第4節 罪と罰(3)

 時計は人にいつも時間を知らせてくれる。


 飽くこともなく、ただ機械的に、ありのままを。


 人によって、はたまた神にとって。時間というものはひどく曖昧で、掴みどころがない。


 さっき眠りに落ちたかと思えば途端に朝になってしまっていて、一日のうち四分の一も人間は寝ているなんていまだにぼくは信じられない。明らかに人生を損にしすぎていると思う。近年、日本人の平均寿命も増えてきているけど、まぁ少なく見積もって八十年。二十年も布団の中でスヤスヤしているなんて笑っちゃうだろ。


 つい先ほどのこと。


 ぼくは校長室であの鐘の音を耳にして、人の何十倍、いや何百倍、何千倍ほどの人生が頭の中を派手に駆け回った。それは一瞬のことだったかもしれないし、傍らから眺めていた校長にとっては映画一本分見る時間があったのかもしれない。けれども、それを確かめる手段などなかった。


 時計、チャイム……。


 時間を正確にその身に刻み続ける彼らは神にとって、それは人が思う以上に大切なもの。悠久の時間を過ごすぼくら神は、時間が有限であることを常に心にとめておかなければならない。


 朝八時半の時刻を知らせるチャイム、その音がぼくのいるこの保健室に鳴り響いたと同時に入り口の扉ががらりと開いた。


「おや、様子を見に来るだけのつもりだったんですが、もう起きられていたようですネェ。何たる回復力ですカ」


 そういって室内に入ってきた男は、現代の服装からは遠くかけ離れていた。


 例えていうなら、映画の中で活躍する陰陽師? いや、違うか。まぁ当たらずとも的外れではない。とりあえず平安貴族っぽい服装をした男。神社の宮司さんとかではないんだろう、ここ学校だし。


 ともあれ現代人からもかけ離れた格好をしていたし、学校というこの場においても明らかに場違いなように見えた。時代や場所が変わればそれに伴い、必然的に服装なども変容してくる。だがこの男の場合はまるでタイムスリップして平安貴族が現代にやってきた! そんな印象を持たずにいられなかった。


 よく思い返してみると校長も校長で白いローブを羽織っていたし、この膝の上に乗っかっている保険医に関して言えば仕事着っていう本来フォーマルな服装であるはずの白衣が、みだらな着こなしをされちゃってるわけだけどそういうことにはあえてツッコまないようにした。


「おやおや、お邪魔でしたかネェ?」


「いえ!!!!!!」


 全力でぼくは否定する。全力で。


 それを横目にフローレンス先生がクスクスと笑う。


「申し遅れましたネェ。わたくしあなたの担任のミチザネという者です。以後、お見知りおきを」


 そういうと男は右手の杓子を口元に垂直にあてながら深々とお辞儀をした。それに合わせてぼくからもぎこちなく頭を下げる。


「担任、ですか……」


「エェ、担任ですヨ。あ、校長からはどれぐらい話聞いてますかネェ?」


 何の話だろうか。そういえば校長室で校長と対面したときにもこれからの話をしよう、と言われた気がする。結果的にぼくはぼくが神だったという事実は確かに思い出させてもらったけども、他はここが学校だということを教えてもらったぐらいで詳しくは何も聞かされていない。


「あー、さてはろくに話聞いてませんですかネェ……」


「いえ、話をきちんと聞いていなかったとかではないんですけど」


「そういうつもりで言ったわけじゃないのですヨ。ここの学校のことはどれくらい聞いてますかネェ? あの方のことだから、詳しいことは何も仰らなかったんではないでしょうカ」


「えーっと……そうですね」


 ぼくの言葉を聞くなり、ミチザネ先生は困惑したように頭を抱えた。なんだかこいうと失礼かもしれないけど、顔にうっすらと浮かぶ皺とあいまって苦労人のような印象を受ける担任だった。


「何も分からない純粋な少年に色んなこと教えてア・ゲ・ル♡ のが大人なんじゃないかなあ?」


「貴方が言うと随分語弊がありますネェ……まぁそうですネ。ではまずこの学校のことから」


 ふふーん、と金髪女医がぼくの膝の上から猫のような速さでベッドから降りると、元の彼女の定位置であろう事務用のデスクの上に腰かけた。


 説明を聞くのにベッドの上からじゃ申し訳ないな、と思いぼくもよろりとベッドから這いずり出る。保健室のちょうど中央に五人ほどで囲めそうな円状のピンクのテーブルがあり、そのうちの一つの椅子にぼくとミチザネ先生は腰を落ち着かせる。


「コホン……さて、まずここは私立神様更生学園と言いマス。あなた……いえ野中正は本日、学園生として迎えられマシタ。理由はすでにご存じでしょうかネェ?」


「はい。昨日……のことだと思うんですけどぼくは神としての力を暴走させて人間界を壊してしまった。……そうですよね?」


「エェ、合っていマス。そしてその理由はこの学園に招き入れられる理由として十分足りえる理由になっているのですヨ」


 校長室で受けた罰、それがいまだに重く心にのしかかってくる。ぼくはこの世で一番怒らせてはいけない人物を激怒させてしまったんではないだろうか。


「ですが、あなたはすでに校長直々に罰を受けていますのでわたくしはそれに関して、それ以上のことを言及しませんヨ。もちろんきれいさっぱり忘れるなんてことはダメですケド。これからは学園で更生していこうというお話なのですヨ」


 癖……なのだろうか。ミチザネ先生は再び杓子を口元にあてると、ピンクのテーブルの上に静かに両肘を乗せると真剣な眼差しでこちらを窺う。


「具体的にはどのようなことをすれば更生できるんでしょうか?」


「それはですネェ……卒業の基準はその神によって違うんですヨ。人それぞれ、というより神それぞれってとこでしょうかネェ。その神がその神の本質を十分に取り戻したときに初めて卒業が認められるのですヨ。ひとまず神としての素養を高めるため、あなたの場合は取り戻すためですケドモ。うちのクラスで学園生活を送っていただきマス」


 神としての素養……か。


 正直、鐘の鈴のあの音色を聞いた今でも脳内では理解が進んでいない。というより超常的な展開が続きすぎて理解するのを拒んでいるといった表現の方が的を得ている。


 だが常識で理解できない局面に至ったとしても、鐘の音によるこれまで経験した記憶が、校長の制裁が、その体に刻まれている。


 頭で理解できないから体で覚えさせる。それは野蛮で非人道的な手段ではあったけれど、効果の方ははたしてぼくには絶大だったようだ。


「……ります」


「?」


「やってやります……! って言ったんですよ」


 こちらを窺っていたミチザネ先生の眉がかすかに動いた。 


「ぼくは今まで普通の道を歩んできたつもりでいました。でも、今までぼくが生きる世界をぼくが自らの手で壊してしまった。それは……全てぼくの責任です。ぼくが神に戻って、またあの元の普通で平凡でありきたりな生活を送ることができるなら努力は惜しみません」


「あなたは……」


 ミチザネ先生は何かを口にしようとする。しかし、言いかけたところでやめてしまった。


「まぁ……いいでしょう。やる気があるのはいいことデス。九時から朝のホームルームが始まりますのデ、わたくしと一緒にクラスへ行きましょうカネ。あなたの他にも様々な神や神志望の存在もいますが、くれぐれも仲良くするようにしてくださればありがたいのですヨ」


「神……志望?」


 私立神様更生学園というのだからてっきり神だけが通っているのかと思っていたがそれは違うのだろうか。


「神界が神様だけで成り立ってるって思ったら~大間違いなのよ♡ ぼく~♡」


 おちゃらけた口調で奥の方から横やりが挟む。茫然となっていたぼくが声がした方に目を向けると件の保険医がニコリと笑みを浮かべていた。


「だって~目の前にいる二人だって元は人間なんだよ~♡」


「え!? ミチザネ先生……それにローレン先生まで?」


「そういう言い方は失礼じゃないかな~」


 人が臨死体験をしたとき三途の川が見えただとか、天国にしばらくの間居たみたいなことが語られることがあるけど、その類でたまたま神界に紛れ込んでしまったとかそういうことだろうか。しかしぼくはそんな安易な思いつきをフローレンス先生の口ぶりから察して即座に却下する。


「ミチザネ先生も人間だったときはすごかったんでしょ~♡」


 そこでぼくはやっと真実に辿り着く。この目の前に座ってぼくの応対をしている人物の正体に。いや、最初からこの人(神?)は隠すつもりなんてなかったんだ。だってこんなにも分かりやすい服装で現れたのだから。


「菅原の……道真!?!?!?」


 仰天して大声を上げるぼく、後ろでぼくの反応を見て面白そうに笑っているローレン先生、そしてばつの悪そうに静かにこちらを見ている菅原道真公がその場に居た。


「ミチザネ先生は元々すごい人だったから~神様になるのもすご~く早かったんだって♡」


 確かに菅原道真と言えば今では学問の神として祀られている神だ。死後に各地で天災が多発したために貴族たちから恐れられた。結果として民間伝承としての菅原道真は雷の神、つまり天神になったとも言われている。


 人間に生まれながらにして神になったのは至極当然のことだったのかもしれない。それに、学問の神様が担任だなんて適役もいいところだなと感心する。


「神界にいる存在は大きく四種類に分けることができるのですヨ。まずあなたのように神だったのに失敗してしまって神であるための神権免許を剥奪された存在それが【落第者(ドロップ)】なのデス」


 ドロップ……落第者。つまりぼくのような落ちこぼれの神はこの世界では差別的な目で見られているのかもしれない。


「次にわたくしたちがそうであるのですケド、人間から神に成り上ろうとする存在デス。これを【挑戦者(チャレンジャー)】と呼ぶのですヨ」


 淡々と会話を進めるミチザネ先生とその奥で我関せずといった顔でふんふん聞いている保険医。彼女はどういった経緯で神界にくることになったのだろう。


「そして……三つ目は人間ではない存在が神界に来た場合。これは様々ですケド妖精のようなものだったり、物に長年人間の想いが詰まったものが魂を持って神界にやってきたり、なかには概念そのものであったりと前の二つとは性質が異なりマス。それゆえに【訪問者(イレギュラー)】、とそう呼ばれているのデス。数はそれほど多くありませんネェ」


「あともう一つは神そのものですか?」


「察しがよくて助かりますネェ。その通りデス。……ともあれ、この学園にいるのは教職員を除いて神以外の存在デス。まぁ今のところあなたはこの学園に通っている他の学園生が必ずしも【落第者(ドロップ)】だけではないということが分かってもらえれば結構なのですヨ」


 学園生活ともなれば他の生徒と関わり合いながら生活していかなければいけない。神に戻ろうと努力する元神、そして神になろうとする存在。その両方とぼくはうまくやっていけるのだろうか。


 普通で平凡でありきたりな生活を送っていたぼくの日常は一晩のうちに一変し、普通で平凡でありきたりな生活を取り戻すために奔走する超常的な非日常が幕を開けたのだった。

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