14歳 冬 暖かさを取り戻す

「時也すげー!」

「おいおい、授業中の30分のセットでスリーポイント5本とかチートだろ」

「おい。バスケ部! 時也誘えよ!」

 二年一組の体育の授業で時也はその日調子が良くて、

 ついうっかり、久しぶりに本気でバスケをプレイしてしまった。

 クラスメイトに肩を叩かれたり、ハイタッチされたり。

 時也は久しぶりに笑いながら、授業を受けていた。

 女子は体育館の反対側の半分でバレーボールをやっていて、

 なんとなく明音と目線が合うと、やったね!

 と彼女も手を挙げて時也を讃えてくれた。

「なぁ、時也、そんなに球技のセンスあるんだから、今からでも部活入れば?」

 クラスの原田はらだという男子が声を掛ける。

「だよなぁ、もったいねぇよう。バスケ部といやー沢渡さわたりか、おーいサワちゃん」

 隣に居る金子かねこも残念そうにそう言う。

「何だよカネ、また時也誘えってんだろ? こっちだって誘ってんだよ、

 なぁ時也? でも、その、色々事情があるのは解ってるしさ、

 無理して欲しくはねぇんだよ。

 顧問の武藤先生にもそう言われてるしさ、あんま気にすんなよ時也」

 バスケットボールを抱えた沢渡は、時也の肩をポンポン、と叩いた。

「なんかごめん。気遣わせてるみたいで」

 時也がそう遠慮がちに言うが、

「んん、全然。

 年明けにクラス対抗試合はあるわけだしさ、

 そこでの秘密兵器になってくれるだけで充分俺たちには強い味方だよ!」

 クラスでも身長が高く175cmくらいあり、もともとお兄さん気質の沢渡は、

 時也のことを無理に部活に誘ったりもせず、クラスの仲間だと考えてくれているようだった。

 そういえば彼は一年の時のクラス替えが行われる前は、

 正也兄さんと同じクラスだったっけ。


 冬場とはいえスポーツの後は暑くて、体育館の外にある水道で顔を洗っていると、

 女子達もちょうど授業が終わったらしく、体育館から出てくる。

 その集団から明音が抜け出てきて、時也の所までやって来る。

「はい、時也くんタオル」

 持っている青いタオルを差し出す。

「えっ、いいよ。自分のあるし」

 時也が眼を泳がすと、

「んーん、使って欲しくて、持ってきたのだから、ね。

 私って時也くんのマネージャーじゃない?

 さっき変な男子にバスケ部に誘われそうになってたでしょ?

 ああいうのデリカシーがなくて許せないのよね」

 使って欲しくて、マネージャー、デリカシー……。

 どこから突っ込めばいいのかと思ってしまうが、

 彼女の差し出したタオルを受け取って、濡れた顔を拭く。

 タオルはふかふかで良い香りがした。

「ありがとう。これ、洗って返すね」

「えへへ、いいよいいよ」

 明音はとっても嬉しそうだ。

「マネージャーって。うーん、頼んでないけど……でも、明音さんがマネージャーなのは悪くないかも知れないんだけれど」

 二人で渡り廊下を歩いて体育館から校舎のある本館へ戻る際、ぼそりと呟くと。

「でしょ? 悪くないでしょー。うんうん。悪いようにはしないからさぁ」

 にこにこと歩きながらスキップを踏むような足取りになる明音を横目に。

「明音さんはいい友達だなー」

 時也は感慨深く呟いた。

「うんうん」明音も頷き返す。そして、

「ねぇ、時也君、今日は先生も居るけど、放課後来る? 部室」

「……お邪魔しようかな」

 そんなに頻繁では無いが、時也は茶道部の部室に通うようになっていた。

 顧問の和月先生ともだいぶ打ち解けていた。

 先生も、明音も、半分カウンセリングのようなものだと思っているようだ、

 もちろん、最近の学校なのでカウンセリング室というのは別にあるし、

 いじめ相談を受けてくれるスクールカウンセラーとかも居るのだが、

 そっちに通うのに比べたらだいぶ気分はマシで、

 なにより、話し相手が居るのが楽しくて、

 人の優しさが恋しかったのもあったのかも知れないけれど、

 時也はいつの間にか、茶道部の部室に足を向ける機会が増えていた。

「うん、待ってるね。さて着替えてこよ、時也君も気にしないで良いからちゃんと汗タオルで拭いてよ、外寒いし風邪引いちゃうよね」

 明音はそういうと女子更衣室に駆けていった。

 明音は明るくて、隣に居るだけで時也も元気が出る気がした。

 手元のタオルに目を落とす。

 これ渡したくて、授業中ちらちら見てたのかなぁ……。


 コンコン、と茶道部の部室の木製の引戸をノックして、

「はい、どなたーぁ」

 和月先生のゆったりとした返事を聞いてから、

「二宮です、お邪魔します」

 靴を三和土で脱いで部屋に上がる。

「あら、いらっしゃい二宮君。西島さんは今お使いに行ってくれててね、

 学校の近くの和菓子屋さんにお菓子取りに行ってくれてるのよぉ」

 部屋に入った時也は、和月先生の服装を二度見してしまった。

 綺麗な和装姿だった。派手な打ち掛けとかじゃなくてしっとりとした大人の姿だ。

「どうかしら? いちおう本気モードなの」

 いってひらりと時也の前まできて廻ってくれる。

「綺麗です。先生、でも、どうして?」

「嬉しい、ありがとぉ。

 うん、あのね、機会があったらお茶をお点てしますっていってたでしょう?

 なかなか機会が無かったから、今日は明音さんに二宮君を誘って貰って。

 だから彼女にはちゃんとしたお菓子を買いに行って貰ってるのよぉ」

「なるほど。そっかぁ。

 正式な席ですか……僕なんかが頂いて良いのか」

「なに言ってるの、貴重なお客様なんですから。

 明音さんばっかりにお相手頂くわけにも行きません」

「はぁ」

「なぁんてね、新年には茶道部で茶会があるのよ。

 だからね、今日はそれの予行練習。

 先輩達はみーんな高校受験で忙しい時期だからね。

 私だけでもちゃんとしないととぉ」

「そうなんですか」

 半ば巻き込まれ気味だし、計画的犯行だった気もするが、

 こうなってしまった以上は仕方ない。正座しか出来ないが付き合おうと、

 時也は腹をくくってお茶を頂くことにした。

 しばらくすると明音も和菓子屋さんから帰ってきて、

 と、いうことだったのよ、ゴメンね!

 なんて笑うから、ついうっかり赦してしまった時也だった。


 茶道部の大きめな茶室の中では本格的な、

 今まで立ち入ったことの無い炉がある部屋で、

 浅黄色の和服の和月先生が茶を点てる音がだけがしている。

 何故か時也が上座で左隣に明音がいて、

 二人で正座して茶が出されるのを待っていた。

 先生はお茶を点てているときは真剣な顔をしていた。

「お茶が出される前の時間にお茶菓子を頂くのよ」

 簡単なマナーなどを明音は時也にレクチャーしてくれる。

「そっか、出される前に食べるんだね」

 綺麗な和菓子の練りきりを頂く。

 時期に合わせて、今日は椿の花をかたどったものだと、

 食べ方と一緒に明音が教えてくれる。優しい甘い味がした。

 先生は抹茶を淹れた茶碗を出してくれるときは笑顔で、

「どうぞ、二宮君、

 おさきに。

 といってから、お茶碗を手にとって左手に碗を載せて、右手は添える。

 一口飲んだら右か左に碗を少しずらして回して。

 三口くらい分けて飲みきるのが正しいスタイルよ。

 まぁ、緊張しないでね。私達しかいないんだし」

 出されたのは綺麗な黄緑の抹茶が映える、薄い白色の茶碗だった。

 やや緊張しながら、

「はい。おさきに。いただきます」

 茶碗を手に取り、抹茶に口を付ける、

 暖かく甘いけれども苦い、綺麗な緑色とは違ってものすごく難しい味がした。

 二口、三口と分けて飲むと、その度味が違うような気がした。

 飲みきって、碗を下げる。

「ほんとは、最後は飲みきりといって音を立てて泡をちょっと吸うのが、

 ただしいのだけどいまは大丈夫。

 碗の口の付いた部分を指でぬぐって、下において」

 和装の先生はすごい綺麗だけど茶道部の先生なんだなぁと時也は思う。

 優しい感じだけど、何時もと違ってなにかピンと背筋が伸びる感じがした。

「あの、ご馳走様でした」

 このあいだ明音に結構な~とはいわないといわれてたけど、

 何か言わないといけない感じがして、時也は碗を置いてからそう言った。

「はい、ありがとうございます」

 和服の先生が綺麗に腰を折ってお辞儀してくれたのでその優雅さに眼が点となる。

「ふふ、二宮君は上出来ね。次は明音さん」

 明音はお茶の飲み方も、マナーも、どうやら上手くいったようで、

 先生が碗を下げたときに満足した表情をしていた。

「はい、二人ともお疲れ様でした。もう脚崩していいわよぉ」

 先生がいった時、今まで数十分だけれど正座をしっぱなしだったと気付いて、

 脚のしびれに顔を歪めた。

 時也はしばらくビンビンしていたが、

 明音はなれたものなのかそのまま正座のままで澄ました顔をしている。

「明音さん、脚痛くないの?」

「うん、ぜんぜん、私おばあちゃんに鍛えられてるからねー。

 1時間くらいはなんともないかなー」

「慣れよね、慣れ。でも二宮君もお茶飲んでるときはびしっとしてたし、

 ほんと、茶道部にも誘っちゃおうかしらね。

 あのね、二宮君、上座のその席は正客といって、

 今日一番のゲストが座る席なのよ」

 先生は茶器を片付けたりしながら、お菓子を出してくれて、

 談笑らしい雰囲気を作ってくれていた。

「そうなんですか、なんか僕なんかですみません」

「ううん。貴方が来てくれて嬉しいなぁって思って。

 お茶をね、飲んでくれているときの表情で、いろいろ解るのよ、

 私なんてまだまだだから、ちょっとだけだけどね」

 時也は心のなかを見透かされたような気がして少しドキリとしてしまう。

「二宮君の中では、まだまだ色々な整理が付いてないのよね、

 私だって、中学生の頃に姉弟を失ったりしたらそうなると思うわ。

 きっと頼れる大人も、友達も居なくて辛かったんでしょう」

 そう言われて、確かに少し前まではそうだったかなと思う。

「でも今は、明音さんがいて、クラスの皆とも少しづつ打ち解け始めているのかな、

 最近二宮君の表情、すごい元気ですもの」

 時也は言われて、自分の頬をなでる。

 和月先生は微笑みかけて、

「元気な顔の二宮君はいいわよー、ね? 明音さん」

 急に矛先を向けられた明音はやや間があってから慌てだして、

「は、はい、そうですね」

 などと照れつつ視線を時也に向けながら答えた。

「ふふふ。二宮君、私も頼りないかも知れないけど、貴方の味方で居るつもりよ、

 先生で良かったら、色々相談に乗るからね」

 和月先生に時也は嬉しいのと、半分見惚みとれつつ、こくんと頷いた。

「はい、お願いします」

 時也が丁寧に頭を下げて言うと。

「そんなに畏まらなくてもいいわよ、私だってここの非常勤教員だし。

 んー、そうだなぁ、先生って肩書きがわるいかなぁ、

 お姉さんとでも思ってくれれば、いいかな? ね」

 時也はそれまで大人にこんなに優しくされたこともなかったので、

 どう答えたらいいのか、裏があったりするのではないのかとも疑ってかかってしまうが、それでも和月先生の笑顔は裏なんかなさそうな透き通るような綺麗な大人の女性の笑顔で、

「はい」

 と答えた。

「はい先生!」

 隣で黙って聞いてた明音が右手を挙げて、話に割り込む。

「なぁに、明音さん」

「もう先生、生徒に……というか時也くんには色目は使わないで下さいよね!」

「あら、私ったらそんな甘い感じだったかしら? ゴメンなさいね。ふふふ。

 二人は仲良いのねぇ」

 明音はうっかり時也君と呼んでしまった事に気付き口を抑えるが、

 そんな様子をみて和月先生はにこにこ笑顔だった。

「私ってすぐ男子生徒とかに告白とかされちゃうのよね、

 二宮君は紳士っぽいから大丈夫でしょうけど、

 甘々な雰囲気は出さないように気をつけなきゃダメねぇ」

 明音に言われて自戒している様子だが、これじゃあダメだろうなと、

 端から見ていた時也は思うが、こんな可愛いお姉さんが味方になってくれると、

 自分から言ってくれたのだから嬉しかった。

「駄目だこりゃ。あ、そうだ二宮くん、あのね、お正月の茶会は見学は自由なのよ、

 私も和服ででるから、良かったら見に来てね」

 明音が先生に呆れつつ、部の宣伝という訳でもないが次の機会、も見越してさそってくれる」

「うん、良かったらお邪魔させて貰います。先生いいですか?」

「はい、是非いらしてぇ」

 先生は笑顔で答えてくれた。


 そんなことがあってからしばらくして、

 時也は正也として萌恵に手紙を書く時にふと、自分の変化に気付いた。

 手紙の中の正也が元気そうなのだ。

 自分が書いているのにという不思議な感覚だが、

 それまでの手紙の中の正也兄さんは、必死に友達がいっぱいいることを、

 今日も楽しかったと言うことを、萌恵に伝えているような気がしたが、

 その時の正也兄さんは自然と元気そうに、中学生らしく。

 楽しく生活しているように感じられた。

 手紙の中とはいえ、兄が元気そうにしているのが見られて、時也も嬉しかった。

「これなら、明音さんも兄さんとの遣り取りを楽しんでくれるかな」

 未だ自身を偽って書いている事に負い目は感じるが、

 それでも手紙の中の元気な正也を見て、時也も久しぶりに嬉しかったのだった。

 まるで自分の中で失っていた何かが取り戻されたような……。

 取り戻してくれたのは、明音や先生や、クラスメイトや、身の回りの皆だろう。

 萌恵に宛てた手紙に、笑顔で封をする事が出来たのは久しぶりだった。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失はれた半身の出逢うべきだった運命の人と共に生きる選択肢を選ぼう Hetero (へてろ) @Hetero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ