万物は一つの点から生まれたの今はこんなに離れてるのに



 ゴールデンウィークが明けて間もないある日、十和ちゃんが所属する研究室の教授が、こう仰ったとか。

「町田さん、パスポート持ってる?」

 十和ちゃんのフルネームは、町田十和子という。

「持ってませんけど」

「じゃ、とって。来月、オーストラリアに観測に行ってもらうから」

 ――と、いうわけで。

 現在、十和ちゃんはオーストラリアである。ばたばたとパスポートを取得して、ばたばたと海外旅行用の荷物を整え、昨夜、成田空港からオーストラリアへと飛び立っていった。何というか、〝研究室に入る〟ということは大変なことなんだなあ、と、大学一年生になったばかりのわたしは、十和ちゃんを見ていて思う。

 先週、たまたま学食で逢って、一緒にお昼を食べたのだけれど。そのとき十和ちゃんは、まるで怪談でもするみたいな顔と口調で、

「いいか、みっちー。学部生の間に、英会話学校に通っておくんだ。でないと後悔するぞ」

と言っていた。とにかく英語が嫌いなのである。ところで、十和ちゃんと話していて覚えたのだけれど、わたしのような大学一年生から四年生は文学部とか法学部とかに属しているので、〝学部生〟と言うらしい。

「十和ちゃんは今、通ってるの?」

「一ヶ月で喋れるようになるわけないじゃないか」

 ……それは、その通りだと思う。

「だいたい、バベルの塔が悪いんだっ」

 例によって例の如く、十和ちゃんの話はぽんぽん飛ぶ。わたしが理由を尋ねると、

「えーっと、旧約聖書だったかな? とにかく大昔は、人々はみんな同じ言葉を喋ってたんだってさ。けど、天にも届くような高い塔を建てようとしたもんで、神様が怒って、言語をバラバラにした。相談ができなくなって、塔の建設は中止」

「つまり、それがなければ、今でも世界中、言葉は一つ?」

「そーゆーこと。ま、もちろん伝説だけどね」

 うなずく十和ちゃん。

「……でも、世界に言葉が一つしかなかったら、面白くないと思うなぁ。日本語も、なくなっちゃうよ」

 何しろわたしは、国文学科なのだ。まだ入学したばかりだけれど。

「日本語が世界共通語になればいいんだよ」

 無茶を言う。

「バベルの塔は置いといても。もっと大昔は言語どころか、何もかもが一つだったはずなんだけどなー」

「聖書の時代よりも、昔?」

「うん。ビッグバンくらい」

 いきなり、随分と時代が飛ぶ。

「ビッグバンって、確か、宇宙の始まりでしょ。百億年とか昔の」

「一三七億年。宇宙は、ものすごく高温で高密度の一点から、大爆発を起こして始まったんだ。ってのは、聞いたことあるよね」

「うん」

「今この宇宙にある物質は、当然のことながら、〝宇宙の始まり〟のあとにできたんだよ。てことはさ、将来、いろんな物質になる予定のものが全部、そのビッグバンの前は、一点に押し込められてたワケだよね、ぎゅーっと」

 ぎゅーっと、と十和ちゃんは、両手で何かを押しつぶす動作をする。

「例えば、あたしやみっちーの身体の細胞とか。地球を構成している岩石とか。夜空で光っている遠くの星とか。宇宙のどこかにいるかもしれない宇宙人とか。そんなものが何もかも、最初は一つだったんだ、って想像してみなよ。すごいだろ?」

「うん……すごい」

 うなずくことしかできなかった。わたしと宇宙人がビッグバンの前は一つだったんだ、という話にも驚いたけれど、そういうことを考える十和ちゃんが、本当にすごいと思った。そんな十和ちゃんとも、わたしは大昔には一つだったんだ。

「ビッグバン以降ずっと、宇宙は膨張し続けている。今この瞬間も、あたしたちが住んでいる銀河系と、遠くの銀河との間は、秒速何千キロとか何万キロとかで、離れ続けている。一〇〇万光年離れたところにある銀河から出た光は、一〇〇万年以上経たないと、地球には届かない。もしそこに宇宙人がいて地球から通信を送ったとしても、宇宙人からの返事を地球で受け取る頃には、二〇〇万年以上過ぎてしまう。言語の問題はさておいても、宇宙人と話すのは難しいよね」

「一つだったのに」

「うん。一つだったのに」

 何となく、二人でしみじみしてしまう。

「……そういうふうに考えるなら、外人さんは宇宙人と違って目の前にいるんだから、まだ話しやすいんだねぇ」

 わたしが言うと、十和ちゃんは苦い薬でも飲んだような顔をした。

「それとこれとは話が別! うー、やっぱり、日本語を世界共通語にするしかないな」

 ――結局、十和ちゃんは、出発前に英会話を全く勉強しなかったらしいので。

 今頃、オーストラリアで苦労しているのかもしれない。

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