14歳 夏 一人旅 スタンドバイミー 下

「あのね、正也君、私あなたに言わなきゃいけないことがあるの」

 柚原家の居間で萌恵、香恵の二人と向かい合って座り、二人の両親は気を利かせて席を外してくれていて、時也はいよいよ積年の話が出来、兄の誤解を解くことが出来るかと思っていたら先に萌恵に切り出されてしまった。

 萌恵の表情は真剣だった。

 香恵も姉のその様子を真剣に見つめている。

 萌恵の薄い唇を意図せず凝視して次の言葉を待ってしまった。

「あのね、正也君、私……手紙ではずっと書けなかったけど、腎臓病なの」

「じんぞう?」

「うん、あのね、写真では元気に見えるように必死に誤魔化してて、手紙でも誤魔化してて、その、私も香恵も元気いっぱいですとかよく書いていたんだけど、それは嘘だったの。ごめんなさい」

 彼女は机に額が付くくらい頭を下げた。

 五―十秒くらいそのままで、お姉ちゃん、と見かねた隣の香恵が裾を引いてやっと頭を上げてくれた。

「どうしてそんな」

 と時也は尋ねるしか出来なかった。

 すると彼女は、彼女ずっと貯めてきていたであろう想いを伝えるべく、精一杯の言葉で正也を名乗っている時也に病状の全てを明かしてくれた。

 彼女は小児腎臓病で、低形成腎 という腎臓が先天的にきちんと機能しない病気だった。双子であることとの関係性は不明だが、妹の香恵の腎臓にも問題が無いかどうかを調べるため、定期的に病院に通い、検査し、薬を服用しなくてはならないのだと教えてくれた。

「――私のこの病気が解ったのは、七歳の時かな、始めて正也君と手紙の遣り取りをしてから二年目だったの。私もあの頃は小さくて自分の身体の事とか良く解ってなくて。お薬さえ飲んでれば、皆と一緒に遊べるようになるって思ってて。正也君との手紙の中だけは元気で居れて、そしたら正也君も喜んでくれて。私ね、自分の身体の事、正直怨んだりしたこともあったんだけど、それでもあなたが居たから――」

 彼女は時也の瞳を優しく見つめてくれていた。

「――頑張って来られたんだ。ありがとう。それと、今まで嘘を吐いていてごめんなさい」

 言葉の端々に彼女のへの想いがあった。

 そうか、替わる前から、替わった後も、文通の手紙が彼女を励ましていたんだ。彼女はそこまで想いを一気に伝えたあと、はにかんで、

「はぁ、緊張したぁ。香恵、私上手く伝えられたかな?」

 と隣で一緒に聴いていてくれた妹に尋ねた。

「うん、お姉ちゃん頑張ったよ。正也君。あのね、お姉ちゃん、まぁ、言わなくても解ってると思うけど、正也君のことが好きなんだよ」

 香恵には腎臓病の兆候すらないのだろうか、悪戯な微笑みと同時に姉を肘で小突いて時也に言った。

「ちょっと、香恵!」

「いいじゃないの、私ね、お似合いだと思うんだ。二人って! だって素敵じゃない、世界でたった二人だけ、同じ瞬間に産まれた人なんだよ? そして文通でずーっとやり取りしてて、お姉ちゃんが病気の時に、彼の手紙が励みになってた。うん。これ以上完璧な話ってあるかしら」

 時也は兄の代わりに照れていた。

 香恵の話は良く解った。

 確かにそうだった、彼女と遣り取りしていた手紙の文面には、やたら自然の話や人の話、元気に遊んだ話が多かった気がする。それは彼女が叶えられない夢であると同時に、正也にだけ打ち明けられた胸の内だったのだろう。

「僕も、僕も好きだよ、萌恵ちゃんのこと」

 口を突いて出た言葉は、時也が兄だったらこういうだろうとシミュレートしてきていたリストにあった言葉では無かった。

 彼女は目をまん丸くしてから、少し笑って。

「ありがとう」

 柔らかく声を落とした。

 彼女が隠してきていた身体のこと、それをずっと支えてきた、僕達の手紙のこと。

 そして彼女が心の支えにしているのは兄さんであること。

 それが解ったら時也は自らがこの場で打ち明けるはずだった、正也の死という彼女にとっては恐らく最も厳しい現実を突きつける勇気は無くなってしまっていた。

 言い出せない。

 この場では言い出すことは出来ない。

 時也は焦燥を感じたが、彼女たちとの少し甘いお喋りに興じ、その日の晩ご飯も柚原家でいただいて、今日は中津川の宿に泊まり、明日は朝柚原家には寄らず、東京に帰ることを伝え、彼女達の家を辞そうとした。

「正也君、お手紙また書くね。高校に行って携帯も買って貰えたら、アドレス交換しようね」

 萌恵は少し上気して中学生なりの最大限の色気さえ感じる息づかいで、別れを惜しんでくれていることが時也には充分に伝わっていた。

 香恵はそんな姉を馬鹿にしつつも暖かく見守りつつ、時也の様子が少しおかしいことを察してくれていたらしい。

「ねぇ、正也君。もしかしてなんだけど、正也君も何か大事なことを伝えに来てくれたんじゃないの? 私の勘違いかな……」

 と問うてくれた。

 時也にこの時あと少しだけの勇気と、あと少しだけの力があれば、

 兄の事実を伝えられたかも知れなかった。

 時也は微笑んで。

「ううん、僕も二人に会えて嬉しかった。香恵ちゃん、ありがとう。

 萌恵ちゃん、僕、また、必ず君に会いに来るよ。

 絶対。だから、さよならじゃなくて、またね」

 玄関で別れ際、そう言って踵を返した時。

 正也兄さんだったら、こういうときどうしたんだろうと必死に何度も何度も考えた。

 柚原家の母が運転してくれる車に乗り込み、その日取った宿に着くまでの間、中津川の谷間に溢れた夕日の色はやけに赤くて、田舎の街並みは赤色の中に浮かび上がって、ヒグラシの鳴く声が聞こえ、時也の胸にこの夏のにがくるしい一場面を刻み込んでいったのだった。


「叔母さん、ありがとうございました。萌恵ちゃんと、香恵ちゃんによろしく」

「ええ、伝えておくわ。萌恵のね、病気も一進一退だから、もし元気になったら、今度はあの子からあなたに会いに行けるといいわね。正也君。今日はありがとうございました」

 宿の入り口で互いに頭を下げあいお別れをして、

 時也はこれもまた、始めて一人で宿に泊まったのだった。

 チェックインしたときの名前。予約名は何の気なしにとしていたが、この日はその名を見たとき、自分が明かせなかった嘘が重くのしかかり、禄に睡眠を取ることすら出来なかった。

 翌朝、宿の送迎バスで中津川駅に着いて、夏の朝の空気の中にさえなにか絡みついてくるようなものを感じ、居心地が悪かった。

 しかし、両親には心配掛けた思いは強かった、何かお礼にとお土産に眼を留めると、発つ前に電話をくれた西島さんのことが頭を過ぎった。

 両親と同様、全く関係ないのにも関わらず、彼女も巻き込んでしまい傷つけてしまったかも知れない。彼女にも何かお土産を、渡せる自信はないけれど買っていってあげようか。と右手のミサンガを見つめて兄に呟いた。


 14歳の夏休みの冒険はこんな苦い経験で終わり、萌恵との文通は今までと変わらず続けることになった。彼女は自らの病状についても気軽に明かしてくれるようになり、は一段と近づいたように思えた。

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