エピローグ 1/4 12歳の別れ

「……あの時、兄さんはなんで僕を突き飛ばしたんだろう」


 少しえた香りのする兄の部屋に、父と母の留守を狙って入り込んだ。

 一三歳の少年にとっては、それは一年前の出来事だった。

 兄の使っていたベッド、学習机、部屋の装飾、マンガ、

 この部屋の時はあの時から止まっていた。

 日光で痛まないようにと、雨戸も七割りがた降ろされ、隙間から入る外の光で、

 部屋はなんとなく暗い中に浮かび上がり、淡い黒の陰影が、

 まるで少年の心の中にある暗がりのように部屋を照らす。

 部屋には埃はなく、ベッドにそっと座っても、

 のりの利いたシーツのカサリとした乾いた音がしただけだった。


 ――一年前、五月七日。

 近くの大きな公園で、双子の兄弟はサッカーをして遊んだ帰り道だった。

 帰り道に少し長い横断歩道を二人で渡っていると、

 突如大型トラックが信号無視して迫ってきていたのだった。

時也ときや! 危ない!!」

 それが、彼が最期に聞いた兄の言葉だった。

 それ以降の事は良く覚えていない。

 お巡りさんや、両親、曾祖父母にいろいろ訊かれたはずなのに、

 今となっては全て記憶の彼方の霞に消えてしまい、

 なにも思い出すことは出来ない。


 ただ、大好きだった兄さんは亡くなり。

 僕だけが生き残ってしまった。


 そして――


 兄の学習机の上には"それまでの分の"彼女からの手紙が積んであった。

 僕は一度だけしか読まなかった。

 それでも、彼女が五歳の頃からそっと温めてきている、

 兄に対しての思いは文章の端々から読み取ることが出来た。

"あれからの分の"彼女の手紙は僕の部屋にある。

 兄が事故に遭ったあの日、偶然にも届いていた一枚の手紙。

 幼かった僕は、幼かった彼女を傷つけないようにと、

 必死で考えた。

 その結果僕はのだった。

 あれから数回手紙の遣り取りをしたけど、

 彼女はまだ僕が兄に成り代わっていることは気付いて居ないようだ。

 最近僕は急に一年前の自分が如何に幼いことをしたのか、

 彼女に何故事実を告げられなかったのだろうかと思うことがある。

「……兄さんは、僕が兄さんの代わりに手紙を出してること、どう思うかなぁ」

 誰も居ない兄の部屋の闇に、ぽつりとこぼした言葉は吸い込まれて消えてしまう。

 それでも彼女からの手紙が来たら、僕は正也まさや兄さんになる。

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