九
平坦な宇宙の中でわたしはもう滅びを択んだ ただ一人でも
長かった夏休みも終わり、大学も後期の授業が始まった。
ちょっとインターネットで調べたいことがあって、キャンパス内の情報センターの端末室に行く。その用事自体はすぐに済んだため、全然関係ないことをいろいろ検索して遊んでいたら、「宇宙の年齢は137億歳」という文字が目に入った。何だろう? と思って、そのリンクをクリックしてみる。
それは、数年前の日付の科学記事だった。アメリカのNASAが打ち上げた、WMAPというマイクロ波観測衛星の観測結果によると、宇宙の年齢は137億歳だとわかったらしい。
……まず、マイクロ波って何だろう。
衛星が何を観測して、どうして137億歳だとわかったか。という説明は、読んでもわたしにはチンプンカンプンだったけれど、終わり近くの一つの文章が目に留まった。
「宇宙は平らで、永遠に膨張し続けるであろうという結果も導かれました」
これってもしかして、誕生日のとき、十和ちゃんが言ってた話かな。宇宙が開いてるとか閉じてるとか何とか。
細かいことは全然覚えていないけれど、十和ちゃんがとにかく、永遠に存在し続ける宇宙は嫌だ、と言っていたのは印象に残っている。でも、この記事の文章のとおりだと……多分、永遠に存在するよね。
何年も前の記事だし、十和ちゃんはとっくの昔にこの結果を知っていて、わたしが読むよりも中身をきちんと理解しているに違いない。でも十和ちゃんのことだから、「そんなのは関係ない、あたしは宇宙に爆発してほしいんだ!」って言うんだろうなぁ、きっと。
その記事に意味のわからない言葉がいっぱいあって、検索しているうちにどんどん関係ない話題に関心が逸れていって。だから、もうどこからそのページに行ったのかも覚えておらず、その歌を見つけたのは、本当に偶然だった。
風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで
――何だろう、これ。
一緒に載っていた文章によると、佐藤弓生、という歌人が詠んだ短歌らしい。そのページでは、佐藤弓生さんの歌が他にもいくつか紹介されていた。
てのひらに卵をうけたところからひずみはじめる星の重力
何だろう、これ。
百人一首みたいな、古典仮名遣いで枕詞とか掛詞とか使っている歌とも違うし、新聞の短歌の投稿欄によく掲載されている、自分の家族とかを題材にした歌とも違う。
五七五七七の形式は同じなんだけれど、何について詠んでいるのか全然わからない。わからないんだけれど、たった三十一文字なのに、まるで十和ちゃんが貸してくれたSF小説を一冊読んだみたいに、脳内にイメージが浮かんで止まらない。
見上げるほどの巨大な波、海に飲みこまれて迎える世界の終わり。最期まで鳴り響く風鈴の音。
あるいは、落ちてきた白い卵がてのひらにくぼみを作って、手の中に沈んでいって。卵が消えた穴の向こうには、マグリットの絵のような青い空――。
『世界が海におおわれるまで』というタイトルの歌集が出版されていると知り、著者と書名と出版社をメモして、大学の帰りに家の近くの書店に寄った。その書店には置いていなかったので、注文して取り寄せてもらうことにした。
本が届くと連絡があった日は、大学の授業が終わった途端、走るようにして書店に向かった。家に帰るまで待ち切れず、そのまま近くの喫茶店に入って、歌集を開いた。
おびただしい星におびえる子もやがておぼえるだろう目の閉じ方を
会えぬものばかり愛した眼球の終のすみかであれアンタレス
美しい地獄と思う億年の季節を崩れつづけて月は
ロケットのかがやくあしたあのひとはひとりで泣いて忘れるのだろう
何だろう、これ。
短歌って、自分自身には全く関係のない、星や宇宙のことを詠んでもいいんだ。というのも、目から鱗だったけれど。ひとつひとつの単語は知っているのに、そのつながり方がわたしの想像を超えている。日本語なのに、わたしが知っている日本語じゃないみたいだ。
どうして、こんなふうに言葉を選ぶことができるんだろう。
それから、家でも大学でも、毎日毎日その歌集ばかりを開いていた。
「その本はずいぶん、読むのに時間がかかるのね?」
お母さんからは不思議そうな顔で訊かれたけれど、歌のことで頭がいっぱいだった。
どうして、こんなふうに言葉を選ぶことができるんだろう。
どうしたら、こんなふうに言葉を組み合わせることができるんだろう。
……わたしにも、できるだろうか?
いや、無理だ。五七五七七に当てはめることは、できるかもしれないけれど。佐藤さんみたいな歌を詠むことは、絶対にできない。
でも……どうしたら、こんなふうに?
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