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 私は浪川美織を追いかける。

 追いかけて、彼女に追いついたところで、今の私に何ができるか分からない。それでもこうして彼女の足跡を追っている時間が一番、気持ちが楽だった。彼女の為に何かをやっているということが、私には心地よかった。ただその行き着く先は、亡者の彼女に真相を問いただすという地獄のような時間だ。だから、このどちらでもない宙ぶらりんの時間が妙に居心地が良かった。このまま空気のように消えてしまいたい。


 はっきり言って私の記憶はまだ一時停止の状態だ。

 彼女にけしかけられて私は言われるがまま、殺めてしまったのか。それがはっきりしないから、私は彼女に会ってしまうのが億劫に感じる。今のところ登場人物は私と美織の二人で、その美織が亡くなっているのだから、これ以上話を進めれば―――――私が彼女を殺したことになる。


 しかし、私は足を止めない。私を突き動かす情動が止めてくれないのだ。


 加藤には悪いが、浪川宅を出てから彼には一度も連絡をせず、こうして一人大通りまで歩いてきた。彼をこれ以上巻き込むわけにはいかないという義憤に駆られてというのは建前で、本音は自分が犯人だと指を差されるのではないかという後ろめたさにある。なんて卑怯な人間だと思うだろう。私だってそう思う。だが、この業界で『花火師』と呼ばれる人間が普通の人間と同じ脳みそを持っているはずがない。タレントなんて擦り切れるまで使って、無価値の物体に経済効果を生むための道具に過ぎない。その道具を上手く使えるかは、マネージャーの手に掛かっている。弘法は筆を選ばない、筆を上手く扱える自分の力量が大事なのだ。私は……こういうことを平気で言えてしまう人間であり、これが普通だと思っている人間だ。


 彼女がいるという赤上の電波塔までは、ここから距離がある。


 タクシーを使わなければ。そう思い立った私は、車道を走るタクシーに手を振る。しかし、どの車も「空席」と謳っていながら先客があるのだと言わんばかりに堂々と私の上げた右手を無視する。最近は予めネットで予約する人も多いと聞くので、そのせいかもしれない。それにしても何かしらの主張はしてほしいものだと、私は次のタクシーを待つ。


 数分と待たず、「空席」のタクシーが来た。


 「あ―――、ちょっと!」


 やはり、タクシーの運転手は私に目もくれず、走り去る。


 しかし、そのタクシーは数十メートル先で停車した。

 他の乗客が先に手を挙げていたのが見えていたのか。よく見ればその手を挙げる乗客は、華奢な体つきに、可愛らしい顔立ちをしていて、私よりずっと見栄えがいい。運転手も私よりは彼女に目がいくのも当然だろう。

 そのタクシーを諦めて、その場を去ろうとしたその時――――。



 「あれ、佐伯さん!」



 それは懐かしくも甘ったるい声色。この数年、何となく見ないように聞こえないようにしていた顔と声。しかし、あの頃と同じ調子で私の元に駆け寄ってくる彼女に、私は胸がズキズキと痛んだ。


 「あ、明奈さん……」


 羽島明奈の屈託のない幼い表情。今こうして見てもアラサーの女性とは思えない。


 「こんなところで奇遇ですね!もしかしてこのタクシー乗る予定でした?」

 「はい、まあ」

 「どちらに行かれるんですか?」

 「赤上まで…」

 「ホントですか!やったあ、私も今から赤上スタジオなんです!一緒に行きましょうよ!」

 「あ、あの、私は局ではないんですが」

 「そうなんですか?でも途中までは一緒ですよね!乗りましょう乗りましょう!」


 明奈はぐいぐいと私の手を掴んで、車内に引っ張り込んだ。

 それから運転手に目的地を告げると、車体が動き出す。


 明奈の装いは以前担当を務めていた時のような若者ファッションではなく、大胆にも肩を出したトップスに、胸元のファーが風に揺られ踊る。綺麗な形をした耳を銀色のピアスが飾り、目元のアイシャドウは星をちりばめたようにキラキラと光る。それはあの頃の「アキちゃん」ではなく、「羽島明奈」という女性を主張するようだった。


 「明奈さん、すいません。お仕事の前なのに、邪魔をしてしまって」

 「邪魔?」

 「色々、番組のことを頭に詰める時間も必要かと…」

 「ちょっと、佐伯さん!私ってそんなタレントじゃなかったじゃないですか!それに車の中で読み物はできません。私、すぐ酔っちゃいますから。もしかして忘れてました?」


 そう言えば、そうだ。彼女とは車内で打ち合わせしたことがない。資料を渡せば、彼女は決まって具合を悪くしていたからだ。彼女の尊厳の為に詳しくは控えたいが、資料に向かって盛大にしたこともあった。


 「そんなことも、ありましたかね」

 「でも佐伯さんも忙しいですから、仕方ないですよね」

 「いえいえ、明奈さんの足元にも及びませんよ」

 「そんなあ、相変わらず謙遜が過ぎますね」


 明奈はふふふと口元に手を当て、優しく笑う。


 「―――ん」


 バックミラーに運転手の怪訝な表情が映る。

 その視線は明らかに明奈一人に目を向けられていた。都内のタクシー運転手は著名人を乗せることが多い。明奈ほどのタレントとは言え、それほど珍しい者を見るような目で見る必要はないだろう。私は運転手のシートを掴んで揺らし、ミラー越しに視線で威嚇する。


 明奈は私のそんな挙動に気づかず、他愛のない話を続けていた。



 「―――っていうことがあったんですけど、そのディレクターさんがアポ忘れてたみたいで!ホント可笑しな話ですよね!」

 「そうですか、そんなことが……」


 明奈はすっかり業界に染まったみたいだ。私と会ったころの彼女からは想像もつかなかった。この世界のも、右も左も分からなかった彼女がいま自立している。私は彼女を何として見ればよいのだろうか、元恋人のように、子離れした親のように、自分の登場しない彼女の世界の話を聞き続けている。


 「あ、そう言えば、見ました?」


 明奈が街頭の大きなモニターを指差す。


 「何がです?」

 「あのニュースです。怖いですよね」

 「え――――――」


 『青梅市内ホテルにて女性の変死体発見』という文字と―――淡白な顔をしたアナウンサーが少々興奮気味に話しているのが窓越しに分かった。


 「さっきスマホで見たんですけど、けさ首がない女性の死体が見つかったんですって、怖くないですか?警察が付近を捜索中……だそうです」


 「―――っ!」 


 息ができない。警察はきっとすぐに私のところまで辿り着く。もしかすると、もうこの車を追っているかもしれない。私は振り向いてリヤガラスから、後続車を確かめる。……今のところは大丈夫だろうか。


 「佐伯さん、大丈夫ですか?」

 「え!あ、何がです!」

 「体調ですよ…、苦しそうだったから」

 「はあ…、はい。大丈夫ですよ。最近、急に動悸が激しくなることがあって…」

 「そうなんですかあ。佐伯さん、!」

 「はい?」

 「ええ?佐伯さんがよく言ってくれたじゃないですか。だから、いつも体は大切にしてくださいって」

 「そうでしたか」


 私はよく彼女を気遣っていたらしい。最近は体力のありあまった鉄人みたいな女性タレントを相手にしていたせいで、そんな幼気な赤ちゃんに掛けるような言葉もすっかり忘れていた。


 「それより、最近の活躍は目覚ましいものですね」


 少し強引だったが会話の流れを変えるために、切れ目にそんなことを入れてみる。


 「……活躍、ですか」


 明奈の表情が曇る。私は気づかぬうちに皮肉を言ってしまったのでは、と口を押える。


 「ここ数年は忙しくて、死にそうでしたよ。毎日のように打ち合わせがあって、カメラの前に立って、自分が常に舞台に立っているような感覚でした。そしたら、そのうち自分というものが分からなくなるんです。世間から見てる自分はどんな風に映っていて、私は人々の思う画を描くためにどうしたらいいんだろうって考えるんです。でもそんな考える時間なんて、ないですよ。でもそれを必死に、考えてきた結果が今の明奈だと思います。前はこんなに苦しむことなんてなかった」


 そこで少し拍を置いた。彼女は私の瞳をじっと見つめる。


 「だって前は佐伯さんがいてくれたから。私の進む道を示してくれたから」


 この子は本当にいけない。私は人を道具のように考える最低な人間なんだ、今更そんな言葉を掛けないでくれ。私の中に、私自身が私に許しを与える隙を与えないでくれ。これから自分が殺したタレントに「犯人は誰だ」と言いに行くようなマネージャーだと教えてやれば、あなたは今同じことを言ってくれるだろうか。


 沈黙の間に車体は減速する。


 「あ、赤上!着いたみたいですよ!」

 

 明奈が座席の上で飛び跳ねると、車体が大きく揺れた。

 

 「あ、それでは私はここで…」

 「そうなんですか!本当に局までは行かれないんですね」

 「はい、じゃあ運賃はいくらで―――」


 「佐伯さん、この車、局スタッフにもらった特別なタクシーチケットでVIP車になってるんです。なので運賃はいりません。代わりに今度ご飯でも連れて行ってください」


 私は精一杯の笑顔を作って、「必ず」と手を振った。







 都の公金数十億を費やして、その新しい電波塔は作られた。

 そして数十年にわたり、人々に感動を与えてきたこの古い電波塔はいまこの静かな公園のオブジェクトになっている。昔、上京してきた時はこのタワーが日本一高い構造物だった。空も飛べない人間にどうやってこんなものが作れるのだろうと、首が痛くなるまでそのてっぺんを見上げた。今はその高さが400メートルほどの高さだということがよく分かっているので、見上げたりしない。タワーの中腹を遠目に確認して、今日もまだ立ってるなとビルの谷間から一瞥するだけだ。


 清須みどりは、ここに彼女がいると言った。


 だから、霊が視えるらしい私は、ここで彼女が現れるのを待っている。


 彼女が本当に現れたら私は何と声を掛けたらいいのだろう。


 「美織さん、探しましたよ」「美織さん、本当にすみませんでした!」「美織さん、誰に殺されたんです」「美織さん、あなたの夢は叶いましたか」……駄目だ。どれも自分の独りよがりの欲望の押し付けだ。今更、彼女の主張を尊重したいと思うのは勝手だと思う。しかし、亡くなった者に対する声の掛け方なんて私は知らない。それはきっと誰も知る由がない。だから、ここで待っている間に答えを出す必要がある。私は彼女にどうして欲しいのだろう。許してほしい、と真っ先に考えてしまったのは私に罪悪感があったからだと思う。彼女の気持ちも考えず、自分の信念を押し通して彼女を使ことに対する罪悪感か、相方である小木アズサの純真な気持ちを踏みにじったことに対する罪悪感か、それとも夢のためだとあなたの処断に幇助ほうじょしたことか……、きっとその全てなのだろう。


 その全てに報いなければならない。


 いつからだったか、タレントの夢は私の夢になっていた。タレントというグラスを通して、私はこの世界に生きていた。そのグラスから見える世界は美しくて醜くて、この世の縮図のような場所で、そのような場所で上手く生き永らえている自分は才のある人間だと思い込んでいた。

 違う。本当に輝きを放っているのはタレント自身だ。美織もアズサもこの世界の荒波で必死にもがいて一分でも一秒でも長く水面に浮かんでいられるように、水面の先の太陽に手を伸ばしている。明奈は私がいなくとも、苦しみながらカメラの前で戦っていた。自分にしか分からない距離感を保ちながら、レンズに笑顔を向けていた。いつも影から光の当たる場所ばかり見ていた自分にそんな彼女たちの苦悩が分かるはずもなかった。分かるはずもなかったんだ。

 なぜ今になって、そんな大事なことに気づいたんだ。美織をあそこまで追い詰める前に気づいておけばよかったんだ。だが今それを悔やんでも仕方がない。

 それに今からでも遅くはない。例え(仮に美織の自殺を幇助したという又は殺害したという)前科を負ったとしても、私の人生はこれからだ。この大きな失敗を教訓として、今後は悔い改め、健全にタレントと付き合っていこう。


 そうだ。美織にはこの内奥に巣食う悩みを伝えよう。私がしてしまった罪を認め、誠心誠意謝るのだ。彼女も自分の夢のために狂った計画を立てたことには相違ないのだから、私を全面的に責められるはずもない。


 「―――あ」


 綺麗な黒髪が髪にたなびいた。レースのように揺れる髪の隙間から、透き通った白い肌が見え隠れする。凛とした瞳が真っ直ぐに私を見つめている。この体つきにはこの顔立ちしか似合わない。やはり、この女性は美しい花弁がなければ被写体として映えない。この均整の取れた小顔から、足先まで伸びるすらりとした体躯は妖艶で、見る者の眼を一瞬で奪ってしまうのだ。


 「美織さん……」


 「よく分かったわね、この場所」


 「お祖母様に伺ったものですから」


 「そう、やっぱり


 「はあ、それは…」


 「じゃあ、今、私宅におばあちゃんが…?」


 「いえ、お祖母様はすでに視えないと思います。あなたの最期を看取るのがこの現世に残る理由だったようですから」


 「……そう」

 

 「美織さん、昨夜あなたは一体何をしようとしていたのですか」


 「……」


 「私はあなたの……、首を…、切ってしまったのでしょうか」


 「……は?」


 「ですから、その首を…」


 「はあ?あなたまだ酔っ払ってるの?」


 「でも、その首が」


 「あなたが私の首を切った?なんでそんなことをする必要があるの?」


 「……ちょっと待ってください。私は激昂のあまり、狂った夢のお手伝いすると言って、あなたの命を絶ったのでは?」


 「なにそれ。冗談にしても笑えないわ」


 「で、でも現にあなたは亡くなっているじゃないですか!実際、あの現場に美織さんの死体があったのは間違いない事実です!私の記憶を辿っても、あなたがあの場で亡くなったことは言い換えようがありません」


 「あなたって本当に馬鹿ね」


 「今、馬鹿を言っているのは美織さん、…あなたです。あなたは


 「……そう、そういうことね」


 「―――?」


 「


 「わ、私が幽霊だと言いたいんですか?ちょっと美織さん…、待ってください。悔しいからって無理な言い返しはしないでください。あなたと違って、私はここに来るまでに色んな人に会って来てるんですよ?」


 「誰に会ったのよ」


 「……」


 オリエンタルプロダクション専属芸能マネージャー『加藤かとう武夫たけお』は小さいころから霊が視えた。霊は生きた人間と変わらない日常を送っていて、自分が死んだことに気づかず生活を続けていることが多い。彼は霊が視えたと言っても信じてもらえなかった。今この目に映る人間すべてが霊だなんてこともあったけれど、誰も彼の話を信じなかった。こうして彼は、自称霊が視える怪談愛好家になった。

 昭和の大スター『清須みどり』は癌でこの世を去った後、自分の残した言葉が孫を苦しめていないかと現世に残り続けた。この時、霊になれば霊の存在に気づくというファンタジーを知った。夜道を歩いていると自分のファンだという霊から握手を求められることもあり、しがない霊生活を満喫していた。

 光陵プロダクション所属タレント『羽島明奈』は、大学で看護学を学ぶうち実習の辛さに病んでしまい、一念発起しイギリスへと自分探しの旅に出た。イギリスは終末ターミナルケアの最先端を走っており、高齢化の進む街には必ずホスピスがあった。知り合いの伝手でとあるホスピスを訪れると、そこには収容人数以上の数の人間が楽しく騒いでいた。皆、ここでの生活が忘れられずこの世に居残りしているのだと言った。それから、彼女には視えないものが視えるようになった。



 「え?いや、違いますよ。そんなはずはないんです。あれ可笑しいな、他にも会ったんです。そう!タクシーの運転手に会いました、あとはホ、ホテルスタッフも!」


 「ホテルスタッフはきっとあなたに一瞥もくれなかったでしょ、タクシーの運転手だって一度もあなたの前で停まらなかったでしょ」


 「あ、ああ――――――」


 「分かった?あなたが…、霊になったのよ」


 「な、なぜ、いや、ありえないんです、私が幽霊?それなら、私は、いつ、私は……死んでしまった、のでしょうか」


 「いつって、まだ気づいてないの?」


 「わ、私は首なしの死体を確認して、それからホテルを出て、貴方の家に行って、タクシーに乗ってここまで来たんです」


 「ここまで来ると滑稽ね、あなたはそのホテルで死んだの。だって


 「あの、死体が私……?何を言ってるんですか、あの死体は美織さんの部屋にあってそれに…、若い女性でしたから、当然あなたの――――――」





 「―――――佐伯さえき莉佐りさ




 私はスカートの裾をぐっと掴み、拳を固く握った。

 見栄を張って買った柄の細いパンプスが今にも折れそうにガクガクと震えて、ヌーディベージュのストッキングにじんわりと冷や汗を感じた。腰回りがタイトなジャケットは私を十字架に縛り付けるようにきつく締めつけ、元カレに買ってもらった思い出のネックレスが死者を悼むジュエリーのごとく首に巻きつく。リップを重ねた唇は、血の気が引いて生気を感じない。


 美織に憧れて黒く染めなおした長い髪が、風にたなびいて私の頬を叩いた。


 

 「そんな…」

 

 「自分の死体を見て、私って勘違いしたの?ホント馬鹿ね、いくら背丈が同じでもさすがに見分けがつくでしょう」


 「……私は、自分が死んでいるなんて思いもしなかったんです。自分の隣で横たわっている女性を見て……、すぐにあなただと……、思ったんです」


 「そう……」


 「私を……、殺したのは、あなた……なんですか」


 「そうよ。首切るの大変だったんだから。でも体重の入れ方さえ工夫すればそれほど大変ではなかったけど」


 「なぜ…、そんなことを?」


 「だって、その方が世間は注目するでしょ?」


 「注目、なんて…。やっぱり、あなたの夢は―――」


 「どうせおばあちゃんには聞いたんでしょ。そうよ、そうなのよ。私の夢はね、清須みどりの意志を受け継ぐ者としてに出演すること。そのためにはまず、誰もが知る著名人になる必要があった。だから、私はおばあちゃんのような完璧な芸能人になるために、確実にブレイクを約束してくれる人間を探した。―――それが、あなた」


 初めて彼女に会った日のことは今でも忘れない。

 「私を売れっ子にしなさい」と彼女は強い口調で私に迫った。あの時、私は彼女の瞳に熱い情熱を感じた。ただその熱源は歪みに歪んでしわがれた木片だったことに、今こうしてようやく気付いた。


 「でも誤算だったのは、私がなかなか売れなかったこと。アズサが売れ始めていたのも、いけなかったのね。次第に私は焦りを感じるようになった。このまま誰の目にも留まらず、この業界で飼い殺されるんじゃないかって。少しくらい強引にでも、売れようと思った。だから。アズサは私のイメージの為に最後まで反対してた。でも、なりふり構ってられなかったの。夢を叶えるために、安すぎる代償だと思ったから」


 彼女は頑固で意地っ張りで我儘で、その傍若無人な性格を周囲に認めさせようと強情にも、そのよく回る舌と機転の利く頭で老若男女を説き伏せてきた。

 その彼女が誰かの言うことを聞くなんて思いもしなかった。ましてや、佐々木智乃に倣って、なんて。そんな人間らしい処世術を身に付けているとは思いもしなかった。


 「そして、『ドクダミを摘んで』と同じようにふとした思い違いをする必要があった。、思い違い。私と初めて会った時の会話、覚えてる?私はあなたが過去に担当したタレントの名を挙げた。そのうちの一人―――――真里亞まりあ


 美織がそのタレントの名を呼んだのは覚えている。そして、私が担当したそのタレントの壮絶な芸能人生もよく覚えている。


 「彼女はあなた担当のもと、その才能を開花させお茶の間の人気者になった」


 お馬鹿タレントなるものが流行っていた時代、日本中のあらゆるクイズ番組に真里亞は引っ張りだこになった。しかし、私が担当する前の彼女は決して知能指数が低いわけではなかった。最期までその素性を詳しく語ってくれなかったが、名家の出身でその身の丈に合った学歴は事務所にも伝えていなかった。私は彼女のそうしたミステリアスな一面を、周囲に不思議な空気感を漂わせる「天然系お馬鹿キャラ」として売り出すことにしたのだ。


 「それから数年、彼女の人気にも陰りが見えて、方向転換することになった。一時の人気で成功したシンデレラタレントして、セレブキャラに寄せようとした。ただ視聴者は彼女を嫉みの対象として見るようになってた。的外れな解答をしただけで手に入れた大金を、外車や高級腕時計、海外の別荘に使ったりしてたから……、そうなると見てる方はウンザリよね。ただ彼女もその時の稼ぎだけで払える物じゃなかったけど…、それでも企画を盛り上げるために大金をはたく演出をしていた。誰も知らないところで借金をしてまで、ね。でも収入はみるみる減っていって、資金繰りが上手くいかなくなって、とうとう担当のマネージャーに泣きついた。そいつはただ一言こう言った―――『プライベートに立ち入ることはできない』」


 よく覚えている。腫れぼったい涙目で頬のこけた彼女に『プライベートに立ち入ることはできない』と言い放った――――――、私もその場で耳を疑った。

 そう言い放ったのは、私が大手事務所に勤めていた当時の同僚だ。私は彼女がブレイクしたあとすぐに担当を降ろされ、その後任は、怪談が大好きな大柄の男性マネージャーが務めていた。

 彼は普段から冷たい口ぶりだったが、その時もいつもと変わらぬ冷めた口調で彼女に言った。タレントに深く干渉しないというのは彼のポリシーだったので、何も気に留めることなかったのだろう。ハイライトの消えた彼女の瞳を背に、彼は去った。その後、彼女は芸能界を引退し、どことも知らぬ夜の街に消えていったという。


 「私はそれがあなたの言った言葉だと思っていたし、真実を知ってもあなたの言った言葉だと信じ続ける。それが私の思い違いという…、


 「その思い違いから、あなたは私を憎み、殺した……と、そういう愛憎劇を描くための演出だと言うのですか」


 「そうよ」


 「そんな……、でも、分かりません。あのタレントの為になぜ貴方がそこまでする必要があるんです?」


 美織は目をそっと横に反らす。


 「真里亞、本名は浪川理恵――――――私の姉よ」


 「あなたの姉―――――?」


 それにしては、姿形が似ていなかったように思う。清須みどりを見た時は彼女に美織の面影を感じていたが、あのタレントには何と言えば言いのだろう、誰かに尽くすことを良しとする奉公の精神を感じていた。同じ血を分けた姉妹とは、思えない。


 「顔に出てるわ。そうよ、姉とは腹違いなの。私は許嫁の母との間に生まれた子で、姉は父の学徒時代の同級生との間に生まれた子だった。生まれたときから正室の血を引いていた私と違って、姉には不純な血が流れているという理由で親戚から母子ともに勘当された、だから、私は姉の顔を知らなかった……」


 瞳を閉じて、涙をこらえているのか。彼女は静かに間を置いた。


 「………数年前、おばあちゃんのお墓に知らない女性が花を飾っているのを偶然見かけた。思わず話しかけてみたら、おばあちゃんのファンだとその人は答えた。一般人に知られてない浪川の墓を知ってるってことは、家の関係者だと分かった。でもそんなことより、彼女の供えた花が気になってしまった。その花はの頭に白い花弁が四枚、十字型に付いていて……、どこかから無造作に千切ってきたような恰好だった。私はその花の名前を聞いた、彼女は――――――」


 

―――――花ではありません。これは『ドクダミ』という雑草です。花弁に見えるこの白いものは総苞片といって本来は花弁を支える土台のようなものなんです。でも、その土台が本物の花弁のように振舞っているんですよ、面白いですよね。私この花を見るといつも思うんです。芸能界もこういう世界なのかなって…。タレントは色んな関係者によって支えられているけど、本当に自分の存在を世に示したいのはその関係者の方なんじゃないかって、タレントという花はあくまで彼らの繁殖の為に周囲を魅了させる置物なんじゃないかって……、あ、ごめんなさい。ちょっと私、考え過ぎですかね。清須さんはそれでもこの芸能界という荒野を駆け抜けてきた人でしょうから、要らない心配ですよね。



 「彼女は静かに去っていった。私は宿命だと思った、姿を見て誓ったの。絶対、浪川の名を『ドクダミ』に刻んでやる」



 ぎりりと歯を削るように、奥歯を強く噛み締める。

 体が震え、両足で立っている感覚がなくなる。


 

 「私は、業界でも有名な『花火師』の担当となり、順調に芸能界の頂点に上り詰めようとしていた。しかし、実はその『花火師』が真里亞を殺した実行犯だと知っていて密かに近づいていた。機を見て私は『花火師』を殺める。のちに真実を知り、自分をこのステージにまで上げてくれた恩人を殺してしまったという自責の念に駆られ、自らの生涯に――――――



 周囲の情景が消えてゆく。

 盲目の瞳に何も映らない。



 「この事実をしたためた手記をさっきテレビ各局に送った。私の死を、この電波塔に乗せる。これで、私のドラマは世間に伝わる。祖母が夢に見た世界を、姉が憧れた世界を、二人に届けることができるの――――――」



 薄れゆく視界。彼女が私の足元に横たわっている。

 赤い鉄塔は地面を赤く染めたりしない。この染まる赤色は、浪川美織だ。



 「おばあちゃん…、私、頑張ったよ。あの番組に出られるよ、私、おばあちゃんのために……、生涯かけて頑張ったよ。またお墓参り、行くよ……。お姉ちゃんと一緒に…、ドクダミを摘んで――――――」

 







 ドクダミを摘んで  了


 

 



 






 


 


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ドクダミを摘んで 白地トオル @corn-flakes

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