第16話 直虎
小野但馬守はどうなったのか。但馬守は山中に隠れていたところを捕らえられ、家康の前に引きずり出された。
「そなたが、小野但馬守か」
家康が厳然と但馬守に問いかける。小野但馬守はその問いに答える気力も失っているようだ。
そこに、生き証人として直虎が現れた。直虎を見た瞬間、小野但馬守の表情に生気が戻った。
「直虎殿、頼みます。私を助けてください。私は氏真の命令に従っただけなのです」
「直虎殿、いかがいたす」
家康が直虎の様子をうかがう。
直虎は首を横に振るだけで、何も言わない。その様子に小野但馬守の血の気が引いていった。
「小さい頃、良く遊んだではありませんか。私は直虎殿に害意は持っていませんでした。井伊谷を乗っ取ろうという野心もありません」
「但馬守」
直虎が冷たい口調で言う。
「あなたは、亀之丞……井伊直親を謀殺しました。とても許すことはできません。せめて、死後の世界で迷わないように、経文を唱えてあげましょう」
小野但馬守から表情が消えた。まるで魂が抜けたように口を開き、虚空を見ている。
「但馬守、そういうことだ。沙汰は、追って知らせる」
家康は小野但馬守の前から去った。その後を追うように、直虎も下がる。
後に残ったのは、人形のようになってしまった小野但馬守だけであった。
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永禄十二年(1569年)四月七日、井伊家の仕置場で小野但馬守の首がはねられた。小野但馬守の息子、二人も一緒にである。
これにより、直虎と小野但馬守の長かった戦いが終焉を迎えた。
しかし、直虎は考えることがある。小野但馬守は悪人だったのか、と。
確かに権力にとらわれた強欲人だったかもしれない。しかし、戦国の世ではそれがかならずしも悪人になるとは限らない。
直虎と徳政令の発行をめぐっての手腕は見事なものだった。井伊直親を謀殺した手際のよさも目を見張るものがある。
(但馬守は、力の使い方を間違えた。ただそれだけかもしれませんね)
直虎は首だけになった小野但馬守を見ながら、経文を読む。せめてもの手向けか。
(小野但馬守をこのような姿にしてしまったのは、私、なのでしょうか)
直虎が円姫であった頃、直親が亀之丞であった頃、直虎が亀之丞をあきらめ、出家せずに但馬守と結婚していたら……、
(このようなことにはならなかったかもしれません)
すべては、もし、の話である。考えても仕方がない。
しかし、全てが終わった今となっては考えざるを得ない。これは人間の悲しい性なのかもしれない。
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天正十年(1582年)八月二十六日、直虎は松岳院で静かに息を引き取った。最後に立ち会ったのは南渓和尚である。
生年が定かでないため、享年は不明であるが、四十代前半から後半にかけてであると推定される。
直虎が死亡する数ヶ月前には、本能寺において織田信長が亡くなっている。歴史の転換点ともいえる出来事だ。
直虎は病床でこの報を聞いた。時代の移り変わりを感じたことだろう。
この時、虎松はすでに万千代となり、家康の配下として働いていた。直虎の訃報を聞いたときは甲斐で武田家と戦っていた。死に目に会えず、さぞ無念であったであろう。
その三ヵ月後、万千代は二十二歳で元服した。この頃の感覚で言えば、相当遅い元服であった。
万千代は井伊直政と名乗り、徳川四天王の一人として活躍した。
特に、小牧長久手の戦いでは獅子奮迅の働きをし、『井伊の赤鬼』といわれるまでになった。
この井伊の赤鬼を育てた井伊直虎という女性は、現在は井伊谷の龍潭寺に眠っている。
井伊谷を愛し、井伊谷を守ろうとした領主は、確かに存在したのである。
赤鬼の母・井伊直虎 前田薫八 @maeda_kaoru
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