第3節 罪と罰(2)



 ぼくが目が覚めると、そこは知らない白い天井、知らないベッド、窓の外からは知らない風景が広がっていた。


「いてててて……どこだろ、ここ」


 とりあえず身体を起こしてみようと試みたものの、腹部がキリキリと痛む。


 その痛みをもってして、ぼくが意識を失う直前までどんな状況に立たされていたのかを思い起こすことができた。


 腹筋にうまく力が入らず、そのまま再度背中からベッドマットへ倒れこむ


 恐いものの例えとして地震、雷、火事、親父とかいうけどあんなの反則だ。どう考えても他の三つより強いじゃないか。


 もうこの学校では、あの校長とできる限り顔を合わせたくないな、とぼくは心からそう願った。


「あら~♡ もう起きたのかしら。強い子ってす・て・き♡」


 ねっとりとした声が聞こえた。


 それと同時にベッドの、足元から女性の顔がこちらを覗く。


 それがあまりにも唐突すぎて、心臓がとまりそうになる。


「あら……反応はかわいいのね♡」


 テレビでしか見たことがないような長く、そして綺麗でサラサラな金髪。白衣を自己流に着こなしていて、胸元がざっくりと……って開きすぎだろ! いま下着黒いの見えたぞ! 慌ててぼくは顔をそらし……彼女は西欧風の、さながらモデルのように顔が小さかった。そして薄化粧なのに口紅だけは目立つくらい濃い赤で塗りたくられていた。そんな女性がぼくの目の前に現れた。


「あの……訊きたい事があるんですけど、ここは病院とかですかね?」


 ぼくは一向に顔を横に向けたまま彼女に訊ねる。窓の方を向いてしまったせいで朝日がとてもまぶしい……。


「あ~、とぼけたって無駄ですよお? きみのこと、お姉さんきっちり聞いてるんだからね♡」


「急に何かの発作で倒れたとかそんなのですよね……ははは」


「とぼけるのは一回まで~。さすがに何回もやるとモテないよ?」


 何やら機嫌を損ねてしまったようだ。


「……じゃあこれまでのことも全部?」


「そうよ~♡ そしてぇ、きみの目の前にいるこの絶世の美女もほんとう~♡」


「ちょ……近い! 近いです!」


 さっきまでぼくの足元で顔を出していただけだった女性は、ぼくが顔を側方に向けていることをいいことにさりげなく膝のあたりまで体を乗り上げてきていた。それをドギマギしながら両手で払いのけようとする。


「それでぇ~♡ 何から聞く? 何から聞きたい~?」


 ぼくは少し考えてから、あらかた予想ができていたことを訊ねる。


「ここは保健室……でいいんですかね?」


「あったりー♡ でも~、先生の求めてる質問はそれじゃなかったから不正解かな~。先生は~ものすごいキメ顔で先生の~名前聞いてほしかったんだけどなー♡」


 人に質問をフッておいてなんて言い草だ。なんてことはさすがにぼくも初対面の人には言えなかった。初対面なのに気軽に接してくれる彼女に、とりあえずぼくも合わせてみることにした。


「……先生のお名前は……?」


 ぼくはものすごいキメ顔を、ただの一ミリも見せることなくそのセリフを吐いた。


「先生の名前教えてほしい?教えてほしいの~?」


 キメ顔じゃなくても別によかったらしい。しかし……どうしよう。すごくめんどくさいのにあたってしまったなぁ、とぼくは内心思っていた。


「先生の名前は~フローレンスぅ~。だからっフローレンス先生♡って呼んでね♡」


「はぁ……よろしくお願いします。フローレンス先生」


「ハッ、ちょっと待って!!きみには特別にローレンちゃん♡ とちゃん付けで呼ばせてあげよう」


「いや、大丈夫です。ローレン先生」


「あっ! じゃあじゃあ! ローレンちゃん♡ でいいよ♡」


 なんで二回言ったんだ、この人は。


「じゃあローレン先生で」


「なんだぁ~。つまんないなぁ~。きみモテないよぉ~?」


 モテないモテない言うなよ。さっきから地味にメンタル削られていってるんだってこっちは。


 と、そんな感じでローレン先生にペースを飲まれてしまい、その後もグダグダと趣味やら休みの日は何してるのとか彼女はいるのとか根掘り葉掘り聞かれる。


「じゃああれ聞いていい? あれ♡」


「あれ?」


 フローレンス先生は最初に口を開いたときから常にねっとりとした喋り方だったがここにきて興奮したのか声のトーンが少しばかり高くなった。


「世界滅ぼしたってのきいたよ~♡ 世界っていうか人間界? ほんとなんでしょ~? きみの名前だって知ってるよ、タダシくん♡っていうんだよね?」


「……誰に聞いたんですか?」


「う~んとね、校長先生~♡ 渋いおじいちゃんだよね~。好き~♡」


 なりふり構わずかよ! とツッコミを入れたい気持ちもあったが、話題に出てきた人物がぼくがさっき意識がなくなる寸前までぼくの真正面に対峙していたことを思い出して、素に戻る。


「どれぐらいの人が……その、ぼくが事件を起こしたことを知っているんですか?」


「ん~~~~」


 フローレン先生は頭を傾げる。


「たぶん、みんなじゃないかな?」


「みんなって?」


「みんなっていったら神界の全員♡ ちょー有名人だね♡」


 有名人。


 それはこれまでのぼくの人生から見て、かけ離れた存在だった。


 いい意味でも悪い意味でもぼくにとっては喜べるものではない。


 普通で平凡でありきたりな人生、それがぼくの人生設計だ。


「調律の神……」


 フローレン先生は珍しく小さくそう呟いた。


「え?」


「ううん、なんでもないよ♡」


 なにか彼女はぼくに対して言おうとしたことがあったんだと思う。しかし、ぼくはあえて追及はしなかった。


「それにしても傷治るの早いよね~♡ 担ぎ込まれてきたときボロボロだったんだよ? ボロボロでズッタンズッタンでドバー!! って感じだった♡」


「どんな感じだったんですかそれ……」


「普通ならこのローレンちゃんの力をもってしても夕方までかかるってぐらいだったけど~、きみの場合は早かったね♡」


 ぼくは気になって、着ていたワイシャツをめくり上げると特に目立った外傷は見られなかった。


「ん~~♡ おなか~♡」


「あっ、着ていたワイシャツって取り替えてもらったんです?」


 別に鍛えているわけでもない一般人なぼくのおなかになぜか興奮している様子のフローレンス先生に問いかけると、


「いや?着替えさせてあげたりはしてないなぁ~♡ ハッ、まさかそういうの興味ある?」


 ちょうどそのときだった。保健室のスピーカーからチャイムの音が響く、と同時に小悪魔的な保険医との楽しい会話から現実に引き戻される。そうだ、ここは学校なんだ。


「あ、もうこんな時間だね~」


 保健室の壁の上方に取り付けられていたスピーカー、その隣には掛け時計がかけられおり、その針は八時半を指していた。


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