4 メジャーシーン
今日のあたしのサポートメンバーは、オジサン2人。ドラマーの石野さんと、ベーシストの北野さん。
四角くて細い石野さんは銀行員。午後に休みをもらったらしい。居酒屋をやってる北野さんは、火曜日の今日が定休日だって。童顔で小柄で、少年っぽいオジサンだ。
「おはようございまーっす」
あたしは元気よく挨拶した。オジサン2人が「おはよう」と返してくれる。石野さんは少し疲れたように。北野さんは威勢よく。うん。2人とも、いつもどおりだ。
石野さんと北野さんは、雑談しながら楽器の調整をした。
セットリストの1曲目は「エニィ・タイム・アト・オール」。“これぞジョン・レノン・ロック”って感じの明るい強面系。アイドル時代のビートルズの魅力が凝縮してるナンバー。ジョン・レノンが若くて、爆発的にエネルギッシュだ。このころのジョンは、音楽的才能の、まさに絶頂期だった。
「じゃ、ま、早速だけど合わせよっか」
「合わせる前に、音源、聴き直しません?」
「OK。マスター、CDいじるよ」
「エニィ・タイム・アト・オール」は、アルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』の収録曲。キャッチーなキラーチューンが、あたしの耳に流れ込んでくる。強がってカッコつけた等身大のジョン・レノンが見える。きっと、マイクに唾を飛ばしながら歌ってんだろうな。半世紀前の音源から、そんな様子が伝わってくる。
ジョン・レノンって、ズルい声の持ち主だ。全然、美声じゃない。ザラザラしてて、だけど張りのある声。耳障りなくらい、男臭くて泥っぽい声。
そのジョン・レノンの歌を、あたしの声でカバーする。同じものを作ろうなんて、最初っから望めない。上手い下手とは別次元のお話。どんなに器用に音符をなぞってみたところで、つまんない。何の意味も価値もない。
だから、あたしはあたしを歌う。ジョン・レノンの曲を借りて。ジョン・レノンとケンカしながら。
「じゃあ、ようこちゃんは好きに歌ってよ。おれらはようこちゃんに合わせて、おいおいアレンジしてくから」
北野さんが言う。石野さんと北野さんは、よくも悪くも丁寧な演奏をする。あたしのことをよく見て、ピッタリなリズムを作ってくれる。あたしは2人の演奏を信頼してる。
「では、お願いしまーす!」
オジサン2人は丁寧なぶん、ちょっとパワー不足だけど。そこは、あたしが全面的に引っ張る。ぶっちぎられないように、ついてきてね、オジサン。
***
セッションと打ち合わせが終わった。今、ステージでは、別の出演者がリハを始めてる。あたしと石野さんと北野さんは、カウンターで休憩中。マスターが差し入れてくれたオレンジジュースを飲みながら。
石野さんが言った。
「ようこちゃんはさ、将来どうするの?」
あたしは即答しそびれた。
石野さんは、弁明するように笑った。
「いや、あのさ、うちね、来年で高3になる娘がいるんだよね。それでね、今、進路のことで何かとモメちゃっててね」
「あ、そうなんですか」
「なんかね、エステティシャンになりたいって。専門学校に行きたいと言っててね。手に職を着けるのは悪くないと思うけどね。専門ってのは学費がバカにならないんだよね」
「ああ、確かに」
「美容系ってさ、この時代、むしろ多すぎるくらいなんでしょ? 専門職の資格を持ってて働き口がないなんて、困るんだよね。つぶしが利かないよね」
「はぁ……」
「ようこちゃんは、どう? やっぱりプロのミュージシャンを目指してるの?」
「まあ……そうっすね」
「そうかあ。うまいもんねえ、ようこちゃんは」
シラけてしまった。正直、ウザい。あたしに自分の娘をダブらせて見るって、ほんとにウザい。
ライヴの日に、現実を見て辛気臭い話をするのは願い下げだ。それとも、あたし、迷いも悩みもないおバカに見える? 現実知らずに前だけ向いてるみたいに?
じゃあ、いいよ。無神経おバカなフリをしてやろっか。あたしは、ヘラッと笑うつもりで口を開けた。
……あ。
見事に失敗。ほっぺたが引きつった。あたしの口は、本音を吐き出していた。
「なりたいですよ、プロに。てか、それしか考えらんないです。でも、あたしは王道を通ってないんで」
「王道?」
「オーディション受けて、事務所に入って、スポンサーが付いて。王道って、そういうやつ」
今日で20歳。誕生日なんてクソ食らえ。今日この日に参加資格が消滅したオーディションがある。いくつもある。メジャーデビューするなら、10代のほうが圧倒的に有利だ。
「でもさ、ようこちゃん。きみにはすでに、これだけの実力と実績がある。若いのにさ。確か、まだ20歳だったっしょ?」
マスターが話に首を突っ込んできた。というか、店内のオジサンたちみんなが聞いている。“人生相談に乗ってあげるよ”的なムード。別にいらねーっての。話したところで、何も変わんないんだし。
まあ、だから、話してしまえるのか。変わんないし得にもなんない代わりに、害にも毒にもならないから。
「“まだ”とか言わないでくださいよ。“もう”20歳なの」
「“もう”20歳?」
「メジャーで出てる子は、もっと早いもん。高校時代にはちゃんとした音楽トレーニングを受けてるんです。下手したら高校すら行かずに。中卒の身ひとつで、芸能界に飛び込んでるんですよ」
高校時代、あたしにも、いくつかその手のスカウトがあった。結果的には全部“ノー”だった。
「キモい、と思ったんですよね。ああいう世界。プロデューサーっていう人種とか」
「キモい?」
「気持ち悪かった。歌う人形を作りたいだけなんだな、って。あたしって人間を売り出してくれるんじゃなくて。昔、とある事務所に入りかけたんだけど、キモくてやめた。無理だって思ったんです」
終わったことだから話せる。あたしは、ギブソンのピックを弄びながら続けた。
「あの事務所がほしがってたのは、あたしじゃなかった。流行りの歌を流行りの歌い方で歌えて。ファッション程度にギターが弾けて。まあまあ見映えがよくて。自分のCDのジャケットを自分の写真で飾れて。そういう女の子だったら、誰でもよかった。絶対にあたしじゃなきゃいけないって必要性はなかった」
「ようこちゃんの個性や魅力を活かさないってわけ?」
「そーいうわけです。なんか、改造費1億って言われた。歌はここを矯正して、顔はここをいじって胸も入れて。そのトレーニング費用と整形費用で1億」
ヒットするには、あたしの顔はギリギリ不合格らしい。唇が薄すぎるから。ヒアルロン酸を入れたら、バツグンによくなる。稼いでるグラドルに匹敵するエロ顔になるんだって。
バカ言うなっての。唇なんかいじったら、ブルースハープ吹けなくなるじゃん。あたしのライヴを邪魔すんな。豊胸も同じ。手術したら、しばらく動けなくなんでしょ? 重いエレキギターなんか弾くなって言われんでしょ? 冗談じゃない。
いや、それを受け入れてもいいって子もいるんだと思う。1億円を投資された自分に酔いたいって子。うまくすれば、名声までくっついてくる改造計画だし。
1億かけて改造しない代わりに、今の自分に1億の価値がある? その質問には、あるともないとも答えられない。ただ現実として、あたしは改造も矯正もイヤだった。だから、あたしは成功してない。日の当たらないインディーズで、ギター弾いて歌ってる。華々しくテレビに出るとか、ネットで注目されるとか、ない。テレビの歌番に出てる歌手より、あたしのほうがうまいのに。誰からも知られてない。インディーズ好きのマニアックなファンしか、応援してくれない。
マスターが、ほぅっとため息をついて、タバコに手を伸ばした。ラッキーストライクだ。強いのを吸うんだな、オジサン。
「まあ、ようこちゃんの選択で、いいかもしれないよ。今の時代、メジャーで店頭にCD置いても、売れないからね。でも、インディーズのライヴシーンで手売りすれば、売れる。メジャーみたいに大手事務所を介さないぶん、儲けも大きい」
「……そーですね」
「そーだよ。ようこちゃんの歌とギターとルックスなら、絶対に売れる。チャンスはどんどんやって来る。保証するよ。アイドル路線じゃない実力派ってね、必ず需要があるから」
なんか、涙腺ヤバい。ぐるっと見渡したら、オジサンたち、みんなうなずいて聞いてるし。
マスターなんかに言われなくても、わかってる。インディーズのCDのが稼げるってことも。運がよければメジャーデビューできることも。
覚悟は決まってるんだ。ロックで食っていこうって。身近で壮大で確実な夢。あたしには、ギター弾いて歌うことしかできないんだから。
あたしは今、ひとりだ。食ってくためには、仲間が必要だ。バンドがほしい。メンバーは、できれば年が近いほうがいい。
でも、メンバー募集してる若いやつって、バカばっかりだよね。面接とか気取ってさ、どうして説明させようとするの? あたしが歌う理由を。
“衝動”、“本能”。それ以外に、何の説明のしようもない。それでわからんないなら、そんなやつらとは組めない。
歌いたい、歌いたい、歌いたい。
あたしの歌いたい欲求は、本能的。食いたい寝たいヤりたいっていう3大欲求と同じ。
ただ生きてるだけで、あたしは歌を生みたくなる。あたしはたくさんの刺激を受ける。あたしの中で、刺激が積み重なる。どんどん積み重なって、ある瞬間、限界がやってくる。
その勢いは、爆発。
歌が生まれる。
言葉はとても追いつかない。あたしはギターを掻き鳴らす。爆発は、そのまま音楽になる。聴いたこともない旋律が、腹の底から噴き上がってくる。高らかな産声の旋律。その輪郭を、意味をなさない言葉の羅列でなぞってやりながら。あたしは喜びに震える。
この音楽的快楽に勝てるものなんて、ほかにない。あたしは快楽を知りすぎてる。ひょっとしたら、不幸なのかもしれないね。あたしはもう、フツーのことじゃ満足できない。
ホワイトアルバムのオジサンたちは、どこまでわかってんだろ? あたしの音楽的快楽、カケラでも、共有できたことある?
マスターが、うざったい長髪を掻き上げて、タバコをふかした。
「いい録音ができる人間、味方につけときな。腕のいいカメラマンもね。なんなら、紹介するぜぃ」
あたしはようやく、脳天気な笑い方を思い出した。せいぜい悩みのないおバカに見えるように、笑ってみせた。
「あざーっす!」
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