5 スポットライト
あたしは一旦、ホワイトアルバムの穴蔵から外へ出た。夕方5時。町全体が山の中にあるせいか、もう日が暮れて薄暗い。
ポケットに突っ込んだケータイは、充電切れで死んでいた。ケータイってやつは、けっこう健気だよね。電波の届かない地下でも、頑張って電波を拾おうとして。で、結局、早々に力尽きる。そんなに頑張ってくれなくてもいいのに。テキトーに休憩しちゃいなよ。あたしはケータイをポケットにしまった。
寒い。上着も羽織ってないんだから、当たり前か。また弘樹に怒られそうだ。なーんてね。いちいち弘樹、弘樹って。あたしはバカか。ここにあいつはいないっつーの。
なんでかなー?
フツウの恋愛なんてつまんないことをするのは、絶対にごめんだった。やるんなら、最高にぶっ壊れて放蕩三昧の恋愛がいい。やらないんならやらないんで、別にかまわない。
イチを取れば、たぶん極彩色の不幸。ゼロを取れば、きっと幸福風味の孤独。イチかゼロか、全か無か。選択肢は2つに1つのはずだった。
弘樹はイチでもゼロでもない。あたし、なんで、弘樹ならいいやって思ったんだろ? 顔がいいから? 惚れたって言ってくれたから? でも、似たような経験、ほかにもあった。そーいうのは全部、蹴飛ばしてきた。なのに、弘樹はOKだった。
頭が切れて物わかりのいい弘樹も、所詮は他人だ。ずけずけ入り込んでくるな、ってルール説明をした。ひとつひとつ、めっちゃ細かく、いろいろ話した。弘樹は、あたしのマインドを理解できたりできなかったり。でも、あたしのいやがることはしない。あたしはそもそも、弘樹のほうへ入っていかない。でも、ときどきザクッとちょっかい出したくなる。
あるとき、気付いた。そういうのって、ひょっとして、フツーの恋愛のプロセス? あたし、なんだかんだ言って、弘樹とフツーに恋愛してた?
たまに、無性に、あいつの歌が聴きたくなる。あいつが歌う「ヘルプ!」は最高。あの歌は、弘樹に似合う。おれがもっと若いころは、って若い弘樹が歌うんだ。若いくせに、苦労しまくって生きてきました的な顔してさ。説教くさくて悟ったこと言いながら。ほんとは助けてほしいって。
今ごろ拗ねてるかな。あいつもどっか寒い場所にいるんじゃないかな。
賢い弘樹くんの最大の間違いは、あたしに惚れたことだ。あたしはこーいう女なんだよ、バカ。ざまーみろ。
「へっぐじっ」
くしゃみが出た。体が冷えてきた。
空の色も、完全に冷め切った。ナイフの切っ先みたいな星が光り始めてる。いいな、この空。歌が作れそう。明日もこんな空になるかな?
あたしは再び、ホワイトアルバムに戻った。
***
ライヴの開演時間は、あっという間にやってきた。お客さんは顔なじみばかりだ。
午後6時ちょうど。マスターがライヴのスタートを告げた。あたしとサポートオジサン2人は、もうスタンバってる。
どんなに客席が近くてハコが貧弱だろうと。どんなにステージが低くてスポットライトがみみっちかろうと。ステージの上は、あたしの大好きな場所。タバコと酒の匂いがするハコを、ぐるっと見渡す。空調の乾いた風が、あたしの髪を正面から吹き流す。
「みなさん、こんばんは。ようこです」
歌のスウィッチを入れた声が、まっすぐ通ってく。興奮の波が足下から満ちてきて、体がザワザワする。
「今日は12月8日、ジョン・レノンのメモリアルな日です。ホワイトアルバムでのライヴに出演できて、最高に嬉しい」
スポットライトが、あたしに集められてるから。お客さんの姿は、逆光のシルエットだ。久しぶりかも。お客さんの中に、弘樹のシルエットがないのは。あいつ、律儀だから、あたしに約束したんだ。あたしのライヴは全部聴きに来るって。
「MCなし、ぶっ通しでガンガンやります! どんどんノってきてください! では、お聴きくだ……」
さい、というあたしの言葉に、荒っぽく開くドアの音が重なった。
冷えた夕闇を背負って。帽子とマフラーとコートで防寒して。細身の男が、そこに立ってる。両手には、やたらかさばる形の紙袋。ケーキの箱とかが入っていたら、あんな形の袋になるかもね。
弘樹だ。
空白。沈黙。言葉も動作も、とっさに何も出ない。ほっぽり出されたマイクが、スピーカーをツーンと鳴らす。
弘樹は足でドアを閉めた。そして、息切れしたデカい声で言った。
「おれよりジョン・レノンのほうが偉大なのは知ってる。でも、おれにとって、おまえの存在はジョン・レノンよりデカい。忘れんなよ。12月8日は、ようこの誕生日だ」
……バカ。大バカ野郎。無礼者。空気、読め。
ライヴの開演後に乱入してくるとか。勝手に客の注目を奪うとか。あんた、マジでサイテー。ありえない。信じらんない。
何これ?
顔が熱い。ドキドキする。吹っ飛んだ。パフォーマンスのために高めた緊張感が。
口笛と歓声と笑いが広がった。それをBGMに、弘樹のまっすぐな声が響く。
「メールしても返事がねえし、電話しても通じねえ。ライヴやるってんなら、なんで1人で消えたりすんだ? 約束しただろ。ようこのライヴは全部、聴きに行くって。いつどんなときでもって」
……うわぁ。
うわぁ。うわぁっ!
体じゅうの血が沸き立っている。爆発寸前だ。秒読みだ。本能が求めている。今すぐに。今すぐに、爆発したい!
あたしは、ピックを握った手を高く掲げた。
「YEAHHHHHHHH!!!!!」
あたしは吠えた。
振り下ろす右腕が合図。スティックのカウントが重なる。スネアとバスドラが同時に鳴る。
腹に空気を吸い込む。
あたしはロックの奔流を全身から放った。
笑っちゃうね。なんてピッタリの歌。’Any Time At All’。いつどんなときでも。今度こいつで一緒に歌わない、弘樹? 客席の隅っこで突っ立ってんじゃなくてさ。あんたになら、背中預けてみたいし。一緒のステージの上が、いちばん、よく聞こえるはずなんだよ。あたしの全力の気持ちを乗せた、あたしの歌。
ベタ甘な“愛してる”なら、なおさらなの。力いっぱいのロックで歌って、ぶつけてやりたい。あたしはね、弘樹。
「’Any Time At All’」
選ベない。だから、選ばない。それがあたしの答え。あたしには、全部が大事。ジョン・レノンっていう、12月8日に完成した伝説も。誕生日なんかそっちのけでライヴに走るあたしも。そんなあたしを必死で追いかけてくるカレシも。
選ベないから、全部、手に入れて抱え込む。欲張りで、ぐちゃぐちゃ。それがあたし。
今日は、最高の記念日かもね。ちゃんと聴いてますか、ジョン・レノン? 21世紀にも、あんたのロックは生きてるよ。あんたに追いつきたいあたしが、あんたの想いを歌ってるよ。
音楽の神さまと一緒に、そこで見てなよ。破れかぶれのあたしの生き様、キッチリ見てなよ。
【了】
12月8日のラヴソング―拝啓ジョン・レノン様― 馳月基矢 @icycrescent
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