05 » 雲を貫く正義色の巨塔、蘭の咲く庭園、奪い去られた赫々たる暁の光。
例えば曲がったことを極度に嫌い、かつ悲劇的にも己を論理的かつ倫理的だと思い込んでいるその実、善悪判断の根底に独りよがりが臥せってしまっていることに無自覚な子供がいたなら、きっと彼または彼女は他者の視点や境遇などよりもむしろ、胸の内から無尽蔵に湧き出づる正義の熱と光、それらが自分では小さいことに気付けていない未熟な箱庭的世界観の内側で反響し続けた帰結に独善的な整合性を持って立ち現れる歪んだ正しさにこそ心を傾けるに違いない、と未だ鮮明な悪夢の爆心地で「僕」の残滓が云う。だからこそ「奴」はあの日も恍惚とした表情を浮かべて、露ほどの躊躇すら見せなかったのだろうと──すでに心身ともに痛め続けていた幼少の私、「僕」を、さらに容赦なく殴りつけることに。
最大限に筋繊維の張力を溜め込んだ二の腕の武者震い、一瞬で張り詰めたごくありふれた木造教室における場の緊張、降り注ぐ初春の陽気、振り抜かれた拳の風を切る速度、皆が皆揃ってさらさらと、かつ厭にじくじくと頭を刺し貫く。目の前の加害同級生は終始、口元に爽やかな微笑を浮かべている。
彼なりの断罪の大義名分を
彼はそのときも私と同い歳で、私よりも背が高く、そして誰からも優秀と見做される品行方正な児童として名が通っていた。
同年代の鑑と誰もが認めたその男はお伽話上の存在だと思っていた良家とやらの跡取りで、だからこそ厳粛な躾の賜物か、当時すでに絶滅危惧種的に珍しかった正義感の強い部類の人間だった。
彼は勉強ができ、運動能力に長け、全身全霊の努力を楽しみ、そして何より個人にも集団にも規律を強いることに信仰に近い安寧を覚える若君だった。
だからこそ彼よりも成績がよく、性格は周囲よりもやや真面目という程度で、苦痛を伴う努力体験を上手く
換言すれば彼は私を虐めた。小学五年生の夏からである。
仮に二人の能力差だけが単純に浮き彫りになっていたなら、ともすれば彼の内には小さき者にも飲み込める程度の劣等感しか生じなかったのかもしれない。しかしながら私の容姿が、あるいは突き詰めれば持って生まれたどうしようもない異色の配色が、集団の風紀を乱す悪徳の権化として彼の利己的な逆鱗に触れた。
おそらくそれは彼の心の底から純朴に沸き立った嫉妬であり、苛立ちであり、憤りだったのだろう。私の立場からこのような物言いをするのは気が引けるが。
ただそのために根が深く、明然とした理由付けもできぬ暴力的な激情だった。
私の頭が異常を来す前──それについてはいますぐの明言を避けたい──に経験した彼との接触の中で特によく憶えているのは、互いに初めて出逢った際に交わされた会話と、その顛末である。
なぜその会話だけを克明に記憶しているかといえば、それは後にとある事情から、擦り切れるほど当時の監視エージェントの映像を見たからと答える他ない。
叔父の家に息も絶え絶えに転がり込んだ十一歳の年度の七月下旬、夏季休業前という半端な時期に小学五年生から編入した私を見て、他学級に在籍していたはずの彼はわざわざ廊下で私を呼び止めてまで、朗らかな笑顔でこう諭してきた。
「ねえ嘉賀城八雲君、僕たちぐらいの歳で髪を染めるのは流石によくないと、そう僕は思うんだよ。その目のコンタクトはまあ、視力が悪いのなら仕方がないことだと思う、が、色付きなのは少し戴けないね。もしかしたら眼鏡を強要するのは時代遅れかもしれないし、何より僕は脅迫みたいなことはしたくないから率直に言うよ、これは忠告だ。学校全体の雰囲気のため、そしてそう、嘉賀城君のこの先の未来のための」
そのときはまず沈黙があった。誤解されたのだと刹那に理解した。
次いで「すみません、なぜ僕の名前を知っているのですか? あなたは?」と壁に囲まれた細い連絡通路に声を響かせる私が生じた。
その頃の私は、見知らぬ人間とは必ず敬語で話すような子供であった。
「ちょっと言葉が悪いかもしれない、が、君の見た目なら違和感を抱かないほうがおかしいとは思わないかな? 白い肌、髪の毛は薄黄色で、しかもなんということだろう、目は金色だ。まるで外国の絵本から出てきたみたいな見た目じゃないか。だから僕は君に少し苛立っているんだ。日本人でそんな見た目になるはずはないのに、君は顔の感じも話す言葉も完全に日本のそれだろう。自分を着飾っているとしか思えない。悪いね、でも僕の一番嫌いなタイプなんだよ、君は」
視線が合い、相手の上下の瞼が切り取っていた、自信に満ち溢れたようなその目の形に弱い吐き気を催した。
自己主張の激しい人だな、それだけを悟ったことを憶えている。実際にその言葉を浮かべて思考したかは定かでないが。
ただ、面倒だな、それ以外の感情の涌出は残念ながら確認できなかった。
相手の鼻先に焦点を滑らせる。染みも
それは表に出さなくて済むならそれに越したことはないくらいの雑然としたストレスの粗熱を大まかに取り払うための、無意識のイメージだったのだと思う。
対面した彼は私より背が高くがたいもよかったので、真っ向勝負に分がないことは瞬間に理解していた。考えなしで逃げ出せる状況ではないような気がしていたし、押さえ込まれれば私に勝ち目がないこともなかなかに明白だったのだ。
だから私は頭を冷やし、適切な対処法を考える必要性に駆られていた。
「君のお父さんやお母さんはなんと言っているのかな」
視界の中で鼻のあった位置に二つの瞳の下部が入り込み、怪訝そうに細められたのが見えた。いっそ目を瞑り、何も見なければいいか。私は三原色のブロックノイズが蠢く暗闇の中に逃避して、頭上から降り注ぐ声を無視した。
漠然とした声が流れ、廻り、浮かぶ。私はそれらを手に取り、組み立て、紡ぐ。
私にはなぜか言葉があった。
溢れる語彙の泉が。
聞いた覚えのない言葉が「私はこう使うのですよ」と脳中を囁き回っていた。それは意味と重さを完全には掴みきれない大人びたサウンドノイズだったが、精神年齢が順当に十一歳相当だった当時の私は、制御不能なその衝動を迷わず武器に転化することを即決した。
また、私には「我の強い者と対峙すると心の底から物怖じしてしまい、いいたいことを丸ごと喉奥に引っ込めてしまう人々」というのが、創作の界隈だろうが現実世界だろうが一定数存在するのではないかと無根拠に思っている節があり、当時もあった。私はそうした人を見聞きするにつけ無性にフラストレーションを溜め込んでしまう側の人種であり、当時もそうであった。
つまりその性格の系譜で、私には自然、自分自身がそのような人々の一員になることさえも心底忌避している嫌いがあったので、突然向けられた敵意にも怯む素振りを見せぬよう努め強い意志で毅然と返答を紡ぐのは、特に労力も要らずできてしまうことだった。造作もなく。
「いきなり呼び止めたかと思えば相手のことを否定しにかかるなんて、失礼ですが思い切り人格を疑いますね」
結果としてほぼ疑う余地なく、その意志は効きすぎたのだと考える。
家族と生きてきた記憶がないという孤独故か、パーソナルスペースに他者が侵入することを生理的に人一倍嫌っていたこのときの私は、生半可な他人との交流では却って心が掻き乱されてしまうことを自覚し、その埋まらない孤独感はむしろ、誰かとの薄い繋がり程度ではより大きく深い穴に成長してしまうと自身の実感として心得ているような、いわば排他的な精神の持ち主であった。
そしてその排他性は、売り言葉に買い言葉を好んでいた当時の好戦的な性格にとってあるいは非常に親和性の高い性質だったのかもしれない、などといまならば鑑みることもできる。
いまならば。
「こちらの事情を考えもしないで、一方的に偽善の行使ですか。それとも懸命に考えた結果がそれですか。なるほど、思慮深さの底が知れるというものです」
ちょうど季節的に、
何せそのときは七月も終わりで、酷暑だったのだから。
気温のせいか後に引けない焦りのせいか、額を汗が滑り落ちた。
「話しかけているのは僕だ」
呟くように、相手からもそう
掴みかかろうとして抑えたのだろう、震える手と歯軋りで歪んだ唇が見え、彼の強靭な理性の悲鳴と、彼の堪忍袋の緒が切れた音が同時に伝わっていた。
眉毛と睫毛を擦り抜け、眼球に汗が染みた。
反射的に浮き出た泪と混ざったそれは、私の神経を痛々しく逆撫でるのと同時に、却ってやや私を冷静にした。
「それらはともかくとして」
図にのりすぎた勢いが、些細な刺激に殺されるということはあるらしい。「質問にはきちんと答えてください。自己完結型のあなたのとは違いますし、難しいことも聞いていません、あなたは誰ですか」
経験の浅い私はそれを学んだ。
結局、二度とは活かせなかったのだが。
とかく「君に教える必要はない」とこちらの問いに対して返答があったので、「無礼だとは思わないのですか」と、私はややもすれば詭弁気味に問い重ねる。
「そんな言い方は、ずるいと思わないのか」
彼は動揺気味に呟いたきり沈黙した。
しかしそのまま閉口することに利点はないと判断したのか、「塔」と「蘭」を並べて苗字をアララギ、「暁」と書いて名をギョウというのだと弱々しく告げた。
返り討ちにする計画は順調に進んでいるかに思えた。
それどころか半ば確信すらしていた。
主導権を掌握するつもりで、畳み掛けるように訊く。単騎の敵対勢力は立場という単語に怪訝な表情をしたが、ならば理解の隙など与えない。「言葉を変えましょう。あなたは何の権限を以て僕に話しかけてきたのですか」
「権限」彼は俯いた。「よくわからない、けれどそんなものは持っていない。僕はただの同級生だ、隣のクラスの」
苦虫を噛み潰すように顔が
「正直、驚きました。失礼ですが、てっきり学級委員か何かかと思っていたものですから」軽く礼を言ってからそう口にした。皮肉ではなく本心から。
とはいえこのように独善的な絡み方をして来たという点においてのみの安直な判断だったので、かなりの偏見には違いなかったのだが。
相対する男児は長身だったうえ、前髪に隠された額は翳ってよく見えなかったが、事実、彼の眉間に深い皺が刻まれたことだけは気配からそれとなく察せた。
まるでこれまで幾度となく同型の質問に曝されてきたとでもいいたげに、静謐な怒気を混ぜ込んだ雰囲気を漂わせて。
私はその点においてのみ少しだけ彼に同情したはずである。なぜならその学校への編入措置が決定するまでのほんの二週間半ほどの間に、外出のたび反吐が出るほど同種の質問をかけられた経験が私にもあったからだ──ぼくには外国のお父さんかお母さんがいるのかな? それともお祖父ちゃんかお祖母ちゃん?
ちなみに後日改めて振り返った際にようやくその不思議さに気付いたのだが、一切の記憶を持たぬ私がなぜ「『学級委員』とは
後に知ったところによればそれは、私が喪失していたのは習慣に刻印された反復行動を蓄える手続的記憶とは対比される言語化可能な陳述記憶のうちで、さらにエピソディック・メモリーと呼ばれるものだったかららしい。
エピソディック・メモリー、あるいは和洋折衷的にエピソード記憶とは、知識や概念を保存する意味記憶とは異なり、経験の記憶を蓄える類の記憶である。
したがってたとえそのすべてを忘却しても、意味記憶が冒されていなければ物事の理解度はほとんど退行しない。
もちろん経験や体験と脳内で深く紐づけられた意味記憶については、その限りではないのだろうが。
ともあれその私の発言に対して返ってきた言葉は、「正義感に溢れた人間が絶対そういう役に就いていると考えるのは、ある意味で偏った見方だとは思わないのかい。それから誤解されるのは嫌だから言っておくが、僕はあからさまに人の上に立つような地位を獲れなかったんじゃない、獲らなかったんだ」であった。
学級委員発言に関しては、確かに自身の失言であると素直に反省したと思う。
しかしながらそれと攻撃の手、あるいは口撃の手を緩めないこととは、完全に話が別であった。
正直なところ、このときの私は、彼にこの先好かれたいという気持ちであったり、それを可能にするビジョンなどは、露ほども持っていなかった。そのためであろう、私はたとえ私が彼にとって悪印象のままで場が幕を閉じても構わないから、できるだけ早急に口論が終熄してほしいとさえ希っていた。
加えて、いつ発現したとも知れぬ負けず嫌いの性格が災いしたのだろう、自分から矛を収め身を引くという選択肢さえ、私の脳内には存在しなかったのだ。
「大富豪でいえばあなたがいわば平民であることの
むろん私がトランプなるカードゲームの存在と名前を知っていた理由さえ、当時の私にも、そしていまの私にも、知る由などないことである。
あるいは幼児期からの記憶のある一般の人々にしても、その程度の枝葉末節な概念とのファーストコンタクトなどいちいち憶えていないのかもしれないが。それこそ私には知るべくもないことだった。
「いちいちむかつく転校生だな」
何にせよ彼の発したこの短い言葉の羅列だけで、私の発言には確かに効果があったのだと理解できた。目を閉じていても伝わるほどに塔蘭という初対面の男児が放つ憤怒の気色は一瞬にして濃度を増し、前髪の影に覆われていても隠しきれないほどにその表情の険しさは瞬間に激増した。
彼が短気だったのか、私の態度が不遜すぎたのか、それはわからない。ただ私の思惑通りに会話の舵が切られはじめたことだけは火を見るより明らかだった。
彼は続ける。「そうとも、僕は正義感に溢れている。しかもそれは皆も認めるところなんだ。文句があるのか」
自己主張のみならず自己顕示欲も強い人のようだと感じ、本当に辟易としたことを記憶している。だが定まった狙いを最後まで外さぬための我慢を厭うつもりもまた、毛頭なかった。「いえ別に。あと無駄な断りかもしれませんが、僕は転校生ではなく編入生ですよ、他の学校から移ってきた訳ではないですから」
申し訳なくも自己防衛のために彼を害悪認定せざるをえなかった私は、そうして反撃の隙も与えず容赦なく言を乱射していく。「それはともかく、
「黙れ! こっちが黙って聴いていれば好き勝手言いやがって、むかつ──いや、癪に障──ああ違う、くそっ、頭に来る!」
彼のボルテージは滑稽なほど急上昇していた。
「わざわざ言い変えたりして、おかしなプライドをお持ちですね。それとも、もしやより丁寧な言い方に直そうとしたのですか。頭に来るも低俗な言い回しであることに変わりはないと思いますが」
「うるさいよ、そもそも、僕が君の
「喧嘩をしていたつもりはありませんでしたが。まあ、僕でよければあなたの努力を認めましょう」私は敢えて彼の言葉遣いの綻びには触れずに続けた。「色々とお疲れ様です。汗かいてますよ」
上目がちに彼を見上げる。勝った、そう滲ませた煽動的な笑みさえ浮かべて。
そのときは「敵は初めから減らしておくに限る」という残酷な思想さえもが、余裕の生じはじめた胸中で力強く種殻を割り、意地の悪い心の陽光に照らされ芽生え、すくすくと育ちかけていた。僅かな気持ちの緩みが私を慢心させていた。
カーキ色のカーゴクロップドパンツに両手を突っ込み、ポケットから布地のハンカチを取り出して自分の頬に当てる。
それから額にかけて一往復分だけ拭うと、丁寧に四つ折りにしてから彼の目の前に差し出した。
幼かった。いま思えば。
年齢に似つかわしくない語彙だけが豊富で自己中心性の欲望に従順な、つまりは無邪気で頭でっかちな子供すぎた。
それまでのすべてが。
憶えているか、私。
彼は刹那に突然表情を変えて、侮蔑するように私を見下しただろう。
「調子にのるなよ屑が。えらく達者だな、口が」
空気が一気に冷たくなったのだ。風のせいではなかった。
その落差に私は本能的に震えた。戦慄した。
何かを紡ごうとして、潤っていたはずの唇が乾燥で割れた。
空回りした音素は糸引く赤い粘液で彩られた。
「君は排除決定だ」
一瞬で立場が逆転したのがわかった。
そうして心を暗黒に染める歪んだ悪寒を背筋に自覚した途端、私はその場が大変に
「はいじょ──」
私はちらと相手の顔を見た。だが彼が同様に辺りの雰囲気を感じ取っていたのかは、彼の仕草や表情の癖を
私はできるだけ自然なふうを装って、周りの見知らぬ同級生たちを見渡した。
彼らが彼と私のどちらに鬱憤を溜めていたのか、または両方にだったのかはしかし、たったひとりだけ部外者たる私には察知しようもないことだった。
いずれにせよ私はそれまで、一連の会話の中で周囲の視線は極力気に留めないよう努めていたつもりだった。なぜなら自身がその学校の異端者である自覚が痛いほどあったからである。周りの敵愾心まで未成熟な心に届いてしまえば、私は新生活の序盤から二度と学校に行けなくなるような予感がしていたのだ。
しかし実際、初めから好奇の目は避けられていなかったことを私は薄々わかっていた。否、どちらかといえば居心地の悪さを終始抱き続けていたという記憶が残っていることより、逆算的にそう結論付けたというほうが正しい。
日本人離れした色彩に染められた彼らにとっては見慣れない顔の少年と、集団平均よりは有意に高身長で自称正義感の強さで名を馳せている顔見知りの少年とが並んでいれば、興味を抱かないほうが不自然だっただろうと推測する。
またその編入先の小学校は少々変わった内部構造をしており、喩えるなら四頂点それぞれにひとつずつ教室を配置した正方形の中央帯を縦方向の廊下が貫いているようなブロックがひとつの学年棟を構成している木造二階建ての校舎だったので、短い廊下で立ち話をしていればどの教室からも簡単に様子を窺われてしまう道理であり、したがって私たちの口論はいい見世物だった可能性すらあった。
口論の成り行きも結末も、仕方のないものだったのだ。所詮は子供の諍いだ。片や盲目的な正義感と自己顕示欲が強く、片や共感能力の欠如と自分本位の快感の優先具合が著しい子供だった。二人はほんの十一歳の未成熟な、しかしそれでもひとりの人間であるという意識だけは過剰に胸の内に秘めた子供だった。
譲らない矜持のくだらなさも、硬すぎて亀裂が入りそうなほど柔軟性に欠けた対話時の態度も、お互い似たり寄ったりで五十歩百歩で団栗の背比べだった。
その衝突と軋轢はすべて仕方がなかったと結論付けていいはずだ。いま振り返れば。
ただ、一挙手一投足のすべてに痛々しい排他精神を滲ませていた自分自身が、実は最も排斥されていたのではないかという疑念にまで頭が回ったとき、私はスタートダッシュにおける覆せない大失敗を痛感し、極度の不安から鈍い腹痛を覚えた。
あるいはそれはもうほぼ事実だった。
まるで消化器の中を大蛇がゆっくりと蠢き回っているかのような、精神を削り取るような重い痛みだった。私は腹部を両手で押さえ、全身から吹き出る冷や汗を無視して前傾気味
「ごめんなさい。言葉が過ぎました。ごめんなさい」
私は私に驚駭し絶望した。
私はこれほどにまで脆いのかと。弱いのかと。
反抗する意思とは裏腹に紡がれた謝罪を憎んだ。
私は自分がわからなくなった。
「もう遅い。君は排除だ」
私が彼を害悪認定したように、彼もまた私を害悪認定したようだった。
しかも不特定多数、彼のホームグラウンドの大勢の前で。
「これは正当な秩序維持だ。お前はそこで這い
私が彼の言説を悉く無視して辛辣な言葉を振り撒いたように、彼もまた私の言説を悉く無視して粗悪な台詞を突き刺してきたのだと悟った。
私は私が真に話し遂げたかった弁明、すなわち彼が口頭注意してきた私の身体の異色な配色についての釈明を執り行う機会を、愚かにも自ら失った。
「これだけは聞いてください。僕が自分で自分を着飾っているわけではないと証明します。これらはすべて持って生まれた色なのだと。誓って嘘ではないのだと」
「……よしんば君のその配色が君の薄汚い見栄の象徴ではなくて、君を呼び止め責め立てた僕に十の非があったのだとしても、君のその協調性に欠けすぎる性格だけで排除するには十分だ。いいか、納得するまで何度でも言う。君は排除だ」
それからの記憶はない。
本当に、欠片も。
ただ漠然とした雲のような心象風景だけが、いつまでも心に広がっている。
塔蘭は完璧な人間だった。私は徹底的に虐め抜かれた。虐げられ果てた。
仙人でも神でもない一介の人間には、あるいは一塊の有機生命体にはおよそ矯正不可能なあらゆる些細な落ち度まで追及され
彼は賢かった。私は反撃する余地のない見事な無言の重圧により一年間押さえ込まれた。彼に比べれば遥かに思考能力の乏しい大多数は鋭敏な空気察知能力で訳もわからずに私を遠巻きにし、一部の事なかれ主義的で聡明な児童は事情を察して積極的に私の排斥を手伝った。
あるいはそれは、おそらく彼らの自己保身でもあっただろう。
彼は二度と私に罵詈を浴びせることはなかったし、彼らもまたそうだった。
彼らはただ静かに私の首を絞めるように、あるいは本当にごく単純に数の暴力に物を言わせて、だからこそ着実に、強力に、私の未来を砕き潰していった。
私の愛した孤独が毎日のように惜しみなくプレゼントされた。
欲しいのだろう、という目で。
それは確かに私の切望していたはずの孤独だった。
文句などいえるはずはなかった。
「私は一人で居たいのです」
そう高慢に発信したのは私だったから。
「私は独りで痛いのです」
口が、臓腑が裂けても、訴えられるべくもなかった。
彼はあくまで彼の正義を執行しているという妄執に狂酔していたので、彼自身があからさまな虐めだと認定しているような行いの矛先を私に向けるのは積極的に避ける傾向にあった。
それどころか彼の中で虐めという行為は絶対悪だったため、彼はむしろ虐めの種となるような小さな不和を私以外のことで敏感に察知しては、周囲の目を一切怖れることなく上に報告して教師の信頼を勝ち誇るような優等生だった。
彼は彼自身の行いが彼の最も嫌う虐めであるとの認識を、おそらく有していなかった。私を虐げるということが正しい正義だと信じて疑わなかった。
底冷えした鋭い眼光がそれを物語っていた。
私は耐えた。耐え凌いだ。幸いだったのは彼が生粋の虐めっ子ではなかったことだった。靴を隠されたり筆箱を窓から投げられたり机の中を荒らされたり体操着を破かれたりすることはなかった。窃盗や器物破損は彼の行動選択には介在していなかったからである。加えて体育館倉庫に閉じ込められたり個室でバケツの水を浴びせられたり掃除中に塵扱いされたりすることもなかった。積極的に仲間の輪から外すことは彼にとって虐めの基準に抵触していたからである。私はあくまで、私が私の望む孤独を選び取った
その代わり、消極性の蓑に隠された巧妙な、あるいは比喩的にはもはや静かなる暴力と形容すべき何かと最大の親友になった。
幸いでなかったのは、控えめにいえばそれ故に教師陣や学校側の対応が鈍かったこと、率直にいえばそれ故に無視を決め込まれたことだった。
さらにいえば議論の槍玉に上がりにくい、しかしながら絶対的に大きな要因のひとつとして、彼が良家の出身だという事実があった。
家庭内の厳しい教育が彼の人格形成に大きな寄与を果たしていたことや彼の両親が地域に対し影で絶大な影響力を及ぼしていたことは周知の事実で、それはもはや疑う余地のない「よくできた噂」の皮を被った真実で。地主の末裔というあからさまなステータスは、逆らうすべてを無言で封殺するあからさまではない力の源泉となっていた。莫迦らしい話だが、明然とした事実だった。
だから彼もまた集団を従え、自身もまた精力的に集団に貢献しようとする理想の支配者像を幼いながら体現しようと躍起になっていたし、実際にそれは学校内部からは決して見えない家の後ろ盾により叶ってしまっていた。
彼のいる世界は、表向き民意を反映したように見せかけた裏で執り行われる叛逆不可能な独裁政治を小学校という逃げられない箱庭に投影した地獄だった。
私はいまでもその恐怖を、適切に言葉にできないでいる。
彼は、塔蘭暁は、あるいはあからさまな罵詈雑言を嫌う私が初めて胸に秘めた優しい罵倒語を用いれば「奴」は──私以外にも自分の正義倫理からはみでた同級生を、排除と称して徹底的に排斥していた。
性格的に彼が問題ありと認めた者、服装的に彼が少年少女に相応しくないと認めた者、緩い校則を独自に拡大解釈した規定に違反した者、そして彼よりも能力があるにも関わらずこれらのうちいずれかの基準を満たした者──私を含めた彼ら彼女らは、本当に面白いほど酷く弾圧された。
徒党が組めないよう個々人単位に引き裂かれ、孤立させられて。
小学生らしい仲良しペアワーク系活動は必ずといっていいほど塔蘭暁の傘下に従えられた児童と組まされたし、教師の前でも保護者勢の前でも定置監視エージェントの前でも彼ら弾圧側はいつもと変わらない素振りで過ごした。また常日頃は塔蘭一色に染まっていない中庸的な派閥の児童が私たちの受け皿に当てられ、スローペースかつそもそもが疎な関係間の
さらには私たちの側から敢えて孤立を演出し、虐げられた状況を外に訴えようとでもしようものなら、それは塔蘭一派の連携によって「平和的な自由意志によって選択された積極的な意味での孤独」に落ち着かされた。
私は、私たちは、表面上何も奪われず、何も与えられなかった。
私は、私たちは、実際はほぼ奪取され、反吐がでる機会の数々を与えられた。
私は。
私たちは。
被虐集団の中に、塔蘭よりも何らかの才能で遙かに秀で──それが何だったのかは憶い出せないが──かつ頭髪色が周囲から浮いていた者がいた。
すなわち私と同じ種類の被虐児童だった。
そのことを、正確性を欠かずにいえばそれについて「ラベル化された事実」だけを、私はいまでも印象深く憶えている。
なぜならその人物は圧政下においても常に私を気にかけ、親身に寄り添い、自身の苦痛など
だから彼は本当に、私が小学生生活のほんの一年半を乗り切るうえで大変な心の支えだった──というカテゴライズされた冷ややかな事実を、私は忘れない。
分類し典型化された記憶。
情景を捨象した概念的記憶。
悲しいことに私はもう彼の顔も、名前も、声も、また小学校生活で蓄積されたはずの大方の出来事それ自体も、完全に忘却の彼方に葬り去ってしまっている。
いまでもありありと憶い出せるのは、とある日の個人的厄災だけ。
あるいは突如として真っ暗になった視界の左半分。
急激に薄れゆく残りの視野に、大木の枝花の如き軌跡を咲かせた鮮紅の
そして視覚野の画像処理の後追いで訪れた、声にならない魂の
二〇二八年の七月下旬に虐めが開始されてから半年以上を経た、二〇二九年四月九日月曜日、編入先の小学校で新年度の始業式が催されたその、晴れ晴れしい晴れ舞台を見守るに相応しい快晴たりし小春日和。
誰もが等しく新六年生に昇級することを認められた、重要なその式典の直後。
被虐と不和に踊らされた万年狂宴の主役をおよそ八ヶ月もの間ぎりぎりの精神状態で務め抜いていた当時の私は、その日の正午、素晴らしく些細な出来事に対して偶然にも恐ろしいほど愚直に業を煮やしていた塔蘭暁の拳により──。
彼にしては珍しい肉体的暴行をさんざ繰り返された挙句、最終的に左の眼球を物理的に圧潰させられ、彼の嫌った金の瞳を粉々に砕き割られた。
目を埋める頭蓋骨の丸い縁、あるいは眼窩ごと。
私は心因性の衝撃を受け止めきれず、様々な精神疾患を併発した。
その中で、私の脳の自己防衛機制の献身的な働きが、苦悶と激痛の日々に厳重な鍵と鎖をかけてしまったのだった。
私が退院したのは小学六年生も終わりの時期である。
約八ヶ月に及ぶ苦闘の記憶とともに戦線を共に駆け抜けた誰かのことをも完全に忘れ去った不幸な男児は、もう「僕」と名乗るのをやめた。
この決して充足していない幼少期の凄惨さこそが、私の人生を構築するもうひとつの柱である。
アジサイデイズ はまなすなぎさ @SNF
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