宮沢賢治は、夏目漱石からオリジナリティがないというただ一点だけで「きみは向いていない」と酷評され、作家になれなかったという。もちろん、原書を読むようなカネもチャンスもそうあることでない明治期に、これが真っ当な評価かどうかさえわからないけれど、当時の感覚からすると、今でいう二次創作の先駆けだともいえる。
評論家ではない作家は作品でしか語れないらしい。例えるなら、水まわりをリホームするのか、想い出を残しながらリノベーションをするかも、これを読んでみるとオマージュの意味が際立つような気がする。
今まで、同じシーンを作者が違えばどう変わるのか、校正やら二次創作する動機(モチベーション)が上手くわからないでいたけれど、綺麗にするのが好きってことなら共感できるなあ、みたいなことです。
宇宙やら重力やら物理やら、制約だらけのなかで人とは違うことが書ける文才が、SFってことなのかもしれない。
(注意:ググってみると賢治と漱石の生没が合わないようだから、どこか誰かと勘違いしている。そこはお詫びして訂正)
注文の多い料理店が大大大好きなので、冒頭でぐいぐいっと引き込まれてしまいました。
旧仮名遣いで語られる未来の話、という着眼点に脱帽です。
賢治の作品と繋がっている部分を発見すると、思わずにやりとさせられるのも楽しいです。
どこか牧歌的でノスタルジーを感じる文章が読んでいて心地よく、ついつい何度も読み返しています。
一人でPV増やしていてすみません。
SFはあまり読んだことのない人、宮沢賢治の作品にはこれから詳しくなろうと思っている人、SF大好きで賢治の作品も大好きな人、どんな人でも楽しめる内容だと思います。
これからどう話が展開するのか楽しみです。
タイトルは宮沢賢治『春と修羅』を模していると思われるが、中身は同作とあんまり関係がない。むしろ下敷きとなっているのは、同『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などだろう。未読の諸氏は青空文庫でタダで読めるからちょっと読んでおくといい。
本作のうまみは、宮沢賢治の作品における特徴である独特の口調による掛け合いをきれいに模写しながら、その中にSF的な単語を混ぜ込んでいくことによって生まれる、なんともいえないおかしみにある。
「浮遊小天体に突つ込みでもしたら、ずいぶん痛快だらうねえ。軌道を外れて、くるくると飛んでいくだらうねえ、シュラ」
こんな具合で、まるでジョバンニとカンパネルラの掛け合いのようなセリフに、ハードSFてきな雰囲気が混じって、なんだか笑えてくるのである。もともと賢治の作品はSFの要素を色濃くもっている点も、この奇妙なシナジーを助けているのかもしれない。この親和性に気づいた点が、現時点で最も評価すべきポイントと言えるだろう。
本レビュー投稿時にはまだ2話までしか公開されておらず、話の筋については評価できないが、湯葉氏ならばきっと読者を痛快に裏切り、抱腹絶倒の中にもほろりと涙を流させるような大展開を用意してくれるものと期待している。3話はよ。