破の三 守りゆくもの
「これも〝縁〟ってやつですかねぇ。よもや昨夜お助けしたお嬢さんが、目的地である泣澤神社の関係者さんだったとは」
「はぁ……関係者と言いましても、神社を守っていた両親が亡くなって、もう私しかいなくなってしまったんで、やむなく大学も辞めて帰って来たというような始末ですが……」
沙弥とヒカル。二人は山道――というよりは獣道に近い道なき道を登っていた。沙弥は嬉々として、ヒカルは泣きそうになりながら。
動きやすそうな服装のヒカルの方が、むしろ疲労を感じさせていた。和装の沙弥は、背中に、ずだ袋のような荷物を背負っているにも関わらず、足取りは軽やかだ。さすがに着物の裾を端折ってはいるが。
「しかも霊感持ちだなんて。昨夜のアレが人外だって気付いてらっしゃったから、話が早くて助かりましたよ。アタシが〈
「だって、ピストルで撃たれたところ見ちゃったじゃないですか……なんでだろうって気になってたんですよ。まさか幽霊ではないだろうし……」
「さすが、四百年の伝統ある神社の
一般に神社とは、地縁血縁、なんらかの
氏子どころか神主もいないことが多いそうした神社を、言うなれば〈信徒〉として守っていくのが崇敬者という役割なのである。
「よしてください、マイナーなだけで由緒なんて正しくないですよ……崇敬者だったウチの家系の者しか参拝してないんですから。それももう私一人しか残ってないですし」
さきほど駐車帯で再会した二人は、その場で、短くも深刻な話し合い、質問合戦を行った。
沙弥としては、どうしてヒカルに、消えてしまうはずの、魔眼に魅入られていた間の記憶が残っているのか。
ヒカルからは、銃で撃たれた沙弥が、なぜ無事でいられたのか。
その果てに、二人はお互いを理解し合った。
沙弥は、ヒカルが泣澤神社を代々守ってきた崇敬者の家系の、最後の一人であることを。
ヒカルは、沙弥が不老不死の身体を得た〈
そして沙弥が泣澤神社の探索のために訪れたのと同様に、ヒカルも今日、点検と保全のために神社を訪れ、ここで再会したのである。
そして、悪いことを企んでいるわけでもなし、昨夜助けられた恩義もあって、ヒカルが沙弥の〝お宝探し〟に力を貸すことになった次第である。
「しかし霊感が鋭いと、魔族を正しく認識できるもんなんですねぇ。おまけに心を囚われても記憶は残る。もしかすると、代々神社を守ってきたというお血筋の力もあるかもしれませんが。
「魔族っていうか、幽霊みたいなもんかなぁって程度ですよ。血筋だって大げさな……霊感も血筋も、捨てていいものなら捨ててしまいたいくらいですから」
「ああ、分かります! そのお気持ち、よーく分かりますよ」突然、沙弥がヒカルの前に飛び出し、手を取って力説し始める。「アタシもね、好きでこの身体になったわけじゃぁないですから。十五の時に〈
力説にさらに力が入って、演説になっている。「あのそのえっと」とヒカルはドン引きだ。
「アタシにだって、もっっっとイイ女になってる未来があったはずなんですよ! 背も伸びて身体も肉付き良く女っぽくなってですね、ええ、そうですとも。アタシはアタシの未来を取り戻したいんです! 香坂さんだってそうじゃありません? 好き好んでなったわけでもない身の上、アタシが〈
「あー、それは……共感できる……かな。〝好き好んでなったわけでもない〟のところ」
「でしょぉッ?」
沙弥はさらに感情を爆発させ、ヒカルに飛びついて喜んだ。
「ようやく理解者に巡り会えましたよ! 今までにもね、不老不死と打ち明けた人がいなかったわけじゃないんですよ、家族とかには隠しおおせませんからね。でもでも、たいがい口をそろえて『不老不死なんて最高じゃないか、なんで捨てることがある』って! 先生まで似たようなこと言うんですからね! いやステキ。ようやく分かってもらえた。理解者がいるって嬉しいことですね! ああ、アタシって一人じゃないんだって実感が最高! ああもう、いっそのこと香坂さんアタシらと一緒に暮らしません? 東京に家があるんですけど部屋は余ってますからどうです? 生活費持ちますよ? ね? ね? ね?」
沙弥の演説は今や言葉の機関銃となり、握るだけだった手の動きは、ヒカルの腕を絡め取って抱き寄せるほどになっている。ヒカルは歩みを止めてたじろいだ。
「なんか巻き込まれた! いやほら私、大学辞めて東京のアパートを引き払って帰ってきたばかりで、落ち着いてもいないし、神社のこともありますし」
「あー。崇敬者のお立場が……、地遠がなくて氏子も神主もいない神社を守る、でしたね」
沙弥がぶすったれた表情に豹変する。しかし腕はほどかず、それどころか積極的にヒカルにしなだれかかってゆく。
「ええ、ご先祖が建立した神社で、子孫の私も責任あるらしいですから……」
身体をねじって抵抗の意を示すヒカルだったが、小柄な割に沙弥の力は強く、抗えない。
「捨てていいなら捨てたいって仰ったじゃありませんか。望んで崇敬者の家に生まれたわけでなし、自分の人生、先祖代々の掟に縛られるのも損じゃありませんか?」
「だいぶ強引だ! いやでも四百年続いてるらしいんで、私がそれを放り出すのも気分が良くないってのがありまして、そう簡単には」
「そりゃ確かに伝統ですがねぇ。でもご家族しか訪れない神社ということでしたら、いっそのこと、うっちゃってしまうというのもアリじゃないですかね。東京に進学させてもらったくらいですし、ご両親もそう思ってらしたんでは?」
「まあそうなんですけど……そ、そう言えばですね、そんな家系ですから泣澤神社のことは私もそれなりに知ってますけど……不老不死だとか、反対に不老不死から普通の人間に戻すなんて宝物の話は、聞いたことないですよ。小さなお社と、井戸があるだけのほんっとに小さな神社なんですから。鳥居すら壊れてなくなってるくらいで」
ヒカルの必死の話題そらしは成功したようで、腕に絡んだ沙弥の手が緩んだ。そこをすかさず、腕を抜いて足を早めていく。しかし足取りは沙弥の方が軽く、すぐに横に並ばれてしまう。
沙弥は着物の襟の内から、折りたたまれた紙を取り出しながら言った。
「こいつぁ江戸時代のこの地方に住んでいたお武家さんの手紙、そのコピーですが、この地方にあるという泣澤神社に触れていましてね。いわく『傷重かれども泣澤の霊験あらたかにて、傷たちまち治りて
「えーっ、そんなことが……ちょっと見せてもらってもいいですか」
コピー紙を受け取ったヒカルだったが、
「……昔の手紙の文字なんて、私に読めるわけなかったです」
「コイツぁさる筋から手に入れたものなんですが、肝心な〝泣澤神社〟ってのが、この地方のどこにあるのか、調べ当てるのに苦労しました」
「ウチの神社、それこそ江戸期とかの絵地図でないと載ってないですからね」
「まさにその絵地図で、ようやく〝
ダンピールのトミスラヴもまた、秘宝を探し求めてこの地に来ている――ということは、沙弥は言わずにいた。さすがに、『魔族もお宝を探して来ているので、なにかあるのは間違いない』とまで言っては、ヒカルが怯えてしまうだろうと思ったのだ。
「でもあれ、涸れ井戸ですよ。というか、もともと水が湧くようなところじゃない上、水を汲み上げるような仕組みが最初から作られてないんですから。なんのために掘られたのか分からないってシロモノです」
「むむ、かえって怪しいじゃありませんか、水も出ないのに掘られた井戸なんて。前に行った別の泣澤女神の神社じゃ、本当にただの井戸でつまらなかったですからねぇ」
「ウチ以外にナキサワメを祀ってる神社があるんですか……ていうか、行ったんですねもう」
「〈人返しの秘法〉を探してもう五年、全国いろいろ回りましたよ、イワナガヒメにまつわるところですとか、
「あー、〝バナナ型神話〟ってやつですね、イワナガヒメ。石を選んでいれば人間は長寿になれたけど、花や果実を選んでしまったので短命になってしまったっていう……それや徐福伝説の方が、ストレートに不老長寿に関わってそうですけど」
「ところが見つかりませんねぇ。メジャーどころは数が多いんで、隠れてる〝当たり〟を引き当てるのも難しいんですかね。こういうマイナーな神さんの方が期待が持てそうですよ」
「弥勒さん、ご自分が不老不死になった理由は当たってみたんですか? それが一番確実に思いますけど」
「アタシは外国産な上に、その原因ってのが、もう消え失せてまして」
「外国産」
意外な言い草に、ヒカルはおうむ返しで呆れる。沙弥は深く溜息をついて、首を振ってから話を続けた。
「中学卒業の記念旅行で、ギリシャに行きましてね。現地コーディネーターにそそのかされて、地元民の間でもマイナーだっていう、岩場に隠れた神殿へ行ってみまして。そこの泉に落ちちまったのが始まりでしたねぇ、後になって思い返せば」
「ギリシャで神殿で泉で不死ですか……そんな神話ありましたね、なんだったっけ」
「アキレスですね。赤ちゃんの時に、不老不死になる泉に
「そうそう。
「いえ、アタシの場合そういうことはないみたいですね。……その泉、アタシが訪れた翌年だかに起きた大地震のせいで、涸れちまったんですよ。水脈が変わったんでしょうね。アタシが自分の不死に気付いたのが五年後なもんで、その時にはもう手遅れ」
「……気付くのに五年もかかったんですか」
呆れたようにヒカルが言う。
「成長しないのはこれがアタシの限界だからか、と。思春期の悩みの大半はそれでしたね。高校生活はそのおかげで真っ暗でしたよ……よもや〈
沙弥は成長の話をする時、胸を手で押さえて、万感を込めた深いため息をついた。その時の視線が、ヒカルの身体のどこを射抜いていたか、この時のヒカルは気付かなかった。
そうして話しながら山道を登ること十五分。
「半分過ぎたくらいかな……」
ヒカルは疲れを見せ始めていたが、沙弥は変わりない様子で歩いている。一時的に築いたリードも失われ、二人はまた横に並んでいた。
この時ようやく、ヒカルは沙弥の視線を感じることに気付いた。
視線は明らかに自分の胸元――もっと言えば胸そのものに注がれているのである。熱を帯びたその視線にたまらなくなり、
「あっ、あの、どうしました? じっとこっち見て……」
と、抗議に聞こえない抗議の声を上げる。
「程良い……程良いねぇ、あのふくらみ加減……惚れ惚れするねぇ……」
独り言のようにぼんやりした声が返って来た。
「成長……成長さえすれば、アタシだってねぇ……あれくらい……ポヨンと」
心ここにあらずな様子の沙弥の視線は、やっぱり、ヒカルの胸を恨みがましく見つめているのだった。沙弥自身のその部分は――和装がこの上なく似合う程には、なだらかである。
なんとなくいたたまれなくなり、ヒカルは「まだ先はありますけど、がんばりましょうね!」などと適当なことを言いながら、奮起してふたたび数メートルのリードを築いていった。
さらに十分ほどで、道の先が開けてきた。木々の切れ目から、空と雲が見えてくる。
「そろそろ着きます。でも本当に小さなお社ですから、お望みのものが見つかるかどうか」
「ご両親が亡くなったというし大学も辞めたとか、それなら今は無職のはず……ならやっぱり今がチャンス……説得して一緒に東京で……」
沙弥は物騒な物思いに沈んでいた。ヒカルは逃げるように小走りに、神社のある開けた場所へ駆けあがっていく。
「えあッ?」
驚きの声がヒカルの口から漏れた。家を一軒建てるのにギリギリ、というくらいの空間で、一番奥のふたたび斜面が登っていく辺りに、くすんだ色合いのお社が。その左手に井戸のような石組みがあるのだが――井戸の手前で男の子が倒れていたのだ。
「ちょ、君どうしたのッ!」
ヒカルは井戸の方へ駆け寄っていった。男の子の歳の頃は八歳くらいか。痩せていて坊主頭。こざっぱりした半袖の開襟シャツに、黒い、半ズボンと呼ぶよりない丈のズボンをはいている。
男の子を抱き起こそうとしたヒカルだったが、指先が身体に触れた瞬間には「ひっ」と声を上げて手を引っ込めてしまった。それほど、男の子の身体は冷え切っていた。死体だった。
助けを求めるように後ろを振り返ったが、置き去りにしてきた沙弥はまだ姿が見えない。
予感めいた、嫌な感触をヒカルは感じ取った。
井戸の中からだ。
彼女が持つ〈霊感〉が告げている。そこになにかある。なにか起こる。いや、もう起こっているぞ、と。
見たくない、見てはいけない、でも、この神社を守らなければならないのは自分だ――
ヒカルは葛藤しながら、立ち上がり、ふらつくように井戸にもたれ、その中を覗き込んだ。
息が止まり、声にもならなかった。
底がすぐに目に入るほど浅い井戸に、首を吊った男の姿があった。
上を向いた紫色に変色した顔が、ヒカルの方へ向けられている。
苦しくなってようやく、ヒカルは大きな音を発てて呼吸を再開した。
その瞬間、――首吊りした男と目が合ってしまった。
顔は、向き合っていない。
なのに目が合った。いつの間にか男の血走った目が、ヒカルを追って動いていた。
ヒカルの理性はついに限界に達し、意識が消失した。
気絶していた時間はそう長くはならなかった。大慌てで駆け寄った沙弥が介抱したからだ。
それから沙弥は、漁師が投網を引くが如くに、男が首を吊っている縄を引っ張り上げ、男の身体を地面に投げ出した。
沙弥の荷物にあった水を飲ませてもらいながら、ヒカルは詳しい事情の説明を受けた。
「先に言っといてくれなきゃ困りますよ! 〈
怯えと怒りとがない交ぜになって、ヒカルの声も表情も、くしゃくしゃになっていた。
「いやホントに相済みません。面目次第もございません。まさかこんなに早く来てるなんて思わなかったもんで……おまえらッ! なんで今日に限ってこんな早く行動してやがんだ! 下に車なかったし、どうやってこんな山ン中まで来た!」
後半の、男の子の死体と引き上げられたままぶっ倒れている青年に向けられた問いかけ、というか怒鳴り声には、
『メンドゥさんが、車運転するのはメンドクセって言うんで、朝の新幹線で来ちゃったんです。駅からここまではタクシーを使いました』
と、死体と同じ姿をした男の子の霊が、自分の死体の横で正座しながら答えた。
いつの間にか出現していたその姿を、ヒカルはいわゆる体育座りで膝を抱えた格好で見ていた。カタカタと小刻みに身体が震えている。
「香坂さん、大丈夫ですか? なんだか震えていらっしゃいますが」
「真っ昼間っから、ここまで主張の激しい幽霊をガン見するのは、さすがに初めての経験なもので」
「おや、さすがに霊感持ちですね、ガン
「ガン助」
『僕の渾名なんです。初めまして、僕は
「死んでるこの子の名前です。本名、藤内岩之助。昭和の初めに生まれたせいか名前が古くさいんで、せめてガン助と可愛らしく呼んでやってます。家族で中国大陸に移住したら、水が合わなかったのかポックリ逝ったんですが、インチキ霊媒師に引っかかってキョンシーにされた上、術が半端でこんなけったいな〈
沙弥と幽霊――もとい、幽体のガン助のセリフは完全にかぶっていた。
「え、え、え。二人いっぺんに喋られても」
『あ、ごめんなさい』
「こりゃ失礼しました。アタシにゃ、幽体になったガン助は、見えもしないし声も聞こえないもんでしてねぇ」
「ええーっ、不老不死同士でそんな不便なんですか」
『僕は〈キョンシー〉の中でも特に変わった存在だそうなので、自分でもよく分かってないんです。他の子にはそもそも魂も残ってないそうなんですけど』
「この子は〈キョンシー〉とは名ばかり、魔族や妖怪の方が近いってぇ〈
「またかぶりましたよ! 幽霊、じゃなくて幽体になったまま戻らないんですか?」
『なにかに驚くと、するっと魂が抜けちゃうんです。自分でもいつ戻れるか分かりません』
「そのうち戻りはするんですが、自分の意思で戻れるもんでもないそうで、待ってるしかないんです。ちょっとビックリさせるだけでコロっと死……じゃなくて幽体離脱しちまうお手軽さなんで、しょっちゅうこんな具合でしてね」
「また……も、もうガン助くんはいいです分かりましたから……」
そう言って、ヒカルはちらっと、首を吊っていた青年の方を見た。紫色だった顔には血色が戻り、縄を外した時には残酷に刻まれていた痕跡も、今やほとんど残っていなかった。表情だけは、吊っていた時と同じような、人生になんの価値も見いだせない、精神的死者のそれである。ヒカルは半泣きになって後じさりした。
「な、なんか治ってませんかこの人」
「ああ、それがコイツの〈人魚の不死〉ってやつでして。人魚の肉を食ったら不老不死になるっていうアレです」
「アレとかそんなカジュアルに言われても」
「どんな傷を負っても死なないし、すぐに治っちまうってものだそうで、吊った痣くらいはすぐに消えますね」
「てゆーかなんで吊るんですかこの人。不死なのに」
「あんまり長く生きすぎたんですかねぇ。こちらの神社と同じく、もう四百年越えだとか。なに聞いても『メンドクセ』しか言わないくらい生きるのが面倒くせぇようで、隙あらば吊るんですよ。もう癖になっちまってんでしょうね、どうせ死にゃしないのに。おおかた今回も、ガン助が目を離した隙に吊ったんでしょう。それを見つけたガン助がビックリして死んだ、と」
「自殺願望のある〈
「だからこそアタシと
「吊るのは面倒じゃないんだ……で、これで全員ですか、もういませんか」
「あー……〈
「あああああそういえば思い出した、昨夜もなんか喋る猫がいたよ……」
「そちらはおいおい、追いかけてくるとは思いますが。ま、そういうわけでアタシら〈
(続)
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