風香の手を取った。
「…露骨だなあ、風香は」しばらくして、黙りこくっている風香に言った。
「ご、ごめん…」
「良いんだけどね」
「…いいの?」
いや、そこは普通に考えて良くないだろ。しかも、その、いいの? はどういう意味なんだ。
嫌いになってもいいの? って、ことかな。
まあ、それでもいいのだけどね、確かに。嫌いなら嫌いで、それを伝えてくれたらそれでいい。ただで好きになってもらえるとは思っていないから、必ずしも好きじゃないと駄目というエゴイズムを言うつもりは無い。
けど、それを言ってくれないと、嫌だ。嫌いであることを風香の口から言って欲しい。これはエゴかもしれない。でも、譲れないところだった。
屋上は普段、体育の時間や吹奏楽部の練習などに使っていた。私は吹奏楽部では無いけれど、部長と顔見知りなので屋上の鍵を借りられて、だから使えるのだった。
そのため、誰もいない。私と風香以外、誰も。
まかり間違って誰かが入ってきたときのために、給水タンクの影に座した。入口から死角のここなら、まあ奥まで入ってこられたら隠れる場所はないが、気休め程度には身を隠せる。
イチャイチャできる。
いや、風香とは無理か…。
私はメロンパンを購買で買って、それを食べることが多かった。あまり食に対して誠実では無いのだ。
風香も大体同じだった。風香は、お弁当箱に入れているとはいえその中身は上下とも白ご飯で、振りかけもなく、そのまま食べる。味が無いのに良いの? って、前に訊いたはずだけれど、回答を覚えていなかった。スルーされたんだったか、忘れたんだったか、まあ、そんなことはどうでも良い気もする。
「あ、あの、加奈ちゃん…」風香が意を決したように言う。
風香が自発的に言葉を発するのは珍しいことだった。それに少しばかりの驚きを覚えつつ、「どうしたの?」
「あの、私、達、恋人同士になったんだよね、で良いんだよね…?」
そのことがずっと気になっていたとするなら、あの強引なキスも無駄じゃ無かったってことかもしれない。それに、風香から私のことを恋人だって意識してくれているなら、それも嬉しいことだ。
「風香はどっちだと思う?」
「えっと」風香は困ったように言ってから、「…加奈ちゃんに任せる」
「何それ?」
「えっと…加奈ちゃんが嫌だったら、私はそれでいい…」
風香は相変わらずだった。私に合わせて、自分の気持ちを明確にしない。それは私のことを気遣っているように見えるけれど、当事者としては、考えることを放棄していることにしか見えないのだ。私に責任を押し付けて、自分は傍観者の立ち位置にいる。
それが嫌いだった。
私は風香と一緒に居たいのに、風香はいつまで経っても遠くで見て居て、私一人が動いている。風香はそれを何も感じずにただ見て居る。そんな風に、常々感じているのだ。
「風香は私のことが嫌いなんだね」風香に正直であろうと決めていたので、最近は思ったことを口にしていた。それに威圧されて風香はまた下手に出るけれど、それが誤りであることをいつか気付く時がくることを願って、そう言った。
「大好きだよ…」
「嘘くさいな…」
「ほんとだよ」
「……」
まあ、昨日も風香からキスしてもらったし、それを示そうとしてくれてるのは解っているけれど、何だろう、行動だけじゃ信憑性が無い。風香からは無関心しか伝わってこない。
つまらなそうな瞳に動かない表情、口数の少なさがそれを助長している。私といるときに一度として楽しそうな顔を見たことが無かった。愛想笑いなら何度かあるけれど、愛想がない。
「あの、加奈ちゃん」風香は必至の体で言う。「見捨てないで…」
「それはこっちの台詞だよ…」
「え?」
「あ」
しまった。つい本音が。いつも思っていることだけにナチュラルに出てしまった。いや、いいんだけど、ここまで率直に言ってしまうと流石の風香も引いてしまわないだろうか。同級生からこんな、別れ話をされた依存系女みたいなことを言われても、気持ち悪いだけだろう。
実際、風香から聞いて少し引いたし。
それに風香は私に対して依存心はあっても執着心が無い。私個人にこんなことを思われていたとしても、多分どうも思わない、どころかうざったいとすら思うかもしれない。離れていくことは無くても距離はできてしまったりして。
それは嫌だ。
恐る恐る、風香の方を盗み見た。
「ふふっ」
と、上品に笑っていた。
笑っていた。
風香はこんなふうに笑うのか。初めて見た気がする。
いや、自信を持って言える。初めて見た。
なにか面白いところがあったのだろうか。
「加奈ちゃん、顔赤い」
「え、あ」
なるほど、私の顔が赤いのが面白かったと。
なんだとぅ。
「かわいい…」
なるほど。可愛いのか。可愛かったら笑うのか、風香は。
「可愛くないよ…」
「かわいいよ。とっても、かわいい」
「くっ…」
私が風香にやり込められるときが来ようとは思わなかった。というか、風香が私と怖がらずに話すの、久しぶりじゃないか。いや、可愛いと言っただけでそれが恐怖ゆえでないという理由はどこにもないのだけれど、なんか、表情が柔らかくて、なんというか、その、好きだった。
「加奈ちゃん」言って風香は弁当箱を置いて、私の上へかぶさってくる。風香からこんなことをしてくるのが意外で、私は即座に反応できなかった。
「ちょ…」
「わたしはね、加奈ちゃんのこと、本当に好きだよ? 加奈ちゃんはもしかしたらからかってキスしたのかもしれないけど、私は本当に加奈ちゃんとのキスが嫌じゃ無かった。だから、私からキスしたんだもん」
「う、うん」
「ちゅ」
「…!!」
キスされたのは額にだった。いや、ちょっと、今ヘンな汗かいてるんだからやるなら唇にお願い、と言う余裕もなく、目の前の紅潮した色っぽい風香の顔にみとれていた。滅多に見せない表情の変化の、多分レアな部類に入るんじゃないかなあ。それに、風香も私といて照れているんだと、そんな風に感じ入る。
私は風香のことを本当に好きなんだなあ、と思った。
「しょっぱい」
とてつもない羞恥心が襲ってくる。
「大好きだよ」言って、風香はもたれかかるようにして私に抱き付いてきた。
「ごめんね、加奈ちゃん」昼休みが終わりかけの時刻、風香が言った。
「いや…何が?」今日は大分満ちたのだけれど。
「あの、だって加奈ちゃん、私が嫌がってるって、思ってるみたいだから…」
「ああ、そだね」でもまあ、エロい表情も見れたし、今日のところはみたいな。
「でも、ね、あの、本当に残念なところはあって…ね…」
「…本当に嫌なの?」なにこの上げて落とす業。
「いや、そうじゃ無くって、恋人になれたのは嬉しいんだけど、その…友達が…」
「え、風香友達いたっけ」
「いないの…」
「それは知ってるけど、友達がって」
「そう。友達が、減っちゃった」
「減っちゃった?」
「いままでは、ほら、加奈ちゃんが友達だったけど、恋人になったから、恋人は友達じゃなくって、だから友達が一人減っちゃった」
「あ、そういう…」いやまあ、言ってることは解るのだけれど、腑に落ちない。「恋人が増えて、友達が減って、プラマイゼロじゃない?」
「いや、そうなんだけどね…なんか、残念で…」
「難しいことを考えるね…」
正直に言うのなら、風香に友達を作ってほしくない。私といる時間が減ってしまうし、風香を信用していないわけでは無いけれど、もしも風香が私のご機嫌取りのために大好きと言ってくれたのなら、私に依存する必要が無くなって、ただの無関心になってしまう。それで風香が離れて行ってしまうのは嫌だ。
でも、風香に真に好きになってもらうには、ちゃんと風香に寄り添ってないと駄目だろう。私だけの我がままで風香を拘束すると、多分いっそう離れて行ってしまう。
「えへへ」風香は声だけで笑う。
「いや褒めていはしない」
「…ごめん」
「そこで謝るから友達ができないんだと思う」
「そう…なの…?」
「うん。謝られても良い気しない」
「ご…善処します」
「それもあれだけど、謝るのはやめた方がいいよね」
「…わかった」
「風香は可愛いんだし、多分やろうと思えば普通に出来ると思うよ?」
「…加奈ちゃんが言うほど、私は可愛くないと思うよ」
「いや、断言できる」
「むう…」
「まあ、そんなに友達欲しいなら、いるよ一人、人当たり良いのが」
「…胃が痛くなってきた」
「早いよ」
時計を見ると、もう昼休みが終わり、始業する時刻だった。ふう、と息を吐きながら立ち上がる。
「戻ろ、風香」と、手を差し出した。
「うん」と頷いて風香は手を取る。
歩きながら、これからのことを考えて少しだけ不安に思った。
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