第2節 司法の神
あれから烏帽子を被った担任は何やら校長に呼び出され、新学期早々に教室から退場してしまっていた。とんだ放置プレイである。担任が不在になった教室は再び元のように活気を取り戻し、あちこちで私語が目立ちだす。
ぼくは教室の窓際の最後方、ぼくの席にようやく腰を落ち着けた。
「とんだ災難だったな、少年」
「……はい。さっきは本当にありがとうございました」
ぼくは青みを帯びた濃い紫の髪を持つ女に感謝の意を述べた。
誠実、清廉潔白といった言葉が似合う。顔立ちは凛としていて落ち着いた態度が印象的で、フローレンス先生とはまた違ったタイプの美人だった。
最悪な形で転校生としての学園デビューをしてしまったわけだが、それでも不幸中の幸いとでも言うべきなのだろうか。救いの女神はいた。
助けにきたのが校長だけだったなら、今頃もっと暗惨たる感情に包まれていただろう。少なくとも、今後の教室の中でのぼくの立ち位置は厳しい。いや、おそらく今も十分危ういところなのだけど。
「ああ、名乗るのが遅れてしまったな。わたしの名前はユスティアという。好きに呼んでくれて構わない。きみの名は……野中正だったか。今後よろしく頼む」
と女は握手を求めてくるので、ぼくはやや緊張しながらその手を握った。
ぼくの席の一つ前にユスティアの席はあり、ちょうど前後の関係だった。
「それにしても……なんでぼくを助けてくれたんですか」
ユスティアはきょとんとした顔で見つめる。別におかしなことは言っていないはず……。
「いやはや、失礼。そうか、きみにとっては不思議だったか?」
「あなたにはぼくを助ける義理もないと思うんですけど……。あっ、いや助けてもらって本当に感謝はしています。けどなんでかなーって」
「ふん。ならば教えてやらねばなるまいな」
そう言いながら、ユスティアは得意げに腕組みをする。彼女のピッタリとした服装が更に強調される。彼女の胸ポケットにはさっきまで彼女が振るっていた巨大なペンが元のサイズになって収まっている。その少し上の位置に銀色のバッジが留まっているのが見えた。
「神性というやつだ。わたしは相手の善悪が手に取るように分かる。きみからは悪意が全く見られなかった。」
「シンセイ?」
聞き慣れない単語を思わず繰り返す。
「神の性質、と書いて神性だ。神はそれぞれ性質が違うだろう? 火の神、海の神、山の神、豊穣の神。性質によってその神の役割は様々だ。わたしは司法と正義の神だからな。弱きを助け強きをくじく、それがわたしの務めだ。きみがスサノオの厄介に巻き込まれているのを見ていたたまれなくなってな」
そろそろ主人公を交代してもいい頃合いじゃないだろうか。ぼくの目の前にいるドヤ顔美人は明らかにヒロインというよりもヒーロー気質だ。彼女の方が適役なことは間違いなかった。彼女のスーツの襟についていたバッジが裁判官バッジだとしたら納得いった。
「勝てない……卑怯だ」
「ん? 何の話だ?」
「いや、なんでもないです……」
ぼくは現実に打ちひしがれながら軽くうなだれてしまう。
「ところできみは何の神なんだ? ゴールド持ち……いや、済まなかった。訂正しよう。ゴールド所持経験者だというのならさぞ強い神性を持っているのだろう?」
「へ?」
きらきらと目を輝かせながらユスティアにぼくは不意を突かれる。
「ちょっと待って。そのゴールドってのはなんなんですか? さっきのヤンキーも言ってたけど……」
「いやまさか……これほどまでに無知だとはな。取調室で記憶でも抜かれたか? それともゴールドっていうことが嘘なのか?」
「いや、ほんとに何も知らないんです」
実際その通り、最初の鐘の音と二度目のペンと鉄パイプの衝突によって呼び起こされた記憶、そのどれもが断片的でそれでいて役に立たないものばかりだった。ぼくはどの時代も絶えず戦っていた。神界にいた記憶を漁ろうとしたが、それも徒労に終わってしまう。
「まぁいい。神にはその存在や働きに応じて神権免許がランク付けされる。ゴールド、シルバー、ブロンズ、ノーマルの四種類だ。大半の神はノーマルで上になればなるほど希少だ。ちなみにゴールド持ちなんてのは神界でも都市伝説レベルだぞ。わたしでも実際に会ったのははじめてだ! あっ……でもきみは剥奪されているからごにょごにょ」
少しづつではあるが飲み込めてきた。
彼女の話が真実ならぼくはどうやらとんでもない存在なのかもしれない。
「ぼくはぼくがどんな神なのか、自分でも分からないんです」
「――。」
ユスティアの目線がまっすぐとぼくに投げかけられる。
「それは……どういうことなんだ?」
「そのままの意味ですよ。ぼくはぼくの正体も果たすべき務めも分からない。それどころかさっきまでぼくが人間界を滅ぼしたことまで綺麗さっぱり忘れてしまっていたんです」
ふむ……、と言って彼女は何やら考え込む。
「わたしの神性からはやはりきみの悪意が感じられない。これまでわたしは自分の神性を疑うことなく神としての使命を全うしてきたつもりだが……困ったな。今回ばかりはわたしの神性を疑ってしまいたい気持ちだ。神は決して剥奪されて能力を制限されている状況下にあっても神性だけは忘れない。挑戦者(チャレンジャー)や訪問者(イレギュラー)にしても何のために神を目指すべきなのか、それは心得ているはず……」
彼女の表情から明らかな戸惑いの色が見えた。しかし彼女はなおも言葉を紡ぐ。
「いずれにせよ、神界できみは渦中の神であることに変わりはない。今回のスサノオのようにきみに対して良く思っていない輩は多いはずだ。人間界は神界と密接に繋がっている世界だから、人間界で仕事をする神全員が一気に手持無沙汰になってしまった。報復は今後も続くかもしれない」
分かっている。分かっているんだ。取り返しのつかないことをしてしまった。
「……スサノオも見た目や言動はあんなだがな、わたしは彼の根っこの部分は悪いやつだとは思っていない。仲良くしてやってくれなどと言われても今は難しいかもしれないが、せめて怨まないでやってほしい」
ユスティアはそう言ったが、決して彼を怨んだりしていない。ぼくは向けられる敵意が嫌なだけだった。だが、その敵意を向けられる理由は痛感している。
「そっ……それとだ、えっと……タダシ」
口ごもって顔を赤らめるユスティアをぼくはただ見つめることしかできなかった。
「わっ……わたしとも仲良くしてやってくれ!」
「いま……なんて?」
苛烈を極めたスタートを切ったぼくの学園生活において初めて友人ができた。
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