奇妙なほどに綺麗だ

多分だが、この作品には「ディストピア」という言葉がよく似合う。ディストピアという言葉の正確な意味すらも知らないが、ただ直感的にそう思ったのだ。

人はとことん内側しか見ない生き物だ、外の現実から目を背けてまで内側にこもりしばらくすると外のことなんか忘れてしまう。それをディストピアと言わずになんと言えるだろうか。
もし、本作の主人公の行動を物語の誰かが見てしまえばそれは狂気の沙汰ではないと真っ向から非難されるかもしれない。しかし、だ。それは内側にこもり続け、外の世界など微塵も興味なさげにただ怠惰に生きていた惰性たる人間の言うことだ。それは端的にいえば「逃げ」である。
主人公は夏が嫌いだった。夏が嫌いで、それでも外の世界を見たいがためにぶち壊した。かつての人間が作ってしまった内側の世界をぶち壊して、儚げに咲き散る浄火を浴びにいったのだろう。

他の人も語っているが、読後はまさしく「甘い爆弾」を飲まされている気分だった。まるで時限爆弾を仕掛けられた気分だ。
それを爆発させるかどうか、飲まされた爆弾を四肢もろとも爆発四散させるかどうかは、私たちにかかっているのだろう。