第10話 彼の過去

 月が雲越しに淡く田園を照らす中、私とギィは馬を並べて進めていた。夜の風は冷たく、吐く息は白い。


 私はギィの顔をまともに見ずに、景色ばっかりを見ていた。

 馬のひづめの音だけが、静まりかえった道に響く。


 しばらく沈黙が続いていたけど、ギィは曲がりかどで軽い調子で忠告した。

「イカサマ疑われるレベルに勝つのは、ほどほどにしとけ」


 その言い方は、思っていたよりも普通に心配してくれているようだった。

 私は私が思っているよりも、揉め事になって怖かったのだろうか。ギィの声を聞いたら、ほっとしてしまった。

 私はそれを認めたくなかった。


「別に助けてくれなくても、自分でどうにかできたし」

 言うべきなのはありがとうであることくらい、頭ではわかっている。でも、そんな素直な反応はできない。


 ギィは馬を止め、表情を変えて私を見た。束ねられた白髪が、月に照らされて風になびく。あきれた顔の凝視が痛い。

「その得意の銃で? あのとき抜いたら面倒くさいじゃすまない事態になっていただろうな。お前にそれでよかったのか?」

 私の意地に対して、ギィは正論でかえした。まっとうな意見に、私は何も言えない。


 その通りなんだけど、でも……。


 黙り込む私に、ギィはここぞとばかりに容赦なく追及する。

「お前のS&Wスコフィールド、子どもには不釣り合いな代物だが、もらいものだよな。大事そうにしているところを見るともしかして形見か?」

「何で、それを今……」

「ふん。図星か」


 私はすぐさま声を上げたけど、ギィはせせら笑って続けた。

「父親は健在のはずだし、兄だな。おおかた、死んだ兄に憧れてとか、仇を取りたいとか、そんなとこだろ、お前が銃を持つのは。どうだ、これも当たりか」

 そうだよ、正解だよ。わかりやすい女で悪かったね。

 私は顔をしかめて、小さく舌打ちをした。


 兄さんを殺した者への復讐は、私にとって一番大事なものだ。別に隠しているわけではないけど、他人にあっさりと見透かされるのは腹が立つ。

 でも、ギィはわざわざ私の都合を無視していく。


「どうやらお前は人を殺したがっているようだが……」

 ギィはコルトライトニングリピーターを手にして、私を見た。

「引き金を引いて撃てば、人は死ぬ。お前のその銃も、俺のこの銃も、その力がある。一度人を殺せば、殺人者ではない自分には戻れない。死んだ人は生き返らない。それでもお前は、人を撃ちたいか?」

 琥珀色の瞳に、一瞬落ちる暗い過去の影。黒いコートがバタバタと風にはためいた。


「うるさい黙って!」


 その時、私は大声で怒鳴っていた。もう限界だった。

 すべてが気に入らなかった。説教されるはめになる自分の弱さも、ギィに全部言い当てられたこの状況も、何もかも。


「死んだ人は生き返らないとか、そんなことはわかってるよ! 死んだ兄さんはもう、何も言えない。だから許せないんじゃん!」

 ギィの話はもっともだけど、どうしても受け入れられなかった。倫理とかそういうもので解決できない。したくないからこそ今の私がいる。ギィの言葉は心のこもった忠告なのかもしれないが、自分を否定する言葉にうんとは言えない。

 肩を震わせて、私はギィをにらんだ。

「私は復讐したいんだよ。放っておいてよ」


 怒りを隠さない私を、ギィはじっと見つめた。


「お前は子供だな」


 馬鹿にしているような、それでいて羨ましがってもいるような目だった。

 自分の姿はひどく未熟に見えるだろうと気づいた私は、なぜ私ばかりが自分の全部をさらけ出すはめになっているのかと、余計に腹が立ってきた。


「こんなのはフェアじゃない。一方的すぎる。あなただけが私のことをわかって、私はあなたのことを何にも知らないなんて卑怯だよ。私だってあなたを知る権利がある」

 自分自身へのいらだちも含めて、私はすべてギィにぶつけた。


「そんな変な職業なんだし、どうせあなたにもあるんでしょ。訳ありな過去ってやつが。私はあなたの過去を暴いてみせるからね!」

 私は過去を言い当てられた仕返しに、ギィの弱みを握りたかった。私と同じかそれ以上に、嫌な気持ちになってほしかった。


「やってみろ、小娘」

 ギィは優位な立ち位置を崩さずに笑う。


「余裕ぶっていられるのも今のうちよ、ギィ・デュバル」

 私は吐き捨てるようにそう言うと、馬に蹴りを入れた。

 馬はいななき、急加速。ギィとの距離がみるみるうちに離れる。


 変化のない夜の農村の景色が流れていく。風がビュンビュンきて、スカートの裾がはためく。耳がちぎれるほど痛い。

 どこへ走っているのかはわからない。とにかくギィの顔を見たくなかった。

 私は星の見えない空の下を、とりあえず駆けた。


 私は馬を走らせながら、どこへ行こうか考えた。

 瞬間的に、イサイアスの顔が浮かんだ。


 そういえば、イサイアスってはじめて会ったとき、ギィのこといろいろ知ってそうな様子だったよね。よし。じゃあイサイアスのとこへ行こう。

 自分のひらめきに満足して、ほくそ笑む。


 私は方向を変え、馬に鞭を入れた。

 駆けること十数分、私はイサイアスが借りてるという家の前にいた。丘の斜面をくりぬいた簡単な芝土の家だった。

 草はぼうぼうで、自然に還る寸前という雰囲気。夜なのもあいまって、余計にみずぼらしい。


 コンコン。

 中が腐って空洞になってる木のドアは、叩くとよく響いた。

「どなたです?」

 と、イサイアスの声。牛の骨亭からもう戻ってきていたらしい。

「アイオンだけど、さっきは置いてってごめん。ちょっと、聞きたいことがあって」

 私が呼びかけると、ドアが開いてイサイアスの白い顔がにゅっと出てきた。

「別に気にしてませんよ。それよりも来てくれてうれしいですね。どうぞ、中に入ってください」

 イサイアスはにっこりとほほえみ、手招きした。


 中に入ると、外観からは想像もつかないほど居心地のいい空間が広がっていた。暗くて薄汚れているけれど、家具はきちんとそろっているし、ストーブの火加減もちょうどよかった。


「ここが一番、暖かいんですよ。はい、これどうぞ」

 イサイアスはロッキングチェアを引っ張り私に座らせると、温かい紅茶をくれた。

「あ、ありがとう」

 突然の訪問にも関わらず、ちゃんと歓迎してくれるイサイアスに、私はちょっとたじろいだ。


「で、聞きたいこととは、何でしょうか」

 イサイアスは自分も椅子に腰掛けた。


「その、イサイアスって、会う前からギィのこときいたことあるみたいだったけど、何か知ってることがあるの?」

 私はためらいがちに、もってまわった言い方をした。


「僕はこれでも新聞記者ですよ。大事件にゴシップ、スキャンダルには精通してます」

 イサイアスは誇らしげに胸をはると、くすりと笑いこう付け加えた。

「しかしアイオンさんは、好きな人のことが知りたくてしょうがないんですね」


「私は、あいつの弱みが握りたいだけだよ」

 私は語気を強め、イサイアスをにらんだ。

「とりあえず、そういうことにしておきましょうか」

 イサイアスは少しだけ真面目ぶって座りなおすと、内緒話をするみたいに声を低くした。


「大ざっぱに言えば、デュバル氏は連続殺人鬼の息子なんです」


「へっ!?」

 私は想像していたよりも大仰な話に、ぎょとしてすっとんきょうな声を上げてしまった。

 イサイアスは私が驚いているの楽しむようにいたずらっぽい表情を浮かべたが、じらすことなく話を進めた。


「ギィ・デュバル氏の父親、トマ・デュバル氏は生まれつきか環境かわかりませんが、壊れていた人物だったようです。彼にとっても周りにとっても不幸なことに、彼は結婚し家庭を持つことになりました。二人の子供が生まれても、彼がまともになることはありませんでした。そして彼は自分の妻を殺しました。これが記録に残るトマ・デュバルの最初の殺人です」

 歴史を語る先生みたいにさくさくと、イサイアスの透き通った声は凄惨な事件を語る。


 細かいことの抜け落ちたイサイアスの話では、なぜ、どうしてという部分がさっぱりわからない。それが余計に、不気味で怖かった。

 多分、訳なんてないのが正解なんだろう。


「彼が女性たちを殺め始めたのは、妻を殺した後でした。しかし、息子は何も知らずに育ちました。親代わりだった姉が、父から弟を守ったようですね」

 頭から抜けていってしまいそうな、現実感のない順序立てた言葉たち。

 でもやっぱりそれは、本当の出来事らしい。


「息子が真実を知ったのは十一歳の夏、父親が姉を殺した時でした。そして彼は、父親を撃ち殺しました。その息子というのが、デュバル氏です」

 イサイアスはためらうことなく一気に述べた。その様子からは痛ましいとか可哀想みたいな感情はあんまり感じられなかった。小麦のガムを噛むみたいにあっさりした様子で、所詮他人ごとって感じだ。


 でも私はイサイアスほど平静ではいられなかった。

 うわ、やめておくんだった……。

 後悔がちらっと、胸をよぎる。


「聞かなきゃよかったって顔してますね」

 イサイアスが私の心を読んだかのように言った。

「そ、そんなことないよ」

 私は考えるよりも先に強がり、嘘をついていた。だけどとっさだったので、声が震えてしまった。


 事件について話していた時よりも数段甘い声で、イサイアスはささやいた。

「別に嫌な気持ちになったことを否定しなくたっていいですよ。相手のこと知りたくなるのも、知りすぎたら知りすぎたらで居心地が悪くなるのも、人間らしくていいじゃないですか」

 ストーブの火に照らされているせいか、眼鏡の奥のイサイアスの黒い目は星みたいにきらきら輝き、白い頬はほんのりピンク色に染まっていた。


「あなたに何がわかるの?」

 恐ろしく心を込めて見つめられた私は、イサイアスから目をそらして返事をした。正直なところ、イサイアスの言いたいことがわからない。

 イサイアスは声だけで私を包み込むみたいにそっと言った。


「アイオンさんが思うよりもずっと、アイオンさんは優しい人ですよ」


 違う。私はそういう人間じゃない。

 イサイアスの暖かな響きの言葉が、私の胸に深々と突き刺さる。


「私は優しくなんかない!」


 私はうつむき、つい声を荒げた。

「私がいい気がしないのは、あいつに悪いと思ったからじゃない。私はあいつの過去が私に扱いきれないものだったから、不愉快なだけだよ」

 私は必死で、自分がいかに冷たい人間かを証明していた。いつのまにか私は、イサイアスに本音を吐露してしまっていた。


「あなたのそういう、見かけによらず繊細なところ、僕はとてもかわいいと思います」

 私の強がりを無意味だと言わんばかりに、イサイアスの声はますます甘くなった。

「あなたは、好きでもないのにかわいいとか言うの?」

 私は話をそらそうと、イサイアスの言葉に口をはさんだ。イサイアスの顔が不思議そうな表情に変わる。


「え、僕はアイオンさんのことが好きですよ。初対面でも好ましいと思っていましたけど、今日でもっと好きになりました」

「冗談でしょ? 私の悩みを、これ以上増やさないで」

 私はイサイアスの告白をぞんざいに否定した。もう何も考えたくなかった。

「すみません。アイオンさんが好きなのはデュバル氏でしたね」

 と、イサイアスが茶化す。私が突き放しても、いっこうに気にしないようだ。


「私は誰も、好きになんかならない」

 だんだん眠くなってきたので、私は一言一句に力を込めた。そうしないと、何を言っているのかわからなくなりそうだった。

 イサイアスはからかうようにきいてきた。


「では、好意を認めず対抗心だと言い張るアイオンさん。あなたは相手の過去の秘密という最高の武器を手に入れて、どうするつもりなんですか?」


 明日ギィにどんな顔して会うかなんて、こっちが聞きたかった。

 答えに困った私は私は思い出したように、イサイアスのいれてくれたお茶を飲んだ。冷めても結構温かったそれは、私の眠気に見事にとどめをさした。

 そういえば今日は、めずらしくお酒を飲んだ日だった。


「私は別に……、あいつが嫌いなわけじゃない……よ……」

 ロッキングチェアがゆらゆらと揺れた。ストーブの火は暖かく、まぶたは重い。

 さすがにここで寝るのはまずいかなと思ったけど、寝たい時にそのまま寝たくなる衝動には逆らえない。

 薄明かりの下のイサイアスの顔がぼやける。

 私は目を閉じて、考えるのを止めた。


「不用心なんですから、アイオンさんは。ま、別に襲ったりはしませんけどね」

 遠くでイサイアスの声がした。

 ふわりと、毛布が柔らかく私を覆う。

 私は悩みを忘れて、とてもいい気分で眠った。

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