破の二 傷付かぬもの
銃声が木霊となって響いた。
「あんにゃろう! いきなり撃って来やがった!」
沙弥はアクセルをベタ踏みして後続車を引き離そうとする。だがこちらは非力なミニバン、荷物も大きい。追いすがるラファエレの車は、コンパクトカーながらもスポーティによく走る車種だ。とても引き離せるものではない。
「まだアタシをダンピールと勘違いしてやがんのか、あの馬鹿」
「さもなくば、我らを神の摂理に反するとして襲っているのか。いずれにせよ、考えても詮無いことだ」
銃声が続く。せめて右へ左へとミニバンを蛇行させながら、沙弥は怒鳴るように言った。
「そういやあんにゃろ、昨夜見た時は胸がでかかったな」
「なんだそれは」
「許すまじ。先生、こっから念動力でハンドルねじ曲げてやって」
「無茶言うな。吾輩の力はそこまで届かん」
「じゃ、障壁張ってくださいよ」
「それも無理だな、吾輩のあれは、壁で待ち受けているのではなく、来たものを念動力で弾き飛ばしているだけだ。分かりやすいから障壁と説明してはいるが」
「雇用関係三年半にして初めて聞きましたよそんな種明かし!」
また銃声。衝撃が車体を走った。車のどこかに命中したか、かすめたか。
「ぬわー! レンタカーだぞどうしてくれやがる!」
「吾輩もさすがに、銃弾は見えんな。対象が見えていなければ念動力では動かせん」
「なんてぇ役に立たない用心棒だろうねぇ。継続雇用の話は考え直しますよ」
「む、それは困るな。和牛と吟醸が食えなくなる」
銃声に続き、沙弥の近くでなにか壊れる音がした。運転席側のドアミラー、そのカバー部分が一部、えぐれていた。
「どうせおぬしは、直撃を受けたって傷もつかんだろう、落ち着いたらどうだ」
「車の変なところに食らって、爆発炎上でもしたら荷物がパァですよ。各種資料に着替えの着物。ありゃ百万円じゃきかないんですよ…ッっと!」
タイミングよくスピンターンを決めて九十度転進、左折。沙弥はミニバンを舗装路からあぜ道へと乗り入れさせた。虚を突かれた後続のラファエレは急ブレーキで停車せざるを得ない上、右の運転席からでは狙いがつけられず即座には銃撃できなかった。
「おのれ、こしゃくな! 大人しく神の鉄槌で撃ち殺されろ!」
ラファエレは、カーナビの画面でなにかの操作をしてから、バックで切り返しつつミニバンを追ってあぜ道へ進む。ナビ画面には、前方を行くミニバンらしき光点を新たに表示し始めた。それは実はカーナビではなく、昨夜、沙弥に見せつけた魔族の存在探知センサーなのだった。
「この〈魔素センサー〉に、おまえの個体周波数をメモリー済みだ! 逃げようが隠れようが、地の果てまで追いかけてやるぅ!」
長閑な農地には不釣り合いなカーチェイスが始まった。土の未舗装の路面は状態が悪すぎて、車の揺れが尋常ではない。道幅も狭く、ハンドルさばきを誤れば横の田畑に突っ込むことは間違いない。一度落ちれば、今度はあぜ道が障壁になって、再びその上に戻ることは出来ないだろう。
先を逃げる沙弥にとっては神経が磨り減らされる状況だが、この悪路のおかげで、ラファエレは銃を使うことが難しくなっていた。
「ささささぁててて」と、揺れのせいでまともに喋れない沙弥。「どうすっっっかな」
先生は座席から少し宙に浮いていて、振動の影響を受けていない。
距離を詰められると、沙弥は直角のターンで道を変える。追っているラファエレの方がスピードが出ているので、急な方向転換にはついていけない。一旦停止してから切り返してまた追いかけるか、いっそ行きすぎてから別のルートを使って猛スピードで追い上げる。まっすぐ走るわずかな間に、ラファエレは窓から腕を出して銃撃を加える。碁盤の目のようなあぜ道で、奇妙な追いかけっこが続いた。
先生は後ろを見たまま、なにかを探るように神経を尖らせていた。
「沙弥。一定間隔でなにかの波長が感じられる。いやに人工的な感じがする波長だ」
「波長って、魔族のアレ? まさかおトミさんまで?」
沙弥は思わず、窓から顔を出して周囲を見ようとした。それがいけなかった。車体から逸れていた銀メッキ弾の軌道上に、ちょうど頭が来た。
金属同士がぶつかるような甲高い破壊音。
「あいッでエっ!」
昨夜のように首が持って行かれ、その勢いでハンドル操作を微妙に誤る。あやうく道から落ちそうになるところを、必死のハンドルさばきで持ち直した。
こめかみの横、髪の生え際あたりを手で押さえながら、沙弥は毒づいた。
「病院送りじゃ、すまねぇぞンなろ、切り刻んで明石焼きの具にしてやっからな」
「痛覚ないんじゃなかったか、おぬし」
「あんだけ鋭い衝撃だと、つい声が、出ちまうんですよ。衝撃だけを表す言葉ってな、なかなかないもんですからね」
また直角のターンを決めてから、沙弥は銃弾を受けた辺りを撫でさする。
「落ち着いて聞け、波長は後ろから来ているが、これは魔族のものではない。おそらく人工的な、レーダーのようなものだ。ラファエレ明石が使っているのだろう。昨夜の対決で、なにかそんなものを見はしなかったか」
「そういや、なんか、持ってたような」
「ここを逃げ切っても、それで後を追われては厄介だ。どうする、吾輩が手を下すか」
「ああいや、ちょいと、お待ちに、……思い出した、昨夜アイツ、アタシを、探知、出来てなかっ」車が大きく跳ねて、言葉が途切れた。
「おぬしを探知していなかった? どういうことだ」
「アレたぶん、〈
沙弥が思い描いたのは昨夜のラファエレの様子だった。沙弥を追求する時に、彼女は『人に変身して反応を消すとは』と言ったのだ。その時点での沙弥を、センサーが探知していないことを示していた。
「先生、ちょいと、思いつきましたよ。さっきの、意趣返しも含めて」
沙弥はひとつの作戦を先生に説明した。
「……そう巧くいくか?」
「いったら、アイツぁたぶん、先生を追っかけてきます。いかなかったら、あきらめて、後は先生が、なんとかしてください。泣澤神社で、落ち合いましょう」
そう言って沙弥は、ミラー越しにラファエレを睨み付けた。当人達は知らず、二人の視線はぶつかり合って、不可視の火花を散らしていた。
「逃げんなぁー! あたしの手柄とチケット!」
ラファエレの叫びは、沙弥の耳にまでは届かない。
彼女のセンサーが示す光点は一つだけ――沙弥ではなく、先生の反応を捉えているのだった。その点で沙弥の読みは正しかった。
「んんッ? なにをするつもりだ」
ミニバンに動きがあった。ルーフウインドウから人影が――沙弥が姿を現したのだ。シートに立った沙弥は、するすると帯をほどいて、着物を車内に脱ぎ落としていった。
「わわ、変態の魔物だったのか」
驚いたラファエレだったが、ターゲットが姿を見せたのを好機と見て、速度を落としてでも慎重に狙いをつけようとした。そして銃撃――の寸前。
ミニバンから、白い襦袢姿の沙弥が両手を広げ――十字架のようになって飛んできた。
「ぬえええええッ?」
ハンドルを切りかけたのだが、それではあぜ道から落ちて脱出不能になる。反射的に行動を変えてラファエレはブレーキをかけた。
だが間に合わない。
沙弥の上半身がフロントガラス、下半身がボンネットにぶち当たった。車内ではエアバッグが作動する。ガラスが割れ、ボンネットが盛大にへこんだ。急ブレーキと激突の合わせ技で、後輪が完全に浮き上がるほどの衝撃が襲う。細かく砕けたガラス片が車内に降り注ぎ、ラファエレの衣服や肌に細かな切り傷を作っていく。反動で浮き上がった沙弥の身体は車体に引っかけられて、斜め後方にきりもみしながら飛んで行き、田に落ちた。休耕地なのか、水のないところだった。
半壊した車は完全に停車した。
「ぐっ、ぎ、ぎぎぎ」
ラファエレは、歯軋りと悲鳴がない交ぜになったような奇っ怪な声をあげていた。おそるおそる目を開けて、役目を終えたエアバッグを押しのけて車の惨状を確認する。
「うわあああああ支給品の車がああああ、これ責任あたしかよおおおぉ」
そしてはるか前方で停止しているミニバンも確認して、荒れた車内でなにかを探す。
床に落ちている、カーナビ代わりにしていた魔素センサーを取り上げると、まだ機能は生きていた。魔族の反応である光点は――停止しているミニバンから離れ、農地を抜けつつあった。そのまま進めば山並みの方へ向かうだろう。
「えっえっえっ、なに、あっちなの? どゆこと?」
キョロキョロと左右を見回すが、ラファエレの位置から後方へ飛んでいった沙弥を見つけることは出来ない。
幸い、車のエンジンは止まっていなかった。
ラファエレは鞄からナイフを取り出すと、しぼんだエアバッグを切って捨てた。ギアを確認しアクセルを踏み、ふたたび車を走らせる。
「逃がさないっつってんだろぉ! 車の修理代払え!」
新たな魔族退治のモチベーションを獲得しつつ、ラファエレはあぜ道を抜けて、センサーが示す光点を追って、道路へ戻っていった。
――事故現場には、当事者である沙弥が、ひとりひっそり残された。
「ああああああ、こなくそコンチクショウめが」
下品に吐き捨てながら、倒れていた地面から起き上がる。白い襦袢は乾いた土埃にまみれ、所々破れてひどい有様だった。
「うー、世界が揺れる。着物、脱いどいて正解だったわ」
襦袢はひどいが、当人は無傷。〈
ラファエレの車が走り去って行った方を見やり、ひとつ溜息をつく。
ゆっくりミニバンへと向かう。車内に先生の姿はない。沙弥は荷物にあった替えの長襦袢に着替えながら、この場にいない先生へ語りかけた。
「案の定、アイツが探れるのは魔族妖怪の類いだけらしいや。囮役、願いしましたよ先生。せいぜいもてあそんでやってくださいな」
それから、無茶が祟ったのか時々変な振動を起こすようになったミニバンで、小一時間。
車はようやく、目的地へ向かう最後の山道を登り始めていた。
沙弥の目的地である神社は、小さすぎるのか忘れ去られたのか、現代の地図には載っていない。今は、江戸時代の古地図で見つけたそれらしい山中の場所を目指しているのだが、そこへ至るにはどこかで車を置いて、徒歩で山を登らねばならない。
カーナビには、車を停めておくための駐車帯が目的地として設定してあった。
まもなく到着というタイミングで、一台だけ軽自動車がミニバンを追い抜いていった。ところが、その軽は抜いた後はあまりスピードを上げず、ほとんど沙弥を先導するように走っている。ラファエレのこともあって、沙弥は警戒しながら車を走らせた。
いよいよ駐車帯に到着したところで、沙弥は表情を曇らせた。先行していた軽自動車も、同じ場所に車を停めたのである。
徐行して近寄りつつ、沙弥は軽自動車の運転手が降りるのを待った。それを見届けて、自分も車を停めるか、それとも相手を
運転手は、二十歳くらいの若い女性だった。彼女は降りると同時に、沙弥の方へ身体を向けて、ぺこりと一度、頭を下げた。
沙弥は思い出した。昨夜、ダンピールのトミスラヴから助けた女性だったのだ。
いったいどんな偶然かは分からないが、知らない顔ではなかったことにひとまずは安心し、しかし警戒を緩めずに沙弥は車を停めた。
「
沙弥が昨夜の別れ際に名乗った本名を、ヒカルはちゃんと覚えていた。
「……ホントに驚きですねぇ。香坂さん、でしたね」
「はい、香坂ヒカルです」
ヒカルは微笑んで返したが、沙弥の方はというと、むしろ困り顔だった。
「なんで、アタシのことを覚えてらっしゃるんでしょう?」
(続)
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