14歳 秋 色を取り戻してゆく世界
西島明音は時也にとって、色々なきっかけを作ってくれる友達となった。
彼女はとにかく明るかったし、元気で、優しかった。
そして14歳の少年少女が、淡い恋をお互いの間に感じるようになるまで時間は余りかからなかった。けれど時也は正也として萌恵のことを、この年齢でその言葉を使ったら安っぽいかも知れないけれど、でも正也ならばと考えると、やはり愛していなければならなかった。
「あ、時也くん、また難しい顔してる。萌恵さんのこと考えてたんでしょう」
ある秋の放課後、教室でふと、手紙の文面を考えるついでに思案していた時也に、明音が話しかけた。
「……うん。まぁ。ね」
「うむむ。そだ、今日私が当番日だから部室の鍵預かってるんだけど、茶道部の部室来てよ」
「え?」
いきなりの誘いに時也は戸惑う。
「大丈夫だよ、先輩達は今日は模試だから来ないし。先生は来ても遅いから、しばらく二人きりだと思うから」
「大丈夫って、西島さん!?」
「あはは、時也くん慌てちゃって! ね、作法なんて解らなくても良いから、一杯お茶飲んでよ。淹れるからさ」
渋々頷き、茶道部の部室に同行する。
そう言えば西島さんがお茶を淹れてるところなんて見たこともなかった。
「はい、いらっしゃいませ」
「お、お邪魔します」
茶道部の部室はちゃんと茶室になっていて、時也の中学校の高学年女子には授業として茶道。華道などもある。特別教室の一環と言える。男子はと言うと剣道柔道などが選択制で選べたりする。
茶室と言っても校舎とは別の棟にはあるが、大人数の生徒が一度に利用できるよう、狭くはなく、通常教室の半分くらいの大きさだった。しかし綺麗な畳敷きで、土足は厳禁である。
落ち着きなく時也は周りを見渡した。
この教室に入るのは中一の時の学校内の施設案内の時以来だ、
当然あの時は隣に正也がいた。
家庭科室に似た香り、でももっと豊かなお茶の香りも混じっている。
「えっと、座布団座布団。はい。机の横に座ってて」
勝手知ったる明音は押し入れから来賓用の座布団を二人分出して、
中央にある低い立派な木製の長机を挟んで両向かいに置いた。
「勝手に部活外の人が来てたら怒られない?」
制服のまま、給湯室のような、半分調理室のような台所スペースに向かっている明音は、その時也の問いに、
「大丈夫だよー、女子なんかお菓子食べに入り浸りに来る子も居るくらいだし。
茶道部員自体は少ないからね。
ま、男の子連れ込む子は確かにいないけどねー」
とくつくつ笑ってから、和風のエプロンをどこかから取り出して、お茶の準備をし始めたようだ。時也はそわそわしてしまうが、しかし畳の部屋は家には無いのでどことなく心地よかったし。わざわざ明音が誘ってくれたことも嬉しかった。
部屋の窓からは手入れされた小さな日本庭園が見えていて、まだ背の低いもみじは色が付き出す前の時期だったのか緑色のまま、風に揺れていた。
しばらくするとお湯が沸く音がして、それから隣の台所から明音がお盆に載せたお茶と和菓子を持ってきた。
「おまたせー、本当に本番の時はね、隣の、炉がある部屋で、和服でやるんだけど。
こっちの部屋はね、皆でお喋りしたりするお部屋なんだ」
「ふうん」
なぜか明音は嬉しそうにお菓子を並べ、湯飲み茶碗を出してくれた。
「お抹茶じゃ無いから、大丈夫だと思うけど、熱いから気をつけて」
茶碗の中身は茶色の香ばしい香りのするほうじ茶だった。
「……西島さんありがとう。その、誘ってくれてありがとう」
時也は茶碗を受け取って礼を改めて言った。
「いやだなぁ、いつかのお土産のお礼だと思って?
私なんにもお返ししてないもの、さ、どうぞ」
「頂きます」
熱さに気をつけながら飲む、時也は作法も知らなかったので普通に飲んでしまったがこれで良かったのだろうかと思ってしまう。明音は味を気にしているだろうか、時也には良く解らなかったが、一口飲んで。ほっこりする味わいに満足して。
「結構なお点前でって言うんだっけ? 僕良く解らなくて、でも美味しいお茶。ありがとう」
「どういたしまして。茶道ではね、私は裏千家だけど、結構なお点前でって言わなくても良いんだって。言っても良いんだけどね」
「そうなんだ。知らなかった」
「でも美味しいって言ってもらえると嬉しい! ありがとう時也くん」
にこりと笑うショートカットの彼女は頬をほんのり朱に染めてとても嬉しそうだった。
「萌恵さんの、お兄さんの悩みも私で良かったらいつでも相談乗るからね」
気軽な感じでそう言ってくれる、
彼女は定期的にそう言ってくれているような気がした、
けれども夏のあの日に彼女と友達になってから、あの日も含めて数回しか、やはり兄のことは相談できていなかった。彼女は心配してくれているのだ。それが解る。
「――ありがとう、その、相談できるようになったら聞いてね」
どこか自分でも言葉の歯切れの悪さにもどかしさを感じながらそう答えた。
しかし彼女はこくりと笑顔で頷いてくれ、力強い味方を得られたという安心感が時也にはあった。
「ね、おまんじゅうもあったんだ、先生来る前に食べてよう?」
「大丈夫かな? ……うん、頂きます」
時也は一つ取ろうとしたが、一個が大きいので遠慮してしまう。
彼女も躊躇っているようだったので、一つ取って、半分に割って差し出す。
「ありがと。私も頂きます。これで共犯だから大丈夫だね」
「そんなぁ」
明音は何時も時也の前では笑ってくれていた。
無理しての笑いじゃなくて、自然な笑みで。
彼女は本来こういう
時也も最初こそ接し方を測ってしまったが、ある程度彼女に甘えることも悪くは無いように思えるようになってきていた。
饅頭を一口食べて幸せそうな彼女の顔を見ていると、時也まで元気になるような気がした。今までこんな気持ちになったことはあれ以来一度も無かったのに。
時也もつられるように一口食べると、口いっぱいに餡の味が広がって、普通の餡子饅頭なのにどうしてこんなに美味しいんだろうと思ってしまった。
「おいしいね」
「うん」
お茶も美味しかったし、その後の二人でしたとりとめの無い会話も楽しかった。
結局兄と萌恵のことはまた話せなかったけれど、明音も無理してそこを話させようとは時也にしなかった。
「――ねぇ、時也くん」
「なに? 西島さん」
お饅頭を食べ終えてしまいお茶を飲みつつ話をしていると、
「その、西島さんっていうのだけど」
「ん?」
「私が頑張って時也くんて読んでるんだから、
私のことも明音って呼んでくれてもいいよ?」
「が、頑張ってくれてたんだ」
急に恥ずかしくなってしまい時也は机の上に出した手の平を組んで考えるふりをした。
「うん、ちょっとだけどね……その、早く仲良くなりたかったから」
聞き取れない位小さい声でぼそりと言われたが、
窓は閉まっているし、台所から小さく冷蔵庫の音と、ポットのチチチという音しかしてこなかったので良く聞こえた。
こういう時兄さんなら、萌恵さんにどうするだろうかと尋ねていた。
しかし、頭の中の兄さんが答えるより早く、自分なりの回答が解っていた。
「その、恥ずかしいから、明音さんでいい?」
おずおずと訊いたが、明音はその回答を待ってくれていたように、
恥ずかしがりながらもパッと顔を明るくして、
「うん。お願いします、時也くん」
と敢えて名前で問いかけたので、時也も。
「解りました。よろしくお願いします、明音さん」
と答えて、二人で笑い合った。
ようやく14歳らしい男の子の笑みを見れたと明音はその心の内をときめかせていた。
コンコン、とノックがあってから、
「お、今日ははやーい。あ、男子の靴……西島さんよね、当番は」
と三和土の方で声がした。
時也はヤバッとおもって明音を窺うが、
「時也くん、大丈夫よ、そのまま、そのまま」
と言われてしまった。
襖をスっと開けて入ってきたのは茶道部顧問の
30余りの女性教師で、こういった茶道、華道なんかに詳しい家柄をでているらしく、見た目も色っぽくって男子生徒からも人気が高い。
生活力も高いらしく、男性教師にも人気が高い先生でもある。
すらりと身長が高く170くらいあって、長い髪は後ろで一本に縛っていて、細い澄ました眼。日本的な美人という感じだった。
「貴方は、二年一組、西島さんと同じクラスの二宮君ね?」
「はい、えっと、そのお邪魔してます」
「まさかの入部希望だったら先生すごーく嬉しいんだけどぉー」
語尾を伸ばしてすごい甘ったるい雰囲気で言われるとドキドキする美人先生だ。
「違います先生、彼は私がお茶にお誘いしたんです」
と、きっぱり明音が言い放った。
すると、多少しおれた雰囲気で、
「あら、残念。でもゲストは大事。
西島さんはちゃんとおもてなしできたかしらぁ?」
「はい。頑張ったよね? 私」
と明音が視線を向けてくるので、
「明音さ――西島さんにお茶を頂きましたが、美味しかったです!」
と時也はしどろもどろに取り繕った。しかし先生の反応は、
「ま! すばらしい! 二宮君、良かったら茶道部の良い噂広めてねぇー」
喜ばれてしまった?
「ここのところ部員が居なくて大変なのぉ。一年生も入ってこなかったし。
美人先生だ! なんて男子は言うくせに薄情よね」
この先生、こういうキャラクターだったんだと始めて時也は知って、
笑いそうになってしまったがこらえて、
「解りました」
というと、よしよしと先生は頷いた。
「西島さん、二年生の残り三人はぁ?」
「まだ来てませんね。教室で友達と喋ってるんじゃないですかねー」
明音はこの先生のこの独特なしゃべり方とか性格も知っているようだ。
「ふむぅ。先生呼びに行ってこようかなぁ。
変な噂が流れちゃうと困るようなら、その間に二宮君は帰ることぉ」
「は、はい」
時也は慌てて居住まいを正した。
が、先生は次の瞬間破顔して、時也の前にすっと近づいてから、
真面目な声音でこういった。
「でも、私嬉しい。あの二宮君が、西島さんと仲良くなって、
部室に遊びに来てくれるなんて。
皆が居るときが恥ずかしかったら、また西島さんと遊びに来てね。
今度は私がお茶のお相手するからぁ」
とウィンクされてしまった。踵を返して颯爽と茶室を出て行く、
フレアスカートからはほのかな花のような香りがしていた気がした。
その様子を見ていた明音は、
「うぬぬ! さすが美人先生め! ぬかりないわね」
ちょっと憤慨していた。
学校の教職員達はあの時、正也の葬儀の時、そう言えば皆来てくれていたんだった。その中に和月先生も居たんだろう。そして先生にも心配を掛けていたのだ、
「僕、先生の名前とか、キャラクターっていままで全然見てこなかったけど、
和月先生って良い先生だね」
と答えると、
「あら、今更? 学校人気ナンバーワンなのよあの先生。時也くん、やっといろいろ余裕が出来てきたんだね」
そう言われてすこし、錆付いていた心が温まってきている気がした。
「明音さんのおかげかな?」
と言うと、彼女は急に真っ赤になって、
人が来ちゃう! 急いで、といって慌てて僕を部室から追い出した。
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