十
本当は目立ちたがりなの見上げてよ
十二月になってすぐ、佐藤弓生さんの二冊目の歌集、『眼鏡屋は夕ぐれのため』が実はもう出版されていると知り、慌てて書店で注文した。
届いた本を取りに行った日は、もう遅くて、外は真っ暗。前みたいに喫茶店に入りたかったけれど、そういうわけにもいかず、クリスマス・ソングが流れる商店街を後にする。
「あれ。十和ちゃん」
商店街から住宅街に入ってすぐの自動販売機の前で、十和ちゃんが、立ったまま缶コーヒーを飲んでいた。
「お、みっちーじゃん。奢ってやるから、一緒に飲んでけ飲んでけ」
わたしの家も十和ちゃんの家も、ここからだったら帰ったほうが早いくらいの距離なのだけれど、せっかくなのでお相伴にあずかることにする。
「十和ちゃん、今日は何かあったの?」
珍しい、と言ったら怒られそうだけれど、十和ちゃんがほんのりお化粧をして、ロングスカートをはいていたのだ。ちょっと日が早いけれど、研究室の忘年会でもあったのかな、と思っていると、
「〝勇気を出して初めての告白〟」
「……は?」
「んー、みっちーの年だと知らないか、あの番組」
番組はともかくとして、
「こくはく?」
「玉砕したけどね」
苦笑いして、ズズーッと缶コーヒーを飲む十和ちゃん。わたしは天地が引っ繰り返るほどの衝撃を受けて、叫んだ。
「十和ちゃんが? 誰に?」
「研究室のセンパイ。……あー、みっちーは会ったことあるね。オープンキャンパスのときに、説明聞いてたでしょ。あのセンパイ」
あの、丁寧な。顔はもうあんまり思い出せないけれど、十和ちゃんに似てる、と言われて嬉しかったことだけは、よく覚えている。でも……あのセンパイ?
ほとんどパニックに近い状態で、わたしが返事もできずにいると、
「一緒にオーストラリアに観測に行って、星座を教えてもらったりしてから、いいなーと思ってたんだよね。で、意を決して告白したわけだ。でも、カノジョいるんだって。地元の九州にいたときから、何年もつきあってるらしい」
何も訊いていないのに、十和ちゃんはよく喋る。――喋りたいのかも、しれない。
「慣れない化粧までしたけど、バカみたいだよねぇ……」
また一口、十和ちゃんが缶コーヒーをすする。どう相槌を打てばいいかわからず、わたしも並んでコーヒーを飲むしかなかった。
そのとき、住宅街の上の夜空で、一瞬何かが光った。
「そっか。ふたご座流星群か、今」
十和ちゃんがつぶやく。そういえば、朝のテレビでそんなことを言っていた。でも、
「ふたご座流星群って、十二月十四日じゃないの? 忠臣蔵の日でしょ?」
「十四日は極大。その日が一番、流れる星の数が多いってだけで、その周辺の他の日も見えるんだよ。あ、また光った」
そう言って、夜空を指さす。でも、わたしは星ではなく、十和ちゃんをじっと見ていた。
十和ちゃんが、わたしの知らないところで、わたしのよく知らない人に、恋をしていた。それが、ものすごくショックだった。
わたしは十和ちゃんに、そういう話をしたことがなくて。十和ちゃんからも、聞いたことがなくて。何となく、わたしと十和ちゃんは同じだと、ずっと一緒にいられると思っていたのかもしれない。
――そんなことはないのだ、という事実を、突きつけられた気がした。
今回は失恋しちゃったけれど、十和ちゃんにもいつかは恋人ができて、結婚したり、子供ができてお母さんになったりするかもしれないのだ。それは、わたしには手の届かない、十和ちゃんの人生。だって、わたしと十和ちゃんは別人なんだから。
〝別人なんだから〟、という言葉が、自分でも酷く苦かった。わたしはきっと、ずっと、十和ちゃんになりたかったんだ。なれないけれど。絶対に、なれないけれど。
「本買ったんだ? 何の本?」
わたしが提げている書店のビニール袋を見て、十和ちゃんが尋ねてきた。
「うん。これ、短歌の本」
「短歌って、『みだれ髪』とかそういうの?」
「そうなんだけど……」
思い切って、わたしは、その言葉を口にした。
「あのね、十和ちゃん。わたし、短歌を作ってみようと思うんだ」
十和ちゃんが、ちょっと驚く。
「それでね。……もし、歌ができたら、十和ちゃん見てくれる?」
おずおずと訊くと、十和ちゃんは驚いた顔から、やがてにっと笑った。
「楽しみにしてる」
目の周りのお化粧が少し崩れた、その笑顔を見て。
――ああ、やっぱり十和ちゃんって綺麗だなあ、と思った。
「あ」
またひとつ、夜空に星が流れた。
End.
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